2011年7月28日木曜日

映画 「最後の忠臣蔵」


ワーナーブラザーズ製作の日本映画 「最後の忠臣蔵」を観た。
劇場の大画面で観たかったが、シドニーでは望めない。うちの大画面ソニーブラビアで 我慢我慢。

監督:杉山成道
原作:池宮彰一郎
キャスト
瀬野孫左衛門:役所広司
寺坂吉之門 :佐藤浩市
可音    :桜庭ななみ

ストーリーは
大石内蔵助は、47士とともに 吉良幸上野介を討ち入りする前日、腹心の瀬野孫左衛門をそばに呼んで、実は自分には可留という女中との間に 生まれてくる赤子がいる。このことを知っているのは 当人と孫左衛門だけだ。討ち入りの後、大石家の血を引くものは ことごとく罰せられるに違いない。しかし、病弱な可留から生まれてくる赤子まで制裁されるのは、忍びない。事態が収まり、赤子が成長するまで世話をしてもらいたい。と頼み込む。
3代 大石家に家老として仕え、他の誰よりも 大石家に忠誠をつくしてきた孫左衛門にとって 討ち入りの戦線から退くことに断腸の思いだったが、主君の命令を自分の命にかえて完遂すると、約束して、彼は刀を捨て、苗字を捨てて、人里はなれた隠れ家で 赤子を引き取って育てる。

大石内蔵助の娘、可音は 自分の素性を知らぬまま成長し、孫左衛門から行儀作法、読み書きを習い、技舞だったゆうから、琴などの芸事を習いながら、武士の娘としての自覚を持った女性として立派に育っていく。
孫左衛門は骨董品の売買で、生計を立てていたが、天下一裕福、といわれる豪商 茶屋四郎次郎のところに出居りするようになる。
ある日、茶屋四郎次郎の息子の若旦那が、人形芝居を見にきていた可音を見て、一目惚れする。品格があるが、どこの誰ともわからない。困った主人は 孫左衛門に この女性が どこの姫君なのかを調べて欲しいと、頼み込む。茶屋の若旦那と可音との縁談は、孫左衛門にとって 願ってもない話だった。

一方、可音は16歳になり、胸に内では、自分を育ててくれた孫左衛門に、異性としての恋心を抱くようになる。しかし孫左衛門にとっては、可音は文字通り赤子のときから渾身こめて 自分の命より大切な主君のために育ててきた娘だ。美しく成長し、自分を慕ってくれる可音を手放さなければならない 心の葛藤を抱えながらも、孫左衛門は 可音に幸せをもたらすに違いない縁談を 成功させなければならない。

内蔵助の命令で、生き残り、16年の歳月をかけて、46士の討ち入りのあと 残された家族を探し出し、世話、慰問してきた寺岡吉之門の出現で、事態は変わる。可音は、自分が誰であったのかを知らされて、孫左衛門に従って、嫁ぐことを決意する。可音は別れのきわに 心をこめて孫左衛門の着物を縫い、婚姻を承諾する。孫左衛門は可音の花嫁姿を見送って、、、。
というお話。

画面が人形浄瑠璃の「曽根崎心中」で始まる。この浄瑠璃のテーマは、「かなわぬ恋」であり、行き着く先は「心中」だ。
この時代、身分ちがいの恋はご法度であり、姦通罪は張り付けの刑、死罪。厳罰を避けようとすれば、心中しか他に、道はなかった。劇中、何度も何度も 人形の「お初」と「徳兵衛」が出てくる。この映画は、孫左衛門と、可音との二人芝居であり、二人の心の葛藤を、浄瑠璃の心中物語で代弁させている。お初と徳兵衛、孫左衛門と可音を交互に出すことによって 二人の心象風景を捉え、心の中の思いを吐露させている。実にうまい。

武士は多弁を要しない。義に生きて 必要なことだけを言い、必要なことだけを行う。そんな孫左衛門の自己を律した態度が潔く 美しい。心の中の煩悶や嫉妬や親心、怒り、哀しみ 愛情さえも黙して、自分のなかだけに納める。心の奥底に秘められた思いを お初と徳兵衛がめんめんと語り続ける。
日本人の一番好きな出し物である忠臣蔵と、曽根崎心中を二つ合わせて ひとつの映画を作るなんて、監督は、実に巧みな人だ。

忠臣蔵の武士道のもつ潔さ。エゴを殺すことで成立する武士道と、エゴの塊である曽根崎心中の純愛は、対極にある。しかし、どちらも不条理なこの世の中で起きた悲劇であるだけに、永遠の悲劇として人々の心を打つ。

画面が美しい。
紅葉した木々の間を孫左衛門が 早足で歩く姿が美しい。果し合いする吉之門と孫左衛門が駆け回るススキの原野。小さな藁葺きの小屋から流れてくる琴の音。美しい青磁器。花嫁の着物の輝くほどの純白。

篠崎正浩の「心中天網島」は、国際的に高く評価されたが、同様にこの作品も 海外で評価されることだろう。ただ、説明が必要。主君にために死ぬという「名誉の切腹」は、個人主義の欧米文化では、最も理解を得ることが困難なことだからだ。