2009年9月30日水曜日

産まれた!!!




きのう おばあさんになった。
娘が3日間 陣痛に苦しんだ挙句の果てに 取り上げられた小さな小さな命を、おなかの上に載せて ヒョイとシーツをめくって見せてくれた娘の堂々とした姿に ヨロッとした。

娘の相手;ギリの息子は 私を恋仇のように思い込んでいるフシがある。母の愛は海より深いんだゼィ と言っているだろうが!ライバル心むき出しに 愛の深さ比べをしたがる このギリの息子が 全く可愛くない。こんな奴に娘がもったいなくて こんな 奴でいいのかと、何度も娘に問う口調は ついつい刑事の尋問口調。
それが、43時間の陣痛の間じゅう 眠りもせずに 食べもせずに 娘の背中をさすり続けたという。母体と赤児のへその緒を切ったのも 彼だったという。なんて いい奴! NOW,WE ARE A FAMILY。私達家族になったね、と娘に言われて かくれて涙をふく このギリの息子を見て クラっときた。

3キロに満たない すごく小さなベイビーのくせに 頭の形も 目鼻立ちも お尻の形もオージー風。生まれ出て40分しか経っていないのに もう空腹を訴えている。おまえ、肉食獣か。米とわずかな魚で生きてきた純ヤマトンチューではないのだな。
惚れ惚れするゼーイ。

とにかく無事に生まれて良かった 良かった。
3時間かけて会いに行き、10分間 出産直後の娘に会って 3時間かけて帰ってきた。オットにチヤホヤされたあと、職場に行ったら同僚や患者さんたちに抱きすくめられて 次々おめでとうを言われた。とても くすぐったい。何をしていても ニマニマ笑いが止まらずに、顔がゆるんで仕方がない。

2009年9月28日月曜日

オペラ 「セビリアの理髪師」


マニラ 1995年12月 クリスマスコンサートで「セビリアの理髪師」序曲を演奏した。
このときほど ムキになって弦を弾いたことは 前にも後にもない。弦よ切れ! 弓よ折れよ!とばかりに全力をこめて演奏した。傍目にも 気でも狂っていたかのように オーケストラの末席で 椅子から転げ落ちんばかりに力を込めて弾いていた。100人余りのマニラインターナショナルスクールオーケストラ、私達の最後の演奏だった。演奏が終わり 第一バイオリンコンサートマスターの長女、セカンドバイオリンコンサートマスターの次女と、3人の名が呼ばれて立ち上がり 「これが3人にとっての最後のコンサートです、長いことありがとう」の言葉とともに、花束が贈られた。
花束など くそくらえ。
もう2度とバイオリンなど弾きも 教えもしないだろう。今後 どうやって生計をたてて生きていくのか、未知の世界に飛び込む前に 10年間のフィリピンでの生活を総決算する勢いで終了したコンサート。力を出し切った。

そして1週間後、私達母娘3人は 青い空の下、生まれて初めてシドニーの大地に降り立っていた。
誰一人として知人や友人がいるわけではないシドニーに、まだ あかちゃんっぽいテイーンの二人の娘を連れて行くなんて、無謀だ 愚かだと言われながら、憤然と 日本になど立ち寄らず、10年暮らしたフィリピンの腐った大地を蹴り飛ばして来た。このときの 強い決意が 「セビリアの理髪師」を聞くと よみがえってくる。ひとつひとつのオペラ、ひとつひとつの楽曲に思い出があるものだ。

このオペラは 楽しいオペラだ。決して、10年間の怨念を総決算して、心のケジメをつけるための音楽などではない。
一生 生活の苦労をすることなどなかったヨーロッパの大スター ロッシーニの甘い、豊穣な遊びの世界のオペラだ。ロッシーニの音楽に 暗さや悲しさや憎しみや妬み嫉み など一片もない。シドニーのつきぬけるような青い空だ。その青に ヨーロッパの知性と品格が加わる。彼は恵まれた環境で生まれ育ち作曲をし、音楽監督をした。ヨーロッパの大スターでどこに行っても愛され、褒め称えられた。
若干36歳で作曲を止め、以後40年間 何一つ作曲しなかった。にも関わらず彼は死ぬまでスターとして人々から愛された。
貧困のうちに作曲を続け、子供達を栄養失調で死なせ、楽譜を買うお金もなく冷たい寝台で 若くして死んでいったバッハやモーツアルトなどとは全然違う人生を送った。40年前に作曲して得た名声を その後死ぬまで維持した作曲家は他にはいない。

ニューヨーク メトロポリタン オペラ「セビリアの理髪師」を観た。クレモンオぺアム映画館で、27ドル。
ここで メトロポリタンオペラを ハイデフィニションフィルムで大画面で見せてくれるようになって1年。いままで、「蝶々夫人」、「ラ ボエーム」、「魔笛」、「夢遊病の女」などを見せてくれた。これから「トスカ」、「アイーダ」、「トランドット」。「サイモン カバネラ」が上演される予定。「サイモン カバネラ」では、プラシボ ドミンゴが歌う。年をとって 良い味が出ているドミンゴが見ものだ。 

