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2007年5月28日月曜日

映画 「パイレーツ オブ カリビアン」


映画「PIRATES OF THE CARIBBEAN」を観た。第一作が、「呪われた海賊たち、」第二作が「デッドマン チェスト」、そして今回の 第三作が、副題「ワールドエンド」だ。ウオルトデイズ二ー製作。ゴア バヴィンスキー監督。
おなじみ海賊船ブラックパール号のキャプテン ジャック スパロウを、男優ジョニー デップ、その船を乗っ取ったキャプテン バルボサに オージー俳優ジェフリー ラッシュ。海賊だった父を捜し求める、まじめな青年ウィル ターナーに、オーランド ブル-ム、彼に恋するエリザベス スワンに、キーラ ナイトレイ。第一作のときは彼女は19歳だったが、第三作で22歳になったそうだ。

第三作で新しい登場人物は、中国人俳優の大御所チュン ユンファが シンガポール地域の海賊王の役で出てくるが、あっけなく殺されてしまう。もう一人キャプテン ジャック スパロウのお父さんが出てきて、それをローリングストーンのキース リチャードが貫禄あるお父さんを演じている。ジャックのことをジャッキーと、赤ちゃん呼び名で呼んだので 笑ってしまった。また ジャックが ママは元気?聞いたら、お父さんが彼女のミイラになった頭を腰にぶら下げていて、それを見たジャックが「SHE LOOKS GREAT!」というのも、笑えた。

最初の頃のシーンで風紀を取り締まるために 海賊行為に関わったたくさんの人が軍隊によって絞首刑におくられていくんだけど、中で、一人の少年が死ぬまぎわに 銀貨をこすりながら海賊の歌を歌う。9人の海賊の首領が世界には居て、それぞれがコインをもっていて、誰かが危機にあるときコインをこすりながら歌をうたうとそれが合図で海賊評議会が招集される。実際に海賊の首領を集めたのは海の女神カプリソ。

カプリソのちからで、第二作でイカのモンスターに殺されたキャプテンジャック スパロウは黄泉の世界から、カニに背負われてブラックパール号にのって帰ってくる。

ウィル ターナーとエリザベス スワンはジャックを助け出すために シンガポールの海賊首領にところに助力を得るために行くが、軍隊と組んだフライイングダッチ号のキャプテン デビ ジョンズの攻撃を受ける。 デビ ジョンズは、昔、海の女神カプリソを愛していたが、彼女は彼を裏切った。きっと、彼女はジャック スパロウを愛していたのではないか?ともかく、カプリソはデビ ジョンズを愛さなかった。それで、9人の海賊首領たちによって封印されていた。だから、人間の姿をしている。デビ ジョンズは フライイング ダッチマン号に乗って海で死んだ人をあの世に送り出す仕事を任されていた。しかし、仕事をさぼって、イカのお化けの顔にされてしまった。永遠の命を持っていて、死ぬことはないが、心臓をくりぬいて箱の中に保管している。これを、軍隊に盗まれてしまったので、軍隊の言うままにされている。

ウィル タナーはエリザベス スワンをやっと、心がひとつになって、デビ ジョンズと戦っている最中に求婚し、承諾を得るなでにこぎつけたのに、デビ ジョンズに胸を刺されて倒れる。本当はキャプテンジャック スパロウはデビ ジョンズの箱に入った心臓を刺して、自分が不死身になって、フライイングダッチマン号のキャプテンになりたかった。でも、デビ ジョンズに刺し殺されたウィル ターナーを、生き返らせるため、死ぬ間際のウィルに デビ ジョンズの心臓を突き刺させて、ウィルは永遠の命を手に入れる。ウィル ターナーはフライイング ダッチマン号で、父親と、一緒に死者を葬る航海を続け、10年に一度エリザベスに会いにくる。

カりプソは 9人の封印を解かれ、海にもどり渦となって 心臓をウィルに刺されて永遠の命を失ったデビ ジョンズを飲み込む。この女神がカニのおばけになって、海に帰るところは、怖い。彼女の作り出した渦によって、ブラックパール号と、フライイング ダッチマン号は軍隊をやっつける。東インド会社の親分も軍隊のベケット卿も敗北する。

