2014年12月23日火曜日

2014年に観た映画 ベストテン 1位ー4位

                            
                       

第1位
「ゼロ グラビテイ」
監督:アルフォンヌ キユアロン
キャスト
サンドラ ブロック:ストーン博士
ジョージ クルーニー:コワレスキー飛行士

2014年1月26日に、この映画の紹介と批評を書いた。
登場人物二人きりの映画。重力のない地球上空600キロメートルの宇宙空間。スペースシャトルを修理中だった二人が事故にあい宇宙に放り出されて、帰るべきスペースシャトルは爆発、遊泳しながら国際宇宙基地にたどり着いて、地球に再び帰ることができるかどうか、というお話。
無重力の宇宙空間を浮遊する宇宙飛行士を撮影するために 製作チームは360度LPライトで囲まれたライトボックスという大きな箱を造り、影のない3Dの立体像を映し出す仕組みを作った。その中で一本のワイヤーに吊るされ特殊装置に繋がれたたサンドラ ブロックが、無重力の中で遊泳する演技をするために、5か月ものあいだ激しい訓練を受けたという。役者は体が資本というが、49歳のサンドラの柔らかい身のこなし、ぜい肉ひとつついていない少年のような体に、好感がもてる。

シドニーのアイマックスは世界一大きいらしい。縦30M、横35Mの巨大スクリーンに映し出される3Dの宇宙は限りない闇で、音のない恐ろしい場所だったが、体験型映画というか、自分も本当に宇宙遊泳しているような気分になれた。重力があって、酸素が当たり前みたいにあって、何の装置がなくても息ができて自由に動き回れることが ありがたく思える。こういったサイエンスフィクションのクリエーターは、日夜、人が考えないような方法で、科学を映像化して、人々の想像力をかきたててくれる。こんな素晴らしい物造りに携わる人々がいて、そういった映像を見ることができることに感謝したい。撮影チームに感服した。得難い映画だ。


第2位                                                           

「ミケランジェロ プロジェクト」
監督:ジョージ クルーニー
キャスト
ストークス中尉:ジョージ’ クルーニー
グレンジャー中尉:マット デーモン
キャンベル軍曹:ビル マーレイ
ヴァルランド:ケイト ブランシェット

3月22日に、この映画の映画批評を書いた。
ヒットラーは世界的価値の高い美術品をヨーロッパ各国から略奪し、世界一大きな美術館をオーストリアのリンツに建設して、収集したものを展示するつもりでいた。6577点の油絵、2300点の水彩画、959点の印刷物、137点の彫刻を含む6万点の美術品を岩塩抗に隠していて、もしもそれらを奪い返されそうのなったら、一緒に隠してある1100ポンドの爆弾で、すべてを灰にしてしまう予定だった。連合国首脳部は、戦争終結に先立って、これらの美術品の隠匿場所を突き止めて奪い返す方策を練っていた。博物館の館長、美術鑑定士、美術史研究者など、8人が選ばれて、ヨーロッパ戦線に送られた。彼らはモニュメント マンと呼ばれ、ヒットラーが隠匿している美術品を見つけて安全な場所に保護して運搬する命令を受けていた。
彼らはパリ美術館館長の秘書をしていた女性の助けを借り、オーストリアアルプスのもと、岩塩抗を見つけ出し、美術品を保護する。実話で、8人のうち2人の犠牲を出しながらも、危険を顧みず世界遺産を守るために力を尽くした。

有名な絵や彫刻がたくさん出てくる。ラファエル、ダ ビンチ、レンブラント、フェルメール、ベルギーのヘントにあるシントバーフ大聖堂の「ヘント祭壇画」、ベルギーのブルンジ教会にあるミケランジェロによる大理石の「マドンナ」。 撤退するドイツ軍が無造作にレンブランドやピカソを火の中に放り投げているシーンなど怒りで叫び出しそうになる。芸術作品に触れることで人は心を動かされ、魂を浄化させ、痛みを忘れ、生きる力を得る。芸術なくして人々の営みに、意味はない。かつても芸術家たちが、自らの命を紡ぐようにして作り出してきた作品を守り、次の世代の伝えていくことは、今を生きる人の義務でもある。この映画は 善良を絵にかいたような8人の「良い人」たちが、略奪や焼失から世界遺産を守った「美談」で、英雄的なお話だから、ちょっとうまく出来過ぎているような気がするけれど、感動せずにいられない映画だ。ジョージ クルーニーの監督した5つ目の作品。繰り返し観たくなる映画だ。


