2012年5月15日火曜日

石塚真一のコミック 「岳」

山は良い。山は最高だ。山の良さを説明することができない。どんなに山が良いか、行ってみたらわかるよ、としか言えない。山の良さは登ってみた人にしかわからないので説明の仕様が無い。


一番好きな山は、穂高。二番目が剣岳。三番目が槍ヶ岳。四番目が八ヶ岳。五番目が白馬三山。

本当に好きだった人が山で死んで、カラビナが外れて滑落したそうだが、単独行の人だったから誰も死に目にあえなかった。それがきっかけで5年くらいの間、ものに憑かれたように山に登った。高いところばかり歩き周るから 夏の間は顔が日焼けで2枚も3枚も皮がはがれて顔中ケロイドのようだったが 全然気にならなかった。

山頂に立ち、360度 山また山という場に立つとすべてから解き放たれる。自分というものがなくなって、ただただ胸にあるものが空になって自由になれる。山の乾いた空気、淡い太陽の光、凍るような冷たい、肌を切るような山の風。バランスをとりながら 岩に取り付く、岩から岩へ這い蹲ったりよじ登ったりする、その岩の絶対的な存在感。岩と同じ色で見分けがつかない雷鳥が歩き回り 人間の存在など全く構わずにいて、その自由な姿を見ていていつまでも見飽きない。足を踏み外して、へばりついた岩と岩の間に咲くチングルマの可憐な美しさ。多種多様な山岳植物の その楚々とした美しさ。聳え立つ、落葉松の林に心が躍る。

山をやる人を山屋 岩をやる人を岩屋というが、そうした人たちが一様に、ボロを着て無頓着なのに、立派な紳士ばかりだ。一日中単独行で歩いて、人恋しくなった頃、山小屋に着くと、山屋達は皆、とびきり親切。寡黙そうな山屋が 聞けば自分の山の経験をいくらでも教えてくれて興味が尽きることが無い。歩き疲れていても 山男達の話を聞いていると、話しが面白くて時を忘れる。下界に下りれば若い人達は左翼の派閥争いばかりしていて、俗界では若い女とみればケッコンケッコンと、騒いでいる。山から下りてくると、もう翌日には山に戻りたくなっていた。デヴッド リーンの映画「アラビアのロレンス」に、新聞記者から、どうして砂漠が好きなのか、という問いにロレンスが答えて、「砂漠は清潔だから」と言うシーンがある。それと同じニュアンスで「山は清潔だ」。

石塚真一のコミック「岳」 小学館ビッグコミック連載の1巻ー12巻が手に入ったので読んだ。泣き通し。すごく良かった。

主人公の島崎三歩は、7年前ヒマラヤ山脈西端ナンガバルパットの頂上直下で、嵐が過ぎるまで10日間、悪天候に閉じ込められてテントから動けなかった。その時、凍死した別パーテイーの8人の死体を自分のテントまで運び、死体たちと共に、ひとり過ごした。毎日死体たちに「心配ない、ない。仲間はみーんなそばにいっからさ。」と話しかけていた、、、という、そんな男だ。
北アルプスの三の沢を上がったところにテントというか、小屋を作って山岳遭難防止対策協会の民間ボランテイアをしている。遭難救助といっても半数は助からない。滑落や雪崩や疲労凍死した山の犠牲者を背負い、岩を登り 川を渡って収容する。三歩は決して遭難者を責めない。「よくがんばった。」と言い、「また山においでよ。もどっておいでよ。」と呼びかける。「みんな山に来たらいいのにね。」といつも言っている。
涸沢ヒュッテの山口山岳遭難大作協議会隊長も、谷村山荘の谷村おばちゃんも、レスキューヘリコプターの牧さんも、みな仲間だ。

