2014年2月27日木曜日

オノ ヨーコ展 「ワー イズ オーバー」イン シドニー



          





前衛芸術家が一般の人々に受け入れられ、理解されるようになるためには、長い長い時間が必要だ。紺碧の空を突き抜けていくような、明るく輝く楽曲を作り出したモーツアルトが、貧困のどん底で死ななければならなかったのも当時としては前衛的な楽風が、人々に理解されなかったからだ。ダダイズムやキューレーターたちが、生きている内に人々に受け入れられて、作品を愛されたとしたら、それはとてもラッキーなことかもしれない。

ビートルズが大好きな人は、前衛芸術家、オノ ヨーコが大嫌いな人が多い。ビートルズを解散させた張本人で、ジョン レノンをたぶらかしてビートルズの音楽活動を停止させ、ジョンの死後はジョン アンド ポールの曲を、ポール アンド ジョンと書き換えたポール マッカートニーを訴え、他の誰とも妥協しようとしなかった。アバンギャルト芸術家の理解しがたい考え方や、奇妙な行動、度肝を抜くような姿、道路脇のゴミ箱から拾ってきたものを展示しているような数々の芸術作品。どなって叫ぶばかりのロック風音楽、すぐ裸になってみせる過剰なパフォーマンス、、、何やってんのかわかんないよ、の世界なのだ。

ジョンが死んで30年余り。いま80歳のオノ ヨーコが、70歳を過ぎたころから、やっと人々に理解され徐々に受け入れられてきたことは 嬉しいことかもしれない。彼女は世界各地で「ラブ アンド ピース」のメッセージを伝えるために個展を開いて、勢力的に 制作し活動している。ダンス・クラブ、プレイの分野では、彼女が作曲した作品がビルボードチャートに何度も第一位になった。その数、10曲。ゲイカップルを支持して、「ゲイ ウィデイング」を作曲し、ヒットチャート第一位になったのは、彼女が71歳のときだった。2009年には 世界的な現代アートのべエチアビエンナーレで、生涯業績部門で金獅子賞を受賞した。「ラブ アンド ピース」賞で獲得した500万円をパレスチナとイスラエルの若い芸術家育成にために寄付した。2000年、ジョン レノンミュージアムをオープン、2006年、トリノ オリンピックの開会式で歌を歌い世界平和を訴えた。

シドニーで、「ワー イズ オーバー」オノ ヨーコ展が開催されたので、行ってきた。オペラハウスを正面に、シドニー湾を広く見渡す港の一角に建てられた現代美術館の、特別展示室6室を使って、彼女のフィルム、彫刻などの作品25点が展示されていた。広々とした展示室は、自然の光が良く入り、明るく、意外にも音が全く流れていなかった。

1)「カット ピース」(1964・2003)
入口近くに大きなスクリーンが二つあって、フィルムが上映されている。ひとつは1964年ロンドンのパフォーマンス、もう一つは2003年のパフォーマンスフィルム。正面を向いて、椅子に座ったヨーコの着ている服を 複数の人々が大きなはさみで切っていく。ヨーコは終始無表情で完全に裸になるまで、じょきじょき服が断ち切られていく。ヨーコは1964年のころジャン ポール サルトルに傾倒していて実存主義に立ち、人間としての普遍的な苦悩をどう表現するかを模索していた。作品を通してヨーコは自分の内部の苦痛を訴えている。この作品は世界各国で上演されていて、ロンドンでは熱狂した観客が暴力的になって、パフォーマンスの最中ヨーコが警備員に保護、助け出される場面もあったという。作り手と観客との隔たりを無くそうとしたヨーコは、作り手も観客も一緒になって融合してこそ作品が生まれると考えていた。1964年と2003年の二つのフィルムが、同時進行の形で上映されていて、若いヨーコと70歳のヨーコが同時に見られるが、実は40年間の年月経過によって何も変わっていないことがわかる。少しも年を取らない、ゆるぎないヨーコの内面精神に、改めて驚かされる。