ストーリーは
ロジーナは 美しい箱入り娘。後見人バルトロの家で、厳しく監視されている。バルトロは年寄りだがロジーナに魅力を感じていて あわよくば自分が彼女と結婚できれば良いと思っている。したがって、虫がつかないように、自分が出かけるときは 彼女の部屋に鍵をかけて出かける用心ぶりだ。
夜になると窓の下にきて セレナーデを歌う恋する青年がいる。ロジーナも この青年に魅かれている。貧しい学生だという。
そこでセビリアの理髪師、フィガロの登場だ。フィガロは床屋で歯医者で何でも屋 どんな家にでも出入りできる。恋の仲立ちもできる街の人気者だ。
ロジーナに恋する青年は フィガロの助けを得て 仕官になりすましてロジーナの家に入りこみ バルトロに隠れてロジーナと手紙をやりとりする。次に青年は、音楽教師になりすまして、ロジーナにピアノのレッスンをする。しかしバルトロは厳しい警戒体制を敷いている。フィガロの手引きで 青年がはしごを使ってロジーナの部屋に入り込んで 恋を語るころには、遂に バルトロに見つかって捉えられるが、実は この青年は 伯爵だった。ロジーナは 正式の結婚申し込みに 1も2もなく承諾し、バルトロは何の文句も言えずに すべて丸く収まって 大喜び というお話。

ロジーナに恋する伯爵の一途な様子、テノールの恋歌の数々が なんと言っても聴かせどころだ。窓の下で歌い、ロジーナの耳元で歌う恋する伯爵が とても良い。JUAN DIEGO FLOREZは、メトロポリタンオペラのスターだ。大きな目がうるうるの美青年。とっても伸びやかな 美しい高音を歌う。
対するロジーナ JOYCE DIDONATO。イタリア系アメリカ人だが、顔もスタイルも文句ない美女で、メゾソプラノ コロラトウ-ラをきれいに歌う。二人の美男美女が恋歌の数々を歌い ドタバタをコミカルに演じる姿は 本当にオペラの良さを抽出したエッセンスを甘受している気分。

二人の美しいカップルに加えて、肝心のフィガロ。PETER MATTEIというスウェーデン人で、メトロポリタンオペラにゲスト出演しているバリトン。体がひとまわり大きな大男で 若々しくこの人が素晴らしい。
ロバに引かせた床屋の荷馬車で、登場して歌う フィガロフィガロフィーガーローの歌は、最高。ああ、フィガロって、こういう男が演じなければならないのかと、やっと納得。今まで、何度か舞台で何万円も払って観たフィガロは何だったのだろう。初老の惨めったらしいフィガロ、策略家で ずる賢いフィガロばっかり観てきた。でもロッシーニの描いたフィガロは そんなのでなくて、実にこのPETER MATEIがやったようなフィガロだったはずだ。当時の床屋といえば、民間医者代わり、歯医者もやれば 薬も処方した。女達にもてて 若くて屈強な体をした 素敵な男だったはず。
そんな、フィガロ役にぴったり合った歌い手をちゃんと探し出して 連れてこられるところが メトロポリタンオペラの力量なのだろう。
伯爵、ロジーナ、フィガロみんなそろって、素晴らしい。本当に楽しいオペラだった。
映画はDVDで観ない。オペラはCDで聴かない。生だけの主義。でも、ニューヨークまで簡単には飛べない。映画館で日曜の午後をオペラで とても楽しむことが出来て とっても満足。

2009年9月21日月曜日

映画「サブウェイ123激突」



役者が役を演じるために体重を落としたり増やしたりするのは避けて通れない役者の道らしい。伸縮自在な体が売り物というわけか。因果な商売だ。

近いところでは、クリスチャン べイルが有名。
彼は 2004年、不眠症の男の役を「マシニスト」でやって、体重を30キロ落とした。ここであばら骨浮き出る真迫の演技をみせたあと、立派な体が売り物のヒーローにもどって バットマンで きれいな裸を見せてくれた。
その後、2007年には、「戦場からの脱出」でまた25キロ体重を落とす。この映画、原題「レスキュードーン」、日本では劇場公開にならなかったようだが、クリスチャンの人気が出てから DVDとして市場に出て、話題とともにこれがすごく売れたようだ。
私の好きな「グルズビーマン」のドキュメンタリーを作ったヴェルナー ヘルツオーク監督による映画。 ヴェトナム戦争中 極秘命令を受けて戦闘機で飛行中 爆撃されてヴェトナムの捕虜になった、ドイツ系アメリカ人、デイーダ デングラーのドキュメンタリー映画だ。彼は捕虜となって、ありとあらゆる拷問にあい、ジャングルのなかの捕虜収容所に収容される。飢えで餓死していく戦友たちを見送りながら 辛くも脱走、帰還した実際の話を映画化したもの。ここでクリスチャン べイルは はじめは体格の良い血色良い兵士で登場し、捕虜になって拷問を受けるたび、だんだん痩せていき、脱獄するころには骨と皮になって熱演している。蛆虫も平気で実際に食べている。これを平気でやっている役者って すごい、因果な職業だ。

