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2014年7月31日木曜日

映画 「ベルとセバスチャン」

                                 

フランス映画:「BELL AND SEBASTIAN」
監督:ニコラス ヴァニエ (NICOLAS VANIER)
キャスト:セバスチャン: FELIX BOSSURT
      お祖父さん : TCHEKY KARYO
      叔母さんアンジェリナ:MARGAUX  CHATELIER

ストーリーは
6歳のセバスチャンは。フランスのスイス国境に近いアルプス山岳地帯にある、小さな村に住んでいる。親はなく、遠い親戚の叔母さん、アンジェリーナに引き取られている。父親代わりのおじいさんからは、アルプスの山を越えたところにアメリカという国があって、そこにセバスチャンの母親が住んでいて、良い子にしていたらクリスマスに会いに帰ってくると、言い聞かされている。

村の人々は山岳地帯の厳しい自然のなかで、羊の放牧をして暮らしを立てている。村では今年になって何頭もの羊が、野生のオオカミの犠牲になっていた。しかし、残された足跡からみると、どうやら羊を襲っているのはオオカミではなくて、野生化した大型犬らしい。冷酷な飼い主から逃げ出して野生化した犬が羊を殺すのは困ったことだと考えた村の人々は、山のあちこちに罠を仕掛けた。ある日、セバスチャンは山で、汚れたボロをまとったような大きな犬に出会う。いつも一人ぼっちのセバスチャンは、すぐに人なつこい犬と友達になる。ベルと名付けて、時を忘れて野山を走り回りセバスチャンは遊んだ。しかしそれを秘密にしておかなければならない。セバスチャンは、ベルに罠のあるところを教え、山稜にある山小屋の秘密の隠れ場所を教える。

時は1943年。ドイツ軍が、セバスチャンの住む小さな村にも進駐してきた。セバスチャンの叔母アンジェリーナは、村のパン屋をしているが、駐屯するドイツ軍のためにパンを供出しなければならなくなった。村に居るたった一人のドクターは、パルチザンに加わっていて、ユダヤ人を山越えしてスイスに逃亡させる手伝いをしていた。村の人々は一見、平常と変わりないように暮らしているが、駐屯しているドイツ軍兵士たちの強権的で横柄な態度に強い反感を持っている。

ある日、セバスチャンは山の稜線で山岳パトロール中のドイツ兵が、興味本位で子供を連れた山羊を打ち殺すのを見て、それを止めさせようとする。子供をもった親羊が撃ち殺されると、残った山羊の子供は生きていけない。邪魔をされたドイツ兵たちはセバスチャンに腹を立てて暴力をふるう。それを見た大型犬ベルは、セバスチャンを助けるために、ドイツ兵に襲い掛かって怪我をさせた。怒ったドイツ兵は、村人を集めてこの犬を殺すように命令する。村中の男たちが駆り集められた。セバスチャンはベルをかばうが、人々の理解を得ることができない。ついにベルは追いつめられて撃たれる。その夜、セバスチャンは、ベルが死んだものと思って眠れなくなり山小屋に登って秘密の隠れ場所に閉じこもっていると、夜半傷を負ったベルがやってくる。ひどい熱で怪我も重い。セバスチャンはドクターを連れてくる。そしてベルのことを口外したら、ドクターがユダヤ人を山越えしてスイスの逃亡させていることをドイツ軍に密告すると脅かしてベルの傷を治療してもらう。やがて、ベルは元気になる。

