2012年12月26日水曜日

2012年に観た映画 ベストテン

  

第1位:「HUGOの不思議な発明」マーチン スコセッシ
第2位:「最強のふたり」 エリック トレダン、オリバーナカチェ
第3位:「J エドガー」 クリント イーストウッド
第4位:「アウンサン スーチー引き裂かれた愛」 リックべッソン
第5位:「ル オーブルの靴磨き」 アキ カウリスマキ
第6位:「人生の特等席」 ロバート ローレンツ
第7位:「ぼくらのラザール先生」フイリップ ファラルド
第8位:「レ ミゼラブル」
第9位:「アメイジング スパイダーマン」マック ウェブ
第10位:「バットマン ダークナイトライジング」クリストファーノーラン

第1位 「HUGOの不思議な発明」
原題 「HUGO」
監督: マーチン スコセッシ
原作:「ヒューゴカブレットの発明」
映画の説明と評価は1月27日に 詳しく書いた。
人は映像を観ることによって初めて自分の想像力に色彩や香りや動きがついてきて、イマジネーションを広げ、さらに夢を見ることができるようになる。それを明確に実証してくれたのが 映画人ジョージ マリエス(1902年の月への旅行)だ。この映画人マリエスと、ヒューゴというパリ駅の時計台に住む孤児との素晴らしい物語。
映像の美しさが例えようも無い。ヒューゴが少女に伴われて入るパリ国立図書館、パリ駅の中の本屋、巨大なぜんまいに取り囲まれた大時計の内部、公安警部と花売り娘との恋、陽気なカフェの音楽家たち、つかの間の逢瀬をする恋人たち。1930年代の人々を 美しいセピア色に染め上げて、紡ぎだされた映像が 身震いするほど美しい。今年観た映画の中で一番素晴らしかっただけでなく、人生のなかで観たすべての映画の中でも忘れがたい貴重な作品。スコセッシを心から敬愛。

第2位 「最強のふたり」
原題:「INTOUCHABLE」
監督;エリック トレダン オリバーナカチェ
映画評は、11月8日に書いた。
裕福だが脊椎損傷の障害者フリップと、ケア役のセネガルからきた移民のドリスとの交流を描いた作品。身体障害者に必要なのは、怪我をしないように真綿に包んで大切にされる事ではなくて、同等の友人として歓びを共有することだという当たり前にことを、気付かせてくれる映画。二人の男が車椅子を倍の早さで走れるように改造し、ハングライダーを楽しみ、時速300キロ出る黒のマセラテイでぶっとばす。童心に帰ってふたりの男達の魂が解放される。笑い転げる二人が子供のように輝いている。何て素敵な映画だろう。

第3位 「J エドガー」
原題:「J EDGAR」
監督:クリント イーストウッド
映画評は、2月9日に詳しく書いた。
8人の米国大統領に恐れられ、48年間休むことなくアメリカ連邦捜査局局長を務めたエドガー フーバーが現職で亡くなるまでのバイオゲラフイー。フーバーとクライドとの生涯の伴侶として尊敬しあうプラトニックな男と男の結びつき。求愛を拒否されながらもフーバーの小児病的いびつな愛情を受け止めて、右腕として生涯を貫くクライドの愛のかたちが、泣かせる。人間が描かれている。人を描いて、感動させることの天才 クリントイーストウッドの力量に感服。82歳で完成させた映画。映画を観た後で、様々なシーンが蘇ってきて感動が深まっていく。素晴らしい。

第4位 「アウンサン スーチー引き裂かれた愛」
原題:「The LADY」
監督:リック べッソン
映画評は 6月6日に書いた。 ビルマ独立建国の父アウンサン将軍の一人娘スーチーが ロンドンで家庭を築いて夫と二人の息子と暮らしていた1988年から、夫と離れたまま死に別れる1999年を描いた作品。1991年の自宅軟禁で、本人不在のノーベル平和賞を夫と息子が代わりに受け取るシーン、その後の2007年の僧侶達の勇気ある反政府デモのシーンに泣かずに居られない。この後これらの僧侶達は惨殺され、寺は打ち壊され、残るものは野に放たれたのが、現実だった。
現職の国会議員スーチーは非暴力 民主化実現のシンボルになったが、その現存の女性という難しい役を演じたミッシェル ヤオは、体重を極限まで落とし、難解なビルマ語をマスターし、スーチーの癖や仕草まで完全に習得。そっくりさんになってヤンゴンでの民主化要求演説したシーンでは、実際の国民民主連盟にいた映画関係者が 当時を思い出して取り乱して撮影が中断されたという。顔が違うのに映画を観ていると、彼女がアウンサン スーチーにしか見えない。楚々とした美しさ。孤立を恐れず一歩たりとも後ろに引かない。本当に美しい人。世界中に勇気を与え続けている。

第5位 「ル オーブルの靴磨き」
原題:「LE HARVRE」
監督:アキ カウリスマキ
映画評は 5月3日に書いた。
フランス北西部の港町、ル オーブルで、妻とつましく暮らす初老の靴磨きマルセルが、アフリカから密航してきたイングリッサという少年を匿って 彼の母親が働いているロンドンまで送り届けてやるために、貧しいル オーブルの住民達が一汗かく、というヒューマンドラマ。マルセロのヨレヨレのジャケット、埃だらけの破れそうな靴、顔の深いしわ、ぐちゃぐちゃのタバコの箱、めったに着ないけど大事にクロセットにかかっている背広、妻の服も2着しかない。徹底した市井の人々、権力にも法にも守られてさえ居ない。貧しいが、自分達の足でしっかり立っている生活者達を描いている。彼らの正義は金に縛られている人々の正義よりはるかに正しい。渋みと苦味とペーソスがあ合わさって やさしい笑いをかもし出している。さすがアキ カウリスマキ。

第6位「人生の特等席」
原題:「THE TROUBLE WITH THE CURVE」
監督:ロバート ローレンツ
映画評は12月12日に書いた。
83才で依然として立派な男、クリント イーストウッドは、いつまでもスターだ。イーストウッドの右腕としてプロデユースしてきたロバート ローレンツの初監督作。撮影中 彼が少しでも迷いを見せたら すぐにイーストウッドが代わって監督し始めるとわかっていたので、入念に準備して早いペースで撮影していってイーストウッドに口を出す暇を与えなかった と笑いながら言っている。映画の中でスタンドでイーストウッドに並んでいたスカウトマンらは、皆本当のスカウトマンだったそうだ。野球のダイナミズム、、、キャッチャーの弓なりになった全力投球、振り絞ったバットがみごとにヒットするときのカッキーンという音。野球が好きになる。イーストウッドは役者としても監督としても最高のストーリーテラーだ。

