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2007年2月20日火曜日

映画「あるスキャンダルの覚え書き」


イギリス映画「NOTES ON A SCANDAL」を観た。邦題は、「あるスキャンダルの覚え書き」。 主役、ジュデイ デンチが、アカデミー賞と、ゴールデングローブ賞、双方の主演女優賞に、ノミネイトされ、もう一方の女優、ケイト ブランシェットが、アカデミー賞と、ゴールデングローブ賞の、助演女優賞にノミネイトされている。また、脚本家 パトリック マーバも脚本でアカデミーにノミネイトされた。

ロンドンの公立高校に 新しく美術の先生として職を得た ケイト ブランシェットは 若くて、美しく、夫と二人の子供をもっている。夫とは かなり年がはなれていて、息子はダウン症だが、あたたかい家庭で愛情に満ちた生活だ。 一方、この高校では引退に近いベテラン教師の ジュデイ デンチは厳しいので生徒達からは恐れられているが、同僚からも、生徒からも、信頼も尊敬もされていない。友達もなく、結婚の経験もなく、年老いた猫だけが孤独な友だ。

新人教師のケイトブランシェットと、古参教師のジュデイ デンチとの間には、同僚としての友情が芽生える。 しかし、よりにもよって ケイトは15歳のとびぬけて美術の才能をもった生徒と、関係をもってしまう。そして、彼女はじきに、家庭と、学校の日常の煩雑さからの逃避のように、恋におちてしまう。偶然、逢引の現場を目にした、ジュデイ デンチは 自分だけが知った秘密をたてに、自分が本当は ひそかに愛していた ケイトを、自分のものにしようとする。

ジュデイ デンチがとても、怖い。結婚したことのない レズの女教師って、こわいものだが、すごい迫力。巣を張り巡らせて、美しい蝶が舞い、人生を謳歌している様子をじっと観ながら、やがて、巣に絡まって死んでいくのを待つ 蜘蛛のようだ。蝶と蜘蛛の役に、ケイトと、ジュデイはものすごく はまり役、これ以上の適役は考えられない。この二人のイギリス英語のアクセントも、少年の、下町アクセントも良い。

ケイトの夫が 事実が明らかになり、ケイトが15歳の少年を関係をもったことで、少年保護法違反で裁判に引き渡されるとき、無言で、押し寄せるマスコミの渦のなかに、ケイトを押し出すときの、無表情が、良い。こういうとき 夫は、妻の裏切りの理由に、すこしでも自分に非があるかもしれないとは、考えないものだ。ただ、妻をせめるだけ、事実をうけいるられるようになるのには、時間が必要なのだ。それを、この映画の最後のほうでは、時間がたつにつれて、夫の心が変化していくことがわかる。この映画はこういった ひとつひとつの、シーンをていねいに、作っていて、好ましい。

ジュデイがロンドンの街中を、買い物籠を持って歩いている姿はまったく、普通のおばさん。教壇にたつと、怖い教師、ケイトに食事に招待されてあわてて 靴と服を買いに走り、美容院に飛んでいく姿はとても、自然。さすが、俳優の貫禄。  この人、007「カジノロイヤル」で、女王陛下の秘密スパイ組織のボスの役で出ていた。また、「ラベンダーレデイーズ」では、年老いた姉妹の妹で、海に流れ着いた青年に恋をする役で、すばらしい演技をみせた。

ケイトブランシェットは 大好きな女優、二人の子持ちで、演出家の夫とシドニーで生活していて、ラリアの若い役者の育成に貢献している。多くの、ラリア出身の俳優がちょっと有名になると、すぐニューヨークに移っていくのと全然、役者としての姿勢がちがう。メシよりも、演じているのが好きといっている。 シドニーのベトナム社会をテーマにした「リトルフィッシュ」では、カブラマッタの雑踏のなかを下町娘になりきって歩いていると、全く違和感がなかった。 アカデミー助演賞をとった、「アビエイター」は、本当にキャサリン ヘプバーンが乗り移ったような みごとなキャサリンだった。
ケイトと、ジュデイ、このふたり、この映画で、アカデミー賞でも、ゴールデングローブでも 一緒にとってもらいたいものだ。

2007年2月16日金曜日

映画 「THE LAST KING OF SCOTLAND」


イギリス映画 「スコットランド最後の王」を観た。ホイッツで上映中。

同じ、アフリカを題材にした映画「CONSTANT GARDENER」邦題「ナイロビの蜂」と、今、上映中の、「ブラッドダイヤモンド」のふたつの映画がとてもよかったので、アフリカ共通の問題と、過去の血の歴史を持つ ウガンダの現実に肉薄する映画かと 期待していたのに、とても、がっかりした。

「ナイロビの蜂」がケニア、「ブラッドダイヤモンド」がシエラレオーネ と、場所は異なるが、アフリカの貧困をもたらす経済構造と、欧州のエゴイスチックな搾取の結果、取り残された国々の政情不安、一部の豊かな特権階級と、圧倒的多数の国民の貧困、軍の腐敗などは、共通するアフリカの現実だ。

1970年代、イギリスから独立したウガンダでは、イギリスで教育を受けた軍人、イデイ アミンがクーデターを起こし強力な指導力のもとに、独自の外交 政治 経済お牽引した。しかし その残酷非道な独裁力は のち、国連から批判され、失脚した。当時、アミン大統領の専制、独裁は たびたび、ニュースで報道され、政敵を殺して、その人肉を食ってみせるような姿が、世界を震かんさせた。独裁政治による犠牲者は、30万人にのぼる。