2)「プレイイット バイ トラスト」 (1966。2013)
部屋に、6つの白いチェスのテーブルと、12客の椅子がセットされていて、「どうぞチェスで遊んでいって」と。座ってみると、どちらのチェスの駒も白い。ゲームを進めていくと、自分の駒がどこまで進んでいったか、相手が攻めているのか、自分が勝っているのかどうかさえも わからなくなってくる。ジョンとヨーコが、この白い駒のチェスをやっている写真を、大昔見たことがある。人には敵も味方もない。争わなくても人と人とは信頼し合ってゲームを楽しむことができるという実験だ。1966年にロンドンでこの作品の展示を見た、ジョンがヨーコに興味をもった切っ掛けになった作品だそうだ。

3)「テレフォン イン メイズ」(1971.2013)
プラスチックの大きな迷路になった部屋ができていて、中に電話がひとつ。靴を脱いで中に入り迷路に迷いながら電話にたどり着く。この電話に、ニューヨークに居るヨーコが週に一度くらいの割で電話をかけてくるそうだ。運の良い人は彼女と禅問答みたいな会話ができるという。中で、しばらく待ってみてニューヨークに念力を送ってみたが効かなかったみたい。

4)「クリケット」(1998)
天井からたくさんのコウロギを入れる竹かごが吊るされていて、近付くとコオロギの鳴き声を聞くことができる。

5)「ウィンドウズ」(2009.2013)
広く開かれた窓は、オペラハウスを真正面にして、海に向かっている。窓の下には、大きな旅行鞄。窓を通して心が外に広がっていく。気持ちが解放されていく。

6)「マイ マザー イズ ブュ―テイフル」(2004.2013)
壁いっぱいに自分の母親へのメッセージを書いて貼り付けるようになっている。すでに何百枚ものメッセージで壁は一杯だった。お母さん大好き、というようなメッセージから、母親への不平不満を並べたものもあって、ながめ渡してみると楽しい。ヨーコは自分が母親にあまり愛情を示してあげることがなかったので、天国にいる母親にメッセージを送っているのだという。

7)「イマジン マップ ピース」(2003.2013)
大きな世界地図が壁いっぱいに張ってあって、スタンプがいくつも机に乗っている。自分が祈りを込めて平和を願う地域にスタンプを押していってください、と。パレスチナにひとつ、南スーダンにひとつ。それから、、、アフガニスタン、チベット、エジプト、ウクライナ、、、考えてみたら日本も含めて平和な場所などどこにもなかった。ほとんど、地図上でスタンプのないところなどない世界地図を改めて見入る。

8)「ヘルメット」(2001.2013)
天井からいくつものヘルメットが吊るされている。ドイツ兵のヘルメットだ。逆さに吊るされたヘルメットの中に、青い色のジグゾーパズルがいっぱい入っている。「青空のかけらを持って行ってください」、とある。3つほど取ってポケットに入れる。たくさんの兵士が死んで、からになったヘルメットは空に向かって何を訴えたのだろうか。

9)「タッチ ミー」(2008)
シリコンでできた女の体、「唇」、「乳房」、「腹」、「大腿」、「足」が並んでいて、来た人はまず温かい水で手を濡らしてから 次々と体の部分を触っていく。私が行ったときは足のひとつの指がちぎられて無くなっていた。この作品を初めてニューヨークで展示した時、体の部分部分が形をとどめないほど破損したので展示会側が作品を撤収するように提言したが、ヨーコは、この破損した姿が今日の暴力にさらされている女の真の姿だといい、撤収を認めなかったという。

10)「ドア アンドスカイ パドル」(2011)
大きな部屋いっぱいに 木のドアがたくさん床に置かれたり、角に立てかけられたり、天井からつるされたりしていて、ドアの横に空を映した水溜りが展示されている。ドアは私たちの心の境界線を表していて、必要なのは勇気をもってドアを開けて通り抜けることだ、と言っている。