クリスマスが来た。ドクターは引き続きユダヤ人家族を国境まで案内して国外に逃亡させている。ある夜オオカミに襲われた羊を囲い込もうとして、ドクターは大怪我をする。雪山で、歩けなくなったドクターをそりに乗せて山道を下り、セバスチャンの家まで、そりを引いてきたのはベルだった。ドクターの命は助かったが、山小屋の残してきたユダヤ人家族の山越えの案内をすることができない。セバスチャンの叔母アンジェリーナが代わりに案内をすることになったが、女一人で山越えすることが心配なので、セバスチャンがベルを連れて同行することになった。ユダヤ人家族と国境線の山々の超える山行は、吹雪になって全員遭難する危険があった。しかし辛うじてベルの方向感覚に頼って困難な山越えを成功させることができた。ベルはセバスチャンにとってだけでなく、人々にとってなくてはならない存在になっていた。
クリスマスがきても、アメリカにいるといわれていたセバスチャンの母親は帰ってこない。お祖父さんは、セバスチャンに本当のことを話す。セバスチャンの母親はジプシーだった。セバスチャンを産んで居なくなった。でもセバスチャンはもう一人きりではない。ベルがいつも一緒だ。
というお話。

2013年フランス映画祭の出品された作品。1965年の子供向けの童話を映画化したもの。
最初の山岳シーンがすごい。心ない猟師が、歩けるようになったばかりの子羊を連れた母親の山羊を撃ち殺す。撃たれた山羊は斜面を岩にぶつかりながら谷に落ちていく。残された子羊は急斜面の取り残されている。母乳を飲んでいる子羊は母親をなくすと生きていけない。それを山稜から見ていたおじいさんは、セバスチャンに空のリュックサックを背負わせて、命綱をつけて岩場から下に下ろして子羊を救出に向かわせる。切り立ったオーバーハングの岩場だ。たった6歳の小さな子供がロープ一本を命綱に降りていく。それを360度の角度から写し撮る。レンズを接写から広角へ、山全体を映していく。アルプスの乾いた岩の急先鋒がどこまでもどこまでも続く。4808メートルのモンブランに続くジュラ山脈の山々だ。アルプスの山々の大きさに比べてロープ一本で釣り下がっている人の何と小さいことか。このスケールの大きな山のシーンを見るだけのために、この映画を見る価値がある。

そういった山岳地帯の自然描写がただただ美しい。わずかな緑を求めて放牧した羊を移動させる人々。堅固な石でできた洞窟のような家に住む人々。深い雪、厳しい自然。ドイツ軍による進駐、冷酷無比の隊長。ウサギ狩りをするような感覚で面白半分にユダヤ人逃亡者を追い詰める兵士たち。暗い時代に、厳しい自然状況に生きる人々の内に秘めた生への希求。
親のない子供の心にある大きな穴をすっぽり覆い隠すほどの存在感と重量を持った大きなセントバーナード犬の力強さ。犬と人との友情を扱った友情物語はいつも感動的だ。

はじめベルが野生化した犬なのでぼろ雑巾のように汚い灰色をして登場するが、セバスチャンと一緒に川で泳いで遊んで、岸に上がってみるとびっくり、真っ白でふわふわのまったく別の犬になっている。映画を見ていた人が「ほ ほー!」とため息をついていたが、セバスチャンも「え、おまえは白い犬だったの?」と言う。セバスチャンも映画の観客も一緒に驚いて、同時にその美しさに感動するシーンだ。監督の見せ方がうまい。
犬は他の動物にない人に対するゆるぎない信頼と、忠誠心をもっている。人は裏切るが犬はしない。語り掛ければ、懸命に耳を傾けて聞き取って、人と喜怒哀楽を共有しようとする。犬の良さがみていてよくわかる。
子供向けの童話なので登場する人物の内面が深められていない。ストーリーも単純すぎる。テーマソングが子供がベルベルと歌ってダサい。しかし、犬と少年の美しい姿が、そういったマイナス面を忘れさせてくれる。雪を頂いたアルプスの山々の映像に見とれた。自然の美しさが、映像が終わってもずっと目に焼きついている。とても良い映画だ。

