2013年5月30日木曜日

映画 「宿命」(プレイス ビヨンド ザ パインズ)

                                



アメリカ映画
原題:「THE PLACE BEYOND THE PINES」
監督:シアン フランス
キャスト
ルーク     :ライアン ゴスリング
ロミーナ    :エバ メンデス
息子ジェーソン:デーン デハーン
アベリー警部 :ブラッドレイ クーパー
息子AJ     :エモリ― コーエン

題名の「THE PLACE BEYOND THE PINES」という意味は、そのまま訳すと、松林の向こうの場所、ずっと遠くで到達することができない、自分には手の届かない場所のこと。でも、ここでは単純に、先住民モホーク族の言葉でいうと、 この先、ずっと行ったところのニューヨークを指す。
映画の内容から、題名の意味を深く考えると、自分が赤ちゃんのときに死んでしまった父親を追い求める少年の心を暗示している。あるいは、死んだ父親が、本当は自分が求めていて、手に入らなかった安定した暖かい家庭のことを同時に示している、とも解釈できる。

邦題の「宿命」という言葉が、ストーリーの内容に適しているかどうか疑問。宿命というと、唐獅子牡丹を背に彫った、高倉健がヤクザを引退したのに、義理ある人のために決死で敵の陣中に殴り込む感じ。避けようにも避けられない定めに生きる浪花節的な、ストーリーを思い浮かべてしまう。

ストーリーは
バイクスタントマンのルークは 命知らずの危険なバイク乗りのアクロバットショーを見世物にして、街から街へと移動して稼いでいる。昔、恋人が居た街に、再びやってきた。そこでロミーナと再会する。彼女は ルークにすげないそぶりを見せて、何も言わないが、彼女が育てている赤ちゃんが、実は自分の子供だったことを 人から知らされて、ルークは衝撃を受ける。子供のために 力になりたくて、勝手にショーをやめて、定住することに決める。そして、まとまったお金を子供に渡したくて、悪友と組んで銀行強盗を始める。ジェーソンと名付けられた赤ちゃんと、ロミーナと、つかの間の幸せを噛みしめて、すっかり父親の気持ちになっている。

しかし、どんなにバイクさばきが巧みで、逃げ足が速くても、銀行強盗がいつも成功するとは限らない。ある日、逃亡に失敗して、遂に新米警官に追いつめられる。ルークはもう逃げ切れないことを悟って、ロミーナに電話する。「子供に父親がどんな男だったか、息子には絶対言わないでくれ」、と。 ルークが撃たれたとき、彼は、銃を持ってはいたが、電話を手にしていた。先に撃ったのは、どちらだったか。相手が銃をもっているかどうか解らない内に 警官から先に撃てば、犯罪になる。新人警官のアベリーは、悪人にたち向かうヒーローになるか、自分の恐怖心から容疑者を殺してしまった犯罪者になるのか、真相に目をつぶってもらい、彼は自分を擁護する。相手が撃ってきて、止むを得ず、撃ち殺してしまったと。しかし、死んでしまった男にも 自分と同じ年の子供がいたことを知らされて、アベリーは良心の呵責に苦しむことになる。

時が経った。警察を辞めたアベリーは、官庁に勤めている。アベリーがルークを撃ち殺したことで、夫に批判的だった妻とは離婚した。18歳になった息子が、ドラッグに溺れていて手を焼いている。息子のAJは、転校先の高校で、ジェーソンという静かで恥ずかしがりやの友達ができた。AJは 体も大きく、押しが強い。ひょんなことから、ジェーソンは、自分の本当の父親が、AJの父親に殺された事実を知ってしまう。大切な父親を撃ち殺しておいて、いつも自分が優位に立とうとするAJを、ジェーソンは許すことができなくなった。銃をもって、AJの家に押し入ったとき、その場に偶然現れたAJの父親を、ジェーソンは、成り行きで、誘拐して森に向かう。ジェーソンは 父親の「仇」を取ってアベリーを殺し、金をとって逃亡するつもりでいた。しかし、アベリーは 連れていかれた森で、膝をついて、ジェーソンに 心から謝罪する。そして、胸のポケットに入れていた財布を ジェーソンに投げてよこす。財布には、アベリーの唯一の良心の証のように、小さく折りたたまれた「ジェーソンを抱く父親ルークの写真」が入っていた。ジェーソンは、黙って森から立ち去る。バイクで遠く、ずっと遠くに走っていくジェーソンの姿。ここで終わる。