第7位 「ぼくらのラザール先生」
原題:「MONSIER LAZHAR」
監督:フリップ ファラルドー
映画評は8月29日に書いた。
カナダ映画、フランス語英語字幕。モントリオールの小学6年生のシモンとアリスは 担任の先生が教室で首を吊って死んでいる姿を見てしまった。学校側は心理療法士に事後処理をまかせ、何事もなかったように平常にもどるが、新しく雇われたラ ザール先生は、シモンとアリスの心の傷を放って置くことが出来ない。11歳の子供達の自然な姿が印象的。愛くるしい顔で心に痛みを抱えて、日常を過ごしている子供達の姿に涙が出て仕方が無かった。言葉でなく映像で子供の心を映し出すことに成功した素晴らしい映画。映像が詩になっている。

第8位 「レ ミゼラブル」
これについては、昨日観たばかりなので、あとで詳しく記載する。

第9位「アメイジング スパイダーマン」
監督:マック ウェブ
映画評は7月10日に書いた。
前回のスパイダーマンがサエなかった分だけ主役をアンドリュー ガーフイールドにして、全く別の作品のように素晴らしくなった。ガーフイールドはアメリカ人だがイギリスで育ち、映画よりシェイクスピアを演じる本格的な役者。スパイダーマンの動きも、悩める青年の心理描写も、感情の抑揚など良くわかりやすく見せてくれて、どうしてスパイダーマンになったのか理解、共鳴できる。3D画面がうまく生かされていて 画面の立体的で奥行きが深く美しい。スパイダーマンと一緒に風を切ってニューヨークの摩天楼をスウィングしている気分になれる。とても楽しい。今では、無駄にたくさんの3Dが出ているが この映画なら3Dにするだけの価値がある。

題10位 「バットマン ダークナイトライジング」
原題:「DARK KNIGHT RISES」
監督:クルストファー ノーラン
映画評は7月25日に書いた
2005年「バットマンビギンズ」、2008年「ダークナイト」に続いて、この2012年の作品が3部作の最終作になった。主演のクリスチャン ベール、執事のマイケル ケーン、ウェイン財閥代表のモーガン フリーマン、3人の芸達者が演じて、とても良い。両親を目の前で無慈悲にも暴漢に殺された少年が正義とは何か、そのために戦う真の強さとは何かを人として傷つきながら成長していく姿を見ることが出来る。悩めるバットマンに共鳴できる。素敵なラストシーンだった。

2012年12月24日月曜日

2012年に読んだ漫画 ベストテン

                                           

第1位:「岳」 1-18巻 石塚真一
第2位:「ピアノの森」1-22巻 一色まこと
第3位:「聖おにいさん」1-8巻 中村光
第4位:「3月のライオン」1-7巻 羽海野チカ 
第5位:「テルマエロマエ」1-5巻 ヤマザキマリ
第6位:「宇宙兄弟」1-19巻 小山宙哉
第7位:「ちはやふる」1-18巻 末次由紀
第8位:「バガボンド」1-34巻 井上雄彦
第9位:「神の雫」1-34巻 亜樹直作 オキモトシュウ
第10位:「きのう何食べた」 よしながふみ

第1位 「岳」
5月15日と9月17日に、この漫画について書いた。読み終わったときの感動が今でもそのまま続いている。むかし男の子が生まれたら穂高と名前をつけようと思っていた。その美しい山で、主人公、島崎三歩が小屋を作って山岳救助をしている。読んでいると、山から吹き降ろしてくる冷たい風が頬をなで、淡い山の陽が感じられて、乾いた風の音が聴こえてくる。一歩一歩踏みしめる雪渓の固さ、360度山また山の光景、突き抜ける青空、落葉樹や可憐な山岳植物、コッヘルで待ちわびるアルファ米入りラーメン、夜行列車の賑わい、茅野駅で電車を待つ間飲む味の濃い牛乳などなどが一気に蘇って来る。
 島崎三歩は、沢山の人命救助をして、遭難死した山男達を背負って下ろし、救助要員を育て、山の事故で親を失った孤児の兄貴になり、山を愛する人々の心の支えになった末、ひとりでヒマラヤで、救助をしていて死んでしまった。酸欠でおぼろげになった意識のなかで ヒマラヤの山々を見下ろしながら「んまいコーヒー」を飲んで、その死の瞬間まで自分が生きて帰る自分を信じていた。悲しいけど、この終わり方が自然だった。これ以上のことを三歩に望めない。本当に心にいつまでもいつまでも残っていて、胸のうちで三歩が永遠に輝いている。

 第2位 「ピアノの森」
一之瀬海は「森の端」と呼ばれる色町で、15歳の売春婦玲子から生まれた。父親は玲子にもわからない。住んでいる家の横に 昔ストリップショーに使われて今はもう音の出ない古いピアノが捨ててあった。同年の子供など一人もいない色町で、海はピアノを唯一の玩具にして育った。小学校に上がってもいつも裸足でいる森の端の子供には、友達もできない。しかし海は生まれながらの天真満爛さで、暴力団やキャバレーの面々だけでなく社会から取り残された人々に愛されてきた。
小学校5年生のときに、将来ピアニストになる、と自己紹介をする雨宮修平が 東京から転校してくる。世界的に有名な日本を代表するピアニスト雨宮洋一郎の息子だった。父親は、学校の陰湿で人気のない子供嫌いの音楽教師 阿字野が、実は20年前、彗星のように世界に躍り出て、雨宮洋一郎をあこがれさせ、最高潮のときに交通事故にあい突然姿を消した、伝説になった幻の天才ピアニストだったことがわかる。
人気絶頂の時に手指の事故で世間から隠れるようにして生きてきた阿字野が、彼が昔特別に作らせたピアノを唯一の玩具にして育ってきた天然野生児、海に出会い、阿字野の失踪のあと血の滲む努力でピアニストになった雨宮とその息子修平が、海に出会う。この4人の運命の出会いが、太い縦糸になって、それにまつわる沢山の人々、暴力団、娼婦達、丸山誉子、海の弟子大貴、ジャン ジャックセロー、カロル アダムスキー、パン ウェイ、レフ シマノスキー、ダラナドス、タイスなどなど、登場人物が横糸になって物語が紡ぎ出される。それぞれの人々がみな魅力的で、それぞれの抱える物語がどんどん広がって、一大交響曲になっている。
10歳で出会った海を「宿敵」と断定した雨宮父子と、出会ったとたんに修平をピアノの「同志」と思い込んだ海との友情と憎しみと嫉妬と 音楽への深い愛情の行方から目が離せない。他のコンクールの候補者のショパンを聴きながら「なんと音楽は人を喜ばせることだろう。」という海のつぶやきが すべてを語っている。本当に音楽は何と人を幸せにしてくれることだろう。舞台がポーランドに移り、ショパンコンクールで一体誰が 優勝するのか、、。まだ、連載、継続しているので、この先が楽しみ。

