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2017年12月23日土曜日

2017年に観た映画ベストテン

第1位:私はダニエルブレイク 「I、DANIEL BLAKE」
第2位:ホークシャーリッジ  「HACKSAW RIDGE」」
第3位:ヒットラーの忘れ物  「LAND OF MINE」
第4位:ゴッホ最期の手紙   「LOVING VINCENT」
第5位:言の葉の庭      「GARDEN OF WORDS」
第6位:沈黙         「SILENCE」
第7位:モヒカン故郷に帰る  「THE MOHICAN COMES HOME」
第8位:軍艦島        「BATTLE ISLAND」
第9位:WHERE TO INVADE NEXT
第10位:オリエント急行殺人事件 「MURDER ON THE ORIENT EXPRESS」


第1位:「私はダニエルブレイク」

この作品の紹介と評価を述べたブログ日記は、10月28日に書いた。イタリアネオリアリズム手法を取る労働者の味方、ケン ローチが、81歳になって、とっくに引退宣言をしたはずなのに、政府の福祉制度が本当に保護されるべき弱者のために機能していない現状に怒り心頭に達して、やむにやまれず制作した作品。テーマは何と、50年前に彼が作った映画「キャシー故郷に帰る」と全く同じ。最低限政府は国民の命を保障し、福祉を必要とする人の生活を保障しなければならないのに、50年前と同様それができておらず、事態は悪くなる一方である現状を、激しく告発している。 「人を人として扱わない。人を辱め罰することを平気でやる。まじめに働く人々の人生を翻弄し、人を飢えさせることを武器のように使う政府の冷酷なやり方に憤っている。」と彼は述べている。

イギリスに限らず市場原理による高度に発達した自由経済をとる先進国にとって、福祉は、実際には飾り物に過ぎない。肥えるものはますます富に太り、まじめに働き真面目に税金を納めて来た者たちは、必要な時に福祉が受けられないで飢えている。誰もが自分だけは大丈夫、いまは健康で働いているし、仮に事故で障害者になったり、破産して収入が無くなっても保険や政府の生活保護で何とか生活していけるはずだと思い込んでいる。政府の広報は美辞麗句が連ねられて、あたかも困った人は、誰でも福祉が簡単に受けられるかのように宣伝している。

恐ろしいことは、実際自分がその立場になってみないと、実際に福祉が受けられるかどうか、まったくわからないことだ。自分の経験から言うと、80を越えるまでオットは政府から年金も恩給も何も受け取らずに、まじめに働き、まじめに税金を納めて来たが、病気になり障害者となって仕事ができなくなったので、老人年金を申請した。しかし政府の年金審査官は様々な理由をつけて申請を却下、最低限の年金を政府から出させるのに、2年半の時間を要した。その間無収入で24時間介護の必要なオットをかかえて、私はフルタイムで働きながら障害者を介助し、1日おきに腎臓透析に連れて行くことに、体力の限界まで自身を酷使したが、年寄りに年金を出すという当たり前のことを簡単に認めない役所との交渉に疲れ果て、ぼろぼろになった。

現状でさえ貧しい福祉政策下で、老齢人口は増大する一方だ。やがて街は年寄りのホームレスで膨れ上がるだろう。米国も日本もオーストラリアも法人税を控除し、個人の税金を重くする予算を通過させた。これから福祉はますます悪くなる。ケン ローチの怒りは切実な私達の怒りでもある。人が人としての尊厳をもって生きられないような社会は、一体誰のものなのか。


第2位:ホークシャーリッジ 
 
このオーストラリア人監督、メル ギブソンによって製作された映画の詳しい解説と評価は、2016年11月7日のブログに書いた。シドニーでは11月に封切られたが、日本では今年2月に公開された。第2次世界大戦の中でも、最も激しい戦闘が行われた沖縄戦で、良心的兵役拒否の思想から武器を持たずに参戦した青年デスモンド ドスが戦闘の最前線からたくさんの傷病兵を救い出したという実話を映画化した作品。
これほど戦場場面のリアリティを映像化した作品は他に無い。「プライベートライアンを探せ」のノルマンディ―上陸シーンもすごかったが、これをはるかに超える。シュッと手留弾が飛び地面に穴が開きその上をバラバラになった体の部分が落ちてくる。ブスッと撃ち込まれた銃弾によって腹に穴が開きみるみる銃創が開いて血が噴き出る。砲撃を受けて土が跳ね上がり体が宙に浮いて地面にたたきつけられたバラバラの手足。雨のように降って来る銃弾を避け仲間の死体の山を見るとネズミが肉を歯み、体中蛆で真っ白。メル ギブソンのリアリズムが半端でなく炸裂している。

