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2020年6月16日火曜日

わたしのCOVID19

依然として米国では20州余りの州で、COVID19に感染した新しい患者が増え続けており、現在死亡者は、約12万人。9月までに20万人の死亡者が出ると予想されている。

こうした中でニューヨークの公立病院の最前線というべき感染病棟に勤めるシニアナースが、一般では知られていない内部の現状と深刻な問題点を暴露している。まず、政府側が、症状が出たらまず家で休むように繰り返しアドバイスしたため、患者が呼吸抑制が起きるまで家に居て、病院に到着した時点ですでに治療できないほど手遅れになっている、という点。患者数が多く医師不足で、感染病の専門家でない医師や、医学生が治療に当たっているため、ベンテイレイターの扱いミスによる事故死が多発している。こうした医療過誤による死亡も、COVID19による病死として扱われていること。ベンテイレーターを使うような重症患者のケアに、州は一人につき2万9千ドルの予算を出しているため、予算を確保するために重症でない患者にもベンテイレイターを使って、そのために死亡する症例が後を絶たない。また鎮静剤が過剰に投与されているために、その副作用で呼吸停止する患者も多発していること。

患者は、COVID19によって肺炎を起こしていて、十分な酸素が脳に送られていないので、意識混乱しており自分で酸素チューブを引き抜いたり、抗生物質やほかの症状緩和剤を点滴している点滴チューブを、自分で抜きとったりする。それを止めさせるため、ほとんどの患者は両手をベッドの両側の柵に縛り付けられている。それで患者は、錯乱状態のうちに、両手の自由を奪われて為すすべもなく亡くなっている。
大切な家族を失う人々にとっては、こうした医療過誤は許せないことだろうが、世界的なパンデミック大流行で患者数が増えたため、患者の抑制や、ベンテイレーターの誤作動や、酸素過剰投与や、鎮静剤過剰投与で亡くなる人は多いことは、理解できる。また。こういった様子を毎日見ているナースが、泣きながら現状を告発,喋り捲らずにはいられなかった気持ちもよくわかる。

ニューヨークの医療最前線に比べたら、比較するにも及ばないが私にとっても、この3か月は地獄のようだった。そしてそれはまだ続いている。
いまの職場で週に40時間、フルタイムで、15年間働いてきたが、この3か月で髪が半分になった。いつも4週間ごとに行くサロンの美容師に指摘されて初めて気が付いたことだが。最後の1本の毛が抜けてハゲになる前に週40時間働いていたのを、30時間に減らすことにした。職場は病院と老人ホームの中間施設で、骨折で病院で手術して歩けなくなった年寄りが、階段のある自分の家に帰れるようになるまで滞在したり、癌の末期でもう家族が世話できない患者や、糖尿病治療が安定するまで入所する人や、徘徊癖のある認識障害老人などが50人ほど入所している。一人の患者が5つも6つも病気を持っていて、治療も多方面に渡る。
3月にオーストラリアでCOVID19による死者が出て国境、州境封鎖されてから、職場と自宅を車で往復する以外、外出しないように努めてきた。予定していた4月の日本旅行はキャンセル、孫に会うのも友達に会うのも自分から避けて、ヨガ教室も、リメデイアルマッサージも行かずに我慢、コンサートも美術館も図書館までキャンセルして、職場に病原菌を持ち込まないように最大の神経を使ってきた。うがい、マスク、PPE、毎日制服の洗濯、職員への教育、職場での外来者への対策、などストレスで神経が擦り切れそうだ。

日本でもCOVID19によって、患者を受けいれた病院も、受け入れ病院に指定されなかった病院も一様に、患者数が減って経営危機に陥っている。それはどの国の医療施設も同様で、経営赤字が深刻だ。施設を生き延びさせるのには、職員削減で対応するしかない。ただでさえ、いつ職場でCOVID19患者が出て爆発的に集団感染するかわからない状態で、ストレスフルな仕事を続けているうえ、職員が減らされて今まで2人でやっていた仕事を、一人でやりきらなければならない。おまけに経営側は、経験のあるシニアナースより、大学を卒業したばかりの右も左もわからない新人ナースを安く働かせようとする。おかげで礼儀も教養も熱意も知識もない分からず屋の新人ナースを教育しながら、今までの何倍もの仕事をこなさなければならない。
疲れ切っていると、経営者はリタイヤを勧める。70になったばかり。1日ロッキングチェアーに座って編み物をするつもりはない。社会に参加しているのだ。病院は人が生まれ、死ぬところだ。人が生まれ、喜びに満ちた人生を生き、悲しみ、怒り、そして満ち足りた思いで死んでいくところだ。生きるための現場に少しでも関わり、より良い生き方を模索していたい。
経営者たちの執拗で悪質な圧力を平然とやりすごし、COVID19をかかえて、あんなこと、こんなこと、あったよね、と笑って話せる日がくるまで、前を見て行く。こんなことで、へこたれてたまるか。