2007年6月22日金曜日

映画 「テラビシアにかける橋」


オーソン ウェルズが監督、製作した映画「市民ケーン」(CITIZEN KANE)で、最後に億万長者の新聞王が「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して死ぬ。難解な彼の謎に満ちた一生を描いた映画だったので、あとで、バラのつぼみが何だったのか、、、彼が子供のとき母と雪遊びしたときの橇の名前だったのか、あるいは、唯一愛した若いオペラ歌手のつぼみを咲かせてやれなかった悔いの気持ちを表したのか、と、いろいろ観た人の間で議論したことがある。

バラのつぼみは、満開のバラより美しい。開花する直前の緊張と、はりつめた輝きを内に秘めているからだ。 10代はじめの頃の少年、少女の美しさはバラのつぼみに似て輝かしい未来を予感させる。無邪気な幼さと、背伸びした自意識。自然体の美しさに本人が気ずいていない。そんな、頃の少年少女を描いた物語を見ると こわれやすいバラのつぼみの心に ほろ苦い感傷がつきまとう。

映画「テラビシアにかける橋」を観た。ウォルトデイズ二ー製作。原作 カサリン パターソン。彼女はこの作品で、児童書に与えられるニューベリー賞というのを、もらっている。 繊細な心をもつ いじめられっこの少年ジェスに、ジョルジュ、ハッチャーーソン。隣に引っ越してきた、元気な女の子レスリーに、アンナ ソフィア ロブが、演じている。ジョルジュ ハッチャーソンは、「スペースアドベンチャー」に、アンナ ソフィア ロブは、「チャーリーエンジェルとチョコレート工場」に出ていた。

ジェスは、二人の姉と妹にはさまれた、家族で唯一の男の子。家計のやりくりが大変な家庭で、家庭菜園をまかされて忙しく、厳しい父親からは 常に叱咤されていて、自分は誰からも愛されていないと思い込んでいる。妹の世話が行き届いていない、野菜畑から被害が出た、と、家族はジェスを責めるばかりで、靴が小さくなって もう履けないのに、姉のピンクのお古の靴で学校に行かされる。学校では軟弱者と、いじめっこに もてあそばれる。唯一のなぐさめは、絵を描くこと。 そんなとき、同じ年の素敵な女の子が転校してくる。お金持ちの家の一人っ子で、芸術家の親の影響で、家でテレビを見ない読書好き。自分だけの想像の世界をもっている。

自由に想像して絵を描く少年と、目を閉じれば空想の世界が無限に広がる少女とが出会って、クリークを綱で渡って 森の中で自分達のテラビシア王国を作り上げる。樹の上に小屋を造り、空想の巨人や、鳥の軍団や、影の敵を作り出して、二人きり夢中になって、森をかけめぐって遊ぶ。
レスリーの すばやく走り回る体のしなやかさ、くりくりした輝く目、前向きで恐れ知らず、負けず嫌いの生意気さ、本当に可愛い。ジェスのちょっと頼りなくて、内向的、傷つきやすい少年の魂が、レスリーの行動力によって、ときほぐれて、開放されていく様子がよくわかる。この映画の一番良いところだ。目を閉じて、心の窓をあけてごらん。ほら、テラビシア王国がみえてくるよ、という、レスりーの言葉が良い。

美しいバラのつぼみは、疾風のごとく少年を揺り動かし、そして、立ち消えていってしまった。それだけに最後に、何もかも失った少年の心の塞ぎようには、胸が痛む。人生は、失うことばかり。しかし、それを通して、人は成長していく。ジェスという少年の絶望から、心の再生が 最後に描かれる。

10代はじめの頃は、誰もが自分は価値がないのではないか、とか、家族や友達から愛されてないのじゃないかとか、自分をわかってくれる人なんか一人もいない、とか、思いがちだ。その頃の出来事がトラウマになって、心の成長ができないまま大人になる人も多い。また、この頃に性的被害に逢う子供も残念ながら、多い。バラのつぼみの時期にいる子供達を大切にしてやりたいと思う。そして、いつまでも、目を閉じ 心の窓を開ければ、空想の世界がどこまでも、広がるような大人でいたいと思う。