2011年7月30日土曜日

オペラ オーストラリア公演 「二十日鼠と人間」




オペラ オーストラリアが、新作「二十日鼠と人間」を発表したので 観てきた。1973年に出版された ノーベル賞作家、ジョン スタインベックの同名の小説を オペラにしたもの。
http://blog.opera-australia.org.au/search/label/Of%20Mice%20and%20Men

世界恐慌の吹き荒れるアメリカ カルフォル二アを舞台に、農場を仕事を求めて移動する二人の出稼ぎ労働者の物語。悲劇的な結末には 涙なしに読了することができない。素晴らしい作品だ。

ジョン スタインベックは 「エデンの東」で、聖書に出てくるカインとアベルをテーマに 強い父親と二人の兄弟の確執と葛藤を描いた。映画化されて、それを若くて事故死したジェームス デイーンが主演したことで 永遠の名作映画となった。
また、「怒りの葡萄」では スタインベック自身が季節労働者として働いていた経験をもとに、土地を持たない労働者とその家族の惨状を描いて 骨太の社会派の作家として高く評価された。これも映画化されて、ヘンリー フォンダが主演している。

「二十日鼠と人間」も、1992年に映画化された。監督、演出、主演 ともに、ゲイリー シニーズ。彼は もともと舞台演出家で、この作品を舞台で成功させたあと、映画化している。自分のシアターカンパニーを設立して活動していたが、その仲間に ジョン マルコビッチがいる。
ゲイリー シニーズは 「アポロ13号」や他に沢山の映画に出演していて「プレジデント トルーマン」では主役の存在感のある男を立派に演じた。

しかし この映画「二十日鼠と人間」は 何と言ってもジョン マルコビッチの存在なしに語れない。この 1953年生まれの個性の塊のような男。只者ではない目つき顔つきで 実に個性的な話し方をする。気弱な卑怯者の男の役から、極悪人まで独特のテイストで演じるマルコビッチは、本物の役者だ。この映画で主役のレニーを演じて それが素晴らしかった。
長身、巨大な図体で精神薄弱、知恵遅れのある男 レニーは 柔らかいものを撫でるのが好き。二十日鼠をペットにしていて、柔らかい毛を撫でているうちに 力余って殺してしまう。死んでしまった鼠を ポケットに入れて大事にしている。どうして生き物がそんなに簡単に死んでしまうのか、彼には理解できない。そんなレニーの役を原作以上に上手に演じていた。
マルコビッチは 1999年「マルコビッチの穴」、2003年「ジョニーイングリッシュ」、2008年「バーンアフター リーデイング」、「チェンジリング」、2010年「レッド」などに出演、臆病でサイコパスな男とか 極悪の知能犯など、極端な性格の男を彼ほど迫力もって表現できる役者を他に知らない。

スタインベックの原作が 人間としての魂を揺さぶられるような素晴らしい上に、その作品を、二人の舞台出身の巧みな表現力を持った役者が演じたのだから、最高の映画が出来ないわけがない。好きな映画がいくつもあるが、この映画はそのうちのひとつ。本当に忘れがたい作品だった。

ストーリーは
1939年代、経済恐慌が吹き荒れるカルフォルニアで 出稼ぎ労働者のジョージとレニーは仕事を求めて農場を渡り歩いている。ふたりは一箇所に落ち着いて仕事を続ける事が出来ない。知恵の遅れたレニーが いつも何か揉め事を起こすからだ。その尻拭いをするのがジョージ。レニーに腹を立てながらも レニーの面倒を見るように 叔母クララから 頼まれて引き受けてしまったジョージには、レニーを捨てていくことができない。
ジョニーはいつか自分の牧場を買う夢を見ていた。レニーと力をあわせて農場を買い、動物を飼う。その夢の話をすると、レニーは手をたたいて 嬉しがり、自分の兎持つ夢に 夢中になってしまう。

二人は新しい農場にやってきた。農場主カーリーには 新婚2ヶ月になる妻が居る。若くて美しい女だが、女優になるために実家を出たので、結婚生活に満足できずにいる。多忙で自分に構ってくれない夫よりも、農場で働く男達を相手に 自分の魅力を振りまいたり、からかったりして退屈を紛らわしている。
ある日、レニーが もらった子犬を可愛がっているうちに 例によって 二十日鼠のように誤って殺してしまった。死んだ子犬を見つけられると ジョージに叱られると思って、納屋に隠そうとしているところを カーリーの妻に見つかってしまう。あわてるレニーの姿を面白がって からかって大声を出す妻に 動転したレニーは 彼女の口をふさぐつもりで、力余って殺してしまう。

納屋で妻の死体が見つかった。カーリーは農夫達を集めて銃で武装して 山狩りを始める。レニーは逃げながら ジョージに助けを求める。ジョージは レニーを連れて逃げ切ることが出来ないことを悟って、レニーに 自分達が買う農場の話をして落ち着かせ、幸せそうに自分の兎を飼う夢をみて夢中になっているレニーの後ろから銃の引き金を引く。
というお話。

オペラオーストラリア 3幕
監督:ブルース ベルフォード
作曲:カーリスル フロイド
キャスト
レニー :アンソニーデーン グリフィー
ジョージ:ハリー ブライアン
カーリー:ブラドリー ダーレー
妻   :ジャクリーヌ マバルデイ

監督も作曲家もレニー役でテノールを歌った歌手も みんなアメリカ人だ。監督 ブルース ベルフォードは 去年やはりオペラオーストラリアで「欲望という名の電車」を オペラに仕立てて監督した。映画監督でもあるそうだ。

レニー役のテノールも、ジョージ役のバリトンも よく伸びる美しい声をしていた。カーリーの妻も ほど良いソプラノ。
しかし、何という曲だろう。
2時間余りのオペラの間 ひとつとしてメロデイーのある曲がない。旋律も現代音楽で、とても人が歌うような旋律に なっていない。高音低音入り乱れて、1オクターブ以上の高音のすぐ次に低音になったりして、歌う方は とても大変そう。また、せりふがとても多い。芝居の合間にとってつけたように曲が挿入されていて、不自然きわまる。
2幕の最初は、幕を下ろしてフイルムを写して、武装した男達がレニーとジョージを追って山狩りしている。映画を観に来たんじゃない。
このオペラは完全に失敗だ。

むかし 失敗作のミュージカル映画がこんな感じだった。登場人物が話をしていると、突然一人の顔つきが変わって 急に歌を歌いう出す。気でもふれたんじゃないか と思って観ていると それがミュージカルだという。ストーリーの流れと歌とが うまく編集されていないから、奇妙なことになる。このオペラも、ストーリーと歌とが ちぐはぐで 舞台がしっくり進行しない。
たまには現代音楽も良いかもしれないが 不協和音の連続に、耳が疲れる。どうして オペラが終わったあと、歌の一節でも皆が口ずさみながら 気分よく帰宅できるようなメロディーのある曲が 一つもないのか。単純で美しく思わず歌いたくなるような曲が どうして作れないのか。こんなオペラに拍手して 足をふみならして居る人の気が知れない。悲劇の結末に、後ろの女性達は声を出して泣いていたが 何故でしょう。現代音楽に全く理解がないわけではない。でも、2時間余り ハーモニーのない音の連続を聞かされて、とってつけたようなせりふのお芝居と、映画フイルムを見せられて、ときどき歌が入るようなオペラを見せられたのではたまらない。オペラハウスの前から9列目の中央。180ドルの席。無駄をした。
原作が素晴らしく、映画が上出来だったが、このオペラは失敗作。
拍手もせず、舞台でまだ歌手達がお辞儀を終えないうちに、席をたって帰ってきた。

