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2016年6月10日金曜日

映画 「フロレンス フォスター ジェンキンス」

                          

アメリカ映画 
原題「FLORENCE FOSTER JENKINS」
監督:ステファン フレア
キャスト
メリル ストリープ:フロレンス フォスター ジェンキンス
ヒュー グラント :シンクレア ベイフィールド
サイモン エルべルグ:コシュメ マクムーン

ストーリーは
1940年代 ニューヨーク。
ペンシルバニア生まれのソプラノ歌手、フロレンス フォスター ジェンキンスは裕福で恵まれた生活をする中で自分のサロンを持ち、とりまき達を招待して自分の歌を聴かせていた。年に一度はリッツカールトンホテルでリサイタルを催し招待客を喜ばせていた。その中には、名のある作曲家や演奏家たちも含まれていて、フロレンスは彼らのスポンサーになって音楽活動を支えることを厭わなかった。彼女は舞台に立つとき自分でデザインした派手で豪華な衣装を身に着けた。当時もてはやされたタブロービバント(TABLAU VIVANT)活人画に出てくるような、背中の羽のついた天使のような衣装や妖精、や女王などオペラ顔負けの、ど派手な衣装で舞台を務めた。
それを知って、沢山の音楽ファンがフロレンスのリサイタルやサロンの招待券を欲しがった。人々は、彼女がどんな素晴らしい歌手なのか、立派な音楽家たちのパトロンになっているからには、どんな素晴らしいオペラを歌うのだろうかと、噂し合った。

フロレンスの舞台をマネージするのは、フロレンスの夫のシンクレア ベイフィールド。彼はイギリス出身のシェイクスピア舞台俳優出身で、ブロードウェイで活躍した役者だった。二人はニューヨークマンハッタンのアパートで仲良く暮らしていた。

新しいピアニストが雇われることになった。オーディションが行われ、沢山の応募者の中から若干20歳のメキシコ人、コシュメ マクムーンが採用されることになった。給与は週150ドルという破格の条件だった。意気揚々とマクムーンがフロレンスのスタジオに行き、フロレンスの歌を初めて聴いて、彼は腰を抜かすところだった。フロレンスの夫も、歌の教師も平然としているが、フロレンスは間違いようのない、完全、完璧な「音痴」だったのだ。音程が取れないだけでなく、リズムも数えられない、限られた声域しか持たず、オペラの歌詞を発音することも出来ないひどい音楽音痴だった。

しかしそんなフロレンスのために誠心誠意をこめて、尽くしている夫シンクレアを見て、マクムーンもまたフロレンスのためにピアノを弾き、フロレンス夫婦の良き友人であろうとした。フロレンスは梅毒を患っていたので、夫シンクレアとは寝室を別にしている。彼には若い愛人が居る。ある日、シンクレアが愛人と旅行している間に、フロレンスは自分一人で、カーネギーホールでリサイタルを開く事を決めてしまった。2千枚のチケットは、戦争に行く兵士たちに慰労のために特別招待をする手筈を整えてた。慌てたのは、夫のシンクレアだ。フロレンスのとりまきだけでなく、一般客にフロレンスの声を聴かれてしまう。今まで彼女の歌を酷評しそうな人には招待券を渡さないように用意周到に準備してきた。仮に酷評されてもそれが彼女の目に触れることはないように処理してきた。
ピアニストのマクムーンは、カーネギーホールで伴奏するのを断る。将来のあるピアニストが、歴史あるカーネギーホールで音痴の歌手の伴奏をするわけにはいかない。

しかしシンクレアの熱心な懇願に負けて、マクムーンは覚悟を決める。どんなに聴衆に笑われても耐えるしかない。戦場に向かう若い兵士たちを含めてカーネギーホールは満席になった。固唾をのんで衆人が見守る中、きらびやかなドレスに天使の羽を背中につけ、羽の扇をもったフロレンスが優雅に檀上に立った。歌が始まりフロレンスの抑揚の無い声が会場に響き渡る。長い聴衆の沈黙のあと、会場は爆笑に包まれる。
しかしフロレンスは、舞台のそでに居る夫シンクレアの笑顔に励まされて全く動じない。聴衆は嘲笑にびくともしないフロレンスに、しまいには感動して拍手、ブラボーを連発する。かくしてリサイタルは大成功となって終了した。

翌日、どの新聞もシンクレアの手が回っていてフロレンスのリサイタルを褒めたたえる批評ばかりだった。一誌の除いて。シンクレアの賄賂が効かなかった唯一の正統派の新聞は彼女を当然のことながら酷評した。シンクレアは、マクムーンと共にこの新聞がフロレンスの目に入らないように買い占める。しかし、ちょっとした隙に、フロレンスはこの酷評を読んでしまう。
フロレンスの死が伝えられたのは、その一週間後のことだった。
というお話。

史実をほぼ忠実になぞって製作された伝記映画。実際に存在して敬愛されたり、嘲笑われたり、あきれられたり、ののしられたりしながらも、自分の愛する音楽のために生きたソプラノ歌手のお話。彼女の名を検索すると実際彼女がレコードに吹き込んだ、大きく音の外れた抑揚の無い声を、聴くことができる。
ペンシルバニアの山々を所有していた裕福な法律家の父をもち、そんな父親が音楽留学をさせてくれなかったからと言って、家出して18歳で医師のもとに駆け落ちし、父の死後は、財産を相続して何不自由のない裕福な生活を送った。そのうえ彼女は死ぬまで大きな包容力で支え尽くしてくれた7歳年下の立派な夫を持った。財政的には幸運だったが、18の時に駆け落ちした相手に梅毒を感染させられて、当時の治療に水銀が使われた為、中枢神経を患い、左手が利かなくなってピアノが自由に弾けなくなってしまった。76歳で亡くなったが、往診に来た医師に、こんなに長生きした梅毒患者を初めて見た、などと言われている。自分でピアノが弾けなくなっても音楽をあきらめず、自分には歌があると使命感に燃えて歌い続けて、一人でも多くの人を元気つけたいと純粋に願っていた。

