2011年9月23日金曜日

映画 「雪花と秘密の扇子」




映画「雪花と秘密の扇子」、原題「SNOW FLOWER AND THE SECRET FAN」を観た。原作 リサ シーの 2005年ベストセラー小説を映画化したもの。

監督:ウェイン ワン
キャスト
雪花:ソフィ : チョン ジヒヨン
百合:ニナ  : リー ビンビン
ボーイフレンド:ヒュー ジャックマン

ストーリーは
二組の二人の少女の物語が200年の歴史を隔てて 同時に平行して語られる。

上海に住むニナ(リー ビンビン)は ビジネスウーマンとして成功して 恋人と一緒にニューヨークに派遣されることになった。同僚達とのお別れ会をして、渡米に胸を膨らませているときに、突然 消息を絶っていた親友、ソフィ(チョン ジヒヨン)が交通事故で昏睡状態に陥っているという連絡を受ける。ニナは 渡米を取りやめて病院に駆けつける。
数年前、ソフィのボ-イフレンド(ヒュー ジャックマン)のことで 二人は諍いをしたまま互いに連絡を絶っていた。何年も、ソフィが どこで何をしていたのか、ニナは知らない。しかし、事故に会う前、ソフィアは何度も二ナに電話をしていた。出発前の忙しさにまぎれて、ニナが気がつかなかったのだ。

呼吸装置をつけられて辛うじて呼吸をするソフィアのベッドの横で 二ナはソフィアのバッグを開ける。そこには、分厚い ソフィアの書き残した小説の原稿が入っていた。二ナはそれを読みながら、行方を絶っていたソフィアの ここ数年の足跡をたどるのだった。二ナが交際するすることを反対していたボーイフレンドとニナは オーストラリアで短い間暮らしていた。しかし不実な男に ソフィアは心を開く事もなく 妊娠していたことも知らせずに 一人香港に帰ってきて 小説の執筆に没頭していた。

小説の舞台は 清時代の湖南地方。
百合(リリー)と雪花(スノーフラワー)は 同じ日に生まれた。湖南地方の古くからある伝統に従い、一定の年齢になると 二人は同じ日に纏足をされ、「老同」ラオトング(エターナル シスター)という生涯を通じて姉妹になる契約をする。二人は二人だけに通じる秘密の文字を教わり 生涯この文字を通じて意思疎通ができるように教育される。百合は貧しい家の出身、雪花は裕福な特権階級出身だったが 二人は双子の姉妹のように仲良く育ち、成長していった。

やがて適齢期になると、纏足が完璧に美しく仕上がった百合から先に 裕福な家庭の嫁として迎えられた。一方、雪花の家では父親が阿片中毒になり、没落していく。やがて、百合に子供ができ、「老同」の雪花に会いに行きたいが 義母は 男の子供を産むことだけが嫁の仕事と決めて、嫁の外出を認めなかった。仕方なく、二人は扇子に二人だけに通じる言葉で書いて やり取りをして、互いに励ましあった。
何年もたって、義父母が亡くなり やっと百合が雪花に会いに行くことが出きることになった。訪ねていくと 沢山の子供を抱えて、教育のない男に嫁いで変わり果てた雪花が 出迎えてくれた。暴力をふるう夫の姿をみて、百合は 雪花とその子供達を 自分のところに引き取ろうとする。しかし、雪花はそれを拒否して、一方的に「老同」は切れたと宣言する。生涯の姉妹を誓ったのに、裏切られたと思った百合は 悲嘆に暮れる。

しかし ある日、使いがやってきて雪花が 死の床にあること知らせてくる。雪花は 百合の幸せを考えて 「老同」の関係を一方的に破棄したが、本当はいつも百合のことを心から思っていた と言い残して雪花は死ぬ間際に和解する。という小説だった。
読み終わって、二ナは これは自分達のことだ と思う。ソフィアの二ナに対する真摯な友情を この小説で二ナは 確認することが出来た。二人の友情と絆は絶つことはできない。
もう二度と ソフィアのそばを離れない と決意して昏睡状態のソフィアの手を握るのだった。
というストーリー。