第3位「聖おにいさん」
目覚めた人ブッダと、神の子イエスが東京立川のアパートで 下界バカンスを送っている。浮世離れした、二人の会話の豊さに笑いが止まらない。何度も何度も読んで同じところでいつも笑い転げる。
血の涙を流すマリア、天草四郎の踏み絵、悟れアナンダの単行本化、ヨセフの父としての疑惑、仲良しのヤクザの兄さん、ゼウスまで突然出てきて、もう本当に、笑って笑って、涙が出て、呼吸が笑いで苦しくなる。他人のいるところでは絶対読めない。ずっとこれからも笑わせてもらいたい。

 第4位 「3月のライオン」
この世のすべての不幸を たった一人で背負うために生まれてきたような、親も兄弟も信頼できる親戚もない零が、ひとり将棋で戦っている。中学生で将棋で稼ぎ、高校生になって新人王を獲得。 零の唯一の心の安らぎをもたらせてくれる、やはり親のないアカリとヒナ姉妹。
正義感が強く、友達をかばったために、学校で陰湿ないじめにあうヒナと零の友情と忠誠心。ほかに、将棋の厳しい世界で日々戦う山崎五段とハト、順慶、不治の病気をもった二階堂、桐山五段、たくさんの人が出てきて、それぞれが壮絶な闘いを続ける。それぞれの将棋士たちに独白をさせるが、それがとても良い。

第5位 「テルマエロマエ」
第1巻が出たばかりの頃から愛読している。女性作家の作品と思えない。「そこはかとした」笑い。にんまりしながら読んで、終始顔がくずれる。古代ローマのハドリアヌス帝に仕える技師、ルシウスが、風呂のなかで「平たい顔族」の国の風呂にワープする。まじめ一方のルシウスが 馬のハナコにホレられたり、伊藤温泉でくつろいだ人々に囲まれて、旅館の半纏を着て働く様子など、何から何までおかしい。
このおかしさは、テイーンのころから理解ある母親から背中を押されてヨーロッパで絵を勉強しながら放浪した作者の、自由な発想からくるものだろう。作者自身が、とても魅力のある人だ。実際、立派な建築物を沢山残したハドリアヌス帝のところを 塩野七生のローマの歴史物語を読んでいるところ。今後も楽しみ。

第6位 「宇宙兄弟」
NASAに所属している六太と日々人兄弟が 一緒に月に行く希望もなかなか簡単には実現しない。日々人は月面での事故で、帰還後パニックアタックに苦しんだ。やっとそれを克服できたというのにNASAは日々人に残酷な決定をする。何をやっても優秀な弟、日々人に勝てなかったサエない兄ちゃん、六太は、いつも「何回目だ。こうやってあいつの背を見るの、、、。」と、つぶやいていたけれど、これからが兄の出番だ。兄弟愛、友情、信頼と敬愛。二人を取り巻く 沢山の人々が、みんな魅力的に描かれている。

 第7位 「ちはやふる」
小学校6年で転校生、綿谷新に出会った綾瀬千早は、カルタのおもしろさを知って、カルタで日本一は世界一のこと、と世界制覇の夢を見る。そんな千早も もう高校生。原田先生の言うように、「個人戦は団体戦、団体戦は個人戦」千早と彼女を片思いする太一との二人三脚で、瑞沢高校は、高校選手権を成功させた。今度は 彼らが属する白波会から、名人戦 クイーン戦の前哨戦である吉野会大会にのぞむことになる。
いよいよ新と千早と太一が同じ土俵に登って戦うことになる。千早が可愛い。新も太一も素敵だ。

 第8位 「バガボンド」
やっと34巻が出た。33巻まできて、作者が書く意欲を失ってしまって、ずいぶん待たなければならなかった。「スラムダンク」で青春の涙をふりしぼらせてくれた作者も中年クライシスか。吉川英次原作の「宮本武蔵」を彼らしい自由な発想で、佐々木小次郎をろうあ者にして人間としての魅力を引き出してくれた。絵がうまい。この人ほど生きた人間の表情を上手にとらえる漫画家を他に知らない。

第9位 「神の雫」
神咲豊多香の息子、神咲零と遠藤一青とのワインをめぐる争い。12本のワインを当てなければならないが、まだまだ先が長い。遠藤一青がじつは豊多香りの息子らしいが、二人にレースを強いることによって何を伝えようとしているのか知りたい。ワインに対する知識が増えた。ボトルが怒り肩のボルドー、下半身がデブのブルゴーニュ、ブルゴーニュの最高の畑でできるロマノコンテインが どうして高級なのか、カビを利用した貴腐ワイン、凍結するまで収穫しない糖度の高いアイスワインなどなど、とっても勉強させてもらった。