第3位
                    
「優しい本泥棒」 (BOOK THIEF)            
監督:ブレイン パーシバル
キャスト
ジェフリー ラッシュ:養父ハンズ
エミリー ワトソン :養母ローザ
ソフィー ネリス  :ライゼル

1月18日にこの映画の紹介を書いた。
1938年ベルリン。ヒットラーを総督とする軍部の力が日に日に増している。公然と赤狩りが行われ、共産党の活動家夫婦は、娘の安全を考えて、貧しいが正義感の強いぺンキ屋夫婦に娘を養女に出す。引き取られた13歳のライゼルは、字が読めなかったが養父の計らいで学校に通えるようになり、初めて本が読めるようになった。その貧しい家庭にユダヤ人青年が、助けを求めて転がり込んでくる。彼は教養人でライゼルにたくさんの知識を授けてくれて、少女は本が大好きになる。しかし社会はヒットラーのナチスドクトリンだけを読み、軍に忠誠を誓うために、どこの街角でも人々が本も持ち寄って焼きつくすイベントをくりかえす様になっていた。少女は読みたくて読みたくて仕方のない本が焼かれていくことに、ひとりで胸を痛めていた。やがて戦火が広がり、養父は徴兵され、ユダヤ人青年は別のところに逃亡し、養母も爆撃で亡くなり、、、というお話。

このライゼルが、紆余曲折を経てオーストラリアに渡り、年を取り、孫に自分の体験を語り聞かせた。その話を孫が書いて出版した同名の作品がベストセラーとなり、映画化された。
映画では、ナチズムの波が徐々に普通の人々の生活に浸透していく様子がとても怖い。人々が物を言うのを控えるようになり、互いに顔を見合わせて押し黙り、軍人が幅を利かせてくる。昨日優しかった人が、今日はナチ崇拝者になり、昨日までサッカーボールを蹴っていた少年が、少年隊の制服に身を包み声高らかに軍歌を歌い、本を焼き、同調しない者には軟弱者と決めて暴力をふるう。一夜のうちに何もかもが変わってしまう。そうした「集団ヒステリー」の渦に人々が巻き込まれていく様子が、リアルに描かれている。ジェフリー ラッシュとエミリー ワトソン、二人のオージー熟練役者が、戦時下の貧しく善良な夫婦を演じていて、素晴らしく本物みたいだ。13歳のソフィー ネリスも初々しい自然体で演じている。
「本を焼く」という人間の歴史が作り出してきた知の集積を否定する社会が、どれほど愚かなものだったか、を強く訴えている。優れた反戦映画だ。


第4位

フラワーオブワー (FLOWER OF WAR)
監督:チャン イー モー
キャスト
ジョン神父:クリスチャン ベール

8月2日に、この映画の映画批評を書いた。
日本で非公開の映画。1937年日中戦争では日本軍による首都南京陥落によって、14万人が虐殺、2万人の女性がレイプされた、と言われている。チャン イーモーが、これを背景に映画を制作した。「人のために生きてこそ本当に生きたことになる。」というトルストイの言葉を、そのまま映画にしたような良心的な映画。とても感動的だ。チャン イーモーは、「紅いコーリャン」、「レッド ランタン」、「初恋のきた道」、「英雄」などとても良い映画をたくさん撮っているが、この作品も彼の代表作に加えたい。とても完成度が高く、芸術的で、心動かされる映画だ。

南京は日本軍によって封鎖された。12人のクリスチャン学校の女生徒たちと、一人のアメリカ人青年が、南京大聖堂に避難している。そこに12人の娼婦達が、逃げ込んでくる。大聖堂の庭に国際赤十字の旗が敷き詰められているが、爆撃を免れず神父は亡くなり、たった一人のアメリカ人青年が日本軍兵士の襲撃から女生徒達を守ろうと苦心していた。始め、この地域に駐留してきた日本軍将校はクリスチャンだったので、彼は少女たちに讃美歌を歌わせて、戦火で疲れた心の渇きを癒していた。しかし日本軍大連隊が到着すると、彼は少女たちを幹部への貢物として、「供出」しなければならなくなる。登場人物すべてが生き残れる可能性がゼロに近い状況で、みんなが自分だけ生きるのでなく、他の人の為に生きようとする。映画のテーマは、ヒロイズムと自己犠牲だ。