11)「エンデンジャー スぺシイズ」絶滅危機にある種 (2319.2322)
4人家族の人々と一匹の犬が、打ちひしがれたように、うなだれて下を向いている、実物大の彫刻。ベンチに座った家族は肩を落とし、希望を失って悲しみに満ちた顔をしている。4人の家族のそれぞれの手には、死亡した人につけられる名前カードが取り付けられている。何という暗さ。
ヨーコは環境保護運動にも積極的にかかわってきたが、現在アメリカで盛んにおこなわれているシェールガス掘削が、深刻な地球環境を破壊するとして、反対している。地球の死は人類の死だ。それが2319年から2322年に起こると予想している。事実、シェールガスの掘削は 今後の地球環境に大きくかかわってくるだろう。世界の環境を壊しているのは、中国の大気汚染ではなく、アメリカのシェールガスなのだ。ヨーコの指摘は正しい。

12)「ウィー アーオール ウォーター」(2006.2013)
大きな部屋の一方の壁に沢山のウォーターボトルが並んでいる。プラスチックボトルにはラベルが貼ってあって、ヨーコのちんまりした字で ボトルに名前が書かれている。私たち人間がみんな名前は違うけれどみんな一様にただの水を入れた容器にすぎないではないか、と言っている。ラベルを見ていくと有名人や学者や、芸術家の名が並んでいるけれど、ジーザス クライストの名も 同じように並んでいる。キリストも自分も他の人々もみんなただの水でできた容器です、と、、。この作品が私はいちばん好きだ。

13)「フィルム」
別にフィルムルームがあって、大型スクリーンで、ヨーコの作品を次々と見せている。フィルム「ボトムズ」お尻(1966)は、ヨーコの作ったフィルムでは一番有名かもしれない。男、女、年齢などに関わらず、様々な人のお尻を後からとったフィルム。画面いっぱいに移された、誰ものものかわからないお尻が延々と続く。人の無防備なお尻は、一番人間らしい姿かもしれない。

14)「ウィッシュ ツリー}(1966)
ユーカリの木がプランターに植えられて現代美術館の屋上テラスに置かれている。それぞれの人が、紙に自分の「ねがい」と書いて紐で木に吊るすことができる。3本の大きな木に何百という「ねがい」がくくりつけられていた。日本の七夕の短冊にヒントを得ているが、オーストラリアでは珍しいからか、展示会に来た人はみな、ここで願いを書いて立ち去っているようだった。「人に迷惑をかけずに老いて死んで行けますように。」これは私の世代の誰もが切実に望んでいることかもしれないから、ベビーブーマーを代表して書いて、吊るしてきた。おりしもシドニー湾には、大型豪華船エリザベス2号が停泊しており、オペラハウスが正面に佇む美しい眺めをバックに、たくさんの人の「ねがい」をつけたウィッシュツリーは 海風を受けて涼しそうに揺れていた。
80歳のオノ ヨーコの「ワー イズ オーバー」(戦争は終わる、あなたが望めば)。とても良い展示会だった。

2014年2月14日金曜日

映画「マンデラ」とマンデラの土地開放政策の失敗について

                                                                                                       
映画「マンデラ 自由への長い道」
原題「MANDELAー LONG WALK TO FREEDOM」
英国、南アフリカ共同制作
監督:ジャステイン チャドウィック
キャスト
ネルソンマンデラ:イドリス エルバ
ウィニー     :ナオミ ハリス
ウオルターシスル:トニー キゴロキ
ゴヴァン ムベキ:ファナ モコエナ

