2011年2月3日木曜日

松本大洋の漫画 「花男」を読む




松本大洋の「花男」1ー3巻 小学館を読んだ。
ストーリーは
夏休みが始まる前日 3年2組の花田茂雄は オール5の成績表を家に持ち帰る。茂雄は 県の 統一テストでもトップ10に入る成績だ。勉強が抜きん出てよくできることが 自分でも誇りだから 夏休みは塾に通ってもっともっと良い成績で他の子供を見下してやりたい。
ところが 御茶ノ水大学卒のお嬢様で お城のような家に住む母親は、茂雄に「夏休みはお父さんと暮らしなさい。」と命令する。記憶がないほど茂雄が小さかった頃に 自分達を捨てて プロの野球選手になることを夢見て家を出て行ったお父さんだ。嫌がる息子に母親は 教科書に書いてあることだけが勉強じゃないので 30歳にもなって子供のように夢ばかり見ている父親と暮らしてご覧 母はそういう男が好きなの、と説得して 茂雄を送り出す。

父 花田花男は 巨人に入団してでっかいホームランを打つことを夢みて 家庭を捨てた。彼が生まれて育ち住んでいる町では 花男は町のヒーローだ。高校時代に県下随一の長距離打者だった時の記録は まだ破られていない。町の商店街野球チームから引っ張りだこだ。花男が 試合でホームランを打つと 一本につき3万円と食料をもらうことが出来る。そんな父親を 茂雄は「妻子を捨てて野球なんかしている父親は最悪。内申書に響く親を持つ息子の気持ちになれ。」とシニカルで冷たい。
しかし花男は そんな息子の反応に びくともしない。
花男は 子供よりも子供が喜ぶ宝の宝庫を知っている。バイクを手に入れ、カブトムシが取れるところに茂雄を案内する。茂雄は伊勢丹の屋上でしか見たことのなかった立派な カブトムシを手に入れる。ザリガニ釣りにも 花男に連れられて行くうち 茂雄と花男はいつしか 家の中でのカクレンボにも つい夢中になっている。茂雄は 「迂闊、気がつけば奴のぺースに はまっている。」いつの間にか 花男がコーチをしているジュニア野球チームの面々に 茂雄の聖地、勉強部屋さえ すでに食いつぶされていた。

夏休みが終わり学校が始まって 茂雄は電車を乗り継いで 学校に行く。学校に戻ってみたら 成績だけが目的のような単純な生徒も先生も  すっかり つまらない価値のない人々に見えてくる。 学校に価値を見つけられなくなった茂雄は、身なりにも構わなくなった。先生方は茂雄に 内申書を良くするために 父親からはなれて 母親と暮らすように 干渉してくる。怒った茂雄はさっさと父親の居る町の学校に転向する。

花男のそばには 心を込めて木製バットを作る源六じいさんが居り、毎年関西からプロ野球チームの勧誘にくるトレードマンも居る。中日球団から フリートレードされた投手は 花男に投球を打たれて 引退する決意をして帰っていく。花男はむかし長嶋茂雄に プロになるためには沢山練習して いつまでも夢を信じることだ と言われたことがある。花男はその 自分と長嶋茂雄との約束を果たすだけのために生きている。
茂雄は いつも散々文句を言いながら 花男のペースに完全に巻き込まれていく。

春になり、見知らぬ謎の男が訪ねてくる。花男は息子を連れて旅に出る。持ち金がなくなり 寺で寝泊りしながら 二人海で遊ぶうち、茂雄はお母さんと3人で暮らすことが夢だ、本心を漏らす。それを聞いた花男は 茂雄を 母親の家に置き去りにして姿を消す。家を訪ねても もぬけの殻だ。
意気消沈する茂雄の耳に、巨人軍に30歳になる謎のルーキーが誕生したことを報道する声が聴こえる。

巨人対大洋戦。9回裏 ツーアウト満塁。予告どおりに花男は 代打逆転満塁サヨナラホームランを打って ゲームをひっくり返してくれた。
というお話。

もちろん最後のシーン、逃げも隠れもできない 花男の究極のデビュー戦。9回裏で ホームランを打ち 息子を肩車してベースのもどる花男の姿が クライマックスだ。野球ばかの子育て。いくつになっても 夢を見続けることの大切さがテーマだ。
松本大洋は ストーリー作りが 上手な作家だ。ラストでしっかり泣かせてくれる。
また、絵がおもしろい。ひとコマひとコマに無駄がない。父子の会話にカラスやイルカやカバや恐竜が 何の脈絡もなくでてくる。ひとコマに人物があり その背景が細部漏らさずに描いてある。駄菓子屋のババアの描き方は 秀逸だ。ババアの背景に看板やら電信柱 駄菓子のひとつひとつまで細部が精密に描きこまれている。ババアは 花男が可愛くて仕方がないから、茂雄を「数学の公式覚えるくらいの頭じゃ花男が理解できない」とか、「結局お前の描く幸せの土俵じゃアリですら相撲とれんよ。」とか平気で茂雄を非難する。この父子への愛でいっぱいの人なのだ。

八百屋のはっちゃんは 片瀬高校で3番打者だったが いつも花男に回すだけの為に打席に立ち ランナーがいれば送りバンド インコースの球はわざと体に当てたりしていた。 そしていまは商店街チームで花男を支える。彼の誇りは花男の誇りだ。

昔かたぎの源六じいは、木製のバットを花男のために作る。頑固者、口は悪いがこの年よりも花男が大好きだ。

花男は、彼の純真な心と 真っ直ぐな闘志をよく理解してくれる人々に恵まれている。花男を取り巻く人は みな良い人ばかりだ。妻の花織、駄菓子屋のババア、八百屋のはっちゃん、源六じい、関西のトレードマン、巨人軍の担当者。良い大人ばかりと、頭が良くて社会常識を知っているシニカルな息子との取り合わせがおかしい。息子がこれらの人々を批判する口は 悪いが間違っては居ない。茂雄は 勉強ができるだけでなく、物事を判断する目を持っている。そんな息子が 天然の子供心をもった父親のペースに巻き込まれ、取り込まれていく様子が実におもしろい。

松本大洋の作品では、「竹光侍」が一番好きだ。絵のタッチがシャープで 何とも言えず美しい。次に「吾 ナンバーファイブ」。これもストーリーよりも絵が好きだ。「ピンポン」も、「青い春」も良かった。
彼も年をとってきて、作風がどんなふうに変わって行くのか 変わっていかないのか とても興味がある。
今後も 彼の作品を 楽しみにしていきたい。