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2022年11月30日水曜日

認知症患者の人権保護

エイジケアの医療現場に居て認知症患者の人権について考える。
オーストラリアに来て27年、その前はマニラインターナショナルスクールでバイオリンを教えていた。もっと前は日本で業界紙の編集記者をしていた。オーストラリアに来て、医療通訳をしながら公立病院で勤めた後、今のエイジケアで働き出して17年になる。日本のエイジケアと異なる点も多いと思うので、参考に書いてみる。

今の施設には50人の患者、マネージャー含め10人の高等看護師、その5倍のアシスタントナース、医師、リハビリ物理療法士、ポデイアトリスト、料理人、栄養士、その他に掃除洗濯など契約できている業種がいる。ほとんどの患者が自力でトイレに行って自分で排泄できなくなって、自宅での訪問看護チームや家族の世話をあきらめて施設にやってくる。認知症はアルツハイマーや精神分裂症やうつ病を併発していることも多く、何の前兆もなく突然暴れ出す人、何度着せても服を脱いで裸になって歩き回る人、意味もなく叫びまわる人、薬を毒だと思って隠したり吐き出す人、お年寄り同士喧嘩ばかりする人など、いろいろだ。優しい人もいっぱいいる。
私はホームの出入口の鍵と、ドラッグキーといって鎮痛剤やオピアムやモルヒネの入ったロッカーの鍵を首から下げて働いている。時間になればその鍵で戸締りするが、「家に帰りたい」人に私がその人を監禁していると思い込まれて「俺を家に帰せ」と首を絞められたことがある。奥さんと間違われて、毎晩ベイビー一緒に寝よう、と言いに来る人もいた。鎮静剤をどうしても飲んでくれなくて暴れ出して警察を呼んで助けを借りて薬を飲ませた人もいる。相手はオージー、大きいし力も強い。医療従事者は常に危険と隣り合わせだ。

認知障害を持っていても彼らの人権を守り、医療事故を減らすために常に私たちの「とりきめ」は変化し続ける。決まったことを箇条書きにしてみると

1)徘徊、多動、じっとしていられない患者に鎮静剤、睡眠剤、抗精神剤などを投与することが、薬学的拘束と考えられて禁止になった。重度の精神病でそれらが必要な患者には、医師が2週間ごとに州に報告書を提出しなければならない。
2)点滴中の患者を、針を抜かないように手足を拘束してはならならない。何度も点滴針を抜いてしまう患者には、何度も針を差し替える。もうそれを繰り返して血だらけになっても、拘束しない。何度でも言い聞かせる。
3)じっと座ることができない、多動や徘徊の人にトイレのシートや、椅子に安全ベルトで拘束することが禁止された。ほとんどの歩けない人は自分では歩けると思い込んでいて、椅子から立ち上がっては転倒するが、それをくい止めるにはナースが横に居てみていなければならない。
4)以前はどのベッドにもベッド柵があったが、混乱している人が柵を乗り越えて高いベッドから落ちて命を落としたり怪我をするので、柵も拘束ということで禁止になった。ベッドは可能な限り低い位置にしてベッドの周りにマットを敷く。またベッドセンサーをとりつけるなど対策を講じている。
5)患者たちは昼間、滑らない靴を履き、夜は徘徊する人のために滑り止めのついた靴下をはかせる.。
すべての患者は、朝パジャマを脱いでシャワーを浴び、食堂に座ってもらい、全員そろって食事する。朝食、モーニングテイー、ランチ、アフタヌーンテイー、夕食もそろって食べる。昼間は、寝かさずに体操、ゲーム、バス旅行、映画界などに参加させる。きちんと座れない人には、座れるような椅子を注文する。ベッドで寝たきりには絶対しない。

患者の人権を守る、人を拘束してその人の選択範囲を狭めてはいけない、心理的にも薬理学的にも物理的にも医療倫理に基ずいて患者を可能な限り自由にする、ということが、その分だけ医療従事者の多忙、責任、負担を強いているのが現状だ。また、患者の人権を守るには、「拘束」を解くだけでは足りない。人が人を大切だと思う心が育たなければ人は人をケアできない。

私が心掛けているのは、今は施設でいつも半分寝ているような語ることも考えることもなくなってしまった患者でも、昔は立派だったことを物語るような写真を大きく引き伸ばしベッドの上に張り付けること。いま涎をたらし、注意していてもオムツを外してどこにでも排尿するような人が、昔は信じられないほどハンサムな空軍パイロットの軍服姿、かっこいいカウボーイハットで馬に乗る姿、可愛らしいエプロンを付けた田舎の小学校の女先生、、、そんな写真を飾って、今がどんな姿でも、それぞれの老人には語りつくせない歴史があることを、ケアするものは知る必要があるということだ。