これでやれやれ、、なんだけど、キャプテンジャックが陸に上がって、飲んだくれている間に またまた、ブラックパール号は、出航、またしても取り残された彼は 可愛らしい手漕ぎボートで、後を追う、というところで映画はおわり。

話がわかりにくくて、第一作、第二作を見ていないと全然筋が読めないだろう。でも とにかく おもしろくておもしろくて、画面に釘付けになる映画だ。話の筋を追うのではなくて、ただ、映像を楽しめばよいのだ。

3時間近い長さの映画が とっても短く思えた。 ジョニー デップは素晴らしい。本当に気に入った作品にしか出演しない、個性の強い俳優だそうだが、役つくりに とてもこだわって、自分にしかできないキャプテンジャック スパロウを作り出した。この役のために ものすごく凝ったアクセサリーや衣類を自分で持ち込み 入れ歯 一本入れるにも、自分の考えを通したらしい。 第3作でお話が終わるような気がしない。うわさでは第6作まで続く、などという声も聞こえる。どうなんだろう?第三作の興行成績次第なんだろうか? だったら、みんな観て観て観て。すごく、おもしろいよー!

2007年5月25日金曜日

映画 「ゲド戦記」


スタジオジブリ製作、宮崎吾朗監督によるアニメーション映画「ゲド戦記」を観た。原題「TALES FROME ARTHSEA」。 日本では1年前に上映されていて、それのついての賛否両論がでていたが、もう忘れられているのかもしれない。でも、オーストラリアではこれが、初めての上映。
シドニーでは、ニュータウンのデンデイー映画館で、5月中旬の10日間だけしか上映されなかった。新聞で、映画案内に小さく「TALES FROM ARTHSEA」と出ていただけで、絵が出ていたわけではなかったので、それがスタジオジブリの「ゲド戦記」のことだとはわからなくて、見逃すところだった。それでなくても、ニュータウンのデンデイーのようなメジャーでない 小さな映画館を知らない人が多いだろうから 見たかったのに 逃した人は多かったのではないだろうか。大人も子供も スタジオジブリの作品を好きな人は多いのだし、一昨年はアカデミー賞も取っているのだから、もう少し宣伝するなり、新聞に紹介記事を載せるなりして、多くの人に知らせるべきだったと思う。中国映画、スペイン映画、フランス映画などに比べて、日本映画の取り扱いはここではとてもマイナーだ。

「ゲド戦記」は 「指輪物語」と「ナルニア物語」と並んで、世界の3大ファンタジーのひとつといわれている。アメリカ人作家、アーシュラ グウィンの作品。 映画監督の宮崎吾朗は、スタジオジブリの創始者の息子、今回の映画が初めてのデビュー作。

EARTHSEAでは 国が乱れ、穀物が枯れ収穫ができず、家畜は疫病で死に、人々は飢え、人の世界を支えていた2匹の竜が争いをはじめて、世界の均衡がくずれてきていた。ゲト戦士は、その原因を探し出そうと旅にでて、アレンという少年に出会う。 アレンは ENLADの国の王子だったが自分でコントロールすることができない凶暴なパワーを持っていて国王の父親を殺して、逃げている。途中、アレンは、顔に火傷のあとのあるテルという少女に出会う。テルは魔法が使えるので、街で迫害されている。テルはアレンの凶暴を憎むが 一緒にゲド戦士と戦うように説得する。 ゲド戦士は、世界の均衡が崩れたのは、永遠の命を取ろうとしている蜘蛛COBのせいだとつきとめて テルとアレンとで 蜘蛛と戦う。というのがおはなし。

この宮崎吾朗の初めての作品が、いままでの多数の宮崎はやおの作品と大きく違うのは、これには原作があって、それを基にしているということ。だから、宮崎はやおの 豊かなイマジネーションの賜物である、さまざま多様で楽しいキャラクターは出てこない。はやおの作品は物語が単純でも、彼独特のイマジネーション、「千と千尋、、」の、巨大な赤ちゃん、豚になる両親、名無し、くも男、「もののけ、、」の森の神、走る狼、いのしし、「ハウルの動く城」の 年寄りになる魔法、かかし、歩く城、おばば などなど、意表をつく、楽しい登場者が 物語のどこそこにもちりばめられていて、物語に奥行きを作っている。筋に関係なく ただ見ているだけですごく楽しい。それが 宮崎はやおの作品の魅力だ。

