2013年4月6日土曜日

浅田次郎の小説「蒼穹の昴」

      

浅田次郎の小説が好きだ。人間に対する優しい目差しが感じられる。彼は物書きのプロ、ストーリーテラーの名人だが、手作りで自分の世界を紡いできた人の、文章に対する真摯な眼差しが好ましい。悲惨で、客観的に見たら残酷な人生を歩んでいる人の生と死を描いても、皮肉や裏切りやあざとさとは縁がなく、あくまでも人の道に対して真っ直ぐで、優しい。宮本輝にも共通する、人への愛があり、ある種の陽気で楽天的な明るさが根底にある。

彼の「鉄道員」は名作だが、このような切れ味の良い短編も良いが、長編も良い。彼の トレジャーハント(宝探)しシリーズ、とでもいうか「シェイラザード」と、「日輪の遺産」と「蒼穹の昴」を続けて読んだ。「シェイラザード」は、昭和20年に台湾沖で2000人余りの人命と膨大な帝国陸軍の金塊を乗せたまま沈んだ、弥勒丸の引き上げに集まった男女の物語。「日輪の遺産」は、終戦直後、帝国陸軍がフィリピンのマッカーサーから奪った200兆円に値する金を、終戦時の混乱のなかで、隠した軍人たちのお話。
「蒼穹の昴」は、清国の財宝、1000カラットのダイヤモンド(龍玉)を乾隆大皇が、人目の届かぬ台地の奥底に封じ込める、お話だ。3つの小説の中で、「蒼穹の昴」1-4巻が一番面白かった。これだけ中国の現代史に通じ、歴史的人物に絡めて、物語を作るには、どれほどの史実を調査し研究し、歴史を読み込んできたのか、、、彼が検証した資料の束がどれほどのものだったか、想像すると、気が遠くなる。読んでいると、北京の街並みのたたずまいや、様々な人々が交差する様子が、映像を見ているかのように、生き生きと想像できる。本物の小説家というのは、こんな人を言うのだろう。

ストーリーは
時代は清朝末期。
河北省静海の地主の次男、梁文秀(リアン ウェンシユウ)は、地主の息子だが 変わり者で、貧民で牛の糞を拾って売り歩く李春雲(リーチュンユン)の死んだ兄と幼馴染の遊び友達だったことから、気軽に春雲の話し相手になってやったりする。文秀は「科挙」の試験を受けるために、上京するが、占い師に’将来天下の財宝を手中に収めるであろう、と予言された春雲を連れていく。
梁文秀は みごと科挙の試験を主席で突破して、政府の官僚となる。学問も財力もない春雲は 自ら男性器を切り落として宦官となって、西太后慈禮(シータイホウツーシー)に仕える。大清国を君臨して観劇と飽食に明け暮れる西太后は、みごとな舞を見せる春雲を手元に置いて可愛がる。しかし、列強国に囲まれた清国は、植民地化しようとする日本やヨーロッパ諸国の侵略を受け 外部の力によって音を立てて壊れていく。清国を近代化して延命しようとする改革派の梁文秀と、西太后を守って清国を延命させようとする李春雲の命は、4億の中国人の命とともに 激動の歴史の流れに投げ出され翻弄される。
というお話。

清朝6代目、韓隆大皇は、「バイカルのほとり、ゴビ砂漠の果て、ヒマラヤの峻嶮な峰から、南蛮の島々まで史上空前の大帝国を作り上げた」人だ。1000カラットの龍玉を家宝とする。彼の知識の源であり、生涯の心の友が、ヴェネチアからイエズス会を通じて派遣されたイタリア人、ジュゼッペ カスチリョーネだった。ダヴィンチの再来と言われた画家で、技師で、天文学、生物化学にまで通じている学者だ。彼はジョバンニ、バチスタ,テイアポロなど、ベネチア時代の先輩だった。当時、アントニオ ヴィバルデイもイエズス会から中国に派遣されようとしていたがヴィバルデイは 直前に逃亡、カスチリョーニは、ひとり清国に渡って、若い韓隆に教育を施し、西洋の科学を教え、芸術を伝えた。
利発な子供だった韓隆が、カスチリョーネに与えられた望遠鏡をみて、地球が円いことに気が付くシーンは感動的だ。のちにキリスト教が禁止されたあとでも、カスチリョーネの機転で 孤児院が運営され、そこでガラス作りや工芸作品が引き継がれていくシーンも印象深い。