人は年を取る。わたしもベビーブーマー、今年で73。いまだにフルタイムで働いているがいつまでできるか?何もわからなくなって、施設でお世話になることがあったらその時のために、若くて元気で希望に満ちていた頃の写真を一枚用意して置くつもりだ。それを同じ世代の方々にもお勧めしたい。

写真は大切な職場の仲間たち



2022年11月16日水曜日

マイナンバーカードに反対

マイナンバーカードに健康保険証を付けてはいけない。
先日眠っていて聞きなれない音がしたので寝ぼけ眼で携帯を手に取ると、自分のクレジットカードが画面いっぱいに映っていてクリックマークが「支払いますか?」と、、。何ですか突然! 画面のクリックボタンに触らないように、そーっと携帯をオフした。もし画面をクリックしていたら、どんなことになっていたのか考えるだけで恐ろしい。
オーストラリアで2大インターネットプロバイダーの1つ、オプタスから100万の顧客の個人情報がハッカーによって盗まれたのがこの9月。オプタスから私にも謝罪のメッセージが来て、名前、住所、メイル、運転免許、パスポート番号、クレジットカード情報が漏洩したと知らされた。以来、奇妙なメイルや訳の分からない請求書を受け取っている。

オプタスに次いで、この10月健康保険会社で最大規模を持つメデイバンクプライベイトから、970万人の顧客の個人情報がハッカーによって盗まれた。犯人は会社に巨大な金額を要求したが会社が支払いに応じなかったため、50万件の健康保険請求の内訳情報が、ブラックマーケットに売りに出された。まず始めは500人分の妊娠中絶した人の情報。翌日にはエイズ患者、その翌日は精神病歴の患者情報がマーケットに流れた。「なんと卑劣な」と、女性のサイバーセキュリテリ大臣、クレアオニールは、涙ながらに国会で犯人を弾劾,糾弾し、必ず犯人を捕まえて見せると断言した。

医療に関わる情報はとてもセンシテイブだ。LGBTIA+や、障害者、精神病患者、特定の遺伝子を持った人、癌患者などの個人情報は秘密でなければならない。BRCA1とBRCA2という遺伝子を持った人は、男女に関わらず乳癌に罹患する率が70-90%と高い上、女性は卵巣癌の罹患率も高い。また血友病やてんかん、精神分裂病、アルツハイマー病など一定の遺伝も考えられる疾病には、注意が必要だ。情報が洩れることによって、結婚や就職に差別が起きてはならない。
人は不完全な存在だ。病気になったことがない人など居ない。不安やストレスにさらされれば、人はうつ病状態に陥る。疲れているとき喉に空気中の細菌やヴァイルスがつけば感染症を起こす。注意していても、注意していなくても怪我をしたり事故は起こる。それが人間であり、みんなが遺伝の負の因子や障害や、さまざまの事情をかかえて生きている。そういった個人情報を表沙汰にして脅迫することは人として恥ずべきことだ。世の最も保護されるべき人々の弱みに付け込んで、金を搾り取ろうとするハッカーほど卑劣な存在はない。

マイナンバーカードに反対。またカードに健康保険証を付帯することにも反対。いまオーストラリアで起きていることは日本でも必ず起こる。情報を1本化してはいけない。情報は必ず洩れる。そのときの被害を最小限にするために健康保険は厚生省、運転免許証は警察庁、パスポートは外務省、年金は国民年金、クレジットカードは銀行、それぞれの部門で独立情報管理しなければいけない。国民総背番号制を拒否する。

「アンチェインド メロデイー」を歌ってみた。アレックスノース作曲、ハイザレッド作詞。1955年終身刑にあえぐ囚人のマイナーな映画のために作られた曲だったが、1965年ライチャスブラザーズが歌って流行。1990年映画「ゴースト」に使われてポピュラーになった。
I am singing [ UNCHAINED MELODY] .The song with by Alex North and lyrics by Hy Zaret, written for the miner prison movie film in 1955. This music sang by Righteous Brothers in 1965, and it became popular by the movie[ Ghost].