2011年7月28日木曜日

映画 「最後の忠臣蔵」


ワーナーブラザーズ製作の日本映画 「最後の忠臣蔵」を観た。
劇場の大画面で観たかったが、シドニーでは望めない。うちの大画面ソニーブラビアで 我慢我慢。

監督:杉山成道
原作:池宮彰一郎
キャスト
瀬野孫左衛門:役所広司
寺坂吉之門 :佐藤浩市
可音    :桜庭ななみ

ストーリーは
大石内蔵助は、47士とともに 吉良幸上野介を討ち入りする前日、腹心の瀬野孫左衛門をそばに呼んで、実は自分には可留という女中との間に 生まれてくる赤子がいる。このことを知っているのは 当人と孫左衛門だけだ。討ち入りの後、大石家の血を引くものは ことごとく罰せられるに違いない。しかし、病弱な可留から生まれてくる赤子まで制裁されるのは、忍びない。事態が収まり、赤子が成長するまで世話をしてもらいたい。と頼み込む。
3代 大石家に家老として仕え、他の誰よりも 大石家に忠誠をつくしてきた孫左衛門にとって 討ち入りの戦線から退くことに断腸の思いだったが、主君の命令を自分の命にかえて完遂すると、約束して、彼は刀を捨て、苗字を捨てて、人里はなれた隠れ家で 赤子を引き取って育てる。

大石内蔵助の娘、可音は 自分の素性を知らぬまま成長し、孫左衛門から行儀作法、読み書きを習い、技舞だったゆうから、琴などの芸事を習いながら、武士の娘としての自覚を持った女性として立派に育っていく。
孫左衛門は骨董品の売買で、生計を立てていたが、天下一裕福、といわれる豪商 茶屋四郎次郎のところに出居りするようになる。
ある日、茶屋四郎次郎の息子の若旦那が、人形芝居を見にきていた可音を見て、一目惚れする。品格があるが、どこの誰ともわからない。困った主人は 孫左衛門に この女性が どこの姫君なのかを調べて欲しいと、頼み込む。茶屋の若旦那と可音との縁談は、孫左衛門にとって 願ってもない話だった。

一方、可音は16歳になり、胸に内では、自分を育ててくれた孫左衛門に、異性としての恋心を抱くようになる。しかし孫左衛門にとっては、可音は文字通り赤子のときから渾身こめて 自分の命より大切な主君のために育ててきた娘だ。美しく成長し、自分を慕ってくれる可音を手放さなければならない 心の葛藤を抱えながらも、孫左衛門は 可音に幸せをもたらすに違いない縁談を 成功させなければならない。

内蔵助の命令で、生き残り、16年の歳月をかけて、46士の討ち入りのあと 残された家族を探し出し、世話、慰問してきた寺岡吉之門の出現で、事態は変わる。可音は、自分が誰であったのかを知らされて、孫左衛門に従って、嫁ぐことを決意する。可音は別れのきわに 心をこめて孫左衛門の着物を縫い、婚姻を承諾する。孫左衛門は可音の花嫁姿を見送って、、、。
というお話。

画面が人形浄瑠璃の「曽根崎心中」で始まる。この浄瑠璃のテーマは、「かなわぬ恋」であり、行き着く先は「心中」だ。
この時代、身分ちがいの恋はご法度であり、姦通罪は張り付けの刑、死罪。厳罰を避けようとすれば、心中しか他に、道はなかった。劇中、何度も何度も 人形の「お初」と「徳兵衛」が出てくる。この映画は、孫左衛門と、可音との二人芝居であり、二人の心の葛藤を、浄瑠璃の心中物語で代弁させている。お初と徳兵衛、孫左衛門と可音を交互に出すことによって 二人の心象風景を捉え、心の中の思いを吐露させている。実にうまい。

武士は多弁を要しない。義に生きて 必要なことだけを言い、必要なことだけを行う。そんな孫左衛門の自己を律した態度が潔く 美しい。心の中の煩悶や嫉妬や親心、怒り、哀しみ 愛情さえも黙して、自分のなかだけに納める。心の奥底に秘められた思いを お初と徳兵衛がめんめんと語り続ける。
日本人の一番好きな出し物である忠臣蔵と、曽根崎心中を二つ合わせて ひとつの映画を作るなんて、監督は、実に巧みな人だ。

忠臣蔵の武士道のもつ潔さ。エゴを殺すことで成立する武士道と、エゴの塊である曽根崎心中の純愛は、対極にある。しかし、どちらも不条理なこの世の中で起きた悲劇であるだけに、永遠の悲劇として人々の心を打つ。

画面が美しい。
紅葉した木々の間を孫左衛門が 早足で歩く姿が美しい。果し合いする吉之門と孫左衛門が駆け回るススキの原野。小さな藁葺きの小屋から流れてくる琴の音。美しい青磁器。花嫁の着物の輝くほどの純白。

篠崎正浩の「心中天網島」は、国際的に高く評価されたが、同様にこの作品も 海外で評価されることだろう。ただ、説明が必要。主君にために死ぬという「名誉の切腹」は、個人主義の欧米文化では、最も理解を得ることが困難なことだからだ。

2011年7月26日火曜日

祝 カデロ エバンス 優勝



世界最大の自転車レース ツールドフランス 21日間のレースで オーストラリアのカデロ エバンスが総合優勝して イエロージャージーを獲得した。

とても嬉しい。
エバンスは、34歳、アボリジニーの土地、北部オーストラリアの小さな街で生まれ、山岳自転車レースに魅せられて、16歳のときから自転車に乗っていた。2006年から ツールドフランスに出場していたが、ドラッグスキャンダルの起きた年には オーストラリア隊が全員棄権することになって出場できず、2008年と、2010年には、優勝が予想されていたのも関わらず、落車して、腕や肩を骨折して それでも第2位で完走した。落車の原因も、報道陣の車に引っ掛けられた、という不運な事故だった。2006年には第4位、2007年と2008年は第2位。いつも運に恵まれなくて、一位になれなかった。
しかし、とうとう やってくれた。

ツールドフランスは、オリンピック サッカーワールドカップと並んで 世界3大スポーツイベントとされている。1903年に始まって 100年余りの歴史を誇る 自転車レース。
21日間、それぞれのステージのうち、平坦なステージは少なく、アップダウンのステージ、なかでは難関の山岳ステージが最も多い。ピレネーー山脈とアルプスの山々を走る。今年は 3471キロの距離を21日間かけて 走り、最後は凱旋門を潜り抜け、シャンゼリゼを通りぬけてゴールを決めた。

エバンスは とても優しい声で話しをする。
2009年、2010年の優勝者、スペインのアルベルト コンタドールや、今回の第二位になった ルクセンブルグのアンデイ シュレックのような スポーツマンの攻撃的で強い男のイメージが全然ない。静かでとても優しくて、優勝しても 自分を支えてくれたチームへの感謝を述べるばかりだ。

この人に好感をもった契機は、2008年の北京オリンピック。オリンピック前に 問題を起こしそうな少数民族は皆殺しにしてしまえ、、とばかり当局は チベットを攻撃、チベットの僧侶たちが、どれだけ治安部隊に殺害されたか わからない。ラサで、僧侶達 数百人が政府機関や国営新華社通信や商店、銀行を襲って暴動が起きた、という筋書きだった。外国メデイアが 立ち入り禁止になったので、どれだけのチベット人が犠牲になったか わからない。しかし、想像はできる。胸がつぶれるような気持ちでいたときに、このカデロ エバンスは、チベットの旗を印刷したシャツを着て ツールド フランスに出場した。
21日間、チベットの旗のあるシャツで チベットの旗の模様の靴下で走り、第2位を勝ち取ってくれた。

どんな時代であっても、自分がどんな立場であっても、自分なりに考えて、自分なりにできることをする、、ということの確かさを知らされた。
祝 カデロ エバンス ツールドフランス 優勝!!!