ロバート デ ニーロも 役造りへの徹底ぶりで、はるかに常識をこえた役者だ。1976年の「タクシー ドライバー」を演じるために、1ヶ月間 毎日1日12時間タクシー運転手として働いて、本物の運ちゃんの雰囲気を掴んだそうだ。1980年の「レイジング ブルー」では ボクサーの一生を演じるため 本格的にボクシングを学び 真剣勝負が出来るほどになって打ち込んだあとは、ボクシングを引退して酒場の親爺になる 映画の後半を演じるため 今度は体重を28キロ増やしたそうだ。パリに滞在して ただただ美食に明け暮れたという。遂に不整脈が出て、ドクターストップが出て、28キロでやめておいた、というのだから 太るのも命がけだ。また、1991年の「ケープファイヤー」では、筋肉をつけ 体中に浅く刺青を入れ、5000ドルかけて歯並びをガタガタにして、役造りに徹底した。映画撮影後には、また2万ドルかけて歯並びを直したというから はんぱではない。ここまでくると 役者はみんなマゾヒストか、と問いたくなる。

映画「サブウェイ123激突」を観た。
この映画に出るために ベンゼル ワシントンは体重を10キロ増やした といわれている。食べて寝てまた食べて暮らして2,3ヶ月すれば それくらい体重をふやすことが出来る人も居るだろうが 役者という純粋肉体労働をこなしながら 体重を10キロ増やすということは 大変な努力を伴う苦行にちがいない。

この映画、原作はジョン ゴデイによる小説で、1974年に ジョセフ サージェントによって 映画化された。1998年にはテレビ番組のためにリメイクされた。それをまた2009年に ベンゼル ワシントンと ジョン トラポルタ二人の名優で映画化された。トニー スコット監督。
こんなに 何度もリメイクされるのは ストーリーのおもしろさからくるものだろうが、一般市民が地下鉄に乗っていて 突然人質になり、命を脅かされるような不運が、自分にもいつ襲い掛かってくるかわからない 不安と予感みたいなものを みんなが持っているからかもしれない。

ストーリーは
ウオルター ガーバーはニュヨークの地下鉄コントロール室で働いている。以前はもっと高い地位にいたが、新しい地下鉄導入にかんして視察に行った日本の会社から収賄をうけた疑いを持たれて 今は降格している。不器用で 実直な男で、部下からは信望篤いが、上司からは疎まれている。
親友が運転している地下鉄がブルックリンで突然止まってしまった。コントロール室から呼びかけてみると 何と沢山の乗客を乗せたまま この車両が 何物かによって、乗っ取られたのだった。
犯人はウオルターに1000万ドルの身代金を要求してくる。正確に30分後までに 金が届かなかったら 1分間に一人ずつ乗客を殺していくという。緊急時にニューヨーク市長が対応に迫られる。市長は数ヵ月後には引退して隠居する予定だ。こんな事態収拾の責任などもつ気はさらさらない。犯人は人質全員と市長とを交換しても良いと言ってくるが 市長にそんな勇気はない。
交渉にいらだってきた犯人ライダーは 怒りをすぐに爆発させて ウオルターの親友だった運転手を撃ち殺す。銃声で事態を悟ったウオルターは なんとかライダーの心を鎮めて対策を講じるため 自らライダーに話しかけて時間稼ぎをする。
人質の安全のために 身代金は猛スピードでブルックリンからマンハッタンまで輸送される。しかし、パトカーに先導された1000万ドル載せた車は 乗用車を避けられず高速道路から墜落事故を起こす。約束の時間までに届けることが不可能になった。ウオルターは必死でライダーを説得する。ウオルターの捨て身の交渉によって 身代金はウオルターが歩いて運んでライダーに渡すことになった。そして大金をライダーに届けたウオルターはそのままライダーの人質になって、、、
というお話。

ふたりの男の対決がおもしろい。
10キロ体重を増やして腹のまわりに脂肪をしっかりつけたべンゼル ワシントンが ニューヨーク地下鉄コントロール室で 毎日コンピューター画面にむかって仕事して すわって指示するだけだから コークにチッププスを始終くちゃくちゃやっている。家族思いで不器用、実直なおとうさんだ。そこに突然 天才的に頭の良い冷酷無比の極悪犯が 飛び込んでくる。この男は 人を殺すことなど 何とも思っていない。

監督は どうしてもこの二人を映画の最後で対決させたかったのだろう。2回もオスカーを獲ったべンゼル ワシントンという名優と、ジョン トラポルタという個性的でアメリカでは一番人気ものの役者との対決だ。
トラポルタは最愛の一人息子を亡くしたばかり。重度のてんかんで障害をもっていた16歳の息子がバスルームで転倒し死亡したことで、映画を観ている人々はどうしてもトラポルタに同情して 余りに気の毒なので彼の肩を持つ。ベンゼル ワシントンがせいいっぱい誠実な公務員の役をやっていても 彼の味方にならないのは不運。
実際、映画のなかで ライダーは銃をぬかないで 思い通りの死に方をした。潔い。

