2009年7月1日水曜日

わたしのマイケル ジャクソン


マイケル ジャクソンが亡くなって 悲しい。
それも、大好きだった ヒース レジャーと同じように鎮痛剤のオーバードーズで、呼吸が止まってしまった という、そんな亡くなり方が、とても悲しい。
でも、亡くなった彼のために、翌日 議会で上院、下院議員全員が起立して黙祷をささげる姿を見て、アメリカ議会も粋なことをする と ちょっと見直した。 だって、日本の国会で、例えば 木村拓哉が死んだとして、国会議員のおっさんたちが 1分間の黙祷をするだろうか? まあ、マリナーズのイチローが死んでしまったら みんな文句なしに 黙祷するかもしれないけど。

肌の白いコーカシアンに生まれてくることは 偶然の結果だが それが自分で勝ち取った特権でないに関わらず、白人であるという特権を白人は絶対に捨てようとしない。過去においても、現在においても どんなに法が整備されて、人種や肌の色での差別が禁止され、同じ人間として扱われるようになっても 白人であることは 就職、住宅環境の選択、教育、結婚すべてにとって 有利であることに、変わりはない。

以前、公立病院の心臓外科病棟に勤めていた。病棟には33人のナースがいたが、私を除いて すべてが肌の白いコーカシアンだった時期がある。あとで中国人や ジンバブエの人や インド人の看護婦も 入ってきたけど、とにかく みんな肌が白い オージー、カナダ人、アメリカ人、スコットランド人だけだった時期、私は断じて言うが、彼らに差別されたことはなかった。みなプロに徹した ものすごく優秀なナースばかり、心臓のスペシャリストが4人もいた。普通は一つの病棟に一人だから、いかにできる人ばかりで、仕事に誇りを持っていた人たちの病棟だったか 今思うと しみじみわかる。

ある日、みなが「賭け」を始めた。何に賭けているのか知って 仰天した。折りしも マイケル ジャクソンと、デビー ロウの間に 赤ちゃんが産まれたということだった。みんなは 産まれて来た子供の肌が 黒いか白いかを 賭けていたのだった。みんな目の色を変えて 「ブラック? ホワイト?」と、ニュースに釘付けの姿を見て、思い切り しらけた。長いこと感じてきた同僚意識、できるナースへの尊敬の気持ちが すべて音を立てて崩れ落ちる感覚。

白人はマイケル ジャクソンの肌が白くなったことを 決して許そうとしない。それは 自分たちの特権崩壊につながるからだ。誰もがお金の力で 白い肌をもつことができるようになったら 自分たちの有利さが失われてしまうからだ。 民主主義、弱者救済、平等、差別撤廃 これらの言葉が白人から発せられるとき それは自分が白人であることを前提に言っているに過ぎない。 差別を受けてきた者にとっての民主主義、弱者救済、平等、差別撤廃と、それは全然別のものであること、それがわかっているのは、白人以外の人々だけなのかもしれない。

マイケルを思うと、あの日のナースたちの 興味津々の残酷で卑しい目と、「ブラック? ホワイト?」という言葉を思い出す。
ブラック?ホワイト? どっちでもいいじゃないか。
本当に どっちでもいい、と言い切れる自分が、ちょっと、誇らしい。