2011年8月23日火曜日

ブラックシープ


8月10日
一晩中 父の手を握りながら 横で眠り父と娘の濃密な時間をすごす。呼吸を通して 肺に炎症が広がっていることがわかる。主治医が現状を説明する。子供たちが知らないうちに 父は尊厳死協会に登録していて、延命治療拒否を明確にしていた。すべての決定は 常に父。家族は従うもの。これが 明治生まれの人の生き方だった。

一人息子の兄は偉大な父という 大きな壁を前にして、大変だったと思う。父の書き散らしたものをまとめ、手を入れ、編集し、学会の発表も秘書のように後ろで支えた。多数の著作も、業績も兄が後ろで支えて できたものだ。私には それらがどんな価値をもったものなのか、全くわからない。

どの家族にも ブラックシープと呼ばれるような 異端児が居るものだ。
私が完全に子供のときから できの悪い へそ曲がりの変わり者 ブラックシープだった。いまは日本を捨てて26年間 外国暮らし。そんな娘にも父は常に変わらぬ愛情を注いでくれた。そんな父と、だまって父を支えてきた兄と姉と義姉に申し訳ないと思いつつ、父の手を握りながら 二人だけの夜を過ごす。
主治医に中心静脈栄養カテーテルを挿入すると言われ、それが父の延命治療拒否の意思に反するのではないか と迷いつつも、静脈が確保できなくなったので同意せざるを得ない。

痛み止めの処方を、という申し出に「どこが痛いのですか」と問う医師に、腹をたてる。寝たきり、寝返りもできなくなった肺炎患者に 痛みが全くないと、確信するような医師の想像力の欠如を 嘆かずにいられない。