2011年7月23日土曜日

小野アンナ先生



小野アンナにヴァイオリンを教わった、と言うと 嘘でしょう、あんな「日本のヴァイオリニストの生みの親」に教わったなんて、、、と言われる。
ついでに 小澤征爾の指揮で 演奏したことがある、というと、「お前、誇大妄想か、いい加減にしろ。」と言われそうだけど、これも ちょっと本当。大学時代、彼は成城学園出身なので 大学にコーラスを指導に来ていた時期がある。

小野アンナは、1898年生まれ、ロシアのヴァイオリニスト。彼女がペテログラードで出合った日本人留学生 小野俊一と結婚する前の名前は アンナ デイミトリエヴィナ ボブゾワ(ANNA DMITRIEVNA BUBNNA)。父親は ロシア皇帝に仕えた官僚で、母親は貴族だった。まさに、ロシア革命が起った年、1917年に結婚して、ボルシェビキによる革命から逃れ、日本に亡命する。
長男を出産するが、息子の病死を契機に 離婚。その後、ヴァイオリン教師として生きてきた。常に自分を教育者として位置つけて、ヴァイオリニストとしての演奏活動などはせず、レコードによる録音などには応じなかった。いわば伝説のヴァイオリニスト。

教育熱心で小野アンナの音階教本など、ヴァイオリン教育の基本の教科書をいくつか出版した。それらは いまだにヴァイオリンを習う人々の 必須の基礎学習本になっている。鈴木ヴァイオリンが組織だった活動を開始する前の話だ。彼女の伝統的な 教え方が理にかなったものだったゆえ「日本のヴァイオリニストの生みの親」という名がついたのだろう。
戦前は 諏訪根自子、巌本真理を輩出、戦後は 武蔵野音楽大学で教鞭をとりながら、前橋汀子や、潮田益子、浦川宣也、石川希峰などを 世に送り出した。
その後、1958年にソビエトに帰国して、グルジアのスミフ音楽院で教鞭をとった。亡くなったのは、1979年5月。

私が小野アンナにお会いしたのは 彼女がロシアに帰国する前の数年間で、私は 5歳から8歳の間くらいだったと思う。とても、穏やかな いつも静かに笑って観て下さったという記憶しかない。
小野アンナの愛弟子に 村山信吉と村山雄二郎がいる。現在の小野アンナ記念会の副会長が、村山雄二郎。私は彼に小さな時から、ヴァイオリンを教わっていた。とても厳しい先生で、音階ばかりを延々と練習して、レッスンの最後にちょっとだけ曲を弾かせてもらう という感じのレッスンだった。

年に一度 大きな発表会があり、小野アンナの弟子の生徒達:孫弟子のコンサートがあった。彼女は 生徒達は早くから 舞台に上がって演奏の発表することで成長すると考えていたので、発表会をとても大切にしていた。だから発表会の前には 伴奏のピアニストを連れて 弟子達のクラスに順にやってきて、曲を見てくれて、一人一人に注意やアドバイスをしてくれた。
いろんなことを言われたのだと思うが 全く憶えていない。銀色の髪をきれいにまとめて、肌の美しいおばあさんだった とか、発表会のあとの写真撮影で 横に来てくださって嬉しかった とかいう、記憶だけ。最後に見てもらったのは マスネの「タイスの瞑想曲」だったと思う。

小野アンナ記念会は、いまだに現役のヴァイオリニストを中心に活動していて、年に一度オーデイションをして、若い人を育成しているようだ。記念会をゴーグルで検索していたら、ジョン レノンのおかみさんだった小野ヨーコも 小野アンナの親戚だったということを初めて知った。
嬉しかったのは、子供の頃 ずっとヴァイオリンを教わっていた先生が この会の副会長をしておられることがわかったことだ。スマートで颯爽とした人だった。時としてあこがれたり、曲で叱られ怒鳴られ脅かされて、悔しかったり、全然上達しないので切なかった思いや いろいろな感情が溢れてきた。
でも考えてみたら 今ごろはもう80歳代なんだよね。
会いたいかって???いえ、結構です。

2011年7月19日火曜日

映画 「ハリーポッター死の秘宝 パート2」



映画「ハリーポッター死の秘宝 パート2」、原題「Harry Potter and the Deathly hallows;part2」を観た。
http://www.imdb.com/title/tt0926084/

製作:デヴィッド ヘイマン
監督:デヴィッド イエッツ
原作:JK ローリング
キャスト
ハリーポッター       :ダニエル ラドリフ
ハーマイオニー グレンジャー:エマ ワトソン
ロン ウェルスレー     :ルパード グリント
ヴォルデイモート卿     :レイフ ファインズ

10年間 ハリーポッターを観て来た。今回が8番目の作品で これでストーリーが終了した。8つの作品というと、2001年の第一作 「賢者の石」、第二作「秘密の部屋」、第三作「アズカバンの囚人」、第四作「炎のゴブレット」、第五作「不死鳥の騎士団」、第六作「謎のプリンス」、第七作「死の秘宝パート1」そして「パート2」だ。

スコットランドのエジンバラで生活保護を受けていたシングルマザーだった、JK ローリングが 書いて出版した作品を デヴィッド ヘイマンが見出した。1997年刊行から、7巻で終了するまで ずっと世界中でベストセラーを誇った。4億5千万部の本が売れ、世界中の子供達に愛された。分厚い本を夢中になって読む小学生の姿に感心しながら、自分でも夢中で読んだ。これはおもしろい。

8作品のなかでは やはり第一作の「賢者の石」が一番印象に残る。
孤児で いじめられっこだったハリーが 俗悪物の叔父さん宅で 寂しい思いで迎えた11歳の誕生日に、自分が魔法使いだということを知らされる。ホグワーツ魔法魔術学校に入学を許されて キングルクロス駅から 壁を破って 魔法学校行きの列車に乗り込む。そして、ハーマイオニーとロンと親しくなって、ともに魔法を勉強するうちに、自分の額にある稲妻の傷の由来と 自分の両親が殺された事実を知らされて ダークロード、闇の世界と戦う決意をする。

