2010年2月8日月曜日

7泊8日 親孝行の旅




3泊4日の新宿での愉快な休日のあとは、7泊8日の親孝行の旅だ。
新宿から千葉の柏井に移動。父の住む有料老人ホームに滞在する。父に会ってしまったら、寂しがる父を置いて 買い物に行ったり 友達に会いに行って遊ぶことはできない。父と一緒のときを持つために来た。
1週間を父と過ごしたあとは、シドニーに直行だ。

父は70才で早稲田大学を退職して 数年間 市川の和洋女子大で教えた後、市川の家を売り、莫大な量の蔵書を寄付したり売り払ったあと母と市川市柏井の老人ホームのユニットを買って そこに移った。
24時間医師や看護士が常駐し、亡くなるまでホームが責任をもって世話をするという施設だ。そこで母が亡くなって15年目になるが、母がいた頃は 父とふたりで まだ自然が沢山残っていたホームのあたりを毎朝散歩したり、電車に乗って市立図書館に行ったり、道端の草花を掘ってきて、ベランダで育てたりしていた。家を売って 大きな庭がなくなったことを悔いたこともあっただろうが、二人とも老後は絶対 子供達の世話にはならないと、言い張ってきたからホームに入るという選択は 彼ららしい結論だったのだろう。

父は98歳。最後の明治生まれで、大正 昭和の激動の現代史を生きた。政治経済学部だったから、たくさんの教え子を政界、マスコミ界に送り出した。90歳の誕生日は、ホテルを借りて500人の教え子達が集まった。驚いたことは、ひとりひとり挨拶に父のところにきた教え子の名前を全部父が憶えていた事だ。

2年前には二人の娘と父に会いにきて、2週間滞在した。このときも父は記憶力が全然衰えておらず、私が覚えていないことをよく憶えていた。父の叔父 兵衛は90のときすでに認知症が進んでいて、テレビの前に座っているだけの人になったが、父は96歳になっても文筆活動をしているのが自慢だった。毎朝テレビ体操をするので6時半には起きていて、体も柔らかく、活気があった。また泊まりに来なさい と、娘達を抱いて、送り出してくれた。
たった2年前の話だ。

この2年間で父はすっかり認知症が進んでしまった。
父はもう新聞を読まない。テレビを見ない。
私達とすき焼きを食べて、食後お手洗いに行って 居間に戻ってくると、もう すき焼きを食べたことを忘れている。父は日々、記憶とともに何もかも失っている。何か読んだその場で 内容を忘れている。話を聞いた その場でそれを失くして行く。何も残らない。

嘆いても仕方がない。時は移り 人はみな変わる。
現状を受け入れ、その中で悦び、楽しみを見つけていけば良い。いま父は 私のことはわかるし、娘のこともわかる。食べる楽しみもある。
着いた翌々日に、兄と兄のお嫁さんが ご馳走を持って来てくれて 父の98歳の誕生会をした。鯛の姿焼き、刺身、蟹や海老など父の好物ばかり。ショートケーキに18本のロウソク。
次の日は姉と義兄から 父の好物 山菜おこわが届く。

1日のうちにも ホームの職員が朝晩2回 巡回にきて様子を見てくれる。3食の食事は 居間のテーブルまで運んでくれるし、週2回は風呂の介助の人が来る。新聞 郵便も父の手元まで届けられるし、各部屋には緊急ボタンで職員を呼ぶことが出来る。洗面所を4時間以上使わないでいると 職員が様子を見に来る。
これでも充分とはいえないが、仕方がない。これも父の選択だ。

いろいろな思いを残したまま 帰国の時間は迫る。
帰途はまた 台湾経由のチャイナエアライン。成田に着いて チェックインをして驚いた。フライトまでまだ2時間以上あり、予定の便は満員だが 一つ前の便に変更できるならば ビジネスクラスの席を用意してくれる という。願ってもない申し出ではないか。
2時間のんびり 成田で買い物してから帰りたかった娘を叱咤激励して、ビジネスクラスの客となる。

ウェルカムドリンクをスリッパに履き替えていただく。前席との間が大きく 前席がリクライニングで倒されても こちらに影響はない。広々として テーブルも大きく 書き物が出来る。
テーブルにテーブルクロスが広げられ、食前酒のワインリストが来る。娘はフランスワイン ボルドーの白。私はイタリア キアンテワインの赤。食事は洋食3コースか、和食。勿論 和食を取る。
つき出しの豆腐、焼き物、若筍と蛸の和え物が美しい。メインはハマチ焼き物、やさいに、御飯とおつゆ。デザートは果物。お料理に合って よく熟したキアンテをお代わりしながら 出されたものを全部たいらげた。数え切れないほど飛行機に乗ってきたが、機内食を全部食べたのは 初めてだ。いつも狭いところで 揺れながら、あちこちに腕をぶつけながら小さくなっていて、食欲も出ない。サラダに海老でも入っていようものなら もし食中毒を起こしたら 300人にトイレが4つ、、、どういことになるのか 気が気でなく恐ろしくて食べられない。ちゃんと火が通っているかどうか確認しながら 恐る恐るちょっと手を出してデザートケーキだけを食べるくらい のことが多かった。


気分よく食事して 気分よく いくつかの雑誌に目を通して ゆったり台湾に着いた。うーーん! ビジネスクラスは良い。確かに2倍の航空運賃を払うだけのことはある。これからはビジネスだ。決めた決めた、、、。
決意も速いが 忘れるのも速い。

台湾エアポートで時間をつぶし、エコノミークラス席でシドニーに着いたのは翌日のお昼。一日がかりの大旅行だった。
台湾、東京 2週間の休暇もこれでおしまい。
ああー、やれやれ、、、仕事が待っている。