良心的兵役拒否という思想は、日本社会では最も理解されにくい思想ではないか。社会の中で個人の存在が認められ、個人の思想信条が尊重されている成熟社会でなければ、起こり得ない。赤紙一枚で戦争に駆り立てられて、上官に従わなければ厳罰処理される。縦割り、垂直型の日本軍組織では、個人の思想信条の自由などという思想など全くあり得なかった。日本社会は、いつ成熟できるのか。日本の組織は、いつ民主化され、個人の人権を守るような組織に変われるのか。国際社会の中で日本はいつ大人になれるのか。

米軍の沖縄上陸後の地上戦で、連合国軍上陸部隊は7個師団、18万3000人。後方の兵を加えると54万8000人の大軍が沖縄を取り囲んでいた。一方日本軍は総勢11万6400人、沖縄出身の軍関係の死者2万8222人。一般住民の死者9万4000人。本土から来た軍関係者死者は、6万6000人足らず。記録されているだけでも800人もの非武装の沖縄住民が、「日本軍」によって殺されている。住民は自分たちの生活の場を奪われて、連合軍に包囲されたあと、戦闘の盾にされ、白旗を掲げて投降した婦女子は日本軍によって、後ろから撃たれて死んでいった。県民の4人に一人は沖縄戦の犠牲者だ。
生きて辱めを受けるなと、集団自決を強いた日本軍人達の非人間性は、どんなに糾弾してもし足りない。日本軍司令官牛島の腹切場面も映画に出てくるが、一般市民を守らない軍人のトップが卑怯にも一番先に死んで責任逃れをするとは何事か。こうした優れた反戦映画を見ると、いかに日本の組織には人権思想が欠如しているか、を思い知らされる。


第3位:ヒットラーの忘れもの  

4月16日にこの映画の解説と映評を書いた。デンマーク、ドイツ合作映画。1945年5月。終戦とともにデンマークに駐留していたドイツ軍兵は、敗戦とともに捕虜となり、ドイツ軍が埋めて行った200万個の地雷を撤去する作業を強制された.。その兵士たちの数、2000人。戦争末期に徴兵されたばかりの10代の子供の様なドイツ新兵14人が、サデイステイクなデンマーク軍軍曹に預けられて、地雷撤去作業に従事する。軍曹にとって14人の少年たちは母国を蹂躙した憎い敵だ。だが日が経つうちにいつしか軍曹と少年たちとの間には、父と子のような心の交流が生まれる。次々と少年たちが誤って地雷の爆発で死んでいく。ヒューマンで、強力な反戦映画。地雷を撤去し終わった砂浜を、思わずはしゃいで走り回る少年たちの姿が、空を舞う天使のように美しい。

第4位:ゴッホ最期の手紙  

11月25日にこの映画について詳しく書いた。世界中から立候補してきた5000人のプロの油絵画家から選ばれた、125人の画家が、ゴッホの色使いや筆のタッチを真似て、キャンバスに描いた6万5000枚の絵を、実際の役者の動きにあわせてモーションピクチャーとしてフイルム化した映画。とても美術的で、ゴッホの絵が沢山出て来て、その肖像画から人物が出てきて動き出す不思議な体験ができる。新しい映画の技法で、見ていて面白く興味が尽きない。ゴッホを堪能できて嬉しかった。


第5位:言の葉の庭    
今年の1月3日のブログで、この映画について書いた。これほど美しいアニメーションを他に観たことがない。新海誠による監督、制作された初期の彼のフイルムで、才能がほとばしっている。彼の作品「君の名は」が劇場で人気を呼んで注目されるようになったそうだが、この人の描くアニメーションの美しさは、ジブリにもデイズ二―にもピクサーにも他の誰にもまねできない。情感豊かで、自然を見る目が他の人にない繊細さで みごとに捕えられている。
この人が雨を描くと、自然描写が例えようもなく美しい。観ていて雨が匂ってくる。全身が雨を感じることができる。空が曇り、雨が落ちてくる。水滴が土に吸い込まれ土の香りが立ち込める。やがて水たまりが出来、その水面に鮮やかな緑が映える。雨が緑を生き返らせて草の匂いが立ち上って来る。天から次々と落ちてくる水滴が、街の騒音を消し、草や木の喜びの歌を奏でる。生き物すべてに命を与えるように雨に濡れて木々が息を吹き返すように、若い男女の傷ついた魂が再生する。これほど5感が呼び覚まされる映像は魔術を見るようだ。本当に本当に美しいアニメーション。忘れられない。