11歳の美少年のハリーと、小生意気なハーマイオニーと、お人よしのロンとロンの家族、ダンブルトン、すべての登場人物が生き生きとして 巧みに描かれている。感嘆したのは 魔法のお話のストーリー性だけでなく 随所に出てくるデテイルの緻密さだ。不思議な魔法の動物達、移動に使うホウキ魔法の杖 ひとつひとつに もっともな説明がつく。
魔法の使い方も、理論と技術と実践と練習の積み重ねをしないと、とんでもないことになる。ドラえもんはいつでもどこでも 竹コプターや どこでもドアや自動翻訳コンニャクを出してくれるが、ハリーポッターの魔法は 練習したからといって、誰にもできるようになりはしない。理論の学習と練習の積み重ねを経てやっと使用できる。 悪の魔法の世界に脅されながら 習ったばかりの魔法を3人が 知恵を出し合いながら駆使する。味方も敵も 魔法使いだから 信頼していた先生が敵だったり、3人の結束も時として怪しくなったり、、。
魔法学校のスポーツ クィデイッチ競技もおもしろかった。地上にはないルールで空を駆け回る。

次々とハリーたちに課せられる困難な課題に、ハリーは ハーマイオニーとロンの助けを借りて 辛うじて応じることができる。いつも問われる3人の結束。この3人にとって、友情が第一であって、親ではない。この作品の独特の心地よさ、乾いた空気が一体なんだろうか と思って考えてみたら 思い当たるのは3人の自立心の強さ、親との距離だと、思い当たった。
11歳のハリーは孤児だが、魔法で両親に会えても ベタベタしない。親のほうもハリーを励ますだけだ。ロンの両親は むしろ孤児のハリーに優しくする様に勤めていて ロン自身も親に甘えない。ハーマイオニーも、マグル(人と混血の魔法使い)ゆえに、両親の命が危険にさらされると 迷いなく両親の記録や記憶から 自分を完全に消え去ってしまう。自分から親を失くしても 取りすがったり泣いたりしない。親と子の関係が とてもさらりとしていて、センチメンタルな情感が左右しない。とてもイギリス的なのだ。このイギリス人の親と子の距離感と子供達の自立心の強さが、とても心地良い。

今回の映画で 初めて味方がか敵なのか なかなかはっきりしなかったホグワーツ魔法学校の スネープ先生とハリーの母親との関係がはっきりわかった。彼は嫉妬に狂ってハリーの敵に 身を売ったのだ。こんなスネープに殺されてしまったダンブルトンが惜しまれる。
宿敵 ダークロードのヴォルデモードとハリーの決戦で、一瞬 ハリーは 臨死体験をして 死の世界で恩人ダンブルトンに会う。でもダンブルトンは ハリーを地上に送り返すのだ。
ヴォルデモードの恐ろしさ。本当の悪そのものだ。邪悪の蛇の不気味さ。死喰い人たちの追撃。ヴォルデモードを演じたレイフ ファインズが すごく怖い。鼻のない顔が不気味だけれど、あのハンサムな役者の高い鼻は、化粧の下でどうなっているんだろう。

気弱でいじめられっ子だったネビルが 男らしくなって大活躍する。彼が邪悪のもとの蛇を断ち切らなかったら ハリーたちに勝ち目はなかった。ハリーの最初の初恋の少女チョウ チャンも出てきた。壮絶な闘いのなかで、ハーマイオニーとロンは心を一つにする。ドラゴンもでてきて、3人を乗せて空たかく飛ぶ。大蜘蛛も巨人も出てくる。最後だから、登場人物が全部出てきた。
ロンの双子のお兄さんは 戦闘で死ぬ。ヴォルデモードと死喰い人達との戦いは たくさんの犠牲を出した。しかし分霊箱を破壊したハリーは戦いに勝つ。
本当に3人はよくやった。同じ年頃の子供達にとって、等身大で悩み 苦しみ傷ついて 乗り越えていく3人の姿が 大きな励ましになったに違いない。

JKローリングは、たぐいまれな ストーリーテラーだと思う。
「スターワーズ」より、「ロードオブザ リング」より、「ナルニア物語」より、「パイレイツ オブ カリビアン」よりも 物語性、映像、音楽、役者たち、全ての面で優れている。とても満足した

2011年7月18日月曜日

映画 「ポッパーさんとペンギンファミリー」




アメリカの子供向けコメデイ映画「ポッパーさんとペンギンファミリー」原題「MR.POPPER"S PENGUINS」を観た。
1938年に リチャードとフロレンス アドウォーターによって書かれた 児童文学を映画化したものだ。

監督:マック ウォーター
キャスト
ポッパーさん   :ジム キャリー
妻アマンダ    :カルラ グジーノ
レストランオーナー:アンジェラ ラズべリー
秘書ピピ     :オフェリア ロビボンド
娘ジェミー    :マデリン カロル
息子ビリー    :マクスウェル ペリーコットン
http://www.popperspenguins.com/main.html

ストーリーは
ポッパーさんのお父さんは冒険家だった。いつも冒険に出かけていて留守だけど、未知の国から通信機を通して 息子に冒険の話を聞かせてくれた。ポッパーさんの部屋は お父さんから送られてきた世界中の珍しい秘宝でいっぱいだ。そんなお父さんは 冒険に行ったまま帰ってこなかった。
いまや、ポッパーさんはニューヨークで不動産業をしている大金持ち。世界中を冒険して、旅に出たまま帰らなかった父親の影響で 顧客に土地や家を売るというより、夢を売ることに重点を置いていた。しかし大きな夢を見ながら、仕事をしていて、妻にあいそをつかされて、別居されてしまった。小学生の息子ビリーと、ジュニアスクールに通う むずかしい年頃の、娘ジェイミーが居る。

ある日、子供の頃に音信を絶ったままの父親から 遺産を相続することになった。ブルックリンの高級アパートに住むポッパーさんのところに届いた遺産の小包みを開けてみると 凍ったペンギンが入っていた。飾り物かと思ってみたら、何と本物のペンギンだった。おまけに いたずらなペンギンで、留守中に 風呂場いっぱいを氷水で満たして アパート中に洪水を起こしてくれる。ポッパーさんは仕事が忙しい。反抗期の娘が訪ねてくるし、息子は誕生日の贈物を期待して来る。混乱のうちに 後続の小包みが届いて 中には5匹のペンギンがいた。ポッパーさんの行くところ行くところ 6匹のペンギンがついてきて 彼の仕事も家庭も振り回されて、、、。
というお話。

喜劇役者としてのジム キャリーのおとくい一人舞台だ。いくつになっても年をとらないキャリーとペンギンの組み合わせのおかしさに 引かれて観にいった。とてもまともな妻、優秀な秘書、反抗期の娘が ペンギンに振り回されるポッパーさん以上に ポッパーさんに振り回される様子がおかしい。
CGをたくさん使っているだろうが、ペンギンたちが列を作って ニューヨークの街中を歩き回ったり、博物館の廊下を流れる水とともに滑り降りたり、セントラルパークを横切ったりする。歩く姿が愛らしい。