第10位 「きのう何食べた」
ふたりの男の作る料理の魅力的なこと。これをもとに、料理上手になる若い人が増えているらしい。よしながふみの描く絵が大好きだ。

2012年12月19日水曜日

メトロポリタンオペラ「皇帝ティトの慈悲」

                                
作曲者:ヴォルフガング アマデウス モーツアルト

原題 :「LA CLEMENZA DI TITO」
指揮 :ハリー ビケット
1791年 プラハで初演。 

日曜の午後、映画館でハイデフィニションフイルムのメトロポリタンオペラ「皇帝ティトの慈悲」を観た。
モーツアルトが亡くなった年に作られた最後のオペラ。神聖ローマ皇帝レオポルド2世が プラハでボヘミア王として戴冠(1791年9月)する式で上演するために、ボヘミア政府から依頼されて、モーツアルトが作曲した作品。当時、貧困と神経衰弱で死の床にあったモーツアルトは、「魔笛」を死力をつくして作曲していたが、政府の依頼に応じて、「魔笛」を中断して18日間でこのオペラを書き上げた。モーツアルトが食べ物にも事欠くような貧困、寒さ、絶望のなかで これほど美しい曲の数々と、楽しい舞台を作り上げたことは奇跡のようであり、また、とてつもなく哀しい。

紀元1世紀のローマ帝国。
実在した皇帝ティトのお話。歴史的にはこのティトの父親が皇帝で、政権を取っていた時に、ベスビアス火山の噴火が起こり古代ローマの都市、ポンペイが埋まってしまった。そのために皇帝が過労で早死にしたと言われている。親子共に、慈悲深い皇帝だった。皇帝ティトは、エルサレムを侵略、鎮圧した後、そこでエルサレムの王女と出逢い、愛し合っていたが、ローマ市民はそれを望まず、ユダヤ人を妃に迎えることができなかった。ティトは心を鬼にして、愛する王女を追放する。そこから、物語が始まる。

愛する人を失ったティトのために、お妃選びが始まった。ティトが妃にセルヴィリアを選ぶか、ヴィラリアを選ぶか、、、忠実な部下であり心の友であるセストとアンニオは 気が気ではない。実は セストはセルヴィリアを、アンニオはヴィラリアを愛している。とうとう皇帝はセルヴィリアを妃に迎えたい意向を伝えてきた。アンニオとセルヴィリアはパニックに陥る。二人は涙ながらに互いの愛を確認しては泣き崩れるばかり。セルヴィリアは意を決して 皇帝の前に進み出て、自分が皇帝の部下のアンニオと愛して合っていることを告白する。

ヴィラリアは、昔、自分の父親が皇帝に殺されていることを根に持って皇帝を憎んでいるが、自分は王妃に地位が欲しくて仕方が無い。このまま王妃の座をセルヴィリアに奪われてるくらいなら、皇帝ティトをいっそのこと抹殺したい。それで自分に夢中のセストをたきつけて、皇帝暗殺を企む。しかし、皇帝は、アンニオの恋人セルヴィリアの訴えに理解を示して、自分はヴィラリアと結婚することに決めた。王妃の夢がかなうことになって、あわてたのはヴィラリア。皇帝を暗殺しようとしているセストを止めなければ。しかし、時はすでに遅く、セストは城に火を放ち、反乱を起こしていた。セストは誰よりも崇拝し、心から忠誠を誓っていた皇帝を、恋人との愛を貫く為に殺害したことで、自分を責めて心身ともにズタズタになっている。親友のアンニオに見つかって、自分が皇帝を裏切ったことを言うが、アンニオは信じない。やがてセストは近衛隊に捉えられる。

皇帝ティトは無事だった。暗闇に中でセストに襲われて殺されたのは、別人だった。皇帝は心からセストを信頼していたから、セストが皇帝暗殺を謀ったとは信じられない。どうしても有罪の判決にサインをすることが出来ない。
一方、逮捕され、拷問されても、何故皇帝を襲ったのか、一切自己弁護しないセストの様子を見て、ヴィラリアは セストをそそのかしたことを心から後悔する。本当にセストが自分を愛していたのだと知って、ヴィラリアは苦しむ。迷った末、とうとう、ヴィラリアは皇帝の前に 自らの命を投げ出して、暗殺をそそのかしたのが自分であることを懺悔する。そんなヴィラリアを見て、皇帝ティトは すべてを許すと言い渡す。
というお話。

テーマは、「苦悩の末の赦し」だ。犯行を実行するまでのセストの迷いと苦悩。皇帝に無実だと言ってくれ、と迫られたあとの苦しみ。ヴィラリアの苦渋に満ちた愛情と権力欲。苦しみぬいた末の皇帝ティトの「赦し」は、モーツアルトが生活苦や、自分の才能が正しく認識評価されない苦悩から、脱却したい願望でもあっただろう。

皇帝はテノール。近衛隊長はバリトン。驚くことに二組の恋人たちのうち、ヴィラリア(ソプラノ)の相手、セストはカストラートで、セルヴィリア(ソプラノ)の相手アンニオはパンツ役といわれる男役のソプラノだ。カストラートは、モーツアルトの時代に流行していた、少年時に声変わりする前に睾丸を除去して一生ボーイソプラノの声を維持させた去勢歌手のこと。カストラートが禁止された後 現在はこの役をメゾソプラノの女性が歌っている。
従って二組の恋人たちは4人とも女性だ。男役は二人とも限りなくソプラノに近いメゾソプラノ。声も姿も、観ているとお花畑にいるような華やかさ。モーツアルトがいかにメゾソプラノの声域、声量、音質を愛していたかが わかる。おかげで宝塚をみているような美しい舞台だった。アンニオ役が、稀に見る美貌なのに男役で、中性的な不思議な魅力,よろっとしたり、くらっとしたり、声量もあって、素晴らしい。宝塚の那智わたるや、真帆しぶきに夢中になった大昔の記憶が蘇る。

このオペラになかで一番好きな曲が 「S’ALTO CHE LACRIME」。セストが自分のために捕らえられ死刑にされる事態の中で、このまま黙って王妃になることが出来るだろうか、と自分を責めるヴィラリアに向かって、親友のセルヴィリアが歌いかける。「あなたは残酷だわ。彼のために してあげられることは泣くことだけじゃないはず。」じっくり、説得調に歌われて、ヴィラリアは すべてを皇帝に告白することを決意する。
この曲はたくさんの歌手が歌っているが、キャサリン バトルが一番良い。親友の説得、忠告だから、力強いソプラノで歌うが、キャサリンのは時として強く、時として囁くようにピアニシモの美しい済んだ声で歌い上げる。彼女の声には、他のソプラノ歌手にない独特の輝きがある。