2017年に観た映画ベストテン

第6位:沈黙

2月24日に詳しい映画の解説と映評を書いた。 豊臣秀吉は1587年50万人の大軍を率いて九州に侵攻し島津義久の島津藩を降伏させキリスト教信者を迫害した。その前までは、九州から仙台まで、沢山の教会が建ち有馬、安土には神学校が建ち40万人ものクリスチャンの数を誇っていた。キリシタン禁令下ポルトガル人フェレラ司祭は、他の司祭らとともに日本に密航し、20年余りスペリオという最高の重職について布教を続けていた。その彼が捉えられ棄教したという知らせがローマ教会に伝えられる。フェレラを恩師として慕っていたロドリゴ司祭が、他の2人の司祭とともに日本に渡航する決意をするシーンから、この映画が始まる。

カメラが純白で巨大な大理石のローマ教会に居る、3人の黒服の司祭達を映し出す。何も遮る物のない権威の象徴である教会の巨大な建物と、小さい小さい司祭たちの存在。やがて彼らは、教会を出るために降りる長い階段を、今度はカメラが教会の塔、頭上高いところから見下ろす。アリの様に小さな人間の姿。黒衣を風に翻し、死を決意した司祭たちが静か音もなく足早に歩み去る。
今度はカメラが美しい海岸線を映し出す。広がる空、荒い大波が打ち寄せる。美しい太陽の輝きの中で何かが不協和音を奏でている。波打ち際に3本の柱にズームしていく。何とそれは、3日3晩磔の刑にあって苦しみながら殉死していく信者たちの呻吟する音だった。巨大で荒々しい自然の中で、小さな小さな存在としての人間。こうしたカメラワークが例えようもなく美しく素晴らしい。自然と人、権威と弱き者、こうしたコントラストを映像で表現するマーチン スコセッシ監督の手腕が冴えている。


第7位:モヒカン故郷に帰る  

日本映画はこちらでは手に入らないが、コンピューターエキスパートの義理の息子の努力によっていくつかの日本映画を手に入れることが出来た。観た映画は、「怒り:レイジ」、「新深夜食堂」、「深夜食堂」、「FOUJITA」、「桐島部活やめるってよ」、「ヒミズ」、「くちびるに歌を」、「世界の片隅に」、「南極料理人」、「世界から猫が消えたなら」、「イニシエーションラブ」、「孤独のグルメ」セッション1から5まで、などなど。私小説的、4畳半的で楽しいが小津の世界をさらに小さい規模にしたような。でも日本映画はそれで良いのかもしれない。

「モヒカン故郷に帰る」は、沖田修一監督。がなりたてるばかりのデスメタルバンドのボーカル永吉が妊娠した恋人を連れて7年ぶりに故郷に帰る。両親と弟に歓待されるが、父親が突然倒れ癌で余命わずかなことを知らされる。モヒカン頭に松田龍平、父親に柄本明、母にもたいまさこ、恋人に前田敦子。この家族のやりとり、どこか間の抜けたゆるさと言い、昭和的セピアカラーといい、本音で怒鳴り合える家族喧嘩といい、笑いが止まらない。はじめから終りまで笑って笑って、最後のころには気が付いたら涙を流しながら笑っていた。人情にやられた。個性と個性がぶつかり合える、温かい家庭を心から良いなあと思う。うらやましい。こんな家庭で育ってみたかった。日本の良さがいっぱい詰まっている。芸達者な柄本明の演技が秀逸。


第8位:軍艦島

8月18日にこの映画について映評を書いた。すぐれた反戦映画。戦時下、長崎県端島の石炭採掘現場は地下1000メートルの深さにある海底。95%の湿度、30度の暑さという過酷な環境で、沢山の中国人、韓国人が強制労働させられていた。敗戦まじかに鉱夫たちは反乱を起こし、多くの犠牲者を出しながらも島を脱出する。暴力シーンが多い分、感傷もロマンスもあって、見ていて情に流されそう。韓国映画独特の、自分の身を挺して悪と戦い死んでいくヒーロー達、強くて優しい女と子供を守る男達、どの男たちも身長180センチ以上ある引き締まったみごとな身体を持っていて、裸が絵になっている。歴史的事実を描いた映画だが、エンタテイメントとしても成功している。


