2011年6月23日木曜日

二人目のマゴ



6月16日に二人目の孫が生まれた。
獣医で 救急病院に勤める次女の 二人目の赤ちゃん。最初が女の子で、今度が男の子。1年9ヶ月 離れた姉弟になる。
出産という重労働を乗り越えて 終始冷静に新しい家族を迎えた娘に 心からご苦労様と言いたい。そして、おめでとう。

東京生まれの娘は 親戚も頼れる人もいないフイリピンという父親の赴任先で、たった13歳で父親をなくした。そのまま外国に留まり 大学を終え、専門職に就き、家庭を持った。誰にでもできることではなかったと思う。迷いもあったが 帰国せずに オーストラリアに移住してよかったと思う。

娘の陣痛が始まったのが 15日の朝。
私は病院の夜勤を終え、ベッドに入ったばかり。「陣痛が始まったよ。」という娘のことばに 「あ、そう良かったね。」と応じて そのまま眠ってしまった。夢の中で「寝ていて良いのだろうか?眠って良いのだろうか?」と誰かが問いかける。ふむふむ。そうか、、、こんなことはしていられなかった。
ガバ と起き上がり 職場に電話をかける。今日から休暇をください。お願いお願い。休暇願いは 一週間後からとって許可も得ている。そのころが予定日だった。でも予定は未定。今日から休暇を 何が何でも取らなければならない。マネージャーの機嫌が良くて 助かった。ラッキー! 職場に急行して休暇届を出して 娘の住むニューカッスルへと、車を飛ばす。

3時間の運転の間中 「間に合いますように 間に合いますように」と まじめに祈った甲斐あって、娘が笑顔で出迎えてくれる。娘に代わって 家事をしたり 夕食を作ったり、1歳9ヶ月の孫の遊び相手をしている間も、娘は痛みに必死で耐えている。

オーストラリアでは 妊婦が破水しても 子宮口が3センチ以上開かないと 病院に入れてくれない。陣痛の痛みが どんなに激しくても 陣痛を促進するために病院の外を歩いてくるように言われる。 痛みでパニックを起こしている妊婦でも、家に帰される。出産は自然の営みなので妊婦を病院では 患者扱いしてくれないのだ。出産後もすぐに シャワーを浴びさせられる。トイレも自分で行かなければならない。入院は1日か2日だ。入院中の食事も自分で取りに行かなければならない。だから 日本に居た時のように 出産のときにずっと助産婦がついて励ましてくれたり、産後1週間入院させてくれる日本の出産を知っている日本人産婦のカルチャーショックは大きい。娘は 家でしっかり我慢をして夜になって 夫と病院に行った。

孫が眠り、娘とその夫が病院に留まり、離れで眠っているうちに夜中の1時に 生まれたばかりの赤ちゃんの画像が携帯電話に送られてきた。
おめでとう。良かった、良かった。

朝、シドニーから 上の娘が やって来た。その娘と孫とで 産婦を見舞う。産後12時間というのに、娘はジーンズ姿で元気だ。一緒に病院の食堂でコーヒーと 上の娘が持ってきたケーキを頂く。
娘と生後1日目の孫は、一晩 病院に泊まって、翌日の朝、帰宅。
やれやれ、、、。
とてもうれしい。