2015年9月19日土曜日

戦争法可決:沖縄とフィリピンでの体験から

安倍政権は7月15日衆議院での強行採決に続いて、9月19日参議院で安全保障関連法案を強行採決した。憲法の新解釈、集団自衛権の容認、安全保障関連法案の可決によって、いよいよ日本は武器を持って海外の戦場に出かけていくことのできる国になろうとしている。日米軍事協力体制の本格化だ。海外各地で自衛隊は米軍の肩代わりをすることになるだろうが、自衛隊がどんなことをしているのか、特別秘密保護法と、マスコミへの日ごろからの介入によって、人々は限られた情報しか知らされなくなる。TPP参加により日本の農業は壊滅し、ただでさえ食料の自給率24%が更に下がり、日本の市場はアメリカの多国籍企業の餌になる。遂に、軍事面でも、産業面でも日本は、アメリカに完全依存することになる。
これが阿部首相が繰り返し言ってきた「積極的平和主義」によって、「日本の誇りを取り戻す」ことだったのか。

日本の終戦記念日、8月15日は、ロシアを含むオーストラリアや連合国側の国々では戦勝記念日となるが、今年も盛大な祝日の祭典が行われた。オーストラリアでは旧軍人たちのパレードを先頭に、現役の自衛官の行進、小中学校のバンド、警察官、消防士、海難救助隊などのパレードが各地で行われ、沿道を国旗を持った人々が埋めた。ニュースでは、朝から第2次世界大戦でニューギニヤやシンガポールなどで日本軍の捕虜になって生き残った兵士たちのやせ細った姿が映し出され生存者のインタビューに続き、広島、長崎の原子爆弾が日本を焼き尽くす映像が現れる。日本軍によるダーウィン攻撃やシドニー湾への攻撃も必ず出てくる。投降して捕虜になった兵士の8000人が日本軍によって死亡し、ダーウィンへの空爆では250人近くの市民が犠牲になり、オランダ領インドネシアにいたオーストラリア女性が捕獲され日本軍の従軍慰安婦にされた事実も、オーストラリア人は忘れていない。必ず一年に一度は、このような記念日に歴史のおさらいをする。
今年はこれに加えて、阿部総理の談話がオーストラリア公共放送ABCで大きく報道された。「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という部分はそっくりヴィデオで流れ、阿部政権の平和憲法の解釈変更とアグレション(攻撃性)には、日本国内だけでなくアジア各国から抗議行動が起きている、と説明されて、街頭で日章旗を焼く韓国でのデモのシーンが報道された。

激戦地だったレイテ島に1980年代に、3年間を暮らしたが、まだ旧日本兵の骨が出てくる。遺骨収集は終わっていない。 空港のあるタクロバンから住んでいたオルモックに至る途中の畑で、所属部隊と氏名の彫られた認識票がヘルメットと一緒に出てきたことがあった。せめて遺族を探して渡したいと思って日本大使館に連絡したが、大使館は全く反応なし対応もせず、民間の遺骨収集団体の名を教えてくれただけだった。
レイテ島に幼い二人の娘たちと一緒に夫の赴任中、たくさんの年配者に囲まれて旧日本軍の軍票を目の前に置かれてフィリピンペソに両替してくれとすごまれたことがある。日本軍はフィリピンを侵略 占領し、彼らの言語を奪い日本語を強要し、ペソを軍票に替えさせ、彼らの食料を奪い、彼らの娘たちを連れ去り慰安婦にし、彼らの命を奪った。日本軍占領中、お金をすべて軍票に替えさせられた人々は、敗戦のその日から軍票はただの紙となり、全財産を失った。日本人を見てペソに戻してくれと要求するのは、彼らにとっては当たり前ではないか。それを日本政府はしなかった。
夫が出張でおらず、深夜酔った勢いで男たちが私たちの寝ている二階のベランダにまで上がってきたこともあった。ドアひとつを隔てて玩具の銃を握りしめて朝まで緊張していたこともあったし、日本兵の墓に花を捧げようとして、取り囲まれて有り金全部奪われたこともある。当時は共産党のゲリラが山に拠点を持っていて軍と衝突するたびに死体を何度も見た。日本軍が侵略しなければ、本来豊かな国だったのだ。

レイテ島の前の赴任先は、沖縄だった。沖縄の本土復帰からまだ間もなく、本土の人:ホンドウーは、ウチナンチューから決して快く思われていなかった。夫は道路建設のプロジェクトで住んでいた那覇の家を空けることが多かった。幼稚園に入る前の娘たちと眠る深夜、再三玄関のベルを鳴らす人がいた。子供のとき過酷な戦争体験をして精神を病んだ人だった。知人も親しい友達も居ない畑の真ん中の一軒家で、夫のいない時だけ玄関でいつまでも佇む精神を病んだ人の存在は、赴任したばかりの頃は、とてつもなく怖かった。近所の人は、あの人は何もしないから、と言ってくれたが。窓を少し開けて外出して帰ってきたら火のついたタバコが投げ入れられていたこともあった。子供たちを連れて、できるだけかつての激戦地を見て、、集団自決のあったガマに入り、人々の戦争体験を聞かせてもらった。正座してウチナンチューの昔の話を聞くことがどんなに大切か、このような体験から学んだ。沖縄戦で、犠牲者は12万人。そのうち軍人は2万8千人で、亡くなった方々のほとんどは民間人だったのだ。本土の人間にとっての戦争体験と、沖縄に人々の戦争体験とは全く異なる。本土の人間は、沖縄の人々に対して加害者としての自覚を、自分の胸に刻んで生きていくべきだと思う。

日本人は加害者だった。日本は先の大戦で350万人の戦死者を出したが、侵略したアジアの国々、中国人では軍民併せて1100万人、インドネシアなどのアジアで800万人の人々を死に追いやり謝罪も賠償もしていない。沖縄では米軍に包囲され白旗を掲げて投降しようとした市民を日本軍兵士は後ろから撃ち殺したばかりでなく、集団自決を強いた。そしていま沖縄を戦場の最前線に押し出し、辺野古の海を破壊している。
侵略者には被害者の痛みはわからない。わからないからわかろうとして被害者の話に耳を傾けることでしか、両者のみぞを埋める方法はない。謝罪しても、被害者がそれを受け止めなかったら謝罪にはならない。もう謝罪した、これからの若い世代は謝罪しなくて良いと阿部総理は言うが、彼はまったく謝罪していない。被害者は納得しいていない。日本政府としてアジア各地で日本軍が何をしたのか、きちんとした調査を行い謝罪し、被害に対して賠償すること。歴史事実を明らかにして次の世代に伝えていくこと。こうした事実認定と、継承なしに、「日本の誇り」を取り戻すことは決してできない。
安倍政権は70年前の戦争さえ総括できないでいるのに、また新たな戦争に参画しようとしているのか。