2013年12月5日、ロンドンでこの映画の上映会に、英国皇太子ウィリアムと妻、キャサリンも招待されていて、鑑賞中に95歳のマンデラの死が伝えられ、その場で、全員が黙とう、皇太子ウィリアムが即席で追悼のスピーチをした、という。
映画は、若い日のマンデラが、ヨハネスブルグで、数少ない黒人の弁護士をしていた1942年ごろから大統領になるまでの時期を描いた、マンデラ自身の自伝を映画化したもの。
若いマンデラは、黒人が次々と不法逮捕され弾圧されている中で、人権派の弁護士として活躍している。体が大きくボクシングで汗を流し、人々から信頼されて、女からも人気がある。少数白人による圧政下にあって、黒人たちの不満は抑えきれず、あちこちでストライキが頻発する。劣悪な労働条件を改善させるためにアフリカ民族会議(ANC)が勢力を伸ばしていて、マンデラも当然のように、組織に加入する。徐々に、アパルトヘイト政策が露骨になって、黒人組織への弾圧が厳しくなってくると、ANCは、政府と軍への抵抗から、さらに武装闘争へと路線を急進化させる。マンデラは、先頭に立って、政府の公共施設に爆弾を仕掛け、ゲリラ戦のリーダーとなっていく。その過程で、家庭は破たんし、妻は二人の息子のうち長男を残して、出ていく。そして、マンデラは黒人で初めてソーシャルワーカーになった、ウィニーに出会い、再婚する。武装闘争を主導するマンデラら、ANCの主要幹部は地下に潜り、ゲリラ破壊活動を続けるが、ついに逮捕され、他の6人のメンバーとともに拘束される。

1964年、ANC幹部6人とともに、マンデラは国家反逆罪で死刑を求刑されるが、辛うじて死刑を逃れ終身刑を宣告されて、ロベン島刑務所に送られる。年に2通しか許されない家族との手紙のやりとり、、、岩を削り石を切りだす重労働の日々。その間にマンデラは、結核を患い、母親を亡くし、12歳の長男を亡くし、妻ウィニーの16か月にわたる逮捕、拘束を知らされることになる。27年間の月日が流れる。
こうしている間にも、国際社会では、南アフリカのアパルトヘイト政策への批判が強まってきて、国連からは公然と批判され、各国から経済制裁を受けて、バッシングは強まる一方だった。デクラーク大統領は、マンデラらANC幹部を釈放して、批判勢力を懐柔し、過激化する黒人解放運動の動きを封じようとする。1994年、マンデラらは、釈放されて、政府首脳部と話し合いの席に着く。マンデラは、民主主義に基付いて人種に関係なく黒人に白人と同じ権利、「一人一票」を与えることを主張する。一方、ソエトの黒人による暴動は、激しさを増すばかりだった。若い世代が暴徒化して止まる事がない。

マンデラはテレビを通じて国民に呼びかける。自分は27年間獄中にあった。黒人は長いこと白人から抑圧され、人として扱われてこなかった。しかし 私たちは仕返しをしてはならない。私は、白人が私に対してしたことを赦すことができる。だから、あなた方も赦すことができるはずだ。人は肌の色や育ち、信仰の違いを理由に人を憎むように生まれてきた人はいない。人は憎しみを学ぶ。もし、憎しみが学べるならば、赦して、愛することも学べるはずだ。憎むことを止めなさい。憎しみは何も生み出さない。復讐することを止めなさい。街に出て暴力をふるうことを止めなさい。人には愛があるはずだ。家に帰って、心を静めてそして、1票を選挙で投じてください、、、。マンデラの訴えは、人種に関係なく人々の心を打った。やがて1994年、民主的に選ばれた初めての黒人の大統領が南アフリカに誕生する。というお話。

役者マンデラを演じたイドリス エルバは、ロンドン生まれの英国英語を話す役者で、映画監督で歌手で、ラッパーでもあるけれど、この映画では、完全にマンデラの口調で、話していて、声もそっくりだった。ウィニーを演じたナオミ ハリスもロンドン生まれ、ケンブリッジ大卒の女優で、2012年には007「スカイフォール」のボンドガールを演じた美女だ。夫マンデラのいない間に、権力への憎しみをつのらせて、警察に連行され暴行を繰り返し受けて急進化していき、マンデラの穏健政策とは相いれなくなって離婚せざるを得なくなっていく過程は、せつなく哀しい。
余りに偉大な人の自分で書いた自伝を忠実に映画化した作品だから、もんくの言いようがない。この映画の公開が、彼の死の時期に重なった。