宮崎はやおの作品は、常に、子供がひたむきに前に進む勇気、くじけずに前を見る澄んだ目、苦難を通して成長する姿 を描いてきた。「千と千尋、」では、豚にされた両親を助け出すために、ひとつひとつ目の前に現れてくる障壁に くじけず戦う少女の姿が感動を呼んだ。「ハウル、」でも、「もののけ、」でも これでもかこれでもかと、与えられる難関にしり込みせずに前に向かっていく勇気ある子供の姿を描いていた。

その片鱗はこの作品にもあって、これはアレンとテルの心の成長を描いた作品といえる。テルが、アレンに言う言葉が良い。「心の不安はだれにでもある。みんな不安だし、みんな死ぬことが怖い。でも、人は永遠を生きることはできない。死があるからこそ 人はよく生きられる。終わりがあるからこそ しあわせがあるのだ。」という言葉だ。

この作品では 始めにアランが国王の父親を殺すが、動機がいまひとつ明らかでない。不安で仕方がなくて 自分で制御できない凶暴な力、自分の影に操られて親を殺したと言っているが 父親殺しの償いはどうなるんだろう。映画では悪に勝って、自分の国に帰る決意をするところで終わるが、国王殺しにどう責任を取っていくんだろう、と原作の終わった先まで心配するのは、私だけかしら?

父親殺しはギリシャ神話のエデイップス王の時代から フロイトに言われるまでもなく、男の子にとっては、避けて通ることのできない永遠の課題だろうが、この作品で、親が立派すぎるだけに、息子の作はでこそこない、と けちょんけちょんにけなされた、宮崎吾朗の一番やりたかった本心だったりしてね! 

2007年5月15日火曜日

映画 「プライスレス」


フランス映画「HORS DE PRIX 」を観た。クレモン、オピアムで、上映中。 英語タイトル「PRICELESS」、邦題は、まだわからないが、「プライスレス」か。お金に替えられないほど貴重品という意味。

主役オードレイ タトウ(AUDREY TAUTOU)と、相手役にガト エルマレ(GAD ELMALEH)。ピエール サルバドリ監督。とっても オシャレなコメデイー。

オードレイは、高級娼婦。お金持ち紳士の同伴者として避暑地リビエラを旅行している。絶え間なくおねだりをして、装飾品を買ってもらう。下着からドレス、持ち物まで最高級のブランド品を身につけていないと気がすまない。
ある夜、酔って寝込んでしまったパトロンを部屋に残して ホテルのバーに下りてきた彼女は若いバーテン ジーンに出会う。ここで彼女はしたたか酔い、ジーンを バーテンと知らず客の一人と誤解したままベッドインしてしまう。寝過ごして パトロンに見捨てられ、ジーンも 一介のバーテンに過ぎないと知って、オードリーはあわてるが、もうすっかり惚れてしまったジーンは有り金すべてをつぎ込んで彼女をコートダジュールのホテルに誘う。ジーンの積立貯金から、年金、生命保険まで解約してつぎ込んだお金も、彼女の浪費、一流のホテルにレストラン、ドレスに靴にあっという間に消えて、彼女は 去っていく。

残されたジーンは、ホテル代が払えなくて、警察に突き出されそうになったところで、億万長者の未亡人に拾われる。ジゴロとなったジーンは 金で買われた未亡人のペットだが、恋するオードリーのことがあきらめられない。
オードリーも、新しいパトロンと同じホテルに現れ、このふたりは、お互いのパトロンの目をごまかしては、二人で、深夜のビーチピクニックをしたり、二人だけの時間を持つようになり、遂に、オードリーは、パトロンを捨てて、ジーンのもとに行く。ハッピーエンドのラブコメデイー。