GUGGENHEIN博物館は 超近代的な美しい建物で階段がなく らせん状のゆるやかな坂で、階上まで上がれるように設計されているが、この建物全部を使って 華やかなパーテイーが行われている。そこにポッパーさんを追ってペンギンたちが入り込み、氷と飲み物のトレイを倒した拍子に 最上階から流れる水とともに 下まで滑り降りる姿が素晴らしくて、笑える。アパートで、留守番するうちに、テレビで チャールズ チャップリンの白黒映画を、自分たちの仲間だと思って ペンギンたちが興味深く眺めるところも笑える。ニューヨークの真冬、アパートの窓とバルコニーを全開して、床に氷と雪で覆い 雪の上にシュラフに包まって寝るジム キャリーの姿も良い。

コメデイーだが、母親が他の男とデイトする姿に、傷ついている子供達の柔らかな心と、ポッパーさんの子供心が、マッチして、ほろりとさせられる。また 父親に贈られたペンギンを契機に、ポッパーさんが一番自分でやりたかったことをすることになった。よかった、よかった。
ペンギン騒ぎで ばらばらだった家族が すべて丸く収まって 子供向けの映画として、成功している。

コメデイ映画 「ブライズメイズ」



珍しくコメデイ映画を観てしまった。原題「BRIDSMAIDS」。
http://www.imdb.com/title/tt1478338/


監督 :ジュード アパロウ
キャスト
アニー :クリステイン ウィルグ
リリアン:マヤ ロドルフ
ヘレン :ローズ バーン

独身男達の仲間の一人が結婚するのを切っ掛けに 飲んだくれの男ばかりが メチャメチャをやる「ハングオーバー」その1とその2が、大受けしている。男達の無軌道ぶりが 桁外れなのが おかしい。もともと 友達の一人が結婚するとき 結婚式の前日に独身仲間が集まって、大馬鹿をやるという古くからの習慣がある。これは ハングオーバーの女性版ともいえるコメデイ映画だ。ブライドメイドとは、結婚前のパーテイーや 結婚式の準備に関わり 式当日には 花嫁の横にいて 式や披露宴が順調にいくように手伝う女性のこと。ふつう花嫁の親友が選ばれる。ブライドメイトを任されるということは、女性にとって とても名誉なことだ。

ストーリーは
40代にはいったアニーとリリアンは 高校生のときからの親友だ。むかし仲の良かった友達は みな結婚してしまい、独身でいるのはアニーとリリアンのふたりくらい。そのリリアンが結婚することになって、アニーがブライドメイドをまかされることになった。
アニーは ボーイフレンドと経営していたパン屋は 男に逃げられて倒産、いまのセックスフレンドは 単なる不倫関係、アパートの空いている部屋を人に貸して辛うじて食費を得ている。そんな状況を知っている 同じ同級生だったヘレンが、リリアンのブライドメイトを肩代わりしようとして、しゃしゃり出てくる。ヘレンはスーパーリッチの後妻だ。結婚衣裳も ブライドメイトたちのドレス選びやパーテイー会場選びも ヘレンの洗練されたセンスが アニーの先を行く。何もかもうまくいかず、アニーは 泣く泣くブライドメイトから下りなければならなくなって、、、、。
というお話。

女の力が強くなって晩婚、子なし夫婦が当たり前のアメリカで、40過ぎても結婚式が女にとって どんなに大切なものか女の固執ぶりが わかっておかしい。結婚式は 女がどんなにキャリアを積み重ねても 高給取りになってもまだまだ神話的な世界であって、夢の世界で女にとって確執以上のものだ。純白ドレスとベールをあきらめることが出来ない。そこが ばかばかしくて、おもしろい。

結婚式、女の友情、虚栄と競争心、、これが女性の弱点か。
アニー役のクリステイン ウィルグは、アメリカのテレビで活躍しているコメデイアンで、ヘレンはオーストラリアのテレビでお笑いをやっている女優だ。
女性版 ハングオーバーも、きっちり豪華豪勢な結婚式で歌って踊って楽しく終わる。つくずくアメリカのコメデイ映画だ。笑って ホロリとさせればそれで良しとする。下品で 下ネタが絶えない所もアメリカ的。
高級ブライダル店で吐いたり、何千ドルもするウェデイングドレス姿で路上でトイレをさせたり、あきれて笑えない。
不景気と失業と日常のストレスから一瞬でも逃れたいアメリカ人にとって こんな映画も 必要なのかもしれない。 醒めると むなしいけれど。

2011年7月14日木曜日

仏映画 「ナンネル モーツアルト 哀しみの旅路」



フランス映画、「MOZART’SISTER」、邦題「ナンネル モーツアルト 哀しみの旅路」を観た。日本では、限られた映画館で公開されていたらしいが、ここでは ごく限られた劇場で、1週間だけの公開だった。英語字幕つきのフランス映画は ここでは 人気がなくて観る人が少ないので 公開されてもすぐに終わってしまって、ビデオも出ないので、一度見逃すと二度と見る機会を失う。それにしても何とセンスのない邦題だろう。「哀しみの旅路」とは何のことか?べとべと湿っていて気持ちが悪い。映画と全然そぐわない。
http://www.youtube.com/watch?v=LC8uDF9PVoI

監督:RENE FERET
キャスト
父レオポルド  :MARC BARBE
母アンナマリア :DELPHINE CHUILLOT
姉ナンネル   :MARIE FERET
弟ヴォルフガング:DAVID MOREAN

ストーリーは
1763年 モーツアルト一家は 王侯貴族たちの招聘に応じてヨーロッパ各地を演奏旅行している。一行は 父レオポルド、母アンナマリア、14歳の姉ナンネルと 10歳の弟ヴォルフガングの4人だ。
父レオポルドは 5歳で早くも作曲をし、ピアノ ヴァイオリンを自由自在に演奏することができる 息子ヴォルフガング アマデウスに、ヨーロッパデビューさせることが目的だった。
パリをめざす途中で、一行の乗った馬車の車軸が折れてしまう。修理のために世話になることになった修道院には、フランス王 ルイ15世の3人の娘たちが暮らしていた。

ナンネルはここで 3人の娘のうち末娘のリサと親しくなる。リサはベルサイユで暮らす兄の音楽教師に恋をしていた。身分の違いで一緒になることはできないが 自分の思いだけは伝えたい。馬車の修理が終わり一家はベルサイユに向かうが、ナンネルはリサの恋文を託されていた。
ベルサイユで 父レオポルドは ヴォルフガングをみごとにデビューさせる。音楽の神童は どこでも歓迎された。そしてナンネルは ルイ フェルデイナンの音楽教師に無事リサの恋文を届ける。その時に ルイ フェルデイナン王太子に 呼び止められたナンネルは 求められるまま、王太子のために歌い ヴァイオリンを演奏する。そして14歳のナンネルとフランス国王の王太子は互いに惹かれあう。

王太子ルイ フェルデイナンはナンネルの音楽的才能を高く評価して 二人はしばしば会う様になる。ナンネルは ルイのために 自分が思いついた曲を楽譜に残して捧げたい。しかし、父レオポルドは女に音楽理論は理解できない と断じて作曲を禁じた。父は 幼いときからナンネルにクラビーア、チェンバロ、ピアノ、ヴァイオリンは教えたが、弟の伴奏役として考えて、女は結婚することが一番良いと、頑なにに信じていた。
ナンネルは 王太子に役に立ちたい一心で 家族がヨーロッパ旅行している間 一人パリに残り作曲の勉強をして、いくつもの曲を王太子に捧げる。しかし、彼は妻を迎えなければならず、妹のリサからも、別れるように宣告されて、ナンネルの恋は終わる。
というお話。