2009年9月17日木曜日

ツアー デ フランスとコミック「オーバードライブ」



今年は、日本人のサイクリストが何人か ツール ド フランスに出場して完走したため 日本でもこのツール ド フランスに、関心が集まって、ファンも増えているそうだ。
世界一過酷な ロードサイクリングのツール ド フランスは 夏のヨーロッパには なくてはならない 世界最大の自転車ロードレースだ。 オリンピック、サッカーワールドカップとともに、3大スポーツイベントになっている。 21日間かけて、フランスの山々を 約4000キロを走破する。第一回が、1903年という、伝統あるレースだ。
ちょうどヨーロッパは夏のバカンスの時期に当たる為 ロードレースの沿道には沢山の 地元の人々や旅行者が押しかける。21日間に1500万人の人が 観戦するという。

毎年、出発点が変わり、コースも変わるが21日間の間には、アルプス、ピレネーの山越えだけのステージがあるかと思うと、山下りだけのスピードレースの日もある。それが、テレビを通じて 130カ国、10億人が、レースを観戦する。カラフルなジャージーを着た数百人の各国から選ばれてきた選手が 群れをなして時速100キロ以上の速さで自転車を飛ばす様子はみごとだ。
毎日、ステージごとの最速選手と、総合時間で1位の選手が それぞれの賞とイエロージャージーを受け取る。
選手も 連日猛暑の中を1日の大半を走っているのだから、大変だ。走りながら食べたり、飲んだりしてエネルギーを補給している。落車事故も多い。落車して頭から転倒して、ヘリコプターで救出される選手も、毎年出てくる。とても良いスピードで走っていたのに、大きなラブラドール犬が 道路を横切ったために、犬にぶつかって落車した人もいた。転んで自転車のサドルを失い、ずっと立ったまま走り通した人もいた。
ゴールはパリ、シャンゼリゼだ。凱旋門をくぐり、最終地点に たどり着く選手達を迎えるシーンは毎年、とても感動的だ。

うちのオットも、7月になってこのレースが始まると 21日間テレビに釘付けになる。自然、スポーツ音痴の私はそれを ツメターイ視線で見ていた。氷よりも冷ややかな目ざし、皮肉っぽい口調、嫌味たっぷりのため息、わざとゆっくり横切るテレビの前、、、これだけやっても、ビクともしないで画面に見入っている敵もあっぱれというべきか。
ところが去年から私も すんなり観戦に参加することになった。興味が出て見始めると、これがとてもおもしろい。フランスのそれぞれの地方の特徴や文化、人々の様子が、それぞれ個性的で 見ていて興味深い。絵葉書のような、フランスの牧歌的な農家や、古い教会、お城の跡など、歴史とともに紹介されて、ちょっとしたヨーロッパ旅行を味わえる。

私がこの競技に興味を持ったのは、オーストラリア人のカデロ エバンスが 契機だ。彼は 去年のツール ド フランスで、チベットの旗を描いたTシャツを、ユニフォームの下に着て、「チベットに自由を」と印刷した靴下をはいて 競技に出て みごと総合で、第2位を勝ち取ってくれた。2008年の7月といえば、北京はオリンピックを前にして チベット自由化への弾圧は激しく、チベットのラマ達、活動家達が虐殺、逮捕、死刑に処せられていた。チベットを支援するようなロゴの入った旗やシャツなどを北京に持ち込んだものは オリンピック代表選手であっても、中国入国させない、と、オリンピック主催側は叫んでいた。そんなとき、カデロ、エバンスがチベットの旗のシャツを着て 表彰台に立ってくれて感激した。

コミック「オーバードライブ」安田剛士作 講談社 1-17巻 を読んだ。自転車競技のコミック。
ストーリーは 
16歳、高校1年生の篠崎ミコトは なにをやっても冴えない。高校に入ったら 沢山友達を作って部活やスポーツに趣味も広げて 女の子とも楽しくやって行きたいと思っていたのに何もかも思いどうりに行かない。まったくくさっている。
そんなとき、あこがれの美少女 深沢みゆきに「自転車部に入部しなさい」と言われる。兄の遥輔が、自転車部の主将なのだ。自転車に乗ったこともなかった軟弱なミコトは あこがれのみゆきちゃんに嫌われたくないばかりに 入部して懸命に自転車をのりこなそうとする。