主人公のルーク役のライアン ゴスリングが、映画の半ばであっさり殺されていなくなってしまう という珍しい筋書だ。主人公なのに。 スクリーンからは姿を消すが 実際映画が終わるまで 彼の「面影」がついてまわる。居なくなった、その男のために残った者たちが苦しんだり、慕ったり、追い求めたりする。なかなか よくできた映画だ。ゴスリングは、「ノートブック」、「ブルーバレンタイン」、「ドライブ」などを主演、細身で甘いフェイス、繊細な感じの性格俳優だ。
映画のなかで、昔の恋人が 一言も告げずに自分の子供を生んで 育てていたことを知る。そのあと、一人きりになって大粒の涙をぼろぼろ落とすシーンがある。音もなにもなく、動きもなく、カメラはじっと 長いこと 長いこと動かない。このロングショットがとても美しい。また、1対1の会話のときに、ゴスリングは 瞬きもせずじっと相手の顔を見つめる。彼独特の雰囲気と目差しが、とても印象に残る。おまえの言うことを全身を耳にして聞いてるよ、と目が語っている。こんなふうに、じっと見つめられて話を促されたら、あんなことでもこんなことでもどんなことでもしゃべってしまいそうだ。映画関係者の間では、監督からも役者からも、男からも女からも、彼ほど心を許して付き合える人は他に居ない、と とても人気者なのだそうだ。本当に人柄が良いのだろう。好きな役者の一人だ。

映画で、ルークは、自分が大事にされて育ってきていないので、大切なものなど、何も持たないし、自分の命さえ どうでもよいと、粗末に扱って、命知らずのアクロバットで日銭を稼いできたが、突然「赤ちゃん」という宝物が現れて、動転する。赤ちゃん、、、金、、、強盗と、連想して、銀行を襲う単純さにも、あきれるが、そのような選択肢しかない世界で生きてきた無骨な男なのだ。
一方のアベリー警部は、親が法曹界で有名な判事で 正義について厳しく教育を受けてきた。教育もあり仕事も家庭もある。しかし、自分のしたことで、良心の呵責から一生逃れることはできない。この二人の男たちは、みごとに明と暗の対照をも見せている。
アベリー警部役のブラッドレイ クーパーは、「ハングオーバー」、「シルバーラインノートブック」でおなじみの役者。コミカルな映画ばかりに出ているが、正統派ハンサムの役者だ。
赤ちゃんのときに殺されてしまった父親を求める孤独な息子の姿が、胸を打つ。
小さな作品だが、心に残る映画だ。

http://www.abc.net.au/atthemovies/txt/s3744418.htm

2013年5月28日火曜日

映画 「ザ コール」

                          
                                 
  


http://www.imdb.com/title/tt1911644/

アメリカ映画 原題:「THE CALL」   
監督: ブラッド アンダーソン’
キャスト
ジョーダン: ハル ベリー
ケイシー :アゲイル ブレスリン
マイケル : マイケル エクルンド

数年前に 勤務を公立病院心臓外科病棟からエイジ ケア施設に移った。務めているところには、救急蘇生設備がないから 時々、電話で、000番(日本の119番と110番)をかけて救急車を呼ばなければならない。相手のオペレーターは よく訓練されていて 電話をかけてきた声の様子で どれくらい緊急か、わかるらしくて心停止患者の心臓マッサージをしながら 電話をかけた時は、何も質問せずに、すぐ救急車を回してくれた。が、それほど急がないけれど出血が止まらないから 1時間以内には病院に連れて行ってほしいというようなときは、傷の深さとか、薬はどんなものを使っているかとか、家族の様子とか、いろいろ質問した末、冷やして止血してからまた電話して、などとグダグダ言われて時間を無駄にすることもあった。まあ、救急車をタクシー代わりに使う ふとどき者もいるし、予算の制限もあるから 仕方ないんだけれど。

