2010年2月3日水曜日

台湾 3泊4日の旅


台北の結婚式のあと、もう夜になっていたが、娘とその仲間達とで 台北の街にくり出した。台北101ビルデイングに行ってみた。
高さ508メートル 東洋1の高層ビル。最近ドバイに世界一高いビルができるまで 世界1の高さだった。89階には下界を380度 見渡せる展望台、91階には野外展望台がある。風が強い日は、見せてもらえないが この夜は静かだったので、どちらの展望台からも、夜景をながめた。素晴らしい。

ビルの中は 大きなデパートで、ブランドショップのオンパレード。世界中の どんなファッションブランドもそろっている。店員達がツンともしていなければ、客に付きまとうでもない、ほどよい間隔を開けてくれていて、感じが良い。 


下界に下りて、軽食を食べたら 疲労困憊。朝6時から娘の元クラスメイトの結婚式で、沢山の人たちと旧交をあたためた。充実した 長い長い一日だった。

台北2日目は、まず鉄道を使って 龍安寺(ロン サン スー)に行く。高架線の駅で切符を買うと リサイクルできるプラスチックのコイン型切符が出てくる。これを自動改札口に入れたところを パチリ 記念撮影。電車の中で 持ち歩いているペットボトルから水をグビリとやり またパチリ記念撮影。 竜安寺駅で昨日一緒だった 友達に会う。そんな彼から 電車の写真撮影も 電車の中での飲み食いも 違法で 見つかると$200以上の罰金だったと聞かされて、真っ青。
そうだった。この国はまだ戦争をしているのだ。兵役義務も3年間、アジアのなかでは 兵役義務の長い国だ。法律違反して、ごめんなさい。

龍安寺は地元の熱心な信徒のおまいりで いっぱいだった。お守りを売るコーナーも人が並んでいた。下町の喧騒が楽しい。日本にいるようだ。

中正紀念堂(ツォン ツエンチー ニエタン)に移動する。青と白の美しい巨大建築物。蒋介石を記念して建てられたメモリアルホールだ。
民族主義を全面に出した前大統領によって 「台湾民主紀念館」に改名されたが 2008年 現大統領によって再び 中正紀念堂になった。中国との無用の摩擦を避けるためだ。大統領が変わるたびに 入り口の巨大な門に書かれた文字が塗り潰されたり、書き直されたりした。今では、台湾独立を声だかに叫ぶ声はほとんど聴こえない。上手にアメリカの援助を引き出しながら、中国を懐柔して生き残ろうとする巧みな政治手腕が歓迎されている。それがいい。がんばれ。

蒋介石の像は 高さ30メートル、巨大で銃を持った衛兵に守られている。8角形の青い瑠璃瓦の屋根、白い大理石の壁に囲まれている。衛兵交代の儀式を観た。二人の衛兵は身じろぎもせず、瞬きもせず起立していたので、プラスチックのお人形かと思った。突然別の色の制服を着た衛兵が行進してきて まごうかたなく生きた美少年達だったので びっくりした。制服姿もりりしいが、まったく肉がついていない痩せ型。これでは蒋介石の像は守れるかもしれないが 国は守れるだろうか、とちょっと心配。若者よ しっかり食べてください。

紀念堂の階下は 蒋介石の執務室を再現してある博物館になっていて、近代中国史を学ぶ場になっている。コミュニティースクールが併設されていて、一般市民が美術、健康教育、太極拳 気孔、ヨガなどが学べるようになっていた。

門から蒋介石の像のある紀念堂まで1200メートル、両側に赤い屋根の立派な建物が双子のように建っていて、向かって右が 国立オペラハウスで、左が国立コンサートホールだ。
敷地面積25平方メートルの中には 広い庭があり散歩道がある。
門から紀念堂までの広場では、いろいろなイベントが行われていて、昨年10月のゲイ レスビアンパレードも ここが集結 出発地点だったそうだ。ここを訪れた翌朝テレビで ニュースを見ていたら、この広場が出てきて、ポップバンドの音楽に合わせて若い人たちがスケボーで 曲芸なみの華麗なダンスショーをニュースで報道していた。

一月とは言え 雲ひとつない晴天で一日歩き回ったあと、デパートのそごうで 買い物をしていたら、昨日結婚したばかりの花嫁、花婿とその家族の皆さん方が、あいさつに来てくださった。メインストリートの夕方の交通渋滞のなか、ウィンカー出して 違法駐車しながら、明日発つ私達のために わざわざ会いにきてくれたのだった。名残惜しくて いつまでも みな抱き合っていた。

夕食は そごうの地下のテイン タイホンで。教師をしていて昼間会えなかった友人が駆けつけてきてくれ 乾杯。食後 もう8時というのに 込み合っているレコード屋や雑貨屋を冷やかして、最後まで付き合ってくれた、友人と最後のお別れ。彼、泣くなよ。

短い3日間の台湾訪問だったが、たくさんの懐かしい人たちに会えて、うれしかった。たくさんの喜びを分けてくれた若い人たちに感謝。みんなみんな 本当にありがとう。