その朝は、職場で若い人たちへのトレーニングがあって、とても忙しかった。仕事が終わって、家に帰ってやれやれと、夕食後のニュースを見ようとしたら、少し前から左胸が重かったが、突然ひどく痛くなって呼吸ができない。心臓をわしずかみされている感じ。浅い息を吸うが息が吐けない。鉄の腕でで心臓が掴まれて、痛くて両手で強く抑えていないと、胸から背中に放射する痛みが強くて立っても座っても居られない。血圧を測ってみると上が200近く、脈も信じられないほど速い。
これって心筋梗塞だよね。じゃなかったら急性肺炎か気胸か。浅い息で地面を這うような姿で車に辿り着き、へろへろ運転で2ブロックほど先の救急病院に到着。受付で胸痛を訴えた。
オーストラリアでは、死因の第1番がハートアタックなので、私のような老人が胸痛を訴えると、トリアージナンバーワン、すぐに心電図、血液検査、レントゲン検査に回される。
救急室はあっちでもこっちでも血を流したり、吐いている赤ちゃんや、鼻が折れて変形した顔の人や、泣いている救急患者に挟まれて、待つこと3時間。
結果は何にも悪くない。けれどお家に帰れない。以前、私が病院の心臓外科病棟に勤めていたことがあるのを知っている若い女性のドクターは、何故かわからないけれど、胸痛が収まらない患者は、家に帰したがらない。その胸痛は前兆に過ぎなくて、家に帰したとたんに大発作が起こって翌日死んで見つかるかもしれないからだ。再検査で再び2時間待つが、結果は良し。救急室で5時間待って、検査結果が良いのに痛みが治まらない。
どうしてだろうねーと、検査結果の画面をドクターと二人で眺めながら不思議不思議。ところで、その顔のアザは何なの?と聞かれて、ウーム、思い出した。今朝、職場に向かって入り口で蹴つまずいて転んだのだった。硬いコンクリート道路で倒れて左側の頬と、肘と手と膝小僧と腰を打った。でも忙しくてすっかり忘れていた。
「そっか、肋骨を打っていたんだ。なあんだ、肋骨骨折じゃん。」と女医さんと一気に「謎」が解けて大笑い。ハイタッチに、ばんざい。わっはっはと笑いあって、やっとお家に帰れる嬉しさでぴょんぴょん跳ね上がりたい気分。肋骨骨折の診断が下って、大喜びする女医と患者の姿も珍しいだろうが、心臓じゃなくて良かった。肋骨骨折の治療法はない。休めば治る。
嬉々として、でも痛くて空気中をクロールで半分溺れながら泳ぐような姿で帰宅して3日間、何もせず自重していた。食べて寝るだけの3日間。4日後には、娘たちの誕生会ランチのため、家族全員がそろう。家族に迷惑が掛からなくて良かった。
年寄りのひとり暮らしは充分楽しいが、それなり、小さなドラマもあったりしてはらはらする。
LADY GAGA「ALWAYS REMEMBER US THIS WAY」
レデイ―ガガのこの曲は、一緒にバンドをやっていた男の子が死んでしまって、女の子がそれを思い出して歌っている。自己流の訳は以下。
アリゾナの焼けるような太陽に、目が沁みて痛い。 あなたが私を見る目に燃える火を見たい。 カルフォルニアに埋まってる金みたいに 自分で見つからなかった自信を、あなたがくれた。 だから息が詰まって、言葉が見つからない。 いつもサヨナラを言うたびに、とても傷ついた。 陽が落ちる時、バンド演奏が終わる時、いつも私たちのことを思い出す。
夜、恋人たちは詩を口ずさむ 私たちは韻をふむやり方も知らなくて だけど あなたはどこにも行かないということ 私の一部分だもの あなたは絶対死んだりしないって
私は息が詰まって言葉が見つからないとき いつもサヨナラをするとき とても傷ついた 陽が沈むときバンド演奏が終わってしまっても いつもみたいに こうやって思い出す。