撮影は本当に ベルサイユ宮殿で行われた。
18世紀のブルボン王朝の華麗な宮殿、、、王侯貴族たちの美しい衣装、、そしてモーツアルトの音楽、、、これだけそろっていれば、他に何が必要だというのだろう。
とても美しい映画だ。
ヴォルフガング アマデウスを演じたデビッド モーランは 本当にヴァイオリンを上手に演奏した。ピアノを弾いている真似はできるが、ヴェイオリンを弾く真似はできない。本当に上級レベルのヴァイオリンを弾ける子供をアマデウスに抜擢していて 音楽だけでなく彼の演技も とても良かった。利発そうな愛くるしい顔、10歳ころの男の子は本当に可愛い。彼がベッドで でたらめを歌っている。するとナンネルが そのメロデイーに合わせて低音で歌い始める。二人してふざけて重唱しているうちに「これはいけるぞ。」とばかり、ベッドを飛び出してオルガンで連弾するシーンが とても良かった。こんなふうにして曲が出来てくることがわかって、興味深い。

ヴォルフガングが 何の土台もないところから 一人飛びぬけて天才として出てきたわけではなくて 作曲家としても優れたピアニストでもあった父と、声楽にもピアノにも優れた才能を持った姉がいて、それをしっかり支える母もいて その上でヴォルフガングが育ってきたことが よく理解できる。父親も母親もしっかりと二人の子供に愛情を注ぎ込んでいる。
ザウスブルグの彼の家に行ってみると、彼は家族に沢山の手紙を残しているが、いつも家族への愛に満ちていて、家族の調和がいかに 彼にとって大切だったかが想像できる。だから、レオポルドとアンナマリアが、思ったとおりに映画で描かれていて嬉しかった。

ナンネルが恋に陥るルイ フェルデイナン役も、とても良かった。ちょっと病的で ひ弱な感じで かんしゃくもち。決して王座に座ることなく 父ルイ15世よりも先に死んでしまう永遠の王太子。本当にこんな人だったのだろう。
ナンネル役は この映画の監督の娘だが、とても清楚で良かった。この恋のあと、ナンネルは作曲家としても、音楽教師としても成功したに違いないのに、自分で選んだ夫を父レオポルドに反対され、裕福な判事のもとに嫁がせられ 愛のない結婚生活を生きた。

ヴォルフガングも、コンスタンサと結婚して 貧困のどん底で若死にする。
ナンネルも、ヴォルフガングも 父の庇護のもとで子供時代をもっとも幸せに過ごしたが、大人になってからはそれがかなわなかった。
事実が痛ましいだけに、初々しい二人の子供時代の才能と美しさが際立っている。

とても満足した。良い映画だ。
厳密に時代検証すれば、ナンネルが恋をしたルイ フェルデイナンは 映画のように17歳ではなくて、もうおじさんだったはずだ。その息子(後のルイ16世)も マリーアントワネットもベルサイユに居て良いころの話だ。映画作りのための時代検証の甘さがちょっと残念。

2011年7月6日水曜日

映画 「ツリー オブ ライフ」



映画「ツリー オブ ライフ」(THE TREE OF LIFE)を観た。
今年5月の 第64回カンヌ映画祭で、最高の名誉である パルムドール賞を受賞した作品。日本公開は8月12日。
http://www.imdb.com/title/tt0478304/

監督:テレンス マリック
キャスト
父オブライエン: ブラッド ピット
母      : ジェシカ チャステイン
ジャック   : ショーン ペン

ストーリーは
今や人生の盛りを越したジャックは、建築家として成功しサンフランシスコ(ニューヨーク?)に住んでいる。仕事に疲れた彼が しきりと思い出すのは自分の子供時代の思い出ばかりだ。
厳格な父、優しい母、3人の男の兄弟の長男として父と母に愛されて、幸せな少年時代を送った。父は 敬虔なクリスチャンで オルガンを弾く。自分を子供達が呼ぶのにサーをつけて呼ばせ、躾に厳しいが、いつも愛情をもって見守ってくれていた。母は美しい女性で、どんな時でも子供の味方になってくれた。楽しい子供時代、森での冒険、クラスメイトの女の子への淡い恋心、母親のお供で買い物に行った町の様子、家が火事になり大火傷をした友達、弟への嫉妬、競争心、、、いつもいつも両親がそばに居てくれた。
そんな父が 失業し 思い出のつまった家を売ることになり、引越しをする。それから大分たって、弟が死ぬ。弟の死は何だったのか。自分の命を育んでくれた両親は自分にとってどんな存在だったのか。ジャックは考える。
というお話。

本当は、この映画にストーリーはない。物語の起承転結やドラマやストーリーは何もない。
最初の30分ほどは 生命の誕生を顕微鏡のミクロの世界で写しだしたり、海洋の水の流れ、海の中の生きる生き物達、風、ゆれる木々、古生代の恐竜まで出てきて、ナショナルジェオグラフィックのようだ。それぞれの映像に何の脈絡もなく ただ美しい映像が次々と映し出され、荘厳な音楽が流れる。ブラームス「交響曲第3番」が流れる。囁き声で マザーとか、命とか誰かが囁く。
物語を期待して見ると 完全に裏切られる。綺麗な音楽と何の脈絡のない画像ばかりをしばらく見せられて、となりに座っていたおばあさんは もうすっかり眠ってしまった。

ジャックが生まれ 若い父親(ブラッド ピット)と母親(ジェシカ チャステイン)が愛情をたっぷり注ぎ込む。ジャックがヨチヨチ歩きの時に 弟が生まれ、そして末の弟も生まれる。
3人の男の子が自然いっぱいの家の周りでふざけまわる長い長いシーンには スメタナの「モルドヴァ」が使われていて 管弦楽が高らかに鳴り響いて感動した。ソビエトの圧政下で禁止されながらもチェコスロバキア人の誇りを「交響曲 わが祖国」に託してを演奏し続けた「モルドヴァ」。無垢な少年達が飛びはね、ふざけて笑い、はじけるような歓喜のシーンに この曲の第一楽章全部を使うなんて、何と言う大胆な贅沢。

イマジネーションの羅列と言うことも出来るし、一人で連想ゲームを楽しんでいる、ということも言える。監督は完全に、自分の世界で遊んでいる。この映画は 監督自身の個人的な思いを音楽と映像で並べ立てた 抒情詩だ。

彼の作品「2001年宇宙の旅」(A SPACE ODYSSEY)を観ていないので、よくわからないが、この監督はバーバードでも オックスフォードでも哲学を学んだ学者さん ということだ。

しかし、ブラームス、スメタナが高らかに鳴っていたのは前半で、後半はバッハとレクイエム 賛美歌ばかりに変わる。
宗教的な啓示に満ちている。
天国も出てくる。へクター ベルリオズの「レクイエム」をバックに 死んだ人々が昔のままの姿で出てきて 渚を素足で歩いていく。天国に向かって。