映像が美しい。大聖堂のみごとなステンドグラス、粉々になってもなお光り輝き、清楚な少女達の大きく開かれる瞳、赤十字の赤い旗、娼婦たちのあでやかな美しさ、官能的な歌と舞、爆発で空に舞い上がる色とりどりの絹地、、、色彩の美しさが例えようもない。次々と人が死んでいく絶望的な状況にあって、映像の天才監督が、色彩あふれる美しい作品を作った。すぐれた反戦ヒューマン映画だ。

2014年12月22日月曜日

2014年に観た映画 ベストテン 第5位―第10位

                        
第5位:

「エクソドス 神と王」
監督:リドレイ スコット
キャスト
クリスチャン ベール:モーゼ
ジョエル エドガートン:ラメセス王

旧約聖書の「出エジプト記」を映画化した作品。「グラデイエーター」、「プロメウス」を制作した監督による1億4千万円かけて制作した3Dの超大型映画。同じ監督仲間で実の弟、トニースコット(トップガン、ビバリーヒルズコップなど)がカルフォルニア、サンペトロの橋から飛び降り自殺で亡くなったので、この映画を彼に捧げる、との前書きがあって、映画が始まる。
古代エジプトの強権のもと、奴隷となっていた60万人のヘブライ人を率いて、エジプト軍に反旗を掲げ、シナイ半島に脱出したモーゼの生涯を描いた作品。

BC1300年、エジプトのセチ王には、実の息子ラメセスと同い年の養子モーゼが居た。二人の息子は兄弟として仲良く共に成長し、国王の死後は、ラメセスが国王に、剣の立つモーゼがエジプト軍将軍となる。国土拡張の戦闘とピラミッド製作などのために奴隷がいくらでも必要だった。将軍モーゼが、戦闘で勝利を収めたパイソンの街を視察に訪れたモーゼは、エジプトの捕虜となったヘブライ人の長老から、実はモーゼはヘブライ人だと言われる。エジプト人の誇り高い勇士モーゼは自分の血の由来を聞いて激怒する。しかしその日から自分の中で疑問が湧き上がって長老の語ったことが耳から離れなくなる。やがて、密告者が現れ、モーゼの出生の秘密が暴かれて、彼はエジプトから追放される。
たった一人砂漠を彷徨い 山を越えシナイ半島にたどり着き迎えられた家で羊飼いとして生き、妻を迎える。9年後彼は神のお告げを聞き、エジプトの暴政下、抑圧されるヘブライ人の姿を目にして妻子を置いてエジプトに向かい、奴隷を組織して反乱を起こす、という旧約聖書のストーリー。

水が血となり、カエルの襲撃、ハエの蚤の襲来、家畜が伝染病で倒れ、石が天から降り、子供たちが次から次へと死んでいくシーンは、臨場感いっぱい。60万人のヘブライ人を率いて追ってくるエジプト軍に押され、紅海を前に行く手を阻まれたモーゼたちが、海を渡っていくところが映画の見せ場だろう。チャールトン ヘストンが映画「十戒」で海を渡る時、海が二つに割れるところは、ちょっと漫画的だったが、今回クリスチャンが苦労して浅瀬を渡るシーンのほうが現実っぽい。チャールトン ヘストンの醜い顔は、モーゼ役には合っていたが、クリスチャン ベールのモーゼはハンサムすぎて、笑顔が可愛すぎて、モーゼっぽくない。

でも今年最大の資金をかけて制作された超豪華3Dの大型映画だし、役者の中で最も役者魂をもったクリスチャン ベールが主役だし、せっかくだからベストテンに加える。エジプト人なのに色の白い青い目のオージーなまりのジョエル エドガートンがエジプト王、ブラウンヘアでロンドンなまりのクリスチャン ベールがエジプト軍将軍をやっているのは、史実に忠実ではない、などといっている外野もいるみたいだけれど、彼らが主役じゃなかったら誰が聖書物語など観るか。
このような大型映画は映画館のうんと前の席で、画面からバッタ襲撃シーンでは全身痒くなり、戦闘シーンでは血しぶきを浴び、紅海の水しぶきかかかってくるくらいの迫力を感じながら観るのが正しい見方だ。


第6位

 
                        