皇帝ティトにイタリア人テノール、ジョゼッペ フィルアントニ。セストにエストニア人のメゾソプラノ歌手、エリナ ガランチャ。ソプラノのヴィテリアにバーバラ フリットリ。セルヴィリアにイギリス人ルーシー クロウ。細身で美貌の男役アンニオに ケイト リンゼイで、すごい人気だった。みんなとても良かった。
日曜日の午後、ポップコーンとアイスクリームかじりながら こんな素敵な舞台に浸れるなんて何という贅沢な幸せだろう。オットは終始寝ていたが、、、。

2012年12月12日水曜日

映画「人生の特等席」

 
      
原題:THE TROUBLE WITH THE CURVE

監督:ロバート ローレンツ
キャスト
ガス  :クリント イーストィウッド
ミッキー:エイミー アダムス
ジョニー:ジャステイン テイバーレイク
ビート :ジョン グッドマン

クリント イーストウッドは私の人生で、いつもヒーローだった。
小学生のときに「ローハイド」、中学生のときにマカロニウェスタン、「荒野の用心棒」、大学生で 「ダーテイーハリー」、大人になって、「許されざる者」。中年になって「マデイソン郡の橋」や「ミステイックリバー」。ババになって、「ミリオンダラーベイビー」、「グラントリノ」そしてさらに、この映画「人生の特等席」だ。
彼が一生かかって描いてきたものが、そのまま私の人生の軌跡に重なる。だから82歳の彼が元気で現役役者や監督でいてくれることが、とても嬉しい。この映画は、恐らく彼が主演を勤める最後の映画になるだろう。これは彼の監督業で右腕になってきたロバート ローレンツが単独で 初めて監督をした映画。イーストウッドの右腕だけあって、音の使い方がうまく、映画全体の起承転結 メリハリの付けかたが秀逸。とてもよく出来た映画だ。
ただ邦題の「人生の、、、」の意味するものはよくわからない。原題をそのまま つけるべきだと思う。「TROUBLE WITH THE CURVE」の題は そのまま訳して、「カーブでトラブル」とか、「カーブが難問」とかの意味。

ストーリーは
ガスはメジャーリーグ、ボストンレッドソックスのスカウトマン。毎年有能な新人を発掘してチームに入れて成功させている。スカウトマンの中で一番古くからチームに貢献してきて、本当に使い物になるスターを見出すことで仲間からも ライバルチームのスカウトマンたちからも一目置かれていた。
しかし寄る年波には勝てない。ガスは新聞を読むにも眼鏡だけでは活字が見えなくて、虫眼鏡が要るようになった。視野の中心部がぼやけて足元が危うくて、よく転ぶ。医者からは黄班部変性か緑内障なので早く専門医に行って治療が必要だと言われている。スカウトマンのボス、ビートからは 何時引退するのか、と問われている。
しかしガスは聴く耳を持たない。大丈夫。今までも上手にやって来た、これからもやっていけるさ。スカウトマンは街から街へ 旅を続けて新人を見出す。ゆっくり家で腰を下ろしている暇などないのだ。

彼には自慢の娘がいる。33歳 独身の弁護士ミッキーだ。彼女は若いのにやり手で努力家。実績を買われて名のあるファームの招聘されている。名誉なことだ。恋人も弁護士で将来結婚するつもりでいる。
ガスのボス、ビートがある日、弁護士事務所に訪ねてくる。ビートはミッキーが赤ちゃんの頃から知っている。ミッキーは6歳で母親を亡くし、幼いうちからいつもガスに引っ付いていたからだ。彼は、ガスがどこか、体の調子が悪いのでは無いかと言う。そういわれると、忙しくてこのごろ疎遠にしていた父親が心配。でも、訪ねてみると頑固親爺は娘をうるさがるばかり。目医者に行くなど、とんでもない。不健康な食生活、酒も葉巻も手放せない。娘を怒らせて、サッサと返すだけの父親。

ある町にすごい新人バッターが出現。ガスを始めとして各チームのスカウトマンが町に乗り込んでくる。ガスを追って、ミッキーもこの町に。新人バッターは、皆の目の前で ジャンジャンボールをかっ飛ばす。どのチームもこの新人は「買い」だ、という中で、ガスはひとり反対する。新人は手を捻ってバットを握っている。これではカーブは打てない。とガスは言う。しかし眼鏡をかけても遠くが見えないガスの言うことなど誰も聞かない。ガスは、新人がボールをバットに当てる時の「音」だけで、バッターの欠点がわかったのだ。ガスの主張を娘のミッキーだけは信じる。父が強情に言い張る時は 絶対に正しい。しかし、「音でわかる」と言うガスをみんなは笑いものにして、この新人をチームは買う。

ミッキーは他のチームのスカウトマンをしている青年に 新しい恋をしていた。相手は、ガスが昔、見出したピッチャーのジョニーだ。彼は腕を痛めてプロから脱落、今はブロードキャストを目指しながらスカウトマンをやっている。ガスもミッキーもこの新人は「止め」というのでスカウトしなかった。しかし、ガスのチーム、レッドソックスは この新人を買った。ジョニーは、ガスとミッキーが自分を裏切ったと思って、怒って町を去っていく。ガスも 自分の意見を聞かずに カーブも打てないバッターを買ったチームの首脳陣に怒って、町から引き上げる。

しかし、町に残ったミッキーは、そこで埋もれていた とんでもない実力のあるピッチャーを見つける。ホテルの下働きをしている青年だった。ミッキーは、彼の投球するカーブに惚れこんで、彼を連れてレッドソックスの本部に乗り込む。そこでガスもビートも見ている前で 買ったばかりの新人バッターが この青年の投げるカーブも、ストライクさえも打てない醜態を見せて、父親の言ったことが真実だったことを証明してみせたのだった。
というおはなし。

父と娘の絆の深さに胸がジンと滲みる。老練のスカウトマンの正しさを娘が実証して仇をとる痛快な終わり方に拍手。この父にしてこの娘あり。やったぜい。最後に年をとったクリント イーストウッドがひとり歩み去る後姿が、娘との二人三脚の歓び、人生の喜怒哀楽を語っている。

それにしても、クリント イーストウッドはなんと「男」であることか。バーで33歳の娘に言い寄る男が出てきたとたんに、ぶん殴りに飛び込んでいく。転んでも人の手を借りない。だいたい転んだことを認めない。娘を和解しても抱き合わない。手も触れないし、肩に手を置く事もしない。ハローと言って軽く抱き合い、行ってらっしゃい お帰りと言い合い頬にキスする習慣の国で 彼は全然誰も抱いたりしない。するのは男と男の握手だけ。