第9位:

WHERE TO INVADE NEXT   

マイケル モアによるドキュメンタリ―フイルム。イタリア、フランス、フィンランド、チュニジア、スロベニア、ドイツ、ポルトガルを旅行して現在米国では深刻な問題になっている事柄を、他の国ではどのように対処してきたかを取材している。人がより幸せに生きるには、どういった国の対策が必要なのか、何をは国から学び持ち込むべきなのかを問う。
ダニエル トランプが大統領選に出馬しても、女性差別発言や、下卑た立ち振る舞いにジャーナリズムをはじめとして誰もが次期大統領に選出されるはずがないと予測していた時に、ずっと早いうちからマイケル モアは、トランプが選出されることを予測していた。徹底的に取材をする人。人の話をきちんと聞いて回る。彼のジャーナリストとしての確かな目で、アメリカ社会の底辺で暮らす人々に何が起きているのかを早くから予測していた。

労働団体の力が歴史的に強いイタリアでは、労働環境が良い。2時間の昼休み、産休、年6-8週間の有給休暇、有給ハネムーン、年13か月分の給与など。それらによって逆に生産性が向上している。
フランスでは学校給食がフルコースで質の高い食事が提供されている。また性教育も早いうちから行われている。
フィンランドの学校では、子供達は遊ぶことで、より多く学ぶという思想から、授業時間が短く、宿題がない上、学校ごとの標準値を設けない。それでいて世界一学力がある子供達を輩出している。
スロベニアでは大学では、奨学金も学費もない。それでいて学力レベルは大変高い。
ドイツでは労働者の権利が高く、生活と仕事とのバランスが取れた生活スタイルを選ぶことができる。
ポルトガルではドラッグが自由に手に入り、健康保険が充実しているため、薬物中毒者はドラッグが自由化されたあと減少している。
ノルウェーでは死刑制度が廃止され、監獄がない。犯罪者が普通の人と同じように自立して生活できるように配慮されていて、犯罪率が下がっている。
チュニジアでは女性が妊娠中絶を自由にでき、出産も自分で管理できるように女性の権利を守ることに配慮している。
アイスランドは世界で初めて民主的に女性大統領を選出した国。2008-2011年の財政危機をもたらせた銀行に厳しく責任を追及する女性大統領が活躍している。

こういったすべての政策アイデアはもともとは米国のものだった。余裕ある労働環境を得るためにイタリアを侵略する必要も、子供達が自由に遊ぶ時間を作るためにフィンランドに移住したり、産前産後の女性の健康を得るためにチュニジアに侵攻する必要もない。アイデアだけは持っていて、実行できなかった米国の政治に問題があったのだ。という結論に同感。

第10位:オリエント急行殺人事件

アガサ クリステイが1932年に発表した推理小説で、エルキュール ポアロシリーズのひとつ。リンドバーグの息子が誘拐されて殺された事件にヒントを得て書かれた小説。何度も映画化されているが、今回のはアメリカ映画。監督と主演に ケネス ブラナー。

1974年の英国版が、とても1939年代のオリエント急行列車や時代背景が原作に近く、よくできていて、おまけにキャストが豪華絢爛でアカデミー賞も獲ったし、文句なしだったので、今回のアメリカ版はちょっとがっかり。
でも、ジョニーデップの悪漢ぶりが、とても良かった。これじゃ殺されても仕方ないよね、というようなワルが狡猾な弁舌をふるい、女性には冷淡、差別的で、ポアロに命を狙われているからと警護を依頼する小心もの。悪い奴だが人間的に描かれているところが良かった。ドラゴミロフ侯爵夫人のジョデイ デインチも良かった。この人は何を演じても可愛い。
イギリス版1974年では、59歳になってもなお美しいイングリッド バーグマンが、グレタ オルソン役を演じてアカデミー賞を取ったが、今回の映画でこの役はペネロペ クルーズ。英国版で、あの下から男を見上げる悩殺美人のローレン バコールが、ハバード夫人役だったが、今回の映画ではミッシェル ハイファ―がこの役をやっていた。英国版ではアーバスノット大佐役を、ショーン コネリーが演じたが、今回の映画では全然知らない人。ラチェットの秘書役も今回は知らない人だったが、前回の英国版では、あの「サイコ」の美青年アンソニー パーキンスだ。英国版で前回アンドレ伯爵はマイケル ヨークが演じたが、今回はセルゲイ ポル二ンで、バレエダンサーだそうだ。登場したときから只者ではない殺気と狂気をもちあわせた、異様な緊張を醸し出していて、推理小説にもってこいの役柄を好演していた。