「それでも夜は明ける」
製作:ブラッド ピット
監督:ステイーブ マックイーン
キャスト
キエテル イジョ―ホー:ソロモン
ブラッド ピット:建築士
ベネデイクト カンバーバッチ;ファーム家主

3月11日に、この映画の紹介を書いた。
原作「12YEARS SLAVE」は、150年前ソロモン ノーサップによって書かれて出版された。ニューヨークで自由の身であった大工、ソロモンが誘拐されて南部に送られ、12年間奴隷として働かされた自分の記録だ。この本はその後のアメリカ市民戦争に大きな影響を与えた。

1841年ニューヨークで家庭をもち大工として働き、バイオリンの名手でもあったソロモンは騙されて南部のルイジアナのコットンファームに売られていった。南部の農家では綿を摘み取る奴隷がいくらでも必要だった。奴隷は自由を奪われ、白人家主の虐待を受けながら、過酷な労働を強いられる。自分が自由の身で、奴隷ではないなどと南部で訴えても、誰も耳を貸さない。救いようのない状況で希望を失っていく、足枷手かせで生きる底なしの絶望が伝わってくる。カナダ人の建築技師の奔走によってソロモンは助け出されるが、彼を見送るファームの奴隷たちは、もっと悲惨だ。

奴隷と同じ肌の色をもった自由黒人とはいったい何だったのだろう。肌の色に関わりなく誰もが同じ人権を認められるようになるまでの、気の遠くなるような人権回復への道。彼の自伝は、ストウ夫人が「アンクルトム」(1854年)を書く契機になり、やがて市民戦争を経て、奴隷が解放され、さらに黒人人権運動に結実していく。そして、いまだに人種差別はなくならず、黒人の少年が白人警官に殺されている。なんという罪深い世界だろう。


                               
第7位

「ウルフ オブ ウォールストリート」
監督:マーチン スコセッシ
キャスト
レオナルド デカプリオ:ジョーダン ベルフォ―

2月7日にこの映画の映画批評を書いた。
学歴もコネもない証券会社に勤めていた男が26歳で、ブローカーとしてウォールストリートで成功、巨万の富を得る。年収60億円を稼ぎ、栄華を極めるが収賄と株の不正取引で逮捕され何もかも失うという実在人物のお話。3時間の長い映画で21秒に一度「F-CK」言葉が出てくる。その数506回。デ カプリオが裸の女の肛門にコカイン粉を振りまいて、それを鼻で吸引するところから映画が始まる。禁止用語の吐き捨て、ヌードシーン、暴力シーン、ドラッグシーンのてんこ盛り映画。粗悪株を嘘八百並べて年金生活者に売りつけて、わずかな蓄えさえ情け容赦なく取り上げて集めた金をスイスでマネーロンダリング、自分の会社の社員にストリッパーのドラッグパーテイーを功労賞に、小人症に滑稽な真似をさせて笑いをとり、女性社員の髪をバリカンで剃って大はしゃぎ、仕事中に机の下に娼婦をはべらせジッパーを開けさせる。公然と弱者を馬鹿にして障害者を笑いものにする。男の下劣な欲をこれでもかこれでもかと見せてくれる。人としても品性も教養も誇りもない。成り上がり者の俗物極致、金銭至上主義で、下衆の消費中毒のアメリカ人の極致。

そんな男が250人の社員の前で演説を始めると熱が入り、アジりまくって社員全体が興奮して総立になって熱狂する。ここまで下劣な俗物下衆男になれるものかと、あきれて言葉もないが、そんな男をデ カプリオが実に楽しそうに演じてる。どんな役でもものにしてしまう、実力をもった役者だ。彼が演じた映画は全部観ているが、どんな作品でも徹底して役にはまっている。ジョーダン ベルフォ―はくずだが、役を演じたデ カプリオは一流。
 