ミコトは自転車にのれるようになると やっとみつけた自分の居場所を失いたくないばかりに自分を認めてくれた自転車部のために全力をかけて練習に励むようになる。苦しい練習も 誰からも声をかけてもらえず友達一人いなかった頃の苦しさに比べれば なんでもない。大和武というクラスメイトがいる。彼は自転車で新聞配達をしながら、鬼のように山のクライミングの練習をしている。彼の父親は スペイン人で有名なプロのサイクリストだった。母親がこの父のために死んだと思い込んでいる彼は 父親を見返して復讐してやりたいために、自転車に乗っている。
自転車部主将の深沢遥輔は 高校生の間では「東の深沢」と呼ばれている実力者だ。体が大きく、クライマーとしての記録は誰にも負けない。西の代表選手は 高校レース界の皇帝と呼ばれる鷹田大地。彼はロードサイクルのために贅肉をそぎ、練習のために不必要なものはすべて捨てる主義で、意志の伝達さえ必要最小限の言葉しか吐かない。
一方、北海道には北原ヨシトという天才がいる。彼は赤児のとき両親と乗っていた飛行機が墜落して北海道の原野で3ヶ月生き延びた。熊に育てられていたとも言われ、風とも雲とも会話ができる。
いくつもの高校に、自転車部があり、それぞれの学校が強豪選手をかかえている。

そこで、スポンサーつきの日本中の高校生のためのロードレースが始まる。優勝チームには 外国レースに参加するというチャンスと賞金が与えられる。それぞれの高校のチームで、それぞれの選手に悩みがあり、家庭の事情があり、レースに勝たなければならない理由がある。
レースは波乱に富み、事故が続出、様々な困難が襲い掛かる。しかし深沢は約束どうりに 1位になってミコトにバトンを渡す。最終ランナーのミコトは、、、というお話。いかに優れた選手がいても、チームワークなくして、レースは成り立たないということが、とってもよくわかる。

試合前にチームがそろって はしゃいで遊んでいる場面がある。そんな様子を見て、主将の深沢が「この永遠のような瞬間が、ずっとずっと続きますように、、、」と、願うシーンがある。
読んでいるものは まったくこのせりふに同感して、読んでいて深沢に完全に共鳴している。一人一人の選手の描き分け方が良く、それぞれの少年の強さも弱さもよくわかる。話の筋はやや典型的な少年コミックの枠の中で出来すぎている。だが絵が良い。
篠崎ミコトが自分には何ができるのかまだ全然わかっていなかったころの顔が 序序に自転車にのめりこむごとに、引き締まり男の顔になっていくところが良い。深沢がとても立派だ。チームを率いるのに何が必要で何をしなければならないのかがわかっている。チームリーダーの苦境が よく表現されている。

少年スポーツものコミックでは 実によく泣かせてくれる。作者は読者の心を掴むコツを知っている。優れたコミックといえば、なんと言っても一番は 井上雄彦の「スラムダンク」だ。近年これほど心動かされたコミックは他にない。ちょっと前だったら あだち充の「タッチ」だし、もっと前になると ちばてつやの「明日のジョー」だ。どれも、長い連載の間、作者も読者もコミックの登場人物たちとともに、成長して そして年をとってきた。

ツール ド フランスで連続優勝を勝ち取ってきた アームストロングは ロードレースに必要なものは、と、聞かれて
1.マラソンランナーの持久力
2.エフワンドライバーのマシンコントロール術
3.チェスの頭脳  と答えたそうだ。

カデロ エバンスは、どうしてこんなに過酷なレースで勝てるのか、とインタビューされて、「ぼくには何も特別な能力がないんだ。だけど、ちょっとだけ、ひとよりも我慢ができるだけなんだ。」と答えている。謙虚な人で、一層好きになった。そうか、ちょっとだけ我慢、、、なら私にも出来るかもしれない。

2009年9月14日月曜日

映画「愛の10条件」


映画「愛の10条件」(原題「THE TEN CONDITIONS OF LOVE」)を観た。
メルボルン国際映画祭で上映されたことで、中国政府が介入し、豪中関係に傷が入ったとされ、外交問題にまで発展しそうになった映画。
やっと、シドニーで一般公開が始まった。

オーストラリア人監督 ジェフ ダニエルズ(JEFF DANIELS)が7年の歳月をかけて作成した 55分間のドキュメンタリーフイルムだ。映画は、「世界ウイグル会議」(本部はドイツのミュンヘン)の ウイグルの母と呼ばれ親しまれている ラビア カーデイル議長の半生とインタビユーが中心に 編集されている。7月5日に ウイグルに暴動が起こって 中国の国家主席がG8の参加を取りやめたことを考えると、メルボルン国際映画祭の開催が7月24日から8月9日、ここに ラビア カーデイルが招待されて講演をすることになっていたことは、実に タイムリーだった。ラビア カーデイルは、講演のあと、在豪ウイグルの人々と 合流して 活発にウイグルの状況を訴えてまわり 中国大使館に抗議のデモに出るなど、亡命者としては、きわめて勇気ある活動を展開してくれた。

7月5日に ウイグル区都ウルムチの暴動の契機は、ウイグルから広東省に出稼ぎにでていた二人の労働者が 殺害されたことで、ウイグルの人々が抗議行動に出た結果だった、と言われている。その後の漢族による仕返しの報復攻撃と、ウイグル人狩りの暴力はすさまじかった。中国側の発表では死者200人のうち、ほとんどは漢族だと言っているが 世界ウイグル会議は、何千人ものウイグル人が殺された、と発表している。棍棒やナタなどで武装した漢族が バスを止め、ウイグル人をたたき出して、男も女も暴力をふるわれているニュースマンの映像が ニュースで繰り返し流れた。