湖南地方の美しい髪型、民族衣装、刺繍を施した美しい纏足の靴。そして、秘密の文字が書かれた扇子。
女が墨をすり、筆に墨を浸して扇子に文字を書いていくシーンが美しい。消えていった200年前の中国の文化の 残酷と美に目を瞠る。情緒豊かな 胡弓の調べを聴きながら 清の時代の滅びてしまった文化のノスタルジーにどっぷり浸りきる。

ベトナム出身のアメリカ人 トライ アン ユン監督が「青いパパイヤの香り」で、自分が生まれる前のベトナムの田舎を叙情的に描いたように、香港出身のアメリカ人ウェイン ワンは 自分の故郷をノスタルジックに描いた。彼は「ジョイラック クラブ」でもこれをやった。叙情的で詩的で美しい。しかし、他人にとっては冗漫で退屈かもしれない。

この映画のテーマは「老同」ラオトング すなわち女の友情だ。
女はこの時代 纏足をされ 良縁を得て裕福な家庭に向かい入れられ、一度も会ったこともない男の物となり 男の子を産まなければならなかった。そんな重圧に耐えるには 確かに女同士の友情は必要だったのかもしれない。
この映画では 裕福になった百合が 貧しい雪花を強引に自分の家に連れて帰ろうとして、雪花から「老同」を破棄される。雪花は「貧しくても私は夫を愛しているのよ。」と言っているのに、雪花をそんな夫から引き剥がし 裕福な自分の家に連れて行くことが 雪花の幸せだと決め付ける百合は 一人合点の奢った「友情」を強制して、迷惑この上ない。拒否されて当たり前。幸せの基準をお金の有無で決め付けるところも いかにも中国的だ。

ニナとソフィアの「友情」も同様。二ナはソフィアの恋人を一方的に悪い男と断じて、別れることをアドバイスして それを受け入れないソフィアと仲たがいする。悪い男ほど 別れられない女も沢山居る。それもまた愛であって、横から あんな男はダメとか 忠告しても意味がない。おせっかいも はなはだしい。自分が ニューヨーク栄転を前にした将来性のある男と一緒だからといって それと同じような男としかソフィアが幸せになれい と信じる傲慢さ、自己中心的で、偏狭な視野。これは、友情でも、「老同」でもないのではないか。

それを考えると、この映画は二組の二人の女の友情の物語だが、人間が描かれていない。人と人が友情で結びつくためには まず、強い自我があり、互いにそれを尊重しながら理解しあっていくことが必要条件だ。
たしかに女の立場は 200年前は弱かった。男の玩具でしかなかった。
纏足文化は 女の奴隷化であり、男の享楽のために 女の体を去勢し 性道具として使って良かった という時代の産物だ。そんなものを懐かしがってもらっては困る。

視点を変えてみると 纏足は何百年も前の 過ぎた昔のことだろうか。
いま女達は纏足の代わりにハイヒールを履く。ハイヒールによって内股の筋肉が鍛えられ、バランスが悪い為 腰を振らずに歩く事が出来ない。それを見て ヨダレをたらす男達。どんなに知的産業に女が進出するようになっても 男の玩具となって生きる女の数を減らすことができない。
雄と雌しかいない地球で どう生きるのか 互いにどう折り合って生きるのか 人それぞれ、というわけだ。
この映画、女が見るのと男が見るのと 見方が全然ちがってくるかもしれない。何も考えず、ただ美しい昔の中国の文化を眺めるだけでも良い。美しい胡弓の調べと 冗漫な画面で寝てしまう人も多いかもしれない。

チョン ジヒョンという韓国の女優さんは、日本でも人気があるらしい。この映画を日本でも上映するかどうか ゴグってみたら、「チョン ジヒョンが全裸でレズビアンに挑戦」というような 大宣伝をしてあった。マスコミの下衆な視点にあきれる。そういうシーンは全くないので 安心したり落胆しても良い。映画は女の友情がテーマであって、レズビアンではない。
韓国のチョン ジヒョンも、中国のリービンビンも、どちらも美しい女優さんだ。ヒュー ジャックマンも 映画の中で歌って踊って大サービスしている。

プロデユーサーが、いま悪名高いルパード マードックが70代のとき 30で結婚したウェンデイー マードック。誘拐されて殺された被害者やイギリス王室の面々まで携帯電話をハッカーして タブロイド新聞で暴露するような卑劣なことをやり続けている 世界最悪のメデイア王の妻、ウェンデイーだ。これは余計だったかな。