家事ができない。夕食は冷蔵庫に入れっぱなしの食べかけの缶スパムのランチョンミート。これを直接フォークで口に掻き込む。または、フライパンで焼きすぎて真っ黒になった肉。朝食兼ランチは出前のピザ。葉巻タバコを手放せず、夜になれば勿論呑む。なんと偏った不健康な食事と生活態度、、、これが男だ。
「グラントリノ」でも誕生日に、でっかいバースデイケーキと 老人用の文字盤が大きい電話、落ちたものを拾える杖など持ってきた息子夫婦に怒ってどなり帰す。プレゼントはぶん投げて帰すが バースデイケーキは夕食に食べようとして 隣人にバーベキューに呼ばれるシーンがある。
彼の初期の頃の「ローハイド」では、彼はいつもアルミの皿に、「また豆かよ。」と文句を言いつつまずそうにスプーンで豆をすくって食べていた。彼の出てくる映画で彼が 健康的でおいしそうな食べ物を食べているシーンを見たことが無い。男もつらいな。

ガスがもう30年近く前に亡くなった妻の墓で妻に語りかけるのは「ユーアーマイサンシャイン」の歌詞だ。

   「おまえが俺には太陽の光
   俺には この光があるだけさ
   おまえだけが、この俺を幸せにしてくれる
   ー
   どうかこの俺からお前の光をうばわないでくれ」

泣かせる。妻が生きていた頃 優しい言葉ひとつかけてやらなかったに違いないが、墓に向かってなら、本心を言える。それでいて、残った唯一のサンシャインである娘に向かって、帰れ、帰れとどなりつけるだけで、まともな話しをしようとしない。こんな不器用な扱いのむずかしい親爺 まったくお手上げだ。

娘役のエイミー アダムスが良い。頑固親爺に意地っ張り娘。とてもきれいな目をした女優だ。わたしの愛用のLONGCAMPのバッグを映画のなかで使っていて、なんか、嬉しかった。
彼女の恋人になる元ピッチャーのジャステイン テインバーレイクの役者ぶりには恐れ入る。「ソーシャルネットワーク」でも良かった。ラッパー音楽家だけでなく役者としても一級だ。一芸ニ芸秀でている。
オットは、オージーでクリケットしか見ないので、野球をほとんど知らなかった。でもこの映画で ストライクもカーブも変化球も しっかり勉強できて、野球の面白さに目覚めた。ふりしぼったバットがみごとにヒットするときの 気持ちの良い音、キャッチャーとのやりとりの面白み、ピッチャーの豪快な投げ、など、たくさん映画で経験することができて、とても喜んでいる。

イーストウッドが口ずさむ「ユーアーマイサンシャイン」を聞いて、どうしてもギターで弾きながら歌いたくなった。一念発起して半世紀ぶりにギターを手にしてみよう。
とても心に響く良い映画だ。

2012年12月11日火曜日

映画 「ザ セッション」

                            
原題:THE SESSIONS

監督:ベン レウィン
キャスト
マーク オブライエン:ジョン ホーク
チェリー グリーン :ヘレン ハント

米国の作家、マーク オブライエンの自叙伝を映画化したもの。独立系プロダクションによる小作品。サンダース映画祭で上映され、観客賞を受賞し、スタンデイングオべーションとなった作品。

マーク オブライエンは6歳のときにポリオを患い、首から下の全身麻痺、人口肺(鉄の肺)の助けが無ければ呼吸も自由に出来ない。ストレッチャーに横臥したままの姿勢で ベッドに取り付けられた酸素を吸入しながら、学校にも行き、大学も優秀な成績で学位をとった。大学を出たあとは、アパートで猫と一人暮らし、生活の何もかもヘルパーに頼っている。
書き物は口でくわえたペンでタイプライターに活字をタイプする。電話も口でくわえた棒でダイヤルをまわす。

下半身に感覚はないが、性機能はあるらしい。寝たきりで自分で性器を見ることは出来ないが、異様な感触は残っている。38歳になったある日、彼は人並みに性体験を持ちたいと考えて 親しくしている神父に相談する。様々な人の協力を得て、彼はチェリーというセックスセラピストなる女性に出会う。彼女は、家庭をもって、理解ある夫と息子を持った普通の女性だ。セックスセラピストと娼婦の違いは高額のお金をとるかどうかの違い、とチェリーはさばさばと、のたまう。

セックスセラピーのセッションが始まると、彼女は 患者に男と女の体の違いを良く理解し、互いに体を触れ合ううちに共に、満足の得られる性行為ができるようになるまで セラピーが続けられることを説明する。マークは、四肢が麻痺していて、話をすることは出来ても顔を自由に動かすことが出来ない。チェリーに体を触れられ、次第に興奮して思いを遂げられるようになるまでセッションは続く。マークは当然のように、チェリーに想いを寄せるようになる。ここまで親身になってケアしてくれる人が 今まで他に居ただろうか。マークはペンを口にくわえて、チェリーに思いつくまま 愛の詩を書いて、チェリーに送る。
チェリーのほうは これはあくまでセラピーで仕事は仕事と考え、彼女の夫も息子も医療における彼女の仕事の重要性を理解している。しかしマークから美しい詩が届くようになると、チェリーはマークの純真さに魅かれ始めていた。それで、、。
というお話。

マーク オブライエンは実際6歳から49歳で亡くなるまで、人生のほとんどの時間を鉄の肺の中で過ごした。鉄の肺とは、首から下を鉄でできた棺桶のような箱に全身を入れ高圧酸素を流す治療方法。今でも潜水病の治療などに使っている。この映画を製作したオーストラリア人の監督、ベン レウィンも小児麻痺で障害を持ち、杖をついている。

障害者で24時間他人の世話がなければ生きていくことが出来ない全身麻痺の状態、勿論便や尿文字分ではコントロールできない失禁状態の男が 一人前にセックスが出来るようになり 彼を取り巻く何人もの女性達と冗談を言い合い心の交流をする。前を向いて生きていくマークの勇気がまぶしい。