2014年7月15日火曜日

映画 「イヴ サンローラン」




小学校5年生の時にテレビでコメデイフランセーズの芝居を見て、この世にこんな素晴らしい世界があったのか、と心底感動した。観たのはモリエールの「スカパンの悪だくみ」と、「悲しき性」の2本だ。舞台の上で、指先から足のつま先まで、よく訓練されたからだ全体を使って役を演じる役者たちのすばらしさに目を見張った。特にスカパン役の喜劇俳優の、体を自由自在に駆使して巧に笑いを引き出す役者の姿に深く深く感動した。喜劇というパワーに圧倒された。たかだか小学生の自分が、フランス語だったから字幕を読みながらのテレビ中継に どうしてこのときそれほど感動したのかわからない。ともかく、これを観てからは世界が違って見えるほど、舞台というものに感動した。

国立コメデイフランセーズは、1680年に、太陽王ルイ14世によって結成された、世界で最も歴史あるフランスが誇る劇団だ。役者たちは舞台稽古の前に、1時間かけて発声練習をするという。自分たちの言葉フランス語を大切にするフランスならではのことだろう。
大学時代、演劇部と仲間と発声練習を付き合ったことがある。あえいおあおあおー、かけきくかこかこーを、大学の池の端と端に分かれて叫びあう。10分ほどでもう貧血で倒れそうになった。このときから芝居は、自分が演じるのではなく観るものだと決めてきた。

映画「イヴ サンローラン」を演じた二人の主役俳優が、コメデイフランセーズの役者だという。確かに、ギヨーム ガリエンヌが運転していた車を止め、車を降りて、女性が車から出るのに手貸し、ホテルのドアまで歩いて女性を先導して中に入る、というただそれだけの30秒のフィルムが回る間の流れるような身のこなし方を見ただけで、ほほーっと感動してしまった。絶対に東洋人にはまねできないのと、普通の生活をして暮らしている普通の人にもできない。さりげないレデイファースト、身についたエスコートの身のこなし、それが身震いするくらい美しい動きになっている。体で表現する役者と呼ばれる人たちの動きは、まことに自然で無駄がなく美しい。

映画は20世紀でもっとも活躍したファッションデザイナー イヴ サンローランの伝記映画。
コメデイ フランセーズの役者ピエール 二ネとギョーム ガリエンヌが、生涯のパートナーだったサンローランとベルジュの役を演じている。現在もまだ仕事を続けているピエール ベルジュが映画製作に全面的に協力していて、1976年のサンローランがファッションに大ブームを引き起こす契機にもなったパリ ウェステインホテルでのオペラバレエ コレクションの発表などで出品された作品すべてを再現している。生き証人による限りなく真実に近い事実をそのまま映画にした伝記だということになる。映画化にあたって、サンローランのパートナーであり、共同事業者であったベルジュとしては、触れたくない過去や明るみに出したくない出来事もあったが、良かったこと悪かったことすべてを含めて、これがサンローランという男の人生だった、と述べている。

監督:ジャリル レスパート (JALIL LESPERT)
キャスト
イヴ サンローラン :ピエール 二ネ
ピエール ベルジュ: ギョーム ガリエンヌ
ヴィクトリア     :シャルロッテ ル ボン

ストーリーは
イヴ サンローランは若いデザイナーとしてクリスチャン デイオールに認められデイオール社で働いている。彼にはデイオール社のトップモデル、ヴィクトリアという女性がいて、まわりからは恋人同士と思われていたが、サンローランに首ったけのヴィクトリアのベッドの相手を彼は勤めることができない。ある日、美術館で働くピエール ベルジュは、デイオール社のパーテイーでサンローランに出会う。ほどなく二人は恋に陥って、共に暮らし始める。社長であるクリスチャン デイオールが亡くなり、サンローランがトップデザイナーとして仕事を引き継ぐことになった。若すぎるのではないかと危ぶまれていたサンローランは、デイオールの最初のファッションショーで酷評される。すでに出来上がっているデイオールのイメージを継承して世の酷評に耐えながら仕事を続けることに耐えられなくなって、サンローランは独立を決意する。