第8位

                          
「ダーク ホース」
監督:ジェームス ナビア ロバートソン
キャスト
クリス カーテイス :ダーク ホース
ジェイムス ロレントン

12月12日に、この映画の紹介文を書いた。
ニュージーランド先住民族のマオリ出身で、ダークホースという愛称で慕われたチェスのチャンピオン,ジェネシス ポテイ二のお話。彼は幼い時に自閉症と診断され、家族やコミュニテイーから切り離されて、施設で育ち、大人になった。チェスだけを唯一の友達にして成長したあと、国を代表するチェスのチャンピオンになった。
彼は中年になってやっと施設から出所を許され、弟の家に居候をしてその息子に出会う。ギャングの根城で生まれて育った少年だ。孤独が当たり前のダークホースが、道しるべを探して彷徨う少年の魂を引き寄せる。二人の孤独な魂。マオリの文化、習慣が随所に出てくる。マオリ独特のマッチョ文化、だいたい女が全然でてこない。唯一、ダークホースに「お母さんに会いたかった。」と言わせているだけ。
先住民族マオリとは、どんな人々なのか、百科事典で見るより、こうしたマオリの映画を観たほうがよく理解できる。マオリの映画、というだけの理由で、この映画を観る価値がある。


第9位
「トラックス」(道程)                 
オーストラリア映画                     
監督:ジョン クーラン
キャスト
ミア ワシコスカ  :ロビン デビッドソン

3月14日に、この映画の映画批評を書いた。
1977年、ロビン デビッドソンという20代の若い女性が単独でオーストラリア中央のアリススプリングから西海岸ジェルトンまでの2700キロの砂漠を走破した記録を再現した作品。4頭のラクダと犬を連れて9か月かけて、彼女は一人で砂漠を歩き切った。途中数か所で、ナショナルジェオグラフィックに撮影された写真は、その後本になって出版された。

360度砂ばかりのオーストラリアの原風景が、素晴らしい。過酷な旅路だが自然の美しさに圧倒される。彼女は、人との関係を作るのに不器用な、何が悪いわけでもないのに心を開いて人と関係をつなぐことが得意でない。子供の時、母親が自殺して、親戚に引き取られていくために、生まれてからずっと一緒に寝起きしてきた親友の犬を安楽死させられた。そのことがずっと心の傷になっている。大人になって信頼できる父親も友達もいるが、孤独が好き。人といるのがわずらわしい。そんな女の子がひとりきり、自分の犬を連れて冒険の旅に出る。生きて帰れないかもしれない砂漠のただ中で、9か月。まねのできないことだ。

実在のロビンはまだ60代の美しい人だ。映画ではこの役を、ミア ワシコスカが演じたが、「プリテイーウーマン」のジュリア ロバーツが演じる予定だったと言う。ロバーツのほうが本人に似ているが、決して笑わない、いつもふてくされているみたいな表情のオージー俳優ミアが演じていて、それなりに良かった。本人は、マスコミ嫌いで 砂漠単独走破記録を出した後は、全くマスコミの登場しないで、ひとりマイペースで生きている。そんな自分の人生を生きている姿が清々しくて、好感がもてる。 


第10位

「ザ ドロップ」           
キャスト
トム ハーデイー:ボブ
ジェームス ギャンドルフィー二:マービイ
ノオミ ラパス :ナデイア

ボブはニューヨークで、従兄が経営する酒場のバーテンダー。チェチェンからきた移民だ。酒場は一見すると地元の人々の気の置けない飲み屋だが、カウンターには穴が開いていて、犯罪で巻き上げた金を「ドロップ」する場になっていた。ボブは前科もあるが、日曜には教会に行くような、どこにでもいるような好青年だ。ある夜、アパートのゴミ箱に怪我をして捨てられた子犬を見つけて、そのアパートに住む女の助けを得ながら犬を世話することになる。しかし女には別れた男がいて子犬を傷つけて女のゴミ箱に捨てたのはこの男に仕業だった。男は執拗に女とボブに付きまとう。一方、酒場に強盗が入りドロップされた大金を奪われる。そのためにマフィアの元締めは、ボブと従兄のマービイを追い詰める。実はマービイが強盗犯だった。酒場の従兄に裏切られ、犬と女のことでチンピラにまといつかれて身動きができないボブは、、、
といった犯罪映画。

ニューヨークのマフィアの空恐ろしい存在。チェチェンギャング組織、それらの手足となるチンピラたち、くたびれて収賄に弱い警察。暴力と銃が当たり前のアメリカ社会を描いた今日的な映画。映画を観ていて初めから最後まで不安と緊張が続いていて、いつどんなに怖い場面を見せられるのか、はらはらし通しだった。主役のボブが笑顔さわやかな、口数の少ない好青年なので、なおさら次はどんな事態で残酷な事態が起こるのか身構えていたので、映画が終わったときは、ぐったり疲れていた。ニューヨークに住むって、こんな感じなのか、なんかわかったような気がする。