マンデラが入退院を繰り返すたびに、マスコミが大騒ぎして醜かった。オーストラリアには公営ニュース2局、民間ニュースが3局あるが、それぞれがマンデラの病状に変化があるたびに記者、カメラマンを現地に派遣していて、世界中からもマスメデイアがハゲタカのように、何千人と集まって来ていて、あさましい。なぜ彼の尊厳に敬意をこめて、そっとしておけなかったのか。彼の残した「人種差別のない国」、「虹色の社会」、「赦し」といった、きれいな言葉だけが繰り返されて、いつの間にか世界中がマンデラファンになっていて異様だった。白人が得意げにマンデラの「赦し」を語り、差別のない社会を説く姿がうとましい。差別を受けた側の痛みを伴う「赦し」と、特権を謳歌してきた側の「赦し」との間には、天と地ほどの隔たりがある。

マンデラが語った「赦し」、差別されてきた怒りを鎮め、憎しみを捨て心安らかに愛を持って赦そう、そして差別のない虹色の社会を作り出そう、という理想を受け継ぐことは大切だ。そういった彼の思想は崇高で、人間の尊厳に満ちた理想だ。しかし、残されたものは思想を継承すればそれでよいということはない。マンデラがしようとしてできなかったことを実現することが、真の継承ではないか。

1994年マンデラは大統領になり政権を取り、土地開放をしようとしたができなかった。当初、白人所有の農地のうち30%を黒人に農地解放する予定だった。その後、20年たっても4%の土地しか再分配されていない。国土の87%を5万人の白人が所有している。新政府は強権をもっては白人の土地を取り上げず、土地分譲を自由意志にまかせたため、誰も自ら土地を黒人に分配する白人農場主はいなかった。何万件もの土地返還請求が出されたが、認められたのはわずか1%だった。政府は白人農場主が農地をひとつ譲るごとに、最高約4600万円もの費用でそれを買い取り黒人に分配する予定だったが、そのための費用を政府は出していない。黒人が土地を買うために政府は最高約25万円まで補助金を出す予定だったが、その予算も使われていない。結果として白人農業主から分配されたわずかな土地は、すでに社会的に安定している少数の黒人のものになって政治的腐敗層を作り出す結果になっただけだった。

選挙前から、白人経営の6万5千にのぼる農場で働いてきた700万人の黒人就業者たちは、今までどうりの生活を続けていて、彼らにとって「土地開放」はなかった。1994年以前、土地を持たない黒人小作農民は 白人農家の農地で生まれて育って働いてきたが、1996年に小作人保護法ができると、小作農に支払わなければならない賃金が高くなって白人農場主は支出を惜しんで自分の土地から黒人たちを追い出す結果を招いた。そのため多くの土地なし黒人農民は生まれた土地を離れざるを得なくなった。土地を追われた人々は都市に流入し、ジンバブエなどからの不法移民と、深刻な対立をみせている。
現在の南アフリカは失業率46%。ヨハネスブルグは、いま世界中でもっとも危険な都市となり、毎年3000余りの人が殺人で命を落としている。また、HIV感染率も世界一。15歳から49歳までの成人HIV感染率は21,5%、国民の4人に一人の割でHIVに感染している。妊婦の29,5%がHIV陽性でもある。生まれてくる子供たちの未来はあるのか。

マンデラは農地改革、土地開放政策に失敗した。農業経済の自由化、市場開放に期待して強権を発揮しなかった。1994年に国土の90%を所有していた白人農業主から農地を強制的に取り上げず、白人農業主の自由意志で土地分譲を望んだ。しかし、強制的な土地の没収と、黒人への土地分配なくして農地改革はない。ジンバブエでは、ムガベ大統領が強権で白人農業主から土地を奪い、黒人に分配したため、農業技術を持たない農民が多量に出て農業生産が一挙に落ち、空前のインフレと食糧難を導いた。人々は餓えている。同じ過ちを繰り返さないために、農業政策として土地分配に先立って、黒人農業主の組合、互助組織を組織化し、農業技術教育が行われなければならない。また鉱業部門でも労働者の組合の組織化を進めなければならない。そういった国の経済基盤の民主化が進まない限り、差別社会は無くならないし、黒人による「赦し」もない。農地が分配されるまでは、「愛に満ちた虹色の社会」もない。マンデラの意志を継承するためには、まだまだ思い切った政策のためにたくさんの血が流れなければならない。