ハシゴも出てくる。天に登るバベルの塔だ。ノアの洪水も出てきて、プールで溺れて死ぬ子供が出る。罪人に水を施すマリアのような母。それから 汚れた足を洗う女も出てくる。敬虔なクリスチャン家庭に育った少年時代を思い起こせば 聖書をさけて通ることはできない。神なくして人生の哲学はない。そういえば、題名の「ツリーオブ ライフ」は 聖書の言葉だった。知恵の樹と、命の樹のツリー オブ ライフだ。

外国で暮らしていて いつも興味深く観察するは こういった知的で芸術的で、さらに抽象的、印象派的な作品に対する観客の反応だ。日本だったら、この映画を観て 人々はおとなしく上品に「なかなか味わいのある映画でございました。」などと言うのだろう。
私が見ていた映画館では、映画が終わったとたん、失笑の渦と ため息の氾濫。「マイガーッシュ!!!イナッフ イナッフ!」(おやまあ、、もう沢山よ!)と大声のおじいさん、、、。完全にこの映画、ここでは 受けませんでした。
おいおい、みなさんクリスチャンでしょう? カンヌで最高の賞を受賞した映画なんですけど、、。ブラピが出ている映画なんですけどー。

いくら芸術でも 気取りや粉飾やおせじが効かないのが、オージー気質。わかっているつもりだったが、詩情たっぷりの美しい映画を みごとに拒否してくれたオージーたちの反応をみて、改めて オージーは正直だな と思った。
でもわたしも、ブラッド ピットが出ていなかったら この映画 最後まで観なかったかもしれない。彼がオルガンでバッハの「トッカータとフーガ」を弾くシーンがとても素敵だ。 ブラピのファンなら 3分間のこのオルガンのシーンのために、2時間20分の映画を我慢して座っているのも耐えられるでしょう。

2011年7月4日月曜日

2011年 上半期 漫画ベストテン




今年に入って1月から6月までに読んだ漫画は70冊ちかく。
シドニーで 日本の漫画は手に入りにくく、雑誌連載で継続中の漫画は 単行本が出て、こちらに送られてくるまで待たなければならない。従って日本に居る人たちより ずっと遅れて読む。ベストテンの中には 新作ばかりでなく 松本大洋の「花男」のように 古本でやっと手に入った作品も含まれている。
ちなみに 2010年 一年間に読んだ漫画のベストテンは
「バガボンド」、「リアル」、「聖おにいさん」、「竹光侍」、「宇宙兄弟」、「神の雫」、「ちはやふる」、「リアルクローズ」、「きのう何食べた」、「海猿」だった。

第一位=「リアル」 井上雄彦
第2位=「聖おにいさん」 中村光
第3位=「宇宙兄弟」小山宙哉
第4位=「3月のライオン」 羽海野チカ
第5位=「情熱のアレ」 花津ハナヨ
第6位=「神の雫」オキモトシュウ 亜樹直作
第7位=「ジェラールとジャック」よしながふみ
第8位=「BAKUMAN」大場つぐみ
第9位=「舞姫テレプシコーワ」1-10巻 山岸涼子
第10位=「花男」松本大洋 1-3巻
第10位=「漫画で分かる心療内科」1-2巻 ゆうきゆう作 ソウ画

第1位の「リアル」
井上雅彦の「バガボンド」が止まっていて、ずっと気になっているが その分「リアル」が ゆっくりながら続いていて、井上ワールドの夢を見続けることができて幸せだ。彼の絵もストーリーもみんな好きだ。この人ほど 登場人物ひとりひとりに命を吹き込むことが上手な作家は 他に居ない。野呂明美が大好き。なにひとつ取り得がない。自分のせいで下半身麻痺になってしまった夏美を前にして、「どうして今までくすぶっていたんだ。どこまで行けるか確かめもしないで。」と、ひとり立ち上がる。登場するひとりひとりが困難を抱えて 実にリアルに燃えて生きている。とても励まされる漫画だ。

第2位 「聖おにいさん」
このおもしろさは巻を経ても 全然ダレない。何巻から読んでも いつでもおもしろい。ページをめくるごとに笑える。知識が豊富で才能ある作家だ。松田ハイツに住む「目覚めた人ブッダ」と「神の子イエス」が 下界で日常生活を送る。会話が実に冴えている。
楽器屋に入って、、、 カートコバーン愛用のムスタングギターや ジミヘンのギター、ボンゾのドラムを見せて、3人とも若くして突然亡くなった 天才は何故早く逝ってしまうのか、、、と嘆く店主に、ブッダは青くなり、そういえば「弁財天さん今年は天界で大きな音楽フェスやるって。」するとイエスが「気のせいだよ 偶然だよ。」と慰め「業界の黒い秘密に触れてしまいそうだね。」と、二人して口をつぐむ。で、ブッダが「弁財天さんがロックバンドで雷神さんにスネアドラム叩かせようと、」と言えば、イエス「ミカエル大天使さんはお兄ちゃんっ子だから ルシファーに影響されてデスメタルみたいな声で歌ってみたいとか、ラファエルがグレゴリー聖歌のテクノREMIXしたいとか、、」と応ずる。イエスがカラオケで森進一の「おふくろさん」を歌えば、ブッダは「それってアベマリアに相当するから まずいんじゃない?」などと言う。知識がないと笑えないが、とにかくおかしい。読んでいる間中 笑いが止まらないから、電車の中や、病院の待合室などでは絶対読めない。

第3位「宇宙兄弟」
読者はみんな 出来の悪いお兄ちゃんの味方ではないだろうか。優秀で心優しい弟、俗物で身勝手な両親の家族の中で、取り得のないお兄ちゃんが 頑張る様子に 心から応援せずにいられない。

第4位「3月のライオン」
不幸な過去を持つ高校生の主人公が 将棋の世界で生きる。悲しいことに慣れっこになってしまった小さな魂が痛々しい。読んでいるうちに いつしか彼に強く共鳴している。

第5位「情熱のアレ」
珍しい。女性向けの性教育になっている。無知な女より何でも知っている女の方が良いに決まっている。知らなければただの無知だが、知っていれば知識を生かすことも 知らないふりをすることも出来るからだ。

第6位「神の雫」
はじめの1-2巻に興奮して感動した読者の半分は もう飽きてこの漫画から離れてしまったのではないだろうか。この作者は 話を伸ばしすぎる。読者は疲れてきた。けれど最後の結末を見たいばかりに 読み続けている。神咲雫の勝負は もう28巻になったのに まだ半分の道のりだ。もんくを言いながら読んでいる。

第7位「ジェラールとジャック」
よしながふみの絵が好きだ。これはボーイズラブのこの作品、革命期のパリを背景にしていて それなりおもしろかった。この人の作品では、「愛すべき娘たち」、「1限目はやる気の民法」、「愛がなくても食ってゆけます」、「大奥」、「きのう何食べた」などを読んできた。なかでは「西洋骨とう洋菓子店」が一番内容も絵も良かった。これに勝る作品は他にない。

第8位「BAKUMAN」
二人の少年の漫画に対する熱が伝わってくる。漫画の作り方やデビューの仕方、漫画の成功の鍵を握るのが 編集者の能力次第だという内幕もわかって興味深い。ほかに漫画家を描いた島本和彦の「吼えろペン」1-13巻も たわいないが、おもしろく読んだ。