虫も殺せないような感じのトム ハーデイが好演している。相手役のノオミ ラパスはスウェーデン人で「ミレニアム ドラゴンタットーの女」シリーズで主演した。人の百倍くらい苦労してきた勝気な女の役がよく似合う。酒場の主人をやったジェームス ギャンドルフィー二は、この映画に出演したあと心臓発作で51歳で亡くなった。ギャング役をやるために役者になったような風貌だが、まだこれから晩年のリノ バンチェロとか、ジーン ハックマンがやったみたいな渋い役で良い味を出せたのに残念。合掌。
      
 

2014年12月12日金曜日

映画 「ダーク ホース」

                          

ニュージーランド映画
監督:ジェームス ナピア ロバートソン
キャスト
ジェネシス:クリフ カーテイス
マナ   :ジェームス ローレストン

この映画は、ニュージーランドの先住民族マオリ出身で、チェスのチャンピオンになったジェネシス ポテイ二の実話だ。彼は輝かしい全国チャンピオンの座を獲得したが、実は幼いうちに自閉症と診断され施設に入れられて家族と暮らすことも、学校に通うことも叶わなかった。何度も警察の世話にもなっている。映画では、マオリの映画ということで、マオリの人々の暮らしや独特の音楽や文化や習慣などを見ることができる。社会のマイノリテイーゆえに、「バイキー」と呼ばれるモーターバイクを連ねて走り回り、ドラッグなどの不法取引で生計を立てる人々が出てくる。今日のマオリの姿について何の知識もない人には,良きガイダンスになる。だからこの映画は、マオリの映画だというだけで観る価値がある。

オーストラリアに住んでいると、人々がニュージーランドを自分達の兄弟国と考えているのがよくわかる。文字通りの「マイト」だ。同じように英国領だったし、二つの大戦を英国軍として一緒に戦った上、いまだ英国女王を国の元首に据えている。ニュージーランド人(キウイ)がオーストラリアで学び、働くために、税金や国民保健や年金などでオーストラリアと同様の恩典があるので、若い時にオーストラリアに出稼ぎに来て、そのままオーストラリアに住み着く人も多い。オーストラリアの人口:2300万人。ニュージーランド450万人。二つの国では共通点のほうが多いが、先住民族に関しては異なる。オーストラリア先住民族アボリジニーと、ニュージーランドの先住民族マオリは、外見が似ている点も多いので同じ先祖かというと、これが全然ちがう。アボリジニはオーストラロイドという独立した人種だが、マオリはポリネシア人でクック諸島やタヒチなどから航海で渡ってきた人々だ。人種には、オーストラロイド、ネグロイド、モンゴロイド、コーカソイドに分けることができて、皮膚の色はこの順番で色が白くなっていく。最も黒色の濃いオーストラロイド、アボリジニは先住民族の中でも最も古い5万年から12万年前からオーストラリア大陸に定住していた。その数は100万人ほど。1788年にイギリスによるオーストラリアの植民地化が始まり、アボリジニーは入植者の狩猟対象となって虐殺されていく。なまけもの(入植者と価値観が違う)で、奴隷として働かせられないので、野獣と同じ「駆除」の対象になった。

マオリは、むざむざ絶滅寸前まで「駆除」されたアボリジニーと違って戦闘的、好戦的な性質を持っていてカニバリズムの歴史もあった。アボリジニーがオーストラリアの総人口の内たった2%弱なのに対して、マオリはニュージーランド総人口の15-20%に当たり、都市部では30%にもなり、同じ先住民族でも割合がずっと大きいので、マオリ文化抜きに、今のニュージーランド文化はないと言っても良い。ニュージーランド国歌は、はじめマオリ語、続いて英語で歌われる。ニュージーランド代表のラグビーチーム、オールブラックスは、試合前に必ず伝統舞踊「ハカ」を踊り、敵を目前にして「殺せ、殺せ」と威嚇する。シドニーに暮らしていて、ラグビーやオーストラリアンフットボールやボクシングを見ると、マオリ出身の沢山の選手が活躍しているのがわかる。また盛り場のクラブのガードマンや、銀行から集金して回る警備会社の人など、多くはマオリの筋骨隆々のお兄さんだ。すごく強い。