2014年2月7日金曜日

映画 「ウルフ オブ ウォールストリート」


            

学歴もコネもない、証券会社に勤めていた男が、26歳で自分の証券会社を設立、ウォールストリートでブローカーとして成功して巨万の富を得る。50億円近い年収を稼ぎ、栄華を極めるが収賄、株の不正取引でFBIに逮捕され、何もかも失ったという実在の人物のお話を映画化したもの。

監督:マーチン スコセッシ
原作:ジョーダン ベルフォー「ウォール街狂乱日記」
キャスト
ジョーダン ベルフォー :レオナルド ディカプリオ
ストラントンオークモンド社副社長:ジョナ ヒル
ジョーダンの妻ナオミ  :マーゴット ロビー
スイス銀行家 :ジャン デイュジャルダン
ジョーダンの父、会計士:ロブ ライナー

3時間の長い映画だ。
21秒に一度「FUCK」というマスコミでは使用禁止の粗暴な言語が出てくる。その数、506回。「GET FUCKING PHONE!」受話器を取って株を売って、売って売りまくれ、というわけだ。ディカプリオが、女の肛門のまわりにコカイン粉を振りまいて、ストローでそれを鼻から吸引するシーンで、映画が始まる。禁止言葉の羅列、ドラッグ、ヌードと暴力シーンが多いために、18歳以上でないと観られない。ドラッグはコカイン、マリファナ、アイスにエクスタシー、、と何でも出てくるし、女の全裸姿も嫌というほど出てくる。
粗悪株を 口八丁の巧みなセールスで、小市民に売りつけて老後のたくわえを情け容赦なく取り上げる。名もない会社の株を強引に売りつけて得た金をスイス銀行でマネーロンダリングする。250人の証券会社の社員に株の不正取引を伝授して、売上が達成できると、職場では40人の娼婦やストリッパーや楽隊やアルコールやドラッグが待っている。オフィスで馬鹿騒ぎの末、小人症の人を目標達成ボードに体当たりさせて面白がる。デスクに金魚鉢を置いているような軟弱社員から、取り上げた金魚を全員の前で副社長が呑み込んで見せる。会社を酷評した書類には皆の前でジッパー下げて、小便をかけて馬鹿にして見せる。お金が欲しい女性社員を社員全員の前でバリカンで髪を剃って大はしゃぎする。250人の証券マンが仕事中でも楽しめるように、娼婦達を職場において、机の下でもエレベーターの中でも、ジッパーを開けさせる。何でもありだ。
公然と弱い者いじめをし、障害者を笑いものにして、公共の場で平気でドラッグを吸引し、女性を性奴隷としか扱わない。人としてのモラルをすべて全否定してくれて、獣よりも下劣な男の欲をこれでもか、これでもか、と見せてくれる。いやー、、、悪酔いしそうでした。

監督のマーチン スコセッシはニューヨークのイタリア移民の街、リトルイタリーで生まれ、父親はシチリアからの移民一世、母親も移民の2世、子供の時からマフィアの本拠、シチリアの文化の中で育った。彼の作風は「徹底して見せる」ところだ。暴力シーンは徹底的に暴力的に撮る。情け容赦ない。彼の代表作「タクシードライバー」(1972年)、ボクシングファイターを描いた「レイジングブルー」(1980年)、イタリアマフィアの世界を描いた「グッド フェローズ」(1990年)を見ればその暴力の徹底ぶりがわかる。「ギャング オブ ニューヨーク」(2002年)など、アイルランド移民たちの手造りのナイフやナタで殺し合う血しぶきが飛び肉がちぎれるシーンなど、暴力描写が徹底している。
そして、今回の「ウルフ オブ ウォールストリート」では、無一文の男が事業に成功するとどれだけ馬鹿ができるかを徹底して描いてくれた。モデルだった美しい妻を持ち、子供たちに高い教育を受けさせ、家をいくつも買い、別荘、運転手付きのロールスロイス、自家用飛行機、船、とエスカレートしていき、ドラッグとアルコールをあびるように飲み、女遊びする。きりがない。ヌーボーリッチ、成り上がり者の俗物極致、金銭至上主義で、下衆の三流趣味。消費することが快楽でたまらない、消費中毒。人としての品性も、道徳も品格も、叡智もない。人格の尊厳も、上向志向さえない。でも、これがアメリカ人であり、アメリカの消費文化のなれの果てなのかもしれない。そういった男をスコセッシが徹底して描いた。