サンローランは、トップモデルのヴィクトリアとわずかのスタッフを連れて、退社してサンローランブランドを ビジネスとして立ち上げる。パートナーのピエール ベルジュは、自分の仕事を辞めてサンローランの会社としての経営と運営を一手に引き受けることになった。事業が軌道に乗るには時間がかかったが、やがてサンローランは、ピカソの抽象画をヒントに直線と原色を使った婦人服を発表して世界の注目を浴び、事業として成功していく。もてはやされ、贅沢に慣れ、海沿いに別荘をもつ。デザイナーは、常に新しいインスピレーションを得て、新しい物を作り出すことが命だ。新しい刺激を求めてサンローランはドラッグとアルコールに、嵌っていく。若い恋人ができて、パートナーのベルジュは捨てられる。ヴィクトリアとの関係さえ、壊れていく。若い恋人の自殺、さらなるドラッグ、、、サンローランは自分でコントロールできない闇のどん底まで落ちていく。それでも何事もなかったように事業として成功させ、表のサンローランの顔を取り繕い、支え通したのがピエール ベルジュだった。というお話。

二人の繊細な心を持った男たちが出合い、恋に陥っていくシーンがセーヌ河をバックに美しい。細やかな男たちの愛の表現に胸が詰まる。ヴィクトリアがサンローランのアパートを訪ねてきて、「あらベッドルームが一つしかないのね。知らなかったわ。」とすんなりサンローランとベルジュの関係を認めるシーンもフランスらしい。天才的デザイナーで創造する人と、それを世に出すトップモデルと、またそれらを事業として成功させるマネージャーという3人にとって、そのうちの一人でも欠けていたらサンローランブランドはあり得なかった。3人の信頼と嫉妬と憎悪、、、奇妙な三角関係は、それだけで興味深いドラマになる。ベトナム戦争、カルチェラタン、学生革命といった新しい時代に、新しさを求めて、サンローランが身を持ち崩していく過程は痛ましい。それでも直線的で、清潔、高貴な香りのするサンローランブランドを世に出し、、事業として成功させて、今も継続させてきた人々の努力と誇りは評価できる。華やかなファッションショー、美への探求、豪華な舞台、見ているだけで楽しい映画だ。

2014年7月13日日曜日

松本大洋の漫画 「SUNNY」





子供を捨てる親が居るかと思うと、そんな子供たちを集めて一緒に生活する親も居る。松本大洋の新しい作品、「SUNNY」は、そんな漫画だ。いま5巻まで出ている。
園長先生が始めた「星の子学園」という施設の庭には、廃車になった日産サニーが動かなくなった時のまま放置されている。そこに入り込んで子供たちは、自分が運転して自由に車を動かしている気になったり、後部座席で本を読んだり、隠れてタバコを吸ったり、人知れず泣くために、そっと乗車してきたりしている。

星の子学園の園長先生は、6年前に奥さんを亡くしてからすっかり年を取って引退しており、足立稔先生夫婦が実質的な経営と子供たちの世話をまかされている。園長先生の孫の牧男さんは 京大生でアルピニストだ。大学が休みになると星の子学園で働く。子供たちはそれを待ちかねていて、みな牧男さんと一緒に遊んで、一緒に寝てもらいたがる。子供たちにとって牧男さんはヒーローだ。しかし両親は学園に全く関わっておらず、牧男さんのやっていることに批判的だ。子供たちを見ていて牧男さんは、どう生きていくべきかわからなくなって大学を休学して山の単独行ばかりしていた。ガールフレンドの七子さんを連れて、星の子学園のみんなに紹介する。そのうちに大学にも復学するつもりだ。