長野市北部警察署、地域課の野田正人は 島崎三歩の幼馴染だが、彼の部署に新人 椎名久美が救助隊員としてやってくる。久美は遭難救助にあたって 恐怖や驚きや迷いにぶちあたり、そのたびに三歩に反発したり、疑問をもったりしながらも、励まされて一人前の救助隊に育っていく。
遭難の舞台は 秋の北穂高岳 東面の滑落、奥穂高南稜、雪庇からの墜落、槍ヶ岳北尾根の雪崩、前穂シェルンド(雪渓のわれめ)からの転落、屏風岩での雷、焼岳、滝谷からの滑落、常念岳からの滑落などなど。
山の絵が素晴らしい。その稜線に実際立った人でないと見えない山々の姿が描写してある。屏風岩のテラスにしても、実際登ってみなければ描けない絵が正確に描かれている。山が好きでないと描けないだろう。作家は、漫画家というより 本当に山が好きで山をよく登っている人にちがいない。

3巻のエピソードをひとつ
正月にひとり穂高の山に入った浩平が、行方不明になって187日。とうに捜査は打ち切られていたが、三歩は「正月にしか山にこれない人が一人で山に来たんですよ。厳冬の雪山に。僕も会いたいです。」と言って ひとり遭難者を探索していた。浩平が登った稜線には東に7つ、西に9つ、合わせて16の沢がある。一つ一つの沢を捜査して、15の沢で見つからなかったので、最後の16番目の沢で浩平が死んでいるに違いない。三歩は父親を呼んで、雪解けとともに一緒に浩平を探すことになった。父親は、浩平の死を認めたくない。浩平が山などに来なくて、どこか他に居るような気がして、駅で背広姿の若い人を見るとみな自分の息子に見えて仕方が無い。
遺体を見つけた三歩が父親を呼ぶ。「遭難から半年経っている。浩平さんかどうか分かるのはお父さんだけだよ。」しかし、変わり果てて腐臭する姿を父親は 息子だと認めずに、必死で否定する。「ちがう、こんなの息子じゃない。」と言って卒倒する。三歩は、浩平に優しく話しかけながら、遺体をバッグに収容するために動かす。「次は右手、曲げるよ。うまいうまい。」と体を動かし、「この沢に居たってことは頂上まで行けたんだね。」よくがんばった。と話しかけながら、遺体を抱き上げる。父親がそれを見て、起き上がって「息子、抱いてもいいですか?」
それに、三歩は やっと息子さんに「会えたね。もちろん。」抱いてやってください、と。

2巻のエピソードもひとつ
常念岳、大学3年の八巻君と1年の松崎君が冬山で消息を絶つ。30人の救助隊、100人のボランテイアによる探索で、見つからず3週間で捜索は中止される。メデイアは、厳冬の山での若い二人の「認識の甘さ」を非難するばかりだ。その後も三歩は毎日ひとりで捜索していたが、50日目になって、久美は人々の非難の声に居たたまれなくなって、三歩に付いて行く。ゾンデに反応があった。三歩は慎重に雪穴を掘り出していく。「薄着の3年生八巻君と厚着の後輩松崎君は新入部員、「私には認識の甘さを感じさせない立派なクライマーに見えた。」と久美は独白する。雪穴のなかで、八巻は自分の服をみな後輩に着せて、自分は裸で、しっかり後輩を抱きしめて凍死していたのだ。

この5月の連休に 日本では、山に行って遭難した人が何人もいたようだ。遭難者が出ると 必ずメデイアは「認識の甘さ」を言う。しかし、山に絶対安全はない。どんなに注意していても事故は起る。山に絶対はない。山の天候は変わりやすい。
稜線を歩いていて、右側からは冷たい雨が吹き付けてきて凍えているのに、体の左側は太陽が照り付けている というような経験を山でしたことのある人は、山の天気を読むことがどんなに難しいことか、わかるだろう。人の「認識」で、登山に「絶対安全」と望む、など、なんと自然に対しておこがましいことか。どんなに認識していても、安全に注意していても、山では事故が起るし、人は死ぬこともある。それが納得できない人は山に来なければ良い。そして、山で遭難した人を責めないで欲しい。