オードリータトウーのすきなひとにはたまらない映画だろう。スリムで 次々とグッチのドレスを着て現れる 完璧なプロポーション。よくクルクルと動く大きな瞳。表情豊かな 愛らしい顔。小悪魔なしぐさ。 彼女の「アメリー」「A VERY LONG ENGAGEMENT」は、彼女が演じたから、成功だった。「アメリー」はもう10年前の映画だが、いまだにすごい人気。オーストラリアで、今までの映画のなかで、一番好きな映画という人気投票をしたとき、「アメリー」がトップ、3の中に入っていて、すごくびっくりした。日本でなら、まだわかるが、フランスとかパリとかが、大の苦手の田舎者オーストラリアで、だ。 「アメリー」をやった、オードリーの不思議な魅力と独特の可愛さがこの映画でも健在。それだけに、「ダビンチコード」では、トムハンクスの相手役やらされて、彼女の良さが全然でていなくて、可哀想なくらいだった。やっぱり、フランス人は、アメリカンコーヒーでなく、カフェオーレでないとダメなんじゃないか。

この映画で、ジゴロになるガトエマニエルが、恥ずかしがりやの冴えない、全然男の魅力がない青年役ですごくおかしかった。ジゴロの彼と レストランで鉢合わせになったとき、オードレイが、買ってもらったばかりの宝石をじゃらじゃらさせながら、ねえ、未亡人に何を買ってもらったの?と聞くんだけど、彼が 「豪華な朝ごはん、パンケーキのおかわりもらっちゃったんだよー」、とうれしそうに、無邪気に答えるところなんか、すごく笑える。それが、ダイヤつきローレックスとか、バイクになっていくんだけど、そういった億万長者のお金の使い方も、観ていて楽しい。 気軽で、楽しいコメデイーだ。

2007年5月14日月曜日

映画 「CURSE OF THE GOLDEN FLOWER」



ツアン イーモー(ZHANG YI MOU)監督の中国映画「黄金の華の呪い」、原題 「CURSE OF THE GOLDEN FLOWER」を観た。チャッツウッド マンダリンセンターで上映中。 主演、ゴングリー(LI GONG)と、チョーユンファ(CHOW YUN FAT)。

AD 928年の中国皇帝と皇后とその3人の息子達による血を血で洗う 権力争いを描いた映画。 菊の紋章を家系とする皇帝は、部下だった武将に倒され、皇帝の娘は、新しく皇帝になった武将の妻に迎えられて皇后となる。当然、仲の良い夫婦ではない。夫は、父を倒して権力を乗っ取った仇だ。この皇帝夫婦には 先妻とのあいだに、長男、そして夫婦の間にできた男の子が二人いる。皇后は、夫の後継者となる長男を 自分の味方につけておきたいので、肉体関係をもって自分の意のままに繰っている。また彼女は 自分の実の息子、次男を後継者にして、父の家紋 菊の存続を図っている。 しかしそんな皇后の思惑など とっくの昔に 見破っている皇帝は妻を毒殺するために、毎日健康に良いと偽って薬茶を妻に飲ませている。 チャンヤン祭(CHONG YANG FESTIVAL)という、日本の盆にあたる、先祖の死を悼むお祭りの日に、次男は、皇后を擁護して皇帝を倒そうと、万の兵が皇居に向かって反乱をおこすが、敗れて、自死。長男は三男に殺され、三男は父に嬲り殺されて、ついに、世継ぎは誰もいなくなった。皇后は、最後の毒杯を飲み干すように追い詰められる。

こうした歴史映画のおもしろさは、この時代の人がどんな服装で どんな生活様式をし、どんな風に考えていたのか、なかなか本を読んだだけでは 実感としてわからないものが、映像で描き出されると、時代の空気が生き生きと感じられることだ。ローマ時代を、「十戒」や、「ベンハー」で 実感できるように、中国の皇帝も、この映画や、「ラストエンペラ-」「ヒーロー」などで、知ることができる。