ウイグルは もともとトルコ系民族で ウイグル語を話す スンニ派のイスラム教徒だ。ウイグルの人々は 自分の国のことをイースト ターキスタンと呼ぶ。しかし、中国人、漢民族は、ウイグルのことを、シンジャン プロビンス(新しい地区という意味)と呼ぶ。
ウイグル自治区には 現在868万人のウイグル人が住む。ウイグルには ほかにタタール人、ウズベク人、カザフ人、オロス人、シボ人、キリギス人、タジク人などがいる。しかし、中国の積極的 漢民族同化政策と、移住政策の結果、ウイグルには 漢民族が暴力的に 人口流入し、彼らが政治、経済の実権を握っている。漢族との経済格差は広がる一方だ。抑圧する者と、される者に明確に二分される社会で、暴動は起こるべくして起こった。

2008年の3月に起きたチベット暴動も 報道では僧侶ら数百人が政府機関や通信社、銀行、商店を襲ったといわれているが すべて外国人メデイアは チベット自治区に立ち入り禁止にされ、政府によって報道がコントロールされたので 事実はわからないし、この結果どれだけのチベット人が弾圧され死刑に処されたか 知ることは出来ない。2008年北京オリンピックを前に チベット暴動は 聖火リレーの妨害という形で ヨーロッパにも 広がっていき脚光をあびる結果となった。

7月5日のウイグル暴動は、中国国家主席 フー ジン タオが G8会議に出るためイタリアにいるときに起こった。彼は急遽 事態収拾のために帰国して、かえって注目をあびた。

7月24日に始まったメルボルン国際映画祭で、ラビア カーデイルのドキュメンタリーフィルムが出展されることについて、中国政府から 再三上映中止を求める介入があった。「テロリスト:ラビア カーデイルが、今回のウイグル暴動の中心人物である」と断定しての、介入だった。メルボルン映画祭主催団体に メルボルン中国総領事館から 映画の上映中止と、ラビアの入国中止を求める電話が入り、電子メールの嫌がらせが連日おこり、映画祭のウェブが消されて、中国国旗に変えられたり、映画チケットの予約がネットでできなくなったりした。上映すれば、天津市との姉妹都市は中止になる、という通告がメルボルン市長に送られてきた。
ラビア カーデイルが 会場に来たときも 館外には中国人のデモ隊がピケを張って威勢行動を展開した。また、中国にいるラビアの4人の子供達が 逮捕され獄中に収監、そのうち二人の子供が、母親を「ウイグル分離独立運動のテロリスト」と断じ批判する声明を出し、これが中国側のニュースで流された。中国政府も、卑劣な手を使うものだ。

抑圧する者とされる者、90%の漢民族は 10%の少数民族に思いをはせるだけの想像力をもてるだろうか。中国の同化政策は、少数民族の言語 宗教、文化 習慣を破壊することが目的だ。チベットには鉄道が敷かれ、空港が出来 大資本によるホテルが建ち、中国人の若い新婚がハネムーンに訪れて 異国風チベットのダンスや歌を楽しんで帰っていく。ウイグルも 中国人観光客が押し寄せて トルコ風異国情緒を楽しんでいくが その中国人たちが 少数民族を抑圧し 彼らの自治権拡大、民主化を圧迫していることに気付いていない。

7年の歳月をかけて編集された この映画では、7年間 獄中で政治犯として弾圧され 亡命し、現在アメリカのワシントンに住むラビア カーデイル世界ウイグル議会議長のインタビューを中心に、ウイグルの歴史、文化、自然などが映像化されている。ラビアは、独特のトルコ帽をかぶって髪を三つ編みにした小柄な女性。11人の子供を産み、ウイグルに残してきた子供のうち4人が 政治犯として獄中にいる。フイルムのなかで、彼女はじつによく涙を流すが、声は常に力強く 感情に流されず きちんとしっかり中国政府の批判をする。母なる大地の大きさと強さをもった女性だ。7年間 暗がりの獄中にあって 外の光を浴びて空を見ることがなかった という。

タイトルの愛の10条件というのは、ラビアが夫に示した結婚の条件だ。彼女は新聞で 政府に抵抗運動をした末 監獄から釈放されたばかりの男 ロウジ氏の記事を読み、その男の顔も様子もわからないのに、結婚するために訪ねていって、結婚を申し込む。ハンサムだったので、びっくりした と言う。そのときの結婚の条件は、妻を愛すること、そして国を愛することだ。そして 二人は一緒になり 米国に亡命してからも互いに ウイグルの自治権拡大、民主化のために発言することを止めない。ラビアは声だかに ウイグルの独立を主張していない。フイルムのなかで、はっきり言っている。運動の目的は ウイグル自治権の確立だ。彼女はノーベル平和賞に2回ノミネイトされている。