日本では警察と救急車は110と、119番。オーストラリアでは000、アメリカでは911。英国では999と112、ドイツでは110と112、スペインでは091、ロシアでは02か03、シンガポールは999、台湾は日本と同じ。フィリピンでは117、中国は110番だ。ビジネスマンなど今日はロンドン、明日はドバイなどと世界狭しと飛び回っているのに、緊急電話番号を、世界で統一しなくて良いのだろうか。自分が命の危険を感じた時に、「えーと ここはトルコだから110番じゃなくて、えーと えーと、、。」と迷っているうちに間に合わないことになっているかも知れない。

「ザ コール」のストーリーは
ジョーダン(ハル ベリー)は、緊急警察電話911のオぺレーター。長年にわたって勤務についていて、どんな時にも慌てずに、パニック状態で電話をかけてくる市民に 適切な助言を与えて救急車や警察やパラメデイックチームを手配してきた。警官の恋人がいる。

ある夜、家で留守番をしていた少女から、誰かがドアを壊して侵入してくる という電話を受ける。さっそくジョーダンは警察を家に向かわせる一方、恐怖でパニックになっている少女にできるだけ逃げてベッドの下に隠れるように指示する。不気味な男の息使いと足音だけの恐怖。
男は家の中をすべて物色して 少女が居ないと思って、外に出る。いったん 途切れた電話に不安を感じたジョーダンは、少女の携帯に、本当に男が外に出ていったかどうか問い合わせる。その電話の音を、家の外から聞いた男は、少女が家に隠れていることを知って、家に戻ってくる。少女の絶叫とともに、不気味な男の荒い息を残して通話は切れる。数日後、少女の無残な惨殺死体が発見される。たった一本に電話に命を託していた少女を守るどころか、死に追いやってしまったことで、ジョーダンは責任を感じてふさぎ込む。

数か月後、ジョーダンは 誘拐されて車のトランクに押し込まれたという少女から電話を受ける。泣き叫んでいる少女をなだめすかして、誘拐された時の様子や場所を聞き出し、トランクの中を物色するように促す。さらにジョーダンは、少女、ケイシーに、中からテールランプを蹴飛ばして、トランクに穴をあけるように指示する。警察はパトカーやヘリコプターで、車を探し始める。少女は テールランプが落ちた穴から手を出して、後続車に知らせたり、ペンキを見つけて穴から流したり、パニックになりながらもジョーダンの指示に従う。しかし高速道路を飛ばしている車を、警察は見つけることができない。途中で何も知らない市民が 車の異常に気が付いて 少女を助けようとしたりするが、二人とも誘拐者にあっけなく殺されてしまう。その過程で、犯人が指紋から 逮捕歴のないドクターであることが割れる。犯人は 二人の子供を持つ、普通の家庭人だった。

一方、少女は依然として車のトランクから、唯一生き延びる希望を911のジョーダンに託している。あきらめないで。必ず助けるから。ウィークエンドには一緒に映画に行きましょうね、と。しかし、男に携帯電話を見つかり、不気味な息使いを残して通話が切れる。ジョーダンは、男の対応から 数か月前に、自分が対応して惨殺された少女を殺した犯人と、この男が同一人物であることを知った。同じ過ちを繰り返して、助けを求めてきた少女をむざむざ殺されるのを待ってはいられない。長時間の少女との通話で疲労困憊して自宅に帰るように上司に命令されたジョーダンだが、少女のことを思うとたまらずに、男が所有していた森の山荘に向かう。そこで待っていたのは、、、。
というサイコスリラー。

とても怖い。
月曜日の朝10時。こんな時間に、一人でサイコスリラーを見るなんて。他には年配のカップルがいるだけの広々とした映画館で、握っていたホットチョコレートも、すぐに冷え切った。