それにしても、この20年というもの、中国映画といえば、チャンイーモー監督、女優といえば、ゴングリー。この二人は夫婦だが、6億人の人口をもつ中国に、映画関係者はこの二人しかいないのだろうか?いまだに、ゴングリーは美しく咲く 大輪の花だから良いけど、ツアンイーモーの堕落、大衆路線は、痛ましい。

ツアンイーモーが製作した映画は、1987年の「赤いコーりャン」、それに続く「レッドランタン」、「THE ROAD HOME」、「TRANDOT」、「HOUSE OF FLUING DAGGERS 」、「ヒーロー」、「CROACHING TIGER HIDDEN DRAGON」など。彼の、はじめのころといえば、芸術家や、知識人による民主化運動が厳しく制限されていて、さまざまな制約をはねのけて映画を作ることに 大変な勇気と、ただならぬ反骨精神がなければできなかった。それだけに、初期の作品には、自由への渇望がみなぎっていた。

しかしこの監督が国に認められて、現代中国文化の大御所として とりこまれ、国民的英雄になってしまってからの彼の作品は ただの娯楽作品だ。まあそれも良い。時代は変わるし、人も変わる。

この映画は、莫大な資金と、万人規模の役者を自由に使って、壮大な資金の浪費をして作られた。ただただ、スペキュタクラー!!! どっどっどっと、地響きをたてて、何万人かの謀反の軍団が、皇居を埋め尽くしたかと思うと、つぎには、そのせ数倍にあたる人数の、政府軍がワーっとやってきて、全部殺して、、、すると、とっとっとーと、掃除人夫が 全部死体をかたずけて、それから、さっさっさー、と たくさんの 花をもった女達がその上を、きれいな花で埋めてしまう、あっという間の手際の良さ。ウーン。まいった。

しかし、ゴングリーは いまだに美しい。20年あまり、中国を代表して、トップを走り続けている。「芸者さゆり」では、若いチャンツイー(ZHANG ZI YI )の美しさと、互角で張り合っていた。この人の若々しい体と 30代はじめとしか思えない美しさは、いったい何なんだ。秘訣を教えてほしい。

2007年5月8日火曜日

映画 「スパイダーマン 3」


史上最高金額6億ドルをかけて製作された 映画「スパイダーマン3」は 世界中で同時に封切られ、あっという間に全米映画興行収入で史上1位を記録した。

映画が好きな人 観なくちゃダメだよ。 スパイダーマンが正義のヒーローなんかではないこと、間違いもするし、馬鹿もやる、普通の成長過程にある青年だということがよく描かれている。

人が生きることは、正しいことと間違っていること、この2つしかない訳ではない。もともと、スパイダーマン、ピーター(TOBY MAQUIRE)は、まじめだけど どちらかと言えば、さえない物理学を学ぶ大学生、両親に死なれ、貧しいけれども誠実な叔父夫婦に育てられた。学費のたしに写真を撮って、新聞社に買ってもらっている。 誤って 遺伝子組み換えされた蜘蛛に咬まれて、自分の体の異変に気つき、蜘蛛のように糸をつたって飛んだり 戦うスーパーパワーをもったことを知る。

幼い時から心をよせていた隣に住んでいたMJ(KIRSTEN DUST)は女優志望の売れない歌手、何度も怖い目にあって スパイダーーマンに助けられて、キスを契機にスパイダーマンの正体を知ってしまう。 幼馴染のピーターと、MJと、ハリーは大の仲良し。でも実は ハリーは悪の世界ゴブリンの息子で、スパイダーマン2で、ハリーの父はスパイダーマンとの戦いで殺されてしまったことで、ハリーはピーターを憎んでいる。

ピーターのお父さん代わりベン叔父さんは ピーターを車で待っているときに 強盗犯にカージャックされて殺されてしまう。ベン叔父さんはピーターに、「大きな力をもったならば それだけの責任を持たなければならないんだよ。」と言い残したが、この叔父さんを殺した極悪人が脱獄して、逃げる途中 放射線をあびてサンドマン(砂男)になってピーターの前に戻ってきたことから、ピーターは復讐に燃える。でも実は砂男が叔父さんを殺したわけではなかった、また、彼は心臓の悪い娘の手術費を捻出するために強盗せざるを得なかったことがわかる。