ただこの映画、殺人者が多いので一人ひとりの殺人動機や役割を描き切れず、どうしても消化不良になっている。長編小説を2-3時間の映画にするのは容易ではないだろうが、推理物は小説の魅力には勝てない。推理は頭の体操だから活字によってよりイメージを広げていくことに醍醐味がある。やはり推理物は読むに限るって、、、映画評になってない。

2017年12月16日土曜日

映画 「否定と肯定」

英米合作映画
監督:ミック ジャクソン      
原題:「DINIAL」
原作:デボラ リープスタッツ
   「HISTORY ON TRIAL:MY DAY IN COURT WITH A HOLOCAUST DENIER」ホロコースト否定論者との法廷での日々
キャスト:
レイチェル ワイズ:デボラ リープスタッツ教授
トム ウィルキンソン:リチャード ランプトン弁護士
テイモシー スパル :デヴィッド アービング教授
アンドリュー スコット:アンソニー ジュリウス弁護士

ストーリーは
1994年 アメリカ ジョージア州アトランタのエモリ―大学で、ホロコースト研究者として教鞭をとる歴史学者デボラ リープスタット教授は、自著の「ホロコーストの真実」を出版記念公演をする場で、沢山の学生たちの前で、ホロコースト否定論者のデヴィッド アービング教授から侮辱される。その上、このナチスドイツ学者から、デボラ リープスタットが著書の中で、アービングをホロコースト否定論者と断定していることで、彼から名誉棄損で訴えられる。訴訟を起こされたのは、リップスタットと彼女の論文を出版した出版社だった。イギリスの訴訟では、被告側が立証責任を負うため、リップスタットは、ホロコーストが歴史的事実であることを法廷で証明しなければならなくなった。アービングにとっては、豊富な財源をもとに、自分が活躍するイギリスで、若いアメリカ人の女性教授をやりこめることで、自説を大々的に宣伝することが目的だった。

弁護士チームに会うために、リップスタットは英国に渡る。リップスタットは、アービングに沢山の学生たちの前で侮辱され、自分が書いた論文が事実に反すると言われ、訴訟まで起こされて、怒り心頭に達している。法廷の場で、アービングと直接議論をもちかけて、ホロコーストが実際にあった事実を認めさせ、ケチョンケチョンに論破して恥をかかせてやらなければ気が済まない。ホロコーストが事実であることは疑いようのない事実であり、ユダヤ人に偏見を持つアービングなど、学者の資格はない。怒りと苛立ちで一杯の被告、リップスタットに対して、彼女の弁護団は、冷たい。
ロンドンのユダヤ人団体に会いに行くが、彼らはリップスタットを擁護するどころか、裁判がアービングのホロコースト否定論の宣伝に使われていることで、リップスタットが裁判を受けて立つことを迷惑がっている。ユダヤ人団体は注目されることを望んでいない。

他に誰も友人や親しい人も英国にはいないリップスタットは、肌寒く毎日雨ばかり降るロンドンで、孤独を噛みしめる。
アービングは自分の主張を宣伝するために陪審に訴える発言を繰り返し、自分の思い通りの裁判をしようとしていたが、弁護団は裁判官による決着を要求する。リップスタットと弁護団長のランプトンは、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所に、地元の学者の案内で訪れる。裁判で、ホロコーストが本当にあったことだということを証明しなければならない。