停電になって アパートの電気が止まり鉄の肺に圧縮酸素が送られなくなって死にかかったり、猫が横を通って毛を落としていって、鼻がかゆいがかくことが出来ない自分を、心の中で鼻を掻くことで自分を笑うシーンがある。自分で自分を笑う精神の強さに目を瞠る。決して弱気にならず、常にユーモアをもって前を向いて生きている。亡くなったときは、たくさんの女性から 惜しまれて逝く。

稀有な映画。
マーク役のジョン ホークは出演中に熱演して自分の脊椎を痛めてしまい、病院のお世話になったそうだ。一方、セラピストのヘレン ハントは49歳とは思えない美しい全裸を惜しげもなくさらけ出して出演している。知性派女優でナチュラル志向。この映画でもマゾヒストではないかと思うほど 女の体をマークに理解させるために、マークの顔にまたがったり、生の自分をさらけだしてセラピスト役をこなしている。彼女は、ジャック ニコルソン共演の「AS GOOD AS IT GETS」でオスカーを受賞している。自然派で整形手術やボトックスなどを拒否、自分で脚本を書いて監督した「THEN SHE FOUND ME」という作品では 49歳、全く化粧なしの体当たり演技をしてみせて話題になった。

マークが亡くなって アパートに残された鉄の肺の無用な姿。そこにマークが残した猫が乗っている最後のシーンが いつまでも心に残っている。

2012年12月9日日曜日

英国の看護士の自死について

オーストラりアで看護士の資格を得たとき、しつこいくらいに教育されたことが、コンフィデンシャルだった。もともとオーストラリアを含む欧米では個人主義が徹底している。隣の住人や同僚が ギャンブル狂だったり アル中だったり、レスビアンだったり 母子家庭だったりしても関係ない。まして職場で知り得た患者の個人情報はコンフィデンシャルで他人に決して漏らしてはならない。医療従事者として、秘密情報は守らなければならない。人の生と死にかかわる場だから、慎重になるのは当然だ。


勤務を交代するときに引継ぎをするが、普通は引継ぎ用紙と口頭で行う。そこに診断名は書かない。エイズをもっているか、肝炎などの感染症を持っているかなども書かない。他人の手に渡ったら困るからだ。情報の中でどうしても伝えなければならないことは口頭で伝えて証拠を残さない。診断名、治療経過、検査結果、ドクターノート、看護記録などは、ひとつのファイルになっていて、ステーションから持ち出すことが出来ない。厳重に管理されている。

オーストラリアのラジオステーションでホストが 入院して妊娠が発表されたばかりのウィリアム王子の妻ケイトの状態を エリザベス女王の声を真似て問い合わせ、担当看護士が電話で答えてしまったことで、電話を取り次いだ看護士が自殺した。英国でもオーストラリアでもトップニュースで伝えられ、このラジオ番組のホストは、激しくバッシングされている。
オーストラリアは国土が広く人口が少ないので、公共の交通機関が未整備なため、多くの人々は車で移動することを強いられている。24時間ラジオ番組を耳にしながら人々は ニュースを聞き、音楽を聴き、たれながされるゴシップを聞かされている。問題になったラジオ番組は以前にも たちの悪いゴシップとプライバシーの侵害で警告を受けていた。このラジオ番組は、閉鎖されるだろうし、二人の男女のホストも仕事を干されるだろう。

私は基本的には権力を笑う、皇室を笑うのは 悪いことではないと思っている。働いても働いても 家など買えない。そんな庶民が毎日働いた給料から38%の税金を取られ、10%の消費税まで取られ、そういった税金で働きもしない皇室やその家族を養っているのはおかしい。日本の皇室も外交と研究だけでなく、消防署や保健所や災害対策などで汗を流して働くべきだと思う。だから、庶民感覚として皇室を笑う、おちょくるのは自然の反応だ。だからといって、この番組ホストたちを擁護する気はないけれど。

今回エリザベス女王の声に惑わされて 患者の担当看護士に電話をつないだ看護士が亡くなったことで、病院当局は「わたしたちはこの看護士たちを攻めていない。」と必死で弁明し、ラジオ番組のホストを責めていたが、責任の取り違いだ。もし何事も起きていなかったら、当然病院当局は 二人の看護士を諮問して、コンフィデンシャルに関してプロフェッショナルでなかった として、何らかの処分をしていただろう。看護士免許の剥奪や停職は無かったに違いないが、注意勧告、位の処分は出ていただろう。

病棟に勤めていると 患者の家族からの電話の問い合わせは多い。問い合わせには担当看護士が対応するがコンフィデンシャルには注意している。状態の悪い患者の家族が 電話で問い合わせてきた時など家族であることを確認して答えるが、遠い親戚や外国にいる息子とか保険会社とか警察とかの問い合わせには 本人が直接病院に来るまで 電話では答えない。癌診断の下りた患者のことを知りたがる保険会社、交通事故の示談のために情報が欲しい人など、患者情報が犯罪に利用されることも多々あるからだ。

イタリア人のビッグママが入院したときは まいった。毎日毎日朝昼晩と、世界中に散らばっている9人の息子達、嫁達、子供達またその親戚や近所の人々が、ママの状態を知りたがって電話してくる。電話ではあなたが本当の息子かどうかわからないから説明できない、というが早いが、マーマ マーマと涙声で大騒ぎ。自分がどんなに良い息子か延々と話す。電話は鳴りっぱなし。病棟では25人の患者が、携帯心電図を胸につけモニターしている。その内どの患者も、いつ心臓が止まっても不思議でない状態のときに、マーマ マーマとやられると、電話を叩き付けたくなる。でもどんなに憎まれてもコンフィデンシャルは譲れない。

癌末期の夫が今日、明日逝ってしまうかもしれない。気使う老いた その妻が電話をしてくれば、心をこめてご主人の一挙一動を電話で伝える。ご主人は朝ごはんを全部食べましたよ、あなたもしっかり召し上がってね、と。
看護士をやっていれば、いやがる患者に苦い薬を飲ませてブン殴られそうになったり、浣腸して蹴飛ばされたりもする。家に帰って患者の名前を出してあんなことあった、こんなことあった としゃべって愚痴をこぼしたいこともある。しかし、コンフィデンシャルは譲れないのだ。