今回のスパイダーマンの教訓は、安易に復讐してはいけない。悪にも理由や、事情がある。人には悪に手を染めるか そうせずにいるか 選択の自由があるが それに伴う責任を避けて通ることができない、ということ。最終的にはピーターは砂男を容赦する。スパイダーマン3の、テーマは「ゆるし」だ。

スパイダーマンがおもしろいのは ピーターが普通の男の子で、スーパーパワーを持ったために 間違いもたくさんして、人を傷つけたり、パワーに慢心して観衆のまえで 飛んで見せたり 女優とキスして見せたりするところ。人気絶頂をいいことにマスクを脱いでからも、調子にのって、せっかく理解してくれているMJが失業して歌手としての希望を絶たれているのに、聞く耳をもたない。べノムの黒い魔の手に侵されブラックスパイダーにならなくてもピーターは普通のおばかさんなのだ。だって、まだ20歳そこそこの普通の大学生でしょう。当たり前。そんな彼が 立ち返るところは、亡くなった叔父さんの教訓であり、変わらずに心を支えてくれる伯母さんの言葉だ。調子に乗ったりどん底におちたりしながら戦いでボロボロになりながら 彼の心の成長の軌跡がていねいに描かれている。そこが、おなじ、ニューヨークを拠点に活躍する スーパーマンや、バットマンとちがうところだ。

スパイダーマン3で、ピーターの親友で実はゴブリンの息子というハリーがすごく良くて、泣ける。この俳優(JAMES FRANCO)って、スパーダーマンでしか見たことないけど、故ジェームスデイーンにそっくり。で、それだけで泣ける。ハリーは大金持ちの父が発明したたくさんの殺人兵器をもっていて 空飛ぶスケボーでピーターと戦う空中戦がすごくかっこ良い。 記憶を失ったハリーが目覚めて、親友ピーターとMJに見せる笑顔は、ものすごくチャーミング。ジェームスデイーンの笑顔にそっくり。これを観るだけのために この映画に$15 払う価値がある。 大きな屋敷にたった一人暮らす孤独なハリー、悪の権化だった父はかつて 親友ピーターを高く評価していて十分自分は父に愛されたかどうかという自信がない。でも父への愛は不滅。父の期待に報いてスパイダーマンに復讐攻撃するが敗れる。

ハリーは、ピーターに MJを救うために一緒に、ブラックスパイダーと、砂男をやっつける力を貸してくれ と言われて、苦しんで、悩んだ末 ピーターのために助っ人に行く。 ピーターと、手を取り合って スケボーで夜空を飛び回るハリー。スパイダーマン3のヒーローは間違いなくハリーだ。この映画では、ピーターの心の成長もハリーの心の成長も描かれてれている。ピーター、ハリー、MJ この まだ青い愛と、友情のありかたにちょっと涙が出る。

新聞社の編集長と 彼の高血圧をコントロールする秘書、それから、ピーターの下宿の親父とちょっと知恵が足りなそうな その娘など、スパイダーマン1,2からのおなじみの 愉快なキャラクターが華を添えていて 毎回笑える。

2007年5月1日火曜日

映画 「敬愛するベートーベン」


映画「COPIYING BEETHOVEN」クレモン オピアムで上映中。

べートーベンの名前を知らない人はいない。彼の作品は?というと、交響曲第5番「運命」の第1楽章の最初の4音をジャジャジャジャーンとやったり、エリーゼのためにの最初の2節を鼻で歌ってくれる人が多い。私はバイオリンでベートーベン弦楽曲には泣かされたので 暗い哀しいつらい難解 でも尊敬。

交響曲「英雄」「運命」「田園」、ピアノ曲「皇帝」「悲愴」「月光」「テンペスト」、オペラ「フェデリオ」、バイオリン曲「春」「クロイツエル」など 本当の作品名に ニックネームがついている作品だけでも こんなに沢山ある。それほど、ポピュラーな天才中の天才。