清国は、もともとタルタル女真族の連邦体だ。漢人ではない。タルタル族大ハーンの子孫、韓隆の直系は、西太后の他に置いてはいない。清国末期には、長すぎる西太后の治世が続き、暗殺未遂も起きるが、これはタルタル族内部の内紛が原因だった。内部紛争から清朝崩壊へと、なし崩しに会う清国では、満州旗人か、漢人か、国の存亡に危機にあっても、民族の血の濃さが権力を決めるのだ。
一方、列強諸国は、帝国主義日本も、欧州の国々も 寄ってたかって清国を侵略、分割しようとしていた。日本は遼東半島を強奪するだけでなく満州王国を我が物にした。ロシアは’旅順、大連を獲得しようと、待ち構え、フランスは広州湾の租借をとり、雲南で鉄道を施設、それを起点に植民地化を狙っていた。イギリスは香港、九龍半島全部を自分のものにして、ポルトガルはマカオを摂取した。アヘン戦争で中国を思いのまま蹂躙した英国は、香港を99年間租借するというこう交渉までしていて、植民地化は、1997年まで’続いたのだ。

宦官制度の描写がすごい。手術による死亡も稀ではない。切り落とした男性器は「宝貝」パオペイと言い、雇い主に担保として取られ、移動にたびに見せなければならない。勤め上げて この担保を買い戻せればよいが、できなければ一生借金を背負うことになる。李春雲は 手術台が払えない為、自分で手術する。彼のように貧しいゆえに、餓死するか、占い師の言葉を信じて宦官として出世するか 二者択一しかできないとしたら、人はどちらを選ぶだろうか。

中国の歴史を学ぶと必ず出てくる「科挙」という国家試験制度を、文秀は通過するところが 興味深い。身分に関係なく秀才が唯一出世できる試験のために、全土から優秀な若者が集まって上京してくる。省の試験に合格して、挙人となり、中央の会試を突破して、「進士」となって、国政に携わる。試験問題が 実際の国の外交戦力を問うもので、それらの問いに、若い進士達が次々と実践的な答えをしていくところが 感動的だ。日本の一級国家公務員試験など、この進士試験のように、国家政策を自分で述べる質疑応答だと、おもしろい。例えば、「シリアの反政府勢力を支持しながら、どのように対露、対中外交を進行させるのか。」とか、「5%の消費税を上げずに効率的に税収入を増やすには、」とか、返答をすべて漢語で書かせるとか。
同じ年に進士となった、文秀と、王逸(ワンイー)と、順桂(ジュンコイ)の3人の友情が素晴らしい。国を背負って行く若々しい官僚たちの熱意と知性。そんな新しい清国への改革が 次々とつぶれて、誇り高い若者たちに 3人3様の悲劇が待ち構えている。

登場人物がみな魅力的だ。
清国改革派の梁文秀と、西太后を自らの命を懸けて守る李春雲、清国外交の命運を握る李鴻章将軍(リーホンチャン)、光緒帝、軍の権力を握る栄禄(ロンルー)、春雲に愛される宦官の蘭琴(ランチン)、春雲の妹 玲玲(リンリン)、カスチヨリーネ神父、フランス人ファビエ神父、ニューヨークタイムス記者のトマス バートン、会津藩士族出身の新聞記者、岡圭之助、、、どの登場人物にも魅力があって、忘れられない。

清朝末期の歴史の重みに圧倒され続けて4巻まで読み進んだ。そして、今さらながら中国という国の大きさに目を見張る。3000年の歴史に人類の知恵が詰まっている。大国中国、こんな国と戦争をしてはいけない。日本は大陸から分離した今、大陸をマザーランドと呼ぶ、小さな島国にすぎないのだから。