2010年7月25日日曜日

映画 「クリエーション ダーウィンの幻想」




チャールス ダーウィンが「種の起源」を出版したのが1859年1月24日。5年間に及ぶ ビーグル号の航海を経て、進化論を確立した記念的書物だ。その日のうちに完売された、という。
理論の正しさは、150年あまりたった現在も証明され続けている。生物は進化する。
日本では1874年、現在の東京大学医学部で フランツ ヒルゲンドルフが初めて進化論の講義をして、それを森鴎外が聴講した、という。

ヒトの進化については 1992年にエチオピアで発見された 440万年前に生存したという ラミダス猿人が鍵になる。その実態が徐々に わかってくるにつれ ヒトのルーツは ゴリラやチンパンジーとヒトとの共通祖先があったわけではなくて、全く別のヒトの祖先をもっていたことが 明らかになってきた。発見されたラミダス猿人は 身長120センチ、体重50キロ。はじめから2本足で立って歩いていたという。この最古の猿人が その後どのように 他の猿人たちにつながっていくのか ヒトの祖先を解明する道は まだ遠そうだ。

経済学者カール マルクスは 進化論に大きく影響された学者の一人だ。進化論が唯物史観を 着想する鍵になった として マルクスは「資本論」を ダーウィンに献本している。
ナチズムのアーリア人優等人種論では 優生学を証明するために ダーウィンの進化論を利用しようとしたが、学問的には全く相容れない 科学的な思想とは言えないとして、ヒットラーの優生学は否定されている。

進化論を最も否定するのは イスラム教とキリスト教だ。
イスラムにとって「神アッラーは天地を創造した。」のである。
キリスト教では、聖書学が「創世記」に、「神が植物、動物、人の順で天地を完成させた」と、記述されている。
しかし、カトリックでは 1991年にローマ教皇 ヨハネ パウロ2世が 「進化論は仮説以上のものであり、肉体の進化論は認めるが、人間の魂は神によって創造されたものだ」として、進化論とキリスト教とは矛盾しない、という結論を下した。

アメリカでは 進化論どころか、神によって人はデザインされたとするインテリジェント デザイン(ID説)が 公共教育に取り入れられる動きがある。ジョージw ブッシュもそのうちの一人だ。彼らは 「複雑な細胞からなる生体組織が進化、自然淘汰などでできたとは考えられない。創造にさいして 高度な知性(神)によるデザインが必要だった。」と主張する。 これを根拠にカンサス州では教育委員会が 進化論を教育に取り入れないことを決定した。その一方でペンシルバニア州では ID説を公立学校え教えるのは 宗教的創造論と結びついているので、憲法違反だという決定をした。

小学校高学年の時にダーウィンの進化論を学び、ごく自然に生物が進化する説を正論としてきた私たちにとって、月や火星探検が現実になっている現在でも人口の 40%のアメリカ人が 進化論は間違っていると 信じている事実に驚愕する。日本人の常識がアメリカ人の常識とは限らない ことは承知だが、やはりそれでも驚かざるを得ない。進化論を正しいとするアメリカ人は たった40%。トルコ人にいたっては、25%でしかない。

どうして映画評を書くのに 長々と進化論について述べているか というと、「種の起源」を出版する前後のダーウィンを映画化した作品の上映が 反対者が多く、アメリカで上映延期になった というニュースを聞いたからだ。クリスチャンの立場から この映画上映を反対する人々もご苦労なことだが、こういう事態をみて、アメリカという国を理解する良い機会にもなる。

イギリス映画「クリエーション ダーウィンの幻想」
原題:「CRIATION」
監督: ジョン コリー
キャスト
チャールス:ポール ボタニー
妻エマ:  ジェニファー コネリー
娘アニー: マーサ ウェスト