園に静という小学校3年生の男の子が両親に連れられてくる。父親の経営していた自動車工場が破産し、生活が経ちゆかなくなって、園に預けられることになった。母親からは毎週手紙を送るし、必ず迎えに来るから、と言われて納得してきた、勉強のよくできる眼鏡をかけた子だ。サニーの中に泣きに来ると、「僕も園に来た頃はいつもここで泣いたよ。でもだんだん悲しいのになれてくるんだ。」と、同い年の春男に言われる。あんなに約束したのに、両親からの手紙はだんだんと送られてこなくなり、やがて音信不通になる。ある夜、静は足立さんの車の鍵を持ち出して車にエンジンをかける。予定では駅まで車を運転して、電話で足立さんに謝り、電車に乗って新幹線の乗り換えて、昔家族で住んでいた家に帰るつもりでいた。着いた駅で母親のために花を買い、工場に父を迎えに行って、そろって家に帰るという予定を立てていた。予定通りに車の運転が小学校3年生にはうまくいかず、コントロールを失った車は電柱にぶつかって静は保護される。静の家出予定表をみて園長先生は静に本当のことを話す決意をする。静の母親は行方不明で、父親は破産して前住んでいた家にはもう誰も居ないということを。

静と同い年の矢野春男は小学校1年生のときに園に来た。親に捨てられたショックとストレスで髪が白くなってしまったのでホワイトと呼ばれている。両親に遊園地にでも行くように騙されて連れてこられて、翌日目が覚めてみたら親が居ない。泣くのではなく叫び、ゲーゲー吐きながらもまだ叫び続け、延々と親を探し回った。暴れて園の女子の髪を切り、犬小屋を燃やし、全員の靴を池にぶち込み、園は竜巻に襲われたように破壊された。それから2年経ったが、今も春男は、学校では問題児、園で煙草を吸い、虚勢を張っている。
そんな春男の父親はいつも金を持っていなくて、女い食べさせてもらい、ヒッチハイクでふらっと園に来ては園の世話になる。春男と一緒に暮らす気がないのに春男に会いに来て、またふらっと居なくなる。母親は、時々春男に会いに来て自分の住む東京に連れて行き数日過ごして、春男を園に帰させる。母親は春男に「また髪が白くなったのね。素敵よ。」と言い、「私のことをかあさんと呼ばないで。矢野杏子と呼んで頂戴。」などと要求する。そんな母親に春男は「いつもお母さんに会いたいねん。会うてしまうともう別れる時のことを考えて胸んとこいっぱいになんねん。会えるの1年のうち3回ぐらいやろ。なんや会うてても半分くらいからもう別れるときのことばかり考えてしまうねん。」と告白する。園長先生の孫の牧男さんがやってくると他の誰よりもとなりに寝てもらいたがり、牧男さんが約束通り七子さんを連れてくるとバケツいっぱいドジョウをとって待っている。

中学3年生の伊藤研二は新聞配達をしている。姉の朝子は高校生で、園の小さな子供たちの世話もしている。アル中で気の弱い父親を捨てて出て行った母親には男が居る。身勝手な父親に振り回される研二は、不良少女と呼ばれる春菜と心通じ、淡い恋心をもっているが、春菜はやがて学校を止め、男の車に乗って去る。姉の朝子は偶然に道で会った母親に誘われて喫茶店に入るが、自分のことしか考えられない母親に、「親はおらんもんやて研二もうちも覚悟はできてるさけ」と言ってコーヒー代も自分で払って、親に背を向けて園に帰ってくる。