誘拐されて泣きじゃくって電話をかけてきたケイシ―に、「何色の車に乗せられているの」と問われて、彼女はブルーと答える。その直後、少女を乗せた真紅の車の上を 警察のヘリコプターが、飛んでいるシーンが映る。ヘリの音だけがむなしく聞こえるロングショット、、、。 カメラワークが、冴えている。
ハル ベリーは、ベリーショートなヘアで女戦士みたいな役ばかりやっていて、アフリカンアメリカンの美しさをすべて持ち合わせた女優だが、ここでは、長いカーリーヘアで、可愛らしい。911番では、どんな件に出会っても「 私情を挟まない、助けに行くことを約束するが、それ以上の約束をしない、助けを待っている間にできることをさせて適切な助言を与える」、といった 911の決まり事を若い人たちに教育しているが、自分の過失で、少女が亡くなり、トラウマに陥ってしまう。それが自然だ。とても理解できる。しかし、犯人はサイコパスで 少女だけでなく、他の少女を助けようとした大の男たちも、ジャンジャン殺していて、危険な男だと十分認識しているはずなのに、ジョーダンは一人きりで夜、男の山荘に行く。これが不自然でなくて何だろう。全然理解できない。
けれど、そこを道理とか、理屈を優先すると、怖いサイコスリラー映画にならないから、ジョーダンとケイシーにちょっと無理させないとね。そこで、色んなことがわかる。少女が、殺してと泣き叫んでも殺さない。犯人が、何を欲しくて少女を誘拐してくるのか。少女を生かしておいて、そ、そ、、、そんなことまでするのか、と。
とても怖い。映画の作り方が、上手だ。

アゲイル ブレスリンが、とても綺麗な少女になっていて驚いた。「リトル ミス サンシャイン」では、8歳の分厚い眼鏡をかけた 太っちょの女の子だった。
監督は 「マシ二スト」を制作した人。このクリスチャン ベールの作品も忘れられない。寡黙な監督だ。

2013年5月19日日曜日

映画 「アイアンマン 3」


             

もう戦争は、敵対する双方が血を流しながら戦うものではなくなってきたらしい。それは、人類が賢くなって、血を流さずとも、互いに外交の力で話し合って、協調する社会がようやく来た と言いたいところだが、全然違う。人はいつまでも賢くはならず、誤りは繰り返し、徐々に悪質になってきただけだ。
米国防総省は、無人偵察機プレデターを、2001年9,11以降、アフガニスタンで使ってきたが、この無人機が、今では1万1千機も活動している。2011年9月、イエメンでアメリカ国籍のアルカイダ幹部、アンワル アル アウラキが 16歳の息子と共に殺害されたのは、無人機によるものだった。外国の土地で、何の法的手続きもなく米国国籍をもったものが、米国のオフィスのPCボタンを押す者によって、葬り去られている。 ニュースウィークによると、米軍アルファドッグという犬型ロボットは、戦場で人が45キロの荷物しか運べないところを、180キロの装備を運んでいる。中国、ロシア、韓国、インド、パキスタン、ドイツなど、50か国余りの国々が無人機を必要としている。
中国人民解放軍サイバー部隊61398舞台は 米国の20以上の主要産業企業、141社のシステムに侵入して産業スパイの代行をさせている。また米国とイスラエルは コンピューターウィルス スタックネットでイランの遠心分離機を壊し、核開発を妨害しているという。サイバー戦争の悪いところは、法的裏付けのない、証拠を残さない 悪質な戦争で、実際の人々が死んでいく ということだ。
人は、ここまで来てしまった。嘆いても仕方がない。 アイアンマンが、現実になってきただけだ。

映画「アイアンマン」は、2008年に マーベルコミックのヒーローを、当時43歳のロバート ダウニージュニアが演じて、大ヒットした。監督、ジョン ファブローは、「アイアンマン1」と「アイアンマン2」を監督して、アイアンマンのガードマン兼、運転手のハッピー ホーガンの役を映画の中で演じているが、監督が シェーン ブラックに変わった、「アイアンマン3」でも、変わらず、ハッピー役を演じていた。自分の映画にちょい役で出演する、って ヒッチコックのようだが、本人がとても嬉しそうに役を演じていて微笑ましい。