彼とドイツの森とは切っても切れない関係にあって、彼は毎日4時間も5時間も 森を歩いてインスピレーションが沸くと 曲にして作った。彼もまた恋をたくさんしたが、生涯結婚は しなかった。一生努力しながら、苦しみながら作曲し、莫大の量の交響曲、弦楽曲、ピアノソナタ、コンチェルトを作曲したが、未完の作品も膨大な量だった。

映画「COPYING BEETHOVEN」アメリカ、ドイツ合作映画を観た。AGNIESZKA HOLLAND 監督、ベートーベンに、エド ハリス(ED HARRISE)と、その楽譜コピイストのアナ ホルツ役にダイアン クルーガー(DIANE KRUGER)。 映画設定は 1824年、57歳晩年、死のちょっと前のベートーベンは すでに一世を風靡し、名声を得ているが、もともと貴族の出身でも、年給を保証してくれるパトロンがいるわけでもないベートーベンにとって、曲が完成しないと収入はない。期限までに、作品を収めなければならないプレッシャー、除じょに聞こえなくなっていく耳、健康上の不安、可愛がっていたピアニストの甥の裏切り、、、、創造を糧として生きるものの苦渋の満ちた生活だ。

コピイストとは作曲家が書いた曲を、オーケストラごとの楽譜にして、曲を書き写す職業で、自身も作曲家同様の専門知識と、繊細な注意力と集中力がないとできない。コピーマシンや 大量印刷製本技術のある時代ではない。楽譜は全部、手書きで、消しゴムがあるわけではないので、失敗できない。立派なコピイストを持つことは この時代の作曲家にとって右腕をもう一本持つようなものだ。

映画はウィーン音楽大学を主席で卒業したばかりのアン ホルターが 職を求めてベートーベンのコピイスト ベンゼル スケルマーを訪ねるところから始まる。

新しいコピイストとして抜擢されたアンが ベートーベンにとって必要な耳となり、手となり、友情がめばえたところで 彼女が 自分で作曲した小曲をベートーベンにプレゼントする。ここで すごく笑える。ベートーベンは彼女がどうして曲を持ってきたのかわからないまま、ピアノで弾いてみるんだけども それがすごく杓子道理の コチコチのバロック音楽なので 彼は思い切りはしゃいで曲をばかにして、ぶーぶーいいながら弾いて笑うのだ。それを泣いて怒ってくやしがる彼女とのやりとりがおかしい。

映画で かの交響曲第9番の初舞台、枢密卿、ヨーロッパ中の貴族達を前にして、ベートーベンは指揮をするのだが、すでに耳のきこえなくなっていた彼は アナをオーケストラ団員の間にすわらせて指揮をする彼女をみながら、指揮をとるのだ。映画では そこが見せ場だったみたい。これに近いことを計画的にやったかもしれないけど、実際にはありえない。初見で、第9の全曲を指揮できる指揮者はいない。70分、この時代なら1時間半くらい 初見ではカラヤンでもクライバーでもバーンスタインでもべームでもアシュケナージュでもフルトベングラーでもアバッドでも指揮できるわけがない。まあでも、映画だから許される。

ベートーベンがあの難解な弦楽4重奏を作曲中、ピアノでアンに聞かせると アンははっきり全然ダメ という。実際、サロンでも貴族達からは受け入れてもらえなくてコンサートが終わったときには誰も観客がいなくなっていて、しおれるベートーベン。創造者はいつの時代も 時代を先取りをしているから前衛の芸術が人々に受け入れられるには何十年も何百年も待たなければならなかったのだ。

映画のなかで、人々は文盲でも、ベートーベンの音楽は知っている。たとえ一日中 陽のささないアパートでもベートーベンの曲を王様より、貴族達よりも早く先に聞ける事に喜びを見出している 同じアパートに住む老人。森を歩きつかれて、入った酒場でベートーベンと飲んで騒ぎもする地元の男達。きっと、彼の毎日はこんなんだったんだろうと思いながら、うっとりして観ていた。

ロンドンフィルハーモニーが交響曲第6番を演奏しながら、ベートーベンがウィーンの森を歩き回っているすがた、とても良かった。ずっとそれだけを いつまでも観ていたかった。