純助は弟のしょうすけと入園した。父親はなく、母親は長期入院をしている。その母親にお見舞いに行くために、二人して毎日四葉のクローバーを探している。

静と春男と同じ小学校3年生にめぐむという女の子が居る。両親ともに亡くなっているが、いつも両親との楽しかった話をみんなに自慢して話して聞かせる。学校では園の子供たちよりも普通の家庭の子供たちと遊びたがる。遠い親戚夫婦が、不憫な孤児のめぐむに会いに園にやってくるが、めぐむは一緒に寝てくれるという申し出を断り、夫婦が買ってくれた服を着たがらず、外出して映画を観ても上の空で園に帰りたがる。子供の居ない寂しい夫婦は、めぐむを引き取って育てることも考えていたが、当のめぐむに何もかも拒否された末に、おばさんは言う。「大丈夫よめぐむちゃん。めぐむちゃんがおばさん達の前で上手に笑ったりできないこと。お父さんやお母さんにわるいと思っちゃうのよね。おばさんもおじさんもめぐむちゃんが優しい子だということがよくわかったよ。ホントよ。今日はありがとうね。二人とも本当に楽しかったわ。」 そして夫婦は去っていく。めぐむにとって両親はまだ亡くなっていないのだ。恐らく永遠に。

他に知恵おくれの太郎や、きりこや犬のクリ丸や猫のくろが居る。園の子供達はどの子供達も親のない子供達だ。身勝手で子供のような親ばかりがたくさん出てくる。淡々とした子供たちの口から出てくる言葉のひとつひとつから、血がにじみ出てくるようだ。
松本大洋の描く子供達が、みな線の細い美しい絵で描かれている。読んでいて、何度も何度も彼の描く線が、にじんで見えなくなってくる。松本大洋はたくさんの漫画を描いていて、独特の世界を見せてきたが、この作品は彼が一番描きたかった作品なのだという。一番描きたかったことを、やっと、描ける年齢に彼が達したということでもあるのだろう。

「ナンバーファイブ」が彼の作品のなかで一番好きだったが、この「SUNNY」に描かれる子供の心は 彼にしか描けない。本当の名作として、ずっとこの先も人々の心に残って、忘れられない作品になっていくことだろう。

2014年7月6日日曜日

結婚する娘に

                                  

結婚することが決まって、心からあなたに、おめでとうを言いたい。
長女のあなたはいつも優等生。そんなあなたをいつも誇らしく思ってきた。あなたが生まれた瞬間から今まで、あなたが誇らしくて誇らしくて、誰かれ問わずすべての人に自慢したくて仕方がない。10時間余り陣痛の間、パパに腰をさすってもらいパパの立ち合いのもとで生まれて来た2340グラムのの小さな宝。今でこそ夫の立ち合い出産は普通になってきたが当時はまだ珍しく、雑誌の取材が来たりした。御茶ノ水の産院であなたが生まれたとき、他のどの赤ちゃんよりも整った顔をしていて、先生や助産士たちを驚かせてくれた。新生児たちがずらりと並んだ産後間もない赤ちゃんたちをガラス越しに眺めてみても、赤ちゃんの取り違えなど起こりようもない。あなたははっきりと周囲に存在感を示していた。「パパにそっくりで」、「べっぴんさんですね。」、「将来は女優さんになりますね。」などと、たくさんの人に言われるごとに、「はい私に似ていなくて。」などと何か言い訳のように言っていた。42歳のパパと、初めての赤ちゃんをかかえておっかなびっくり、こわごわ育児の始まりだった。