原作はチャールス ダーウィンのひ孫に当たる ランダル ケインズの「ANNIE’S BOX」。
ストーリーは
イギリスの田舎 ダーウィンは広大な領地を所有する領主だ。ビーグル号での航海を終え「種の起源」をほぼ書き終えるところだ。彼を支持してその出版を心待ちにしてくれる同胞も多いが、敵も多い。「君は神を殺す気か」と、科学者としての確信を 誹謗中傷する知識人も多かった。宗教心あつい妻との確執 家族そろって教会に行く習慣も チャールスにとっては 苦痛をともなう。家庭の中で 唯一のなぐさめは10歳の長女アニーだった。彼女は科学者としての父を尊敬し 父親のすることすべてに信頼を置く よき理解者だった。
そのアニーが しょう紅熱で亡くなる。チャールス自身も健康を害し 執筆に行き詰まった。アニーの幻覚をみたり 採集した生物標本が 動き出したりする。心の病を経て苦渋の末に「種の起源」を完成させる。頑として全知全能の神を信じる妻に、チャールスは原稿を渡す。妻は夜を徹して夫の渾身の研究成果を読み通す。どうだった、と心配気に問うチャールスにむかって 妻はすでに出版社あてに小包みにしてある原稿を手渡すのだった。
というお話。

ダーウィンのバイオグラフィを映画化するというので とても期待していた。ポール ベタニーは 大好きな俳優の一人だ。長身で額が広く 学者の風格もあって、ダーウィンは適役だ。
ラッセル クロウと共演した 同じ監督ジョン コリーの「マスターアンドコマンダー」でも 航海先で時間をみつけては動植物を採集する学者の役をやっていて、それがとても良かった。長い航海で、夕食が済むと ラッセル クロウがヴァイオリンを、ポール ベタニーがチェロを弾いて食後のひと時を楽しむ。そのシーンが、美しくて忘れがたい。
このポール ベタニーが「ダヴィンチ コード」では イルミナリテイの狂信者でシラスの殺し屋になった。アルビノで全身に毛がない。次から次へと司祭を殺していく。本当に恐ろしくて震えた。
シェイクスピアを劇場で演じていた人だから どんな役でもやれる。その彼の実生活上の妻、ジェニファー コネリーがこの映画で 妻エマを演じている。映画の中でエマは一度も笑わない。実生活でもこんな感じかな、と思ってポール ベタニーがちょっと可哀想。

役に適した良い俳優、いまだに人気のあるダーウィンという題材がそろっているのに 残念ながらフイルムワークは良くなかった。現在と過去が余りにも頻繁に交差するので、背景を理解できないまま画面にひきずられ、感情をフイルムに移入することができない。
夫を理解しない妻との あまり明るくない家庭、唯一の理解者だった娘を失って嘆く父親、、、人間としてのダーウィンを描いたにしては 一面的だ。恐らく 彼のひ孫による原作「ANNIE;S BOX」がそのようなものなのだろう。家族にとっては貴重な内容だが 外部の人間にとってはあまり意味をもたない、というような。
科学者の苦悩を描くのは 確かにむずかしいだろう。まして人類史にとって画期的な意味を持つ書物だ。

ハトの何世代にも渡る遺伝的形質を研究するために 沢山のハトを飼っている。次から次へと記録の為に 首をひねって殺しているシーンが 本物っぽくてダーウィンに肉迫していた。また ダーウィンとチンパンジーとの交流のシーン、、、心が通じ合って一緒にハーモニカを吹くところなど、心があたたかくなる。また、10歳で死んだアニーの活発で好奇心に満ちた瞳が印象的だ。心に残る良いシーンが 点在する。
もしも良いシナリオライター、すぐれたカメラマン、それを編集する知性をもった監督が これらの題材を使って映画制作したら、見ごたえのある映画になっただろう。この映画は、監督の知性とセンスが足りない為に映画が台無しなった という珍しい例だ。とても残念だ。

最後にもうひとつ ケチつけ。
最後、チャールスが原稿を妻に渡し 妻がそれを徹夜で読む。妻が「種の起源」出版に反対するのではないかと、チャールスは心配で眠れない。しかし朝方 ちょっと眠ってしまった。起きて見ると居間で原稿を読んでいた妻も原稿も見つからない。チャールスは必死で探す。すると妻は庭で怖い顔をして、何かを燃やしている。近付きがたい 恐ろしい雰囲気だ。何を燃やしているのだ。原稿はどこだ、、、。チャールスは庭に向かって走っていく。心臓が早鐘のように鳴っている。何が燃えているの???? ギャー やめてー!
で、こわい顔の妻は 無言で出版社あてに包まれた原稿をチャールスにわたす。という結局なんでもなかったシーンだけれど、皮肉屋と一緒に映画を観ていたら大爆笑するところだった。