そんな男を演じたのは、ディカプリオ。「僕がこれだけのお金を手にしていたら環境保全のために使いたいよ。」と、のたまう、しごく真面目な役者だ。炭酸ガスを出さないバッテリー電池の自動車ハイブリッドが発売されたら、すぐに手に入れて売上宣伝に力を貸し、自然破壊を食い止めるための映画を自費制作した。この映画、アル ゴウ元副大統領の作った「不都合の真実」の影になって、あまりヒットしなかったが、カナダの環境保護活動家、デビッド鈴木博士のインタビューなどを含めた とても優れたドキュメンタリー映画だった。
環境保護活動家は、アメリカでは大企業から嫌われるから、スポンサーがつかない。ディカプリオは日本では人気があるが、アメリカでは実力に反して評価されずにきた、不遇の役者だ。映画史上最高の興行成績をあげた「タイタニック」を主演したにもかかわらず、相手役の女優ケイト ウィンスレットがアカデミー主演女優賞を取り、映画作品賞など、その年のアカデミー賞を総なめしたが、なぜか主演の彼だけが、何の賞も与えられなかった。「アビエーター」でも 相手役のケイト ブランシェットがアカデミー女優賞をとり、主演のディカプリオには、何も与えられず、また、昨年の「華麗なるギャッピー」でも、作品は受賞したが 主演の彼は、賞の候補にさえ挙がらなかった。ハリウッドでは、わざと彼だけを避けているのかと思えるほど、ディカプリオは、賞に関しては不運だった。今回のこの映画で、彼は初めてアカデミー主演男優賞の候補にされた。是非、受賞してもらいたい。「熱演」、というか、「怪演」している。

この原作を映画化する権利を、ディカプリオは、ブラッド ピットとの入札で競り合って獲得したそうだ。主役に求められる、「無教養で、節操のない上えげつない男」を、ディカプリオがやっても、ブラッド ピットがやっても、あきれるほどうまく演じたことだろう。
マーチン スコセッシは、この映画の前に、「デパーテッド」、「アビエーター」、「ギャング オブ ニューヨーク」、「シャッター アイランド」の4作で、ディカプリオを主役に使っている。よくできたコンビだ。中では、「シャッターアイランド」が一番好き。夢か現実か、わからない狂気の世界を彷徨うディカプリオがとても良かった。
スコセッシ監督の作品ではないが、「キャッチミー イフ ユーキャン」(2001年)という映画がある。高校生のくせに、ツイードのジャケットなど着て、先生に間違われれば、そのまま教壇で滔々と授業をやる。口がたつ天然の詐欺師だ。
今回の映画でも250人の社員を前に、演説を始めると熱が上がってきて、アジりまくる。彼のアジテーションに 社員全員が総立ちになり熱狂する。そんな役がとても 彼にはよく似合う。FBIが動き出したのを機に勧められて、社長業の引退を決意して、社員たちを前に涙ながら最後のあいさつをしていたのに、話し始めると止まらない。社員を叱咤激励するうちに、そうだ、引退なんか、くそくらえ。僕はこれからも仕事にばく進して、稼いで稼ぎまくるぞ ということになってしまって社員たちを熱狂の渦に巻き込んでしまう。このシーンが映画のクライマックスだろう。
金、女、ドラッグに固執する執念が、この男を駆り立てる。この役を演じたくて、版権を自分で買い映画化するのを待ち望んでいたディカプリオの執念が達成された。アカデミー賞受賞の価値はある。http://www.youtube.com/watch?v=AxFzStkGtX4