アービングは強制収容所のガス室を設計した技師を法廷に出廷させ、ガス室の天井に張り巡らされたチューブには、ガスを放出させる穴がないので、ガスによる大量殺人などなかったことだと主張する。この主張はマスコミにも大々的に取り上げられて、ノーホール、ノーホロコーストとセンセーショナルに報道される。
怒ったリップスタットは、かつてガス室から生還した生存者を証言台に呼ぶことを求めるが、弁護団はそれに同意せず、生存者の証言などアービングの巧な弁論によって侮辱されるだけなので、証言もリップスタットの発言も必要ないと、主張する。納得できないリップスタットは、法廷で発言を封じられたままで、不満は募る一方だ。弁護団はアービングの著作が、偏見に満ちたもので、事実の歪曲があることを、ひとつひとつ辛抱強く証明していく。そして、徐々にアービングの主張が論理的でなく不条理であることが明らかになる。論理によって追い詰められたアービングは、ユダヤ人に対する強い偏見と差別意識を法廷で露わにする。アービングの主張がいかに事実からかけ離れているか、差別主義者による思いこみに過ぎないか、いかに論理性のないユダヤ人を忌み嫌う感情論に偏っているかが、法廷で証明されていく。

2000年1月、裁判が始まって5年、1600万ドルという、とてつもない裁判費用をかけた裁判の判決はアービングの敗訴に終わった。リップスタットは、自分の名誉を守るために、常に冷静沈着に法廷闘争を戦ってくれた弁護士団に心から感謝した。
という事実に基ずいたお話。

アトランタに住むアメリカ人女性が訴えられて、自分の無実を証明するために、ロンドンの法廷に立つ。ロンドンは今日も雨で寒い。弁護士と訪れたアウシュビッツも冷たくて雨。デボラ リップスタットの心の中を映し出すような、寒々とした雨。裁判制度も気候も人々も全く異なるアメリカ人の目に映るイギリスを、雨で表現するカメラワークが実に上手い。アメリカ人とイギリス人の違いも、見ていて興味深い。

ことほどさように歴史修正主義者、ホロコースト否定論者、ネオナチ民族差別主義者、レイシストとの論戦は消耗戦だ。
この裁判の結審前に、チャールズ グレイ裁判長は、人が純粋信じていることを、嘘と断言して良いのかと、問いかける。虚偽を信ずる者は嘘つきか。それが歴史的事実のねつ造ならば、イエスと言えるだろう。明解な偏見による事実の否定ならば、イエスだ。かくしてアービングは敗訴したが、これはが正しい。転じて、日本の国民会議の面々を法廷に立たせて、彼らの歴史認識に誤りがあることを証明するためには、どれだけの労力と資金が必要だろうか。

訴えられたデボラ リップスタットを演じたレイチェル ワイズは、ル カレの書いた「ナイロビの蜂」の主人公を好演してアカデミー助演女優賞を獲った。とても心に残る良い映画だった。ル カレは、自身も英国のスパイでもあった興味深い作家だ。

法廷の争いを映画化すると劇的にも、退屈にもなるが、名画がいくつかある。代表は何といっても「12人の怒れる男」だろう。1957年アメリカ映画。原作レジナルド ローズ。主演はヘンリー フォンダだ。父親殺しで逮捕された17歳の息子の、法廷証拠も証言もすべて少年に不利。11人の陪審が少年の有罪を確信していたが、たった一人の陪審が無罪を主張し、証拠を一つ一つ再検討して他の陪審を説得していく姿は、感動的だ。娘たちは、インターナショナルスクールの授業でこれを観た。人が人を裁くことができるのか、こうした命題を考えるために、最良の教育材料だと思う。

1962年「アラバマ物語」「TO KILL MOCKINGBIRD」は、1932年人種差別の強いアメリカ南部を舞台とした映画。ピューリッツアー賞を受賞した小説の映画化で、監督ロバート マリガッツ、主演はグレゴリー ペックだ。白人女性への暴行容疑で逮捕された黒人青年の弁護をするフィンチ弁護士の活躍には目を奪われる。この映画でグレゴリー ペックはアメリカのヒーローになった。

最後に、2014年「ジャッジ裁かれる判事」原題「THE JUDGE」も良かった。監督、デヴィッド ドプキン、アイアンマンのロバートダウニージュニア主演。彼の老いた父の判事を演じたロバート デュヴアルが好演していて、アカデミー助演男優賞を獲った。ロバート ダウニージュニアは、不良中年の代表。8歳のころからマリファナを吸引していた本当の不良なのに、切れ者の弁護士を演じている。

法廷を題材にした良質な映画がいくつもあるが、この映画の邦題「否定と肯定」が、原題の「否定」を意図的に弱めるようで、意訳がちがうのではないか、という論争があるようだ。原題はなるべく触らないで、そのまま「デナイアル」とか、原作の「ホロコースト否定論者との法廷での日々」が良いかもしれない。