パパとは誰からも祝福されずに結婚した。妻子を捨てて成城の家を出走したパパと、勤めていた業界紙社を辞めて奨学金で看護学校に通い免許を取ったばかりの私に定収入もなく私たちを見守ってくれる人も皆無だった。そこに突然、魔法のように美しい赤ちゃんがやってきて何もかもが変わった。一日にして世界が変わるということが現実に起きた。私たちを避けて会うことも拒否していた両親や友達たちが、私たちの千駄木のアパートに訪ねてきてくれるようになった。生後半年で、都立駒込病院付属の保育室のドアを叩いた。30過ぎの新米看護婦で新米の母親が、この保育室で赤ちゃんの世話の1から教わる。それまで赤ちゃんが空腹でもないのに泣き止まないとどうしてよいかわからずに私が泣き出す、するとパパまでが泣き出すような幼稚で、この上なく情緒不安定な親だった。しっかり娘を保育してくれた保育士たちには、何度お礼を言っても言い足りない。赤ちゃんを見てくれるだけでなく親をしっかり叱って教育してくれた。ハイハイができるようになり、立ち上がりやがて歩くようになった喜びを 保育士たちは一緒になって分かち合ってくれた。寝ない、食べないそれでも元気で活発、という赤ちゃんに振り回されて、トマトしか食べないあなたのために、真冬にトマト求めて八百屋めぐり、デパートまで買いに走ったり。そんなあなた中心の生活で、最初で最後の子供だから大切に大切に育てようと誓っていた夫婦に、なんのことはない1年を待たずに次の赤ちゃんができる。年子の妹の登場だ。太陽のように明るくて大らかな子。二人の娘の親になって初めて一人前の親になった気がする。心の余裕ができて、子どもを冷静に見ることもできるようになった。

親たちが働く間、あなたは妹といつも双子と間違われながら保育園でよく遊び、休みの日は自転車の前後に取り付けた子供椅子に乗って、どこまでも出かけて行った。パパはあなたが自慢で、デパートでマネキンが着ていた服を剥がさせて買ってきた服を着せて、どこにでも自慢しに連れて行った。千駄木は遊ぶところが無限にあった。千駄木図書館、森鴎外図書館、須藤公園、根津神社、上野動物園、科学博物館、不忍池、東大、三四郎池、、、。根津神社で鳩に餌をやるあなた。不忍池でカモに餌を投げるあなた。三四郎池の橋で迷子になっても泣きもせず待っていたあなた。一つ一つの姿が映像のようにはっきりと目によみがえってくる。

4歳と5歳で沖縄に移って、3年間暮らした。城西幼稚園に行くようになってヴァイオリンを買い、自宅レッスンを始めたのに、それが嫌で本気で家出の準備をしていたなんて、思いもよらなかった。ごめんよ。ある日ポケットの中から、「いえでにもっていくもの。ハンカチ、ちりがみ、おかし」という紙が出てきてあわてた。ふたりで縁の下に隠れていたんだね。先生のところにレッスンに通うようになって、幼稚園や学校にいくのと同じように、レッスンを受けいれてくれた。私がアマチュアオーケストラの団員になってリハーサルする間、団員達の間に毛布を敷いて、夜遅くまでリハーサルが終わるまで静かに遊んで待っていてくれた。2時間余りのクラシックのコンサートを、5,6歳の子供がきちんと座って静かに聞けるような集中力とマナーができたのもこのころのお蔭だろうか。

小学校2年を終えたところで、千葉県の平田に移り、本格的にフィリピンに赴任する準備に入った。一級建築士で、一級土木技師でもあったパパはプロジェクトが終われば次の土地に移動する。それにつていく子供は、どんな危険な土地であっても一緒に移動し、転校を繰り返す。慣れない土地、レイテ島オルモックの人々は この街に初めてやってきた日本人を珍獣扱いし、24時間パパラッチしてくれた。家のカーテンを開けられない。カーテンが風ではためくと、向いの家々から人々がいつもこちらを見ていて悪びれず笑顔で手を振ってくる。3人のメイド、2人のドライヴァーを通して、私たちのすることなすことすべてが一瞬のうちに街中に知れ渡る。買い物に行けば人々が後ろからついてくる。マニラでは、ピープル革命が起きて、独裁者マルコスが追放されてアキノ政権が樹立したばかりの頃だったが、首都からはるか遠くのレイテ島の山々では、共産軍と政府軍の戦闘が続いていた。道路建設のために家に帰ってこられない日の多くなったパパの気苦労は大変なものだったろう。ベッドの引き出しに拳銃を置いていて、毎晩「使わずに済みますように、と祈って眠る3年間だった。どんな環境にあっても楽しみを見つけ出し、遊びを造り出し、笑いを引き出してくれるあなた方姉妹の無邪気な姿がどんなに力強く思えたことだろう。もんくの一つ、泣き言ひとつ言わなかったあなた方には心から感謝っしている。

