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2015年10月4日日曜日
ACOモーツアルト最後の3交響曲を聴く
Australian Chamber Orchestra - YouTube
オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO)定期公演で、モーツアルト最後の3つの交響曲を聴いた。ACO監督のリチャード トンゲテイが、これらを演奏するのは、彼がACOの監督に就任した年以来、25年ぶりのことだ。オーケストラを率い、コンサートマスターを務めながら、指揮も同時に弾きながら勤め、譜めくりまで自分でやっていた。すごい。リチャードの大活躍で、モーツアルトを堪能した。
ヴオルフガング アマデウス モーツアルト作曲
交響曲第39番 Eフラットメジャー作品543
交響曲第40番 Gメジャー 作品550
交響曲第41番 Cメジャー 作品551 「ジュピター」
モーツアルトは亡くなる3年前の1788年6月から8月にかけて、たった3か月の間に3つの
交響曲(12楽章)を作曲した。まるで自分の若すぎる死を予期していたかのように、全力を投入して、次から次へと湧き出てくる才能を3つの交響曲に込めて、この世から走り去って行ってしまった。
25歳でウィーンに来て、父親からもザウスブルグ神聖ローマ帝国皇帝からも喧嘩別れの末、独立して、やっと自由に音楽家として生きていけるかと思っていたが、パトロンのいないモーツアルトは、コンサートを開催しても聴衆が集まらず、作曲しても芳しい評価をされず、日々の生活もままならない状態だった。「ウィーンでは何をやってもお金にならないんだ」、とフリーメイソンの仲間たちにこぼしては、お金の工面をしてもらいながら、飢えをしのいでいた。
にも拘らず、病気と貧困と寒さ、幼い娘の死など数々の絶望をみじんも見せずに、彼はロマン派の蜜より甘い交響曲39番を書いた。繊細にして、華麗、軽やかで優雅。いくつもの美しいメヌエットが続く、ロマンテイックそのものの曲。この交響曲を作品543、交響曲ロマンテイックと呼ばれたりもする。本当に、ただただ美しい。
2番目に演奏された、交響曲40番作品550。Gマイナーは、モーツアルトが最も頻繁に使ったコードだ。弦楽4重奏作品515、ピアノカルテット作品478、オペラ「ドン ジョバンニ}などがGマイナーだ。これは、最初、ヴィオラとバイオリンによる波のような繰り返しで始まる。当時としては、きわめて革命的で斬新なスタイルだった。のち、リチャード ワーグナーは、これを「言葉で言い表せない美しさ」と褒めたたえた。この時代の寵児、フランツ リストは、彼の華麗な演奏で人々を魅了していて、「ピアノはすべてのオーケストラの器楽を超える音が出せる。」と豪語していたが、これを皮肉ってメンデルスゾーンは、「この交響曲のはじめの8小節のヴィオラこそがオーケストラのすべての楽器を超えている。」と言って、モーツアルトの斬新な才能を褒めたたえた。
そして、この世の交響曲のうち最も輝きの満ち、力強さに溢れた素晴らしい交響曲題41番「ジュピター」。続けて演奏された3つの交響曲、どれもブリリアントと言うしか言いようがない。
モーツアルトは生涯、その演奏家、作曲家としての才能を正しく評価されることなく不遇のうちに35歳の若さで亡くなった。そんな彼が死ぬまで童心をもった天才だったことは、よく言われることだ。アマデウスの才能を早くから認識していた父レオポルドは、幼い息子を連れてヨーロッパ中を連れて皇帝、貴族の前で神童ぶりを見せて就職活動をした。ザルツブルグ神聖ローマ帝国皇室音楽家として生涯豊かな生活を保障されていて、皇室の気に入るような「凡庸」な曲を作って演奏してた父親としては、息子にも同じか、それ以上の安定した生活をしてもらいたかったのだろう。