第9位「舞姫テレプシコーワ」
少女漫画の典型。バレエ漫画だが、映画「ブラックスワン」並みの怖さ、恐ろしさがあって、結構読ませる。

第10位「花男」
松本大洋の独特な世界が好き。この人の描く 本当に邪気のない、まっすぐ無邪気な男を愛さずにはいられない。

第10位「マンガで分かる診療内科」
心理士の心内療と看護士宮越あすなのコンビが バカバカしいギャグを連発しながら うつ病、ぺデファイル、幻聴、認知症、適応障害、パニックアタック、不眠症、といった病気をわかりやすく解説する。精神病や神経症に偏見を持っている人や 知識のない人には良い啓蒙書になっている。

2011年7月2日土曜日

2011年 上半期 映画ベストテン




2011年の1月から6月末までの間に 映画館で見た新作映画は26本、ヴィデオは14本 合計40本。
それ以外に、映画館で HD劇場ライブのフイルムのオペラを数本観た。その中では ロンドンのロイヤルオペラ シアターの「カルメン」と、ニューヨークメトロポリタンオペラの「ヴァルキューレ」が良かった。本当のオペラを劇場で観たのは オペラオーストラリアだが、「カルメン」がやっぱり良かった。
2010年に観た 映画ベストテンは、「終着駅トルストイの謎の死」、「剣岳 点の記」、「アバター」、「インセプション」、「シャッターアイランド」、「ゴーストライター」、「ソーシャルネットワーク」、「リミット」、「インヴィクタス負けざる者たち」、「ドン ジョバンニ」以上の10作品だった。2011年の上半期のベストテンは、

第1位=「英国王のスピーチ」 1月23日の日記で映画評を書いている。
第2位=「ザ ファイター」 1月25日
第3位=「ヒア アフター」 2月15日
第4位=「127時間」 2月24日
第5位=「コンヴィクション」 3月5日
第6位=「ソース コード」 5月11日
第7位=「オレンジとサンシャイン」 6月14日
第8位=「ノルウェイの森」  6月27日
第9位=「ザ ウェイ バック」 3月28日
第10位=「ふたりの女」

第1位 「英国王のスピーチ」
主演のコリン ファースがアカデミー主演男優賞をとり、脚本家が脚本賞を受賞した。この脚本家は 自分の書いたものを 亡くなった英国王ジョージ5世の妻(エリザベス女王の母親)に見せて、映画化の許可を願い出たが、彼女に「吃音障害を持った夫のことは、余りにもつらい思い出なので 映画化するのは自分が死ぬまで待って欲しい。」と言われた。彼女はとても長生きしたので 脚本家は20年余り待たなければならなかった。20年間暖められてきた作品がようやく映画化されて、芸達者な訳者ばかりが出演して完成度の高い映画になった。
コリン ファースも良かったが、人を食ったような言語療法士のジェフリー ラッシュの演技は本当にうまい。映画館でオージー俳優のジェフリー ラッシュが出てくるたびに 観ていたオージーたちが手をたたいて笑い転げ、男の友情に涙する様子が これまたおもしろかった。

第2位 「ザ ファイター」
クリスチャン べイルの役者としての徹底した役作りに ただただ感服、脱帽する。役になりきるということが こういうことなのか。「マシニスト」で体重を35キロ落とし、カンボジアの米軍捕虜役で20キロ痩せて、「アイアム ノット ゼア」で ボブ デイランになりきって、「ダークナイト」のバットマンと、「ターミネイター4」で 立派で美しい肉体美を見せてくれた。
この映画では ドラッグ中毒の元ボクサーの役。ガリガリにやせ細った体で、鋭いジャブを出す。予告編のフイルムを見た時は、彼だとわからなかった。弟役のマーク ウェルバーグも ごまかしの効かないボクサーの体作りで、しっかりクリスチャン べイルの役者魂を引き継いでいた。この映画も芸達者の役者ばかり集めていて ほんの端役まで手抜きがない。優れた映画だ。

第3位 「ヒア アフター」
心に傷をもった人たちの 心の再生を描いた クリント イーストウッドが作った32番目の映画。愛する人を突然失ない、哀しみを持っていく場を持たない人にとって とても慰めになる映画だ。

第4位 「127時間」
単独登山中 落石に手を挟まれて動けなくなり 自ら腕を切り落として 127時間後に生還したアーロン ラストンの実話。軽やかな音楽とともに ジェームス フランコが岩山に登り、自然と戯れる。とても素敵な役者だ。アメリカ ユタ州の広大な自然が美しい。山を愛する男は みんな 孤独だが勇敢で心優しい。

第5位 「コンビクション」
身の覚えのない殺人を犯したとして収監された弟を救うために、シングルマザーの妹ががんばって弁護士になり 無罪を勝ち取り弟を連れ戻す 実際にあったお話。ヒラリー スワンクのがんばりが、迫力満点で 勇気をもらえる。

第6位 「ソース コード」
アフガニスタンで戦死した空軍パイロットのジェイク ギレンホールが 死ぬ直前の脳の記憶装置を 実験的に利用されて これから起こるテロを事前に食い止める という近未来SF映画。名作「ジョニーは戦争に行った」のような 優れた反戦映画に仕上がっている。

第7位 「オレンジとサンシャイン」
イギリスとオーストラリア政府の合意によって 1970年代までの間に 13万人のイギリスの子供達が ボートに乗せられてオーストラリアの孤児施設などで 強制労働を強いられたという 歴史的事実を暴露した映画。つい最近になって両国の首相が 議会で正式に謝罪したが 謝って済むことではない。人口たかだか2千万人の国に 17万人の傷ついた子供達がいる。その労働力によって発展してきたオーストラリアの恥ずべき歴史の暗部を前にして、言葉もない。

第8位 「ノルウェイの森」
村上春樹の原作を ベトナム人のフランソワ トリュフォーと言うべき トラン アン ユン監督が映画にした。音楽と映像が美しい。会話がなくても音楽と映像だけでも 完成した映画になっている。

第9位 「ザ ウェイ バック」
1949年にシベリア流刑地から脱走して ゴビ砂漠を越えヒマラヤを迂回して インドまで逃れたポーランド人とロシア人捕虜の実話。ナショナル ジェオグラフィックが協賛しているだけあって 雄大な自然が素晴らしい。6500キロを自由を求めて歩いた男達に感動する。

第10位 「ふたりの女」
1960年作品 ビットリア デ シーカ監督。ソフィア ローレン主演 ジャンポール ベルモンド共演の白黒フイルム映画。若いときに これを見逃していたので どうしても観たいと長年思っていたが、VHSフイルムしかなくて手に入れようがなかった。2006年に「クラシックシアター」名作シリーズで 2本の古い映画と抱き合わせでDVDが出されたので ようやく手に入れて観ることが出来た。
第2次世界大戦中 ローマに住んでいた シングルマザーのソフィア ローレンは 13歳の娘を連れて田舎に疎開する。ロ-マは 日々空爆で危険になっていて、田舎に通じる道も、連合軍のスパイや、ドイツ軍や、イタリアの軍事政権で混沌としている。避難の途中で 母娘はモロッコ兵によって輪姦される。自分だけが傷つくならいい。しかし自分の娘がひどい事をされるなんて許せない。ソフィア ローレンの大きな瞳が絶望し、素足で土を蹴って前に進んでいく姿に圧倒される。大昔の名作を観ることが出来て 嬉しい。