3年間過ごしたレイテ島オルモックを後にして、7年間に及んだマニラ住まい。インターナショナルスクールに入って、やっと勉強らしい勉強ができるようになった。沖縄で始めたヴァイオリンも再開することができた。学校では姉妹して、ずっとストリングオーケストラのコンサートマスターを務めてくれた。二人の娘たちとヴァイオリン、ビオラ、チェロをひっかえとっかえして、パートを変えながら3人で、ヴィバルデイやバッハを演奏する楽しさ。楽器を弾きながらこの時が永遠に続いてくれたら、どんなに幸せか、と思わずにいられなかった。

このころ13歳と14歳で家からパパが居なくなった。そういうことがどれほどの心の傷になったか計り知れない。私がインターナショナルスクールのヴァイオリン教師になり何事もなかったように暮らし続けることができたことについて、親として、どんなにあなた方の感謝してもし足りない。あなた方は誰も責めなかった。不安がることも、問いただすこともしなかった。親に全幅の信頼を寄せてくれて、勉強とヴァイオリンに打ち込んで、たくさんの友達にとりまかれて学生生活を楽しんでくれた。あなた方が居なかったら生きていなかったろう。

フィリピンからオーストラリアに移住。12年生を飛び級してあなたはニューサウスウェルス大学に。専門職を目指して本当によく勉強してくれた。それだけを取ってみても日本で教育を受けずオーストラリアの大学に行ったかいがある。卒業して専門職に就いて、働き始めた頃、別れたままになっていたパパが急死していた。あなたにとっては、パパはヒーロー。他のどんな男よりも立派で頭脳明晰、背が高く、ハンサム、顔形から歩き方までパパにそっくりだったあなたは、パパの写真をお財布に入れていつも持ち歩いていた。あなたから大切なパパを永遠に失わせたこと。再会することなく永遠に別れたままになったことを申し訳なかったと思っている。何より家庭というものを維持することができなかったことを永遠に悔いている。馬鹿な親だったよ。そしてそれ以上に、娘たちの結婚式に立ち会えず死んだパパは大馬鹿だと思う。

そうしてシドニーでの生活もいつしか18年も経ってしまった。
あなたは私のオットとなった人を失明から救ってくれた。肥満と長い間の喫煙から黄斑部変性に陥り眼底に出血を繰り返して失明するところだったオットを、ジョンホプキンス大学から帰って来たばかりの先鋭のドクターのところに連れて行って、まだ未登録だったが最大の効果が望める治験薬のプログラムを組んでくれた。おかげでオットは失明を逃れ、あなたは彼の救世主になった。あなたが人のためになる専門職について、それを一生の仕事に選んでくれたことを、心から感謝している。

こうだったら良かったのに、ああしていたら良かったのに、こんなはずじゃなかった、、、などと人は言うものだが 、あなたの口から聞いたことがない。決して後ろ向きに物を考えない。勇敢にも常に前を向いて前に向かうポジテイブ志向が身についている。それと、人を悪く言わない。人を悪いように解釈せずにいつも良い面をみて評価する。そこがパパにそっくりです。シニカルな批評家には決してならない。そこがあなたが人から愛される理由です。
へこたれもせず愚痴も言わない。逆境にあってもそれを逆境とは受けとらない強さを持っている。そんな性格がこれからもずっとあなたの品性とあなたの人間性とを、高めていくことでしょう。いまあなたは、実にチャーミングなレデイで、頭の良い優れた判断力をもった社会人です。これからも人間として高みを目指して成長して行ってください。私はあなたのような人の親でいることが本当に嬉しくて嬉しくて、あなたが誇らしくてなりません。
結婚おめでとう。