4人の子供を中国の監獄に閉じ込められて、その子供から 母親を批判する声明を出すことまで強制されて 母も子もどんなに胸が潰れる思いでいることか。しかし、映画は涙ばかりではない。ラビアは 画面のなかで よく泣き よく笑う。 
ドキュメンタリーフイルムの良さが しみじみ感じられるフイルムだった。

 

2009年9月11日金曜日

映画 「崖の上のポニョ」


ヘラルド紙の日曜版に 毎週新作映画の映画評論が載る。
これが かなり辛口。プロの批評家が 10段階の評価をするが、「10分の1で観る価値なし」、というのがかなりある。それが堂々と日曜版に写真つきで出るからおもしろい。まあまあよくできていて10分の6くらい、絶賛できる映画で やっと10分の7くらいが普通だ。
ところが、驚くべきことに先週 初めて10分の10と評価されていた映画があったので、タイトルを見てみたら それが「PONYO」、原題「崖の上のポニョ」だった。

また、日本でいうNHKにあたる、ABCテレビで、毎週二人の映画評論家が 新作映画を紹介する番組「マーガレットとデヴッド」という1時間番組がある。ふたりの評論家が一致して 同じ映画を褒めることが少なくて、いつも二人が言い合いになるところが面白おかしい番組なのだが、珍しく二人一致して、この映画は来年のオスカー最優秀アニメ賞に推選すると言っていた。それが「ポニョ」だった。

宮崎駿の作品は新作が発表されるたびに 外国では評判が高くなっているようだ。手書きコンテのスタジオジブリの仕事ぶりは 特に海外で 驚異をもって受け入れられていて、その技術は高く評価されている。

私も彼の作品はどれも好きだ。特に 初めの頃の作品が良い。一番好きなのは「ルパン三世カリオストロの城」。テンポの速さ 小気味良い人の動き、登場人物一人一人の描き方、個性の強さ、ストーリーのおもしろさは 他に二つとない。また違う意味で、宮崎の「となりのトトロ」と「風のナウシカ」が次に好きだ。
「崖の上のポニョ」は日本では もうとっくの昔に公開されていて、ビデオもでまわっているようだが、ここでは新作として、初めて一般映画館で公開が始まった。映画はビデオでは観ない、きちんと街に出て 映画館で新作だけを観るという主義なので、映画館で観た。

英語版では ポニョのお母さんを、オスカー女優のケイト ブランシェットが声優として出演している。
「ポニョ」を観た人は みな1837年の発表されたアンデルセンの「人魚姫」を思い浮かべることだろう。若い人は1989年のデイズニーアニメ「リトルマーメイド」を思い出すかもしれない。「崖の上のポニョ」は宮崎ワールドの「人魚姫」物語だ。

アンデルセンの人魚姫は 海で溺れた王子様の命を助けたことが契機で 王子様を愛してしまった人魚のお話だ。平和な海底で幸せに暮らしていた人魚姫が 王子のために 魔法使いに頼んで人間の姿にしてもらい、願望どうりに 王子と出会うが 王子にはすでに婚約者がいた。結婚式の日に 人魚姫は海に身投げして 海の泡になって消えていきました、、、という悲しいお話だ。子供のときに 読み聞かせてもらったか、自分で読んだか したはずのこのお話は 湿っぽいので苦手だった。王子様を そんなに好きなら どうして王子の婚約者と正々堂々と デスマッチを挑んで自分のものにしてしまわないのか。王子が別の姫と結婚するなら そんなカスはさっさと忘れて広い世界に視野を広げ 別のオープションを選んだらよろしい。子供心にも 好きなのに そうと言えなくて身を引くというグジグジした女々しい人魚に矛盾を感じていた。せっかく魔法で人になったのに 歩くごとに足が痛い、というのも魔法使いのくせに ちゃんと責任もった仕事をしてくれ、、、と。もともと、童話はつっこみ満載の話だから、自分が人魚だったら、という仮定の上には 成り立たないのが童話のゆえんなのだろうが。

スタジオジブリの人魚姫はどうだろうか。
ストーリーは
港町に住む5歳のソウスケは 崖の上に建つ家に住んでいる。ある朝、岩場で遊んでいて 1匹の金魚がジャムの空ビンに閉じ込められて苦しがっているのを見つける。ビンを割って 金魚を自由にしてやった後 自分の持っていたバケツに この金魚を入れて ポニョという名前をつける。母親リサの運転する車に乗って ソウスケは保育園に ポニョを連れて行く。保育園の隣はリサの勤める老人ホームだ。ソウスケはここのお年寄りたちから人気がある。
ソウスケはポニョの愛らしさに惹かれて、ずっと、自分が守ってあげると、約束する。ポニョも自分を助けてくれたソウスケが どこに行くにもバケツに入れて連れて行ってくれて、大切にしてくれるので それをとても嬉しく思っている。ソウスケは 怪我をした指をポニョが舐めただけで 傷が塞がって治ってしまったところを見て、ポニョには不思議な力があることに気が付く。