2012年12月7日金曜日

映画 「アルゴ」

         
イランは、紀元前から誇り高いオリエントの大帝国だった。

1979年のイスラム革命によって 宗教上の指導者、ホメイニ師が国の最高権力を握り、イスラム共和国を樹立、真のイランの誇りを取り戻した。
それまでのバフラビ政権は、米国の傀儡政権だった。

イランは、石油ではOPEC第2位の石油産出国、天然ガスもロシアに続いて世界第2位の埋蔵量を持つ。英国も米国も、イランという宝の山を確保しようと イランに介入し続けてきた。この1979年イラン革命で、イラン政府は、米国のパペットだった逃亡中のバフラビ皇帝の身柄引渡しを要求したが、当時のカーター米大統領は拒否、イランに対して在米資産を接収し、国交断絶、経済制裁を実施した。その結果、怒ったイラン国民と新政府によって、反米をスローガンに大規模な反米デモストレーションが各地で起きた。怒り暴徒化した市民は、テヘランのアメリカ大使館を占拠して、52人のアメリカ人の外交官を人質にとる。
このとき、ドサクサの中で6人の職員が大使館を脱出し、カナダ大使公邸に逃げ込み保護される。

映画「アルゴ」は、ここから始まる。この出来事について米国側に正義はない。イラン政権による米国大使館占拠は、米国の利益のためにイランという国を蹂躙してきた米国の国策による結果のひとつにすぎない。そして犠牲者はいつも国からきり捨てられた 無力で一介の市民だ。
ストーリーは
カナダ大使公邸の地下に匿われた6人のアメリカ人大使館職員は、高まる反米の社会状況の中で、外に出る事も、封鎖された空港から脱出する事もできない。すべてのアメリカ人は、スパイとみなされている。イラン革命の象徴のように、街頭には処刑されたアメリカ人が、クレーンで吊るされている。空港ではアメリカで教育を受けたイラン人がチェックをして アメリカンアクセントをもつ外国人はすべて捕らえられている。

CIA工作本部技術部のトニー メンデスは、6人の大使館職員をカナダ大使公邸から脱出させるための策を考える。「アルゴ」という架空のSF映画を撮影することにして、映画監督としてイランに入国、首尾良く6人と合流し、全員を、イランから脱出させた。CIAの秘密工作だったので、事実は公表されずにいたという。これを映画化したもの。

監督:ベン アフレック
製作:ジョージ クルーニー、ベン アフレック
原作:アントニオ J メンデス「MASTER OF DISGUISE」
    ジョシュア パーマン「THE GREAT ESCAPE」

ベン アフレックが監督、主演している。
この映画では、ベン アフレック以外に目立った役者は居ない。美男美女も出て来ない。名前を出しても 誰が誰かわからないから、出演キャストは省く。
ベン アフレックは40歳。バークレー生まれで、ハーバート大学卒の母親をもちリベラルな家庭で育つ。8歳の時から近所に同年のマット デーモンが住んで居て、今に至るまでずっと親友。ふたりで共同で映画制作会社ライブ ネットを設立して映画の脚本、製作を手がけている。社会活動もリベラリストとして活発に行っている。

「グッドウィルハンテイング旅立ち」は、この二人で脚本から製作、主演まで共同製作したものだが、アカデミー脚本賞、助演男優勝、ゴールデン グローブをもらっている。当時、無名だったマット デーモンは、天才的な頭脳を持った掃除夫、ベン アフレックは 彼を見出す心理学者を好演している。とても印象深い映画だ。
2001年「パールハーバー」では、ベン アフレックは恋人を寝取られる純真な青年を演じ、2009年では「消されたヘッドライン」で、たちの悪い国会議員を主演している。

でも、この「アルゴ」が、ベン アフレックの主演作のなかで一番良い。口数が少なく、ボサーとしているようで無造作に見えるが CIA工作員として緻密に計算された動きで確実を手に入れる。カナダ大使公邸の地下で陽の光を浴びることがでいないまま数ヶ月くすぶっている。その6人が6様に絶望感に覆われ不安と不信でいらだっている時 ばらばらになった6人の気持ちをひとつにまとめる度量がある。彼が少ない言葉で6人から全幅の信頼を獲得する経過は、まるで心理劇をみているようだ。迫力がある。
米国人を見つけて、公衆の前で断罪 処刑しろと 目の色をかえて米国人狩りをする群集の只中を通過するシーンや 空港でのパスポートのチェックなど、恐怖で心臓が口から飛び出てきそうなハラハラドキドキのシーンがたくさんある。

結果として、イラン革命を評価するかどうかに関係なく 映画としてCIAに救出された6人に共感できる秀作に出来上がっている。

ベン アフレックは こんないハンサムだったのか。彼の出演作を沢山見てきているが 間の抜けた顔とは感じていても、一度も良い顔だと思ったことが無かったが、今回、前髪をボサボサに下げて、ヒゲも口の周りに伸び放題にしてみると、画面で大写しになった顔をどこから見てもハンサムなのに、びっくりした。この時代、1970年代は思い返してみると みな長髪、ひげ面が主流だったんだな。いま見ると 人によっては、むさ苦しいだけだが ベン アフレックの長髪、ひげ面は高感度100%。今後もこれで行って貰いたい。

イラン国民の悲願だった米国傀儡政権が打倒されたあとも、イランは 米国を中心とする国際社会から、経済制裁や核疑惑を受け、厳しい道を歩んでいる。2005年から保守派のマフムド アクマデイネジャードが大統領になって、強権を主導しているが、米国はイラン政権を揺るがす反政府運動を裏で組織して内政干渉を繰り返している。
イランの核開発について、イランが核兵器を持っていないことは、米国CIAの調査でも IAEAの調査でも明確になっているが、政治の駆け引きのために、明確にせず核兵器を持っているような扱いをして、イランの核が国際社会の安全を脅かしているような米国主導の宣伝ばかりが繰り返されてきた。
しかし、米国の経済不況と国内の失業者など深刻な問題で国際社会への影響力が少なくなるに連れて、今後はこれまでとは違った状況になってくる。イラクは力を蓄えて、今後はイスラム国家の指導的役割を与えられ、オピニオンリーダーとしてイスラム社会を拡大していくだろう。そして美しいペルシャ語を語る人々が、紀元前から営んできた過去の栄光を取り戻していくことだろう。
いろんな事を考えさせる、良い映画だ。