余談だが、外国旅行者むけのストリップ劇場で、日本人青年が酔って踊り子に触ろうとして、マオリのガードマンにパンチを食らって、病院に運ばれたことがあった。通訳に呼ばれて駆けつけてみると、青年は1発のパンチで上下顎関節が粉々になっていて、一本残らず歯がばらばらに壊されていた。上下総入れ歯と、顎の骨がきちんと整形できるまで何度も手術を繰り返し、彼は2か月近く流動食で命をつながなければならなかった。マオリのお兄さんとは喧嘩しない方が良い。

とはいえオーストラロイド、ネグロイド、モンゴロイド、コーカソイドはみんな混血が進んでいてごちゃごちゃになって明確に自分がどんな割合でどこに属するかわからない人も多い。人種が混じり合うことは自然のなりゆきだから、自分が属する言語と文化を大切にしつつ、自分の場所で自分の生き方をしていくことが大切かもしれない。世の中にはたくさんの文化があり、たくさんの言語がある。自分が使う言語、自分のなじんだ文化以外の言語や文化を自分のものとおなじようにリスぺクトして生きていくことが肝心だ。

映画のストーリーは
ジェネシスは、子供の時にほかの子供たちと少し違うようだ、と人に言われて病院に連れていかれて精神病院に入院させられた。そのまま家に帰って母親に抱かれることも、学校に行って同じ年齢の子供たちと遊ぶこともなく成長した。一人、幼いとき兄から習ったチェスを唯一の友として成長し、やがてジュニアになると、チェスのジュニア全国大会で優勝した。大人になってから病院を抜け出して街をうろついていると、必ず警察に探し出されて連れ戻される。そんなことを繰り返しているうちに彼も年をとり、身柄引き受け人がいれば施設を出られることになった。ジェネシスは自由になりたかった。たったひとりの身内となった兄に泣いて頼みこんで施設から出所する。兄はオークランドから少し離れた町を根城にするギャングだ。一人息子のマナが17歳になるとき、別のギャング仲間の家に養子に出す約束になっている。しかし息子のマナは暴力が嫌いな、気の優しい少年だった。ジェネシスとマナはすぐに仲が良くなる。

ジェネシスは街の子供たちにチェスを教えて、ジュニアチャンピオン戦に出場させることに決める。彼にできることはチェスだけだ。マナもチェスが大好きだ。そんなジェネシスに腹を立てた兄は、ジェネシスを家から追い出して、息子をギャング仲間に引きずりこむ。争いが嫌いなマナは、家を出されて公園に寝泊まりするジェネシスの後を追う。ジェネシスは子供たちに勝つためのチェスを伝授する。数か月が経ち、チェスの優勝戦と日となった。ジェネシスと子供たちがオークランドのチェス勝ち抜き戦の会場に行ってみると、びっくり。選抜戦に出場するジュニアたちは、私立の中学校に通う良家の子女ばかりだった。きちんと制服を身に着けたジュニアたちに迎えられて、小さな田舎の町から来て、貧しい服を身に着けたマオリの子供たちは、いやでも自分たちの肌の色を意識せざるを得なかった。それでもゲームが始まれば、ジェネシスにコーチされてきた子供たちは、たちまち元気を取り戻す。負けることを知らない。優勝決定戦に誰が勝ち抜けるのか、、、。というお話。

主役のクリフ カーテイスは、日本でいえば若いころの高倉健のような人。マオリの精悍な顔をした人だが、自閉症の患者を演じるにあたって目いっぱい太って、前歯などボロボロに欠けて間の抜けた顔になっている。殺されても仕方がない覚悟で、ギャングが立ちはだかる中を、マナを連れ出してくるシーンは、この映画の見所だろう。ジェネシスとマナという孤独な魂が融合する瞬間だ。子供はみんな生まれてきたときに、すでに特徴にある性格を持って生まれてくる。温厚で気の優しい子供に暴力の掟が通じるわけがない。それをわかっていて、社会のマイノリテイとして、ギャングとして生きることしかできなかったジェネシスの兄の悲哀も描かれる。
ストーリーは単純だが、こういったマオリの映画は、マオリ文化の案内者となってくれる。百科事典で 「マオリ」とは、という項目を読むより、この映画を見るほうがずっとわかりやすい。だから、こういう映画はマオリの映画というだけの理由で見る価値があると思う。

http://www.palacecinemas.com.au/movies/thedarkhorse/