フロレンスがピアニストの家を訪れて、両手でショパンのピアノコンチェルトを弾こうとする。が、左手が動かない。何度も弾こうとするが自分の手が思うように動かず、泣き出しそうになった時 静かにフロレンスの横に立ったマクムーンが左手で伴奏を弾き始める。ショパンを二人で弾くシーンがとても良い。しんみり。良い曲だ。これをランランが弾いている。ソプラノ歌手とピアニストとの本当の心の交流が生まれる大切な場面だ。

映画の中でオペラ「魔笛」の夜の女王のアリアが歌われる。コロラトゥ―ラの難しいアリアで、このオペラの成功がこの歌にかかってるというような大切な曲だが、フロレンスは、フロレンス風に歌って、しっかり「げんなり」させてくれる。なんてひどいんだ。
他にもモーツアルトのオペラも、シュトラウスも、ベルディの「リトルカーネイション」も、「よせばいいのに」歌ってくれる。

彼女がオーディションでピアニストを選ぶとき、他の誰もが難曲をガンガン弾いて見せたのに、このときコシュメ マクムーンが弾いたのはサンサーンスの「白鳥の湖」から白鳥の舞いだ。これですっかりフロレンスに気に入られたマクムーンは、最後フロレンスが死の床に居る時に再び、これを弾いて聞かせる。フロレンスは「瀕死の白鳥」を思い描きながら静かに死んでいく。このシーンも美しい。これもランランが弾いている。

映画の中で歌っているのは本当のメリル ストリープだ。「思い切り気持ちの悪い高音の裏声」で、オペラの名曲の数々を歌っている。すごい役者だと思う。音を外して歌うのは外さずに歌うよりも難しい。役者になる前はオペラ歌手志望で、声楽訓練していた彼女は歌える女優だ。ミュージカル「マンマミア」(2008年)でも気持ちよく歌っている。
とても耳の良い女優で、彼女のまたの名前は、「訛りの女王」。役柄に合わせてその役の人がどこの言葉でどんな訛りを話すのかを研究して、それをマスターしてから台詞を覚えると言う役者の中の役者。クイーンズイングリッシュや、アイリッシュ訛りなど、お茶の子さいさい、「アウトオブアフリカ」ではデンマーク語訛りの英語を話し、「ソフィの選択」では、ドイツ語のポーランド訛りを自在に使っていた。アメリカ英語に中でも、役によってニューヨーカーの英語と他の地域のアメリカ語と、ちゃんと使い分けているのだろうが、私には違いがわからない。

メリル ストリープ主演の映画の中では、「ソフィーの選択」が、一番好きだ。原作を読んで感動し、映画を観て感動した。戦争を生き残ったユダヤ女性が、戦後になってそのトラウマから壊れていく姿があわれで哀しい。カメラの視線によっては、ものすごく美しい女になったり、すさまじく醜く見えたりする彼女の表情の変化に性格俳優としての神髄を見る思いだ。
「ジュリア」(1977)、「デイアハンター」(1978)、「クレイマークレイマー」(1979)、「フランス軍中尉の女」(1981)「ソフィーの選択」(1982)、「愛と哀しみの果て アウトオブアフリカ」(1985)、「激流」(1994)、「マデイソン郡の橋」(1995)初期の作品であるこれらは、みんな大好き。
「プラダを着た悪魔」(2006)、「マーガレットッサッチャー」(2011)などでアカデミー賞に、19回ノミネートされて、ゴールデングローブ賞に29回ノミネートされていることで、俳優として最多記録を持つ。今年67歳。今回の役は実際の彼女の年齢の役をのびのびと演じている。

音痴は脳がもともと正しい音を捕えられない聴覚機能不全と、聴いた音を正しい音程で伝えられない運動性機能不全とがある。フロレンスの場合、前者であって治療の方法は、当時はなかっただろう。運動性音痴は、腹式呼吸をマスターし、ピアノと共に歌ったり、太鼓やメトロノームを使って歩きながらリズム感を鍛えれば、音を外さずに歌えるようになる。はずだ。

自分を素晴らしいオペラ歌手だと思い込んで、歌をレコードに吹き込んだり、リサイタルで華々しく活躍して、真に音楽を楽しんで死んでいったフロレンスの生涯も興味深いが、彼女をしっかり支えた夫シンクレアという人物に興味が湧く。
映画の中でフロレンスに資金援助してもらっている音楽家が、君もフロレンスによくしてもらってるだろう、と言われているシーンがある。俳優として鳴かず飛ばずだったシンクレアは、フロレンスとマンハッタンの高級アパートで贅沢な暮らしをしていたが、パトロンと若い燕の関係でなく、二人は36年間フロレンスが死ぬまで仲良くいつも一緒だった。互いに互いの「芸術性」を尊重し合い支え合っていた。フロレンスの死後、シンクレアは ピアニストと再婚し、91歳まで生きたそうだ。彼が死の床で聴いたのはどんな音楽だっただろうか。すっかり年を取ったオックスフォード大学卒の英国俳優、ヒュー グラントが、とても良い味を出している。
とても心が温かくなるような良い映画だ。