アイアンマンこと、トニー スタークは、スターク財閥の御曹司で、天才的な物理学者の発明家だ。武器を生産して莫大な利益を得ていたが、自分が開発したクラスター型ミサイルを、米軍に売り込もうとしてアフガニスタンで、ゲリラに誘拐される。このときミサイルの誤爆でクラスターの破片が トニーの心臓に刺さり、死ぬところだったが、自分と同じように誘拐されていた医師によって、バッテリーで心臓に電磁石で破片を引き留めておかれて命を救われる。この時以来、トニーは熱プラズマ反応炉、アークリアクターを心臓に埋め込んで、生き延びてきた。誘拐され、犠牲者を出しながら生還できた経験から、自分の作った武器が戦争に使われ、人々が死ぬことを 深く反省し、今後は人の為になる生き方をする決意をする。
自分の体内に埋め込んだ生命維持装置、アークリアクターと同様のエネルギーを使ったアイアンスーツを開発して、トニーは、今まで人にできなかったパワーを駆使して弱者を守る正義のヒーローへと変わっていく。

「アイアンマン2」では、大活躍して悪者をやっつけてくれるヒーローのアイアンマンが、トニー スタークであることを、メデイアに発表してしまって、依然からのプレイボーイぶりに拍車がかかる。独身、大資産家、天才的な発明家、無敵のアイアンマン、、、これが、もてはやされないわけがない。ハメを外して、秘書のペッパー(グイネス パルトロウ)に叱咤され、結局 トニーは、社長業をペッパーに譲り、自分はアイアンマンの開発と研究に集中することにする。そこまでが、アイアンマン1と2のお話で、その次からは、映画「アベンジャーズ」で、マーベリックコミックのヒーローが全員集合して、米国を襲ってきたエイリアンと戦うというお話に引き継がれていった。

「アイアンマン3」のスト―リーは、
トニー スタークは、エイリアンの襲撃を、「マイテイーソウ」や「ハルク」や、「キャプテンアメリカ」や「ブラックウィドー」と一体なって、戦い、米国を守ることができたが、またいつ、どんな敵が襲ってくるのか、、、トニーは、不安になると、急に呼吸ができなくなるパニックアタックに陥るようになった。おまけに米国防省は、アイアンマンパワースーツの秘密を国に提出するように命令するが、トニーに拒否されてからは、国の安全をアイアンマンに任せる訳にはいかない と、トニーとは距離を置くようになった。トニーは 仕方なく、アイアンマンパワースーツの開発に没頭する。彼は、離れていても、スーツの着脱ができるように、腕にセンサーを埋め込んで、遠隔操作ができるパワースーツを開発していた。研究室では、パワースーツももう42体を数えるようになった。

そんなある日、突然、謎のロケット砲撃を受けて、トニーは、自分の豪邸も研究室もすべて破壊されてしまった。犯人は、聞いたこともない敵「マンダリン」という組織だという。主犯は、13年前に、遺伝子操作で不死身の体をもった人間を作る技術をトニーに売り込んだが、鼻で笑われて以来、アイアンマンを破壊する計画に着手していたアルドリッチ キリアン博士だった。博士は自分が障害者だったが この再生医療の技術で不死身の体となった。大統領を誘拐して、国を自分の思う通りのスーパーパワーをもった不死身人間が乗っ取ろうとしていた。それに対抗して国を守ろうとするアイアンマンは、、、、というお話。

アイアンマン2で、トニーがパワースーツを 空中でも装着できるようになって、あっと言わせてくれたが、アイアンマン3では 腕に埋め込んだセンサーで、パワースーツが遠くにいても、トニーのもとに飛んできてくれる。でもまだ開発中だから、中途半端で、やきもきさせられるところが、おもしろい。トニーが拘束されて不死身人間にやられて、もう傷だらけ、、というときに、遠く離れた他の州で、メカに強い少年が修理してくれたアイアンマンパワースーツが 部分ごとに飛んでくる。カシャリと 片足に装着、パワーアップした足で、敵の攻撃を避けているうちに バキューンとマスクが飛んできて頭を防衛してくれて、なんとかしている間に、やっと完全なアイアンマン姿になって、攻防したり、しかし何と言っても開発中だから スーツがトニーに向かって飛んできたと思ったら、互いにぶつかって合体できなくて、ただの「鉄くず」になってしまって、あわてたり とにかくこの遠隔操作がおもしろい。