2022年11月2日水曜日

攻撃される絵画

10月9日、メルボルンの美術館でパブロ ピカソの作品「朝鮮虐殺」(KOREA MASSACURE)に2人の男女が接着剤で自分たちの手をくっつけて、気候変動の危機を助長し何の対策も講じない政府に抗議した。彼らは絵画の下に「CLIMATE CHAOS, WAR +FAMINE」(気候激変、戦争と女性)と書かれたバナーを置いていた。ピカソのこの作品は1951年米軍が、北朝鮮の信川で3万5千人の村民を虐殺した事件を描いたもの。普段はピカソ美術館にあるがオーストラリアを巡回、展示中だった。

10月14日、ロンドンのナショナルギャラリーで、ビンセント ゴッホの「ひまわり」に2人の女性活動家がハインツのトマトスープをかけた上、接着剤で手を貼り付け、気候変動への注意を喚起した。エネルギー危機でスープを温められない人々が居る中、大企業は政府から減税を受け、石油会社と電力会社は莫大な利益を受けている。またハインツ社はインドネシアの熱帯雨林を破壊しパームオイル畑を拡大、自然破壊の当人である、とアピールした。

10月23日、ドイツのバルベリー美術館で、モネの作品「積みわら」に2人の活動家がマッシュポテトを投げつけ「人々が飢え凍え死んでいる。私たちは気候変動による破局の中に居る。トマトスープやマッシュポテトがかけられた絵がそんなに心配か?2050年には食べ物がなくなる。人々が食料を奪い合うことになる。」と訴えた。

10月27日、オランダのハーグ、マウリッツハイツ美術館で、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」に活動家が、自分の額を接着剤で張り付けて、もう1人の男がトマトスープをかけて「美しく貴重なものが目の前で破壊されるのを見た時にどう感じるか?憤慨しますか?地球が破壊されるのを見た時に同じように感じますか?」と訴えた。

環境保護活動家たちによる、有名絵画を使った抗議活動が続いている。各国のマスメデイアはその詳細を報道したがらない。大きく取り上げることによって、そうした動きが繰り返されるのを恐れるし、大騒ぎになることが活動家達のアピールの一つの目的でもあるから、恣意的に事を小さくとらえて僅かな報道で済ませているように思われる。活動家たちの言っていることはよくわかる。近頃の若者は、、などと小言を言うつもりもないし、戦略がひどく間違っているとも思わない。

すでに地球は産業革命前のレベルと比べ1.1度の気温上昇が確認されている。2050年までにCO2排出を実質ゼロにするためには、化石燃料の開発を直ちにやめなければならないし、2030年までに世界全体で温室効果ガスの排出を半分までに減らす必要がある。しかし、笛吹けど踊らずの国々の対応に、環境保護団体は怒り心頭に達している。北極で白クマが飢え、南洋の国々が沈んで住む土地が無くなっていっているのだ。

活動家たちの言うことはよくわかる。しかし、1枚の絵は沢山のことを私に伝えてくれる。ピカソの「朝鮮虐殺」の絵には実際に見て、胸が熱くなった。ゴッホの「ひまわり」も、モネの「積みわら」も、フェルメールの絵も私の最も好きな絵画だ。だからそれらが攻撃されて悲しい。悲しみの海に溺れそうだ。
フェルメールの絵画は、世界で35点しか残っていない。彼の絵には動きがあり、そこに居る人の動きや感情まで描かれてる。
一生でたった1枚の絵しか売れなかったゴッホは、不器用な生き方をしながらどんなに貧しくても自分が見た「美」を描き続け若くして死んでいった。シドニーのNSW美術館にはピカソの絵は3点、ゴッホが3点ある。その中の「ペザント」(百姓)の絵が好きで、時々会いたくなって会いに行く。美術館に入り画家たちの作品に囲まれると心が大きく広がって体が喜んでいることがわかる。誰もが、1枚の絵によって疲れ切った心が癒された経験を持っているのではないだろうか。

人々は古い絵画を何百年もの間大事に、埃を払い汚れを取り、傷を修復してきた。本場イタリアでは芸術作品を修復する職業は芸術家同様に尊重されていて、国家資格がありプロの修復士になるには美術大学の大学院を出た後さらに専門を学ばなければならない。彼らの何世紀も前に描かれた絵の顔料をよみがえらせ修復する気の遠くなるような作業を経て、いま私たちはゴッホやフェルメールを鑑賞することができる。

芸術家たちは昔も今も、妨害があろうがなかろうが作品を描いていく。かつての貴重な古典作品を修復する人たちも、それが価値のある尊い仕事だと信じて修復し続ける。それが壊れていく地球の最後の日だとしてもだ。
そして環境保護活動家達も叫び続けるだろう。美術品を破壊しながら、それが地球最後の日だったとしても。
そんな世界で、このひと月、ベートーヴェンの交響曲第1番「葬送行進曲」が私の頭の中でずっと鳴り響いている。