しかし魔法使いのポニョのお父さんは、力ずくで海底にポニョを連れ帰る。海底にもどったポニョは ソウスケのところに帰ることしか考えられない。やがてソウスケが怪我をしたときに 彼の血を舐めたポニョに変化が訪れる。手足がはえてきたのだ。ポニョは海の生きもの皆の協力を得て 味方につけて深い海底から抜け出して ソウスケのもとにやってくる。
ソウスケの前に現れたのは もうバケツの中の小さな金魚ではなく 5歳のソウスケと同じ人間の姿になったポニョだ。ソウスケは赤い服を着た小さな女の子を見て、不思議に思いながらもそれをポニョだと、認識する。ソウスケの母リサは ソウスケにポニョを紹介されて、不思議に思いながらも家に入れてやり 二人の子供達に食事をさせる。

ポニョを失った海は 荒れ狂い 嵐となって街を襲う。みるみるうちに水位が上がってくる。リサは 歩くことが出来ない年寄りばかりが残された職場が気になって 子供達を崖の上の安全な家に置いて 職場にもどっていく。ソウスケは 母親の言いつけどうりに崖の上から灯火を照らして 海にいる船の遭難を防ごうとする。嵐のために 地上からの灯りが消えて方向がわからなくなった船を誘導するのだ。
ソウスケとポニョのいる崖の上の家を残して すべてが水の中に沈んでしまった。水の下の世界では、不思議なことに リサがもどった 老人ホームの年寄り達は 自由に歩くことができるようになって、病気だった年寄りは元気になっていた。ポニョを失って、怒り狂って嵐をおこした魔法使いは負けて 海の女神によって、静まっていたのだ。リサと海の女神は話し合って、リサの同意を得て、ポニョはソウスケの家に引き取られることになった。
海の女神は ソウスケとリサに出会い、再び人との信頼関係を取り戻したのだった。
というおはなし。

まず、心に沁みたのは ソウスケとリサとの 相互信頼関係と絆の強さだ。リサが素晴らしい。5歳のソウスケを完全に ひとりの自分と同格で同等の人として認識し、絶対的信頼を寄せ、尊重している。
嵐の中でソウスケに 突然現れた赤い服の女の子が これはポニョだよ、と紹介されたときリサは、「何か不思議なことが色々起こっているみたいだけど 後でわかるでしょう。今はとにかく家に入って。」と言う。わからない不思議な出来事もいずれはわかるときが来る。今しなければならないことをすればよい という大人の態度を取れるリサは立派だ。
また、初めの頃、ポニョが海の魔法使いに連れ戻されてしまって、海の深みで行き場を失ったソウスケを見つけたときの リサの態度も立派。ソウスケを呼び戻すために どなりもせず、わめきもせず、ただすばやく走っていって息子を海から引き戻すシーンだ。口先ばかりで子供を叱ったり、口で子供をしつけようとする愚かな口先女の親達に 100回くらいフィルムを巻き戻して見せてやりたい場面だ。
それから 崖の上の家に子供だけを残して リサが職場に行くところも感動的。嵐で町中が暗闇なので、海上で船が遭難しないように サーチライトを灯す大役を、5歳のソウスケにまかせて 家を去る母親。義務でもないのに 年寄り達を救出するために職場に戻る母親と、残ってライトを照らし続ける5歳の息子とは、ゆるぎのない絶対的信頼で結ばれている。
この母にしてこの子あり、だ。

それにしてもポニョのまっすぐな心、なんの曇りもない ソウスケへの100%純愛、ひたむきさは、涙がでるほどだ。誰もが これを見て 自分がポニョほどに純心な気持ちで 一人の人を愛して求めたことが 人生のうちで一度でもあっただろうか、、、と、自問したのではないだろうか。ソウスケの乗った車を追って 海の波間を駆け抜ける ポニョが一生懸命走り続ける長い長いシーンが、この映画で最も印象的な場面だった。ポニョがわき目もふらずに ソウスケを追って走る姿は 胸に迫る。そして、真剣に生きようとし、純真な心で人を愛そうとしているものに対して 自然は優しい。
宮崎の作品では いつも人と自然との調和、信頼がテーマになっている。

映画の中でも 人間によって汚れた海、止むことのない開発と汚染や 地球温暖化が、どれほど海の生物達に被害を与えているか、海洋資源の減少、生き物達の絶滅も、語られている。
また、人間社会のひずみを集約したような老人ホーム、その中で生きる老人達の孤独、ひがみや憎しみも、さりげなく画面で語られている。

しかし、映画はそういった社会現象、社会問題、人の心のゆがみなど、すべてを乗り越えるのも、また 若い、心にくもりのない人々の力によってなのだ、と、訴えている。社会批判や批評や、皮肉やニヒリズムでなくて、真剣に生きる若い力で 社会や人々の流れを変えていくことが出来るはずだ、というメッセージを、この映画から私はたしかに受け取った。