これだけの男を映画にしようというのだから、映画監督も 相当覚悟が必要だった。「TOUCHING THE VOID ONE DAY IN SEPTEMBER」でオスカーをとった ケビン マクドナルドが 監督。 そのアミン大統領役の、フォーレスト ウィテカーは、今年のゴールデングローブ主演男優賞をとった。映画の台本は、アミン大統領に気に入られて、大統領付の医師になったニコラス ガーリガンによる手記をもとにしている。

大学の医学部を卒業ばかりのニコラスは、卒業記念に、どこか行ったことのないところに、行って経験を積みたいと考え、ウガンダに着任した。受け入れ先の 海外援助資金で細々と、やっている病院には アメリカ人医師が一人いるだけで、貧しい設備に、予算がなく、満足な治療もできない。理想も、希望も萎えかけたころ、偶然、アミン大統領に出会い、その場で気に入られて、大統領付のおかかえドクターとして、立派な家、メルセデス、イギリスにいたころと変わらない食事などを、提供される。

しかし、大統領の第三夫人に恋をして、関係をもち、最後には、発覚、婦人は手足をもぎ取られ、凄惨なリンチの末 殺されて、ドクターも、リンチをうけながら、奇跡のような形でウガンダから脱出する。

アミン大統領はいったんクーデターから政権を奪取すると、自分の協力者も含めて、30万人もの罪もない人々を 殺しまくった。しかし、この事実に対して、映画では、では何故、ウガンダがこのような怪物モンスターの指導力を必要としたのか という歴史的観点で、見る視点が いっさい ない。
この映画は、単に大統領の妻を寝取った男がひどい目にあった、といっているだけで、何の、メッセージもない。しかし、考えてもみてくれ。大統領が相手でなくたって、モスリム社会で妻を寝取った男は、当然 罪を犯したものとして制裁されるだろう。モスリム社会でなくてもだ。そのために、リンチをうけたって、それが何なのか?アミン大統領による政治が、アフリカにとって、なんだったのか、きちんと検証するべきだ。

この映画は、事実を矮小化している。そして、一番いけないことは、歴史を矮小化していることだ。 だから、この映画、わたしは、誰にも、すすめられない。椎名誠のエッセイ本で、「風に転がるような映画もあった」というのがあったが、そんな感じだ。

2007年2月13日火曜日

映画 「ドリームガール」


ビヨンセの 美しい顔を見て歌うのを聴きたくて、映画「ドリーム ガールズ」を見にいってきた。各地のホイッツで上映中。

ビヨンセは賞を取らなかったが、3人コーラスのうちの一人、ジェニファー ハドソンがゴールデングローブで助演女優賞を獲った。彼女、太り気味で、顔もちょっとだが、ソウルを歌わせると、すごい迫力で、のびやかな声がすばらしい。テレビ番組、アメリカンアイドルで、見出された人らしい。

こういうパワフルで、楽譜にすると転調がたくさんあって、フラットが4つくらい ついてる曲が、急にシャープ6つに変わったりして、歌うのが難しい曲を アフリカンアメリカンがいとも簡単に歌いこなしてしまうのが、もう、どうしてなのか、全然わからない。音楽大学で、4年とか6年とか、勉強しても、アフリカン スピリッツや、ソウルは歌えまい。アフリカンアメリカンは 生まれついて絶対音や、リズムの基本を身につけて生まれて来るのだろうか?

この映画は1960年から70年にかけて、活躍した3人の女性ボーカルグループのお話。 ダイアナ ロスが、シュープリームスというボーカルグループで歌っていたときの実話がベイスになっている。ダイアナ ロスは今は ドラッグでみじめだが、舞台に立っていたころは 美しくて、歌って踊れる、ピカいちのスターだった。

映画で、3人のドリームガールズは、はじめは、マネージャー(ジエイミーフォックス)に 認められて、スーパースター(エデイーマーフィー)のバックコーラスとして歌いだす。スターのうしろで、ババババーとか、ドウドウドウとかいうだけでなく、自分達の歌でステージを やりとげる自信たっぷりのボーカル(ジェニファーハドソン)は、いつかバックコーラスから抜け出て、自分が舞台の中心になり夢をみている。

3人のコーラスを従えて、R&Bを舞台狭しと踊りながら 歌うスーパースター役のエデイーマフィーがすごい。こんなことまでできるんだ とびっくり。彼は、1分間に一度は 聴衆を笑わせる、トークで、名をあげ、俳優としては刑事ものや、コメデイーで人を笑わせて、家族映画 ドリトル先生シリーズで子供からも人気をとりつけ、マルチタレントとして20年も活躍している。年をとったとはいえ、パワフルなステージは立派。まあ今になって、ローリングストーンズ、や、キッスや、ピンクフロイドが返り咲いて、歌っているのだから、エデイーマフィーが歌っても不思議ないのかもしれないけど。

ビヨンセは本当に美しい。顔もスタイルも歌も文句のつけようがない。プロデューサーの親の七光りでスターとして育った どうしようもない わがままおじょうさんという世間での評判だが本当に美しい。彼女が歌っているときの姿は光り輝いている。

こういうショービジネスを営々と継続してきたアメリカは つくずく娯楽のためになら とんでもない金額のお金をかけて、世界中の人々を喜ばせてきた どでかい国、とんでもない国だと実感する。こうした娯楽は、アメリカの金儲けのためなら なんでもする、マテリアリズム、物質主義、金権主義の金字塔のようなものだ。使っては、捨てられる。 ひと時の夢なのだ。 イラクで戦死したアメリカ人の兵が3100人を超えた今、アメリカはどこへ、行こうとしているのか。イランへの、攻撃を準備しているのか。喜びも、楽しみも大きいが、悲しみも、罪も深い国だ。