「アイアンマン」の面白さは、「バットマン」のような悲壮感がなくて、全くノーテンキに明るいところだ。苦労人ロバート ダウニージュニアの人柄でもあるのだろう。大財閥の御曹司で独身プレイボーイで発明家の役を、43歳でやって大成功させ、48歳で最後のアイアンマンを みごとに演じた役者魂も、すごい。
「バットマン」は、幼いときに自分のために両親が暴漢にあって殺されてしまった原罪意識と、自分の閉所恐怖症から逃れられずに苦しむ。「スパイダーマン」も、両親は謎の失踪中、育ててくれた尊敬する叔父さんを自分の過失で殺されてしまう。正義の味方のバットマンもスパイダーマンも 人として、悩みをもっているから ストーリーに深みが出ている。しかし「アイアンマン」には そうした悩みがない。「アベンジャー」のヒーローたち全員で戦わないと、エイリアンに勝てなかったことで、ちょっと落ち込むが、メカ好きの少年に励まされれば、たちまちオッケーだ。そんな陽気でネアカで単純なヒーローも これで最終回だと思うと、寂しい。思い返してみると画面では「アイアンマン3」が 3D画像も、メカも豪華で素晴らしいが、「アイアンマン1」が印象深い。初めてスーツの制作にとりかかり、パワーバランスが悪くて高所から落下したり、PCで3Dの図面を見ながら設計するところなど、今までにないSF満載で、面白かった。PC狂いの男の子など 垂涎ものだったろう。秘書ペッパーとの、間を置いたクールな関係も良かった。

今回の悪者の親分マンダリン(ベン キングスレー)が、実は雇われた役者だった というのには笑った。さすが、ガンジーを演じてアカデミー主演賞をとった役者の演技で、こんな軽い役でも実によく演じている。本物の悪役キリアン博士を演じた ガイ ピアースも怖いほど悪い奴になっていて良かった。

最後、アイアンマンは、自分の渾身の作品アイアンパワースーツを、ペッパーのために全部破壊して、「夜空の星」または「、打ち上げ花火」にしてしまって、自分の動力源アーク リアクターまで投げ捨てて、「アイアンマンパワースーツがアイアンマンではなくて、ぼくがアイアンマンなんだ。」というせりふで終わる。パワースーツがなくても自分は自分という自信を持って、秘書ペッパーと一緒に生きていく、ということだろうが、これでいいのか?ペッパーの望み通り、トニーは、ただの男に戻って、仲良く二人で暮らしましたとさ、、。これでは、おとぎ話の終わり方ではないか。42体のアイアンマンパワースーツよりも、米国の安全保障よりも、ペッパーが大事ということか。犠牲が大きすぎないか。
だいたいアークリアクターがなくなっても、トニーの心臓は大丈夫なのか。おまけに キリアン博士によって遺伝子組み換えでスーパーパワーをもってしまった秘書ペッパーは、もう死ねない不死身体のはず、そんな二人が幸せに暮らしていけるのか???というような細かいプロットの矛盾については、言及しないのが、賢いSFアクション映画を観るときの「お約束」だ。
見ていて、とにかく楽しい。
大型娯楽作品は、まず観て、そして楽しまなければ損だ。

監督:シェーン ブラック
キャスト
トニー スターク :ロバート ダウニー ジュニア
ペッパー ポッツ :グイネス パルトロウ
マンダリン     :ベン キングススレー
キリアン博士   :ガイ ピアース
ジェームス ローズ中佐  :ドン チーデル
ハッピー ホーガン運転手:ジョン ファブロー