でもアマデウスは父親の手のひらで踊っているような子供ではなかった。彼がオーストリアのマリア テレシアの宮殿に招かれて演奏したときに、床で滑って転んでしまい、手を貸してた助け起こした7歳のマリー アントワネットに6歳のアマデウスが、将来結婚してあげる、と言った逸話は有名。
「LECK MICK IM ARSCH」(俺のケツをなめろ)という真面目な教会で歌うカノンを作曲もしている。ケツをなめる奴、つまりオベッカ使いが大嫌いだったモーツアルトらしい茶目っ気に満ちた詩をつけている。権威に媚びへつらうことを嫌い、権威をおちょくって笑う歌を平然とカノンにして発表する心意気は、彼らしい童心の表れといえるだろうか。
オペラ「フィガロの結婚」でも彼は徹底して権力者を笑う。このオペラは、フィガロが恋人スザンナの為に歌う「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」と、伯爵夫人とスザンナの二重唱「そよ風に寄せて」など、美しいアリアがたくさん出てくる素晴らしいオペラだが、権力をかさにして小間使いスザンナを、自分のものにしようとする伯爵を懲らしめるというストーリーのオペラだ。
18世紀半ばのスペインのお話だけれど、驚くことに事実、封建時代は「初夜権」といって庶民の婚姻時、領主や「聖職者」(!!!)は、花嫁を花婿の先立って同きんする権利が認められていた。オペラでは、従僕フィガロが小間使いスザンナと結婚するにあたって、好色な伯爵を、いかにスザンナから遠ざけておくか、知恵をしぼる。フランス革命前夜の貴族の腐敗をこき下ろしたこのオペラは、上演が許可されなかった。1784年の初演では死傷者を出すほど混乱して、こうしたエネルギーは3年後のフランス革命の導火線ともなった。
オペラ「ドン ジョバンニ」でも、モーツアルトは女たらしのスペイン貴族ドン ジョバンニを地獄に突き落としている。フランス革命は、この2年後に、起こるべくして起こった。
サイコセラピーでは、他のどの作曲家の作品よりもモーツアルトの楽曲が音楽療法の効果があることが実証されている。彼の作品の多くが明るくて、心が軽くなってうつ病から抜け出せる、などというほど単純な話ではないだろうが、モーツアルトの純粋で自由を求める心が、人々の心に何かを訴えるのではないだろうか。
封建時代、パトロンなしで生きてはいけない作曲家が、にも拘らず権威を嫌い、権力者を笑い、反権力の作品を平然と発表した。何という自由な心だろう。何という打算のない、邪気のない純粋さだろう。
死ぬ前に何かに衝かれたように、たった3か月の間に作曲された3つの交響曲、12の楽章は
それぞれが全く似たり、共通するところはなく独立して、強い個性をもっている。つめに灯をともすような貧困と欠乏に責められながら、力強い、繊細で華麗、真っ青な青空を突き抜けるような明るさを音にした。
ACOの演奏ではフルート、オーボエ、ホーン、バスーン、クラリネット、トランペット、テインパニーが加わった。弦楽器は、第一バイオリン5人、第二バイオリン5人、ヴィオラ3人、チェロ3人とコントラバスの17人。17の弦楽器が腹の底に響く大きな音を出す。かと思うと唾を飲み込むのもためらうほどの繊細な音も出す。そしてジュピターの輝かしい力強さ。華麗な音の嵐で終了した。
全員が立ったままで演奏する。彼らのスタイルだ。終了すると、いつもサッサと舞台から引き上げてアンコールには応じない。3つの交響曲の余韻に酔いしれて、いつまでも座席から立ち上がれない聴衆を置いて、彼らはさッさと会場から立ち去っていく。
病気のオットを置いて一人で聴きに来ていたから、会場の混雑を避けようと、小走りで階段駆け下りて外に出たが、もうバイオリンを背負った第一バイオリンのイルヤ イザコヴィッチの後ろ姿を見送ることになった。と思ったら、劇場前に駐車してあったジープにチェロ(1729年のグルネリ)を横たえてテイモシー トンプソンがエンジンをかけるところだった。ステージに立っていたときから10分たっていない。早い!すごい! ACOのこういうところが大好きだ。