2007年12月26日水曜日

クジラを食べないで

世界最大の哺乳類で野生動物クジラは、あたたかい南太平洋で、赤ちゃんを産み、子連れで、餌を求めて、南極海まで回遊する。空腹の赤ちゃんを連れて、グループで襲ってくるシャチによる攻撃をかわし、何千何万キロを移動しなければならないクジラの旅が、楽ではないことを、BBC撮影チームが追跡撮影に成功して デビットアッテンボロウも紹介している。

このザトウクジラを、シドニーで観るための、ホエールウォッチングは、観光の目玉になって、世界から観光客が押し寄せる。シドニーから1時間ほど走った、ネルソンベイなどがホエールウォッチングの名所で観光客を満載した船が次々とッ出航する。そんなところまで行かずとも、まだ水が冷たい時期には シドニー湾の中にクジラが親子で迷いこんできたり、ボンダイや、ダブルベイといった高台から、クジラが勢いよく水を噴き上げる姿がよく観られる。それほどオーストラリアでは人とクジラとの関係が密だ。

12月21日、日本政府は今季、南氷洋での調査捕鯨でザトウクジラを捕獲しないことにした。50頭 殺される運命だったザトウクジラが12月19日の時点でアメリカの説得工作を続けていたトーマスシーファー駐日大使によって、2008年6月のIWC会議まで捕鯨中止を合意させた、というニュースが流れ、直後にあわてて日本政府がそれを否定するといったドタバタがあったのち、ともかく、ザトウクジラ捕獲中止が決定されたのは、当然とはいえ、朗報だった。

しかし、この12月に、日本の調査捕鯨が開始され、とりあえずザトウクジラは難を逃れたが、依然として、南氷洋ではナガスクジラ50頭、ミンククジラ950頭の捕殺が始まっている。

ザトウクジラとナガスクジラは、CITES(絶命の恐れのある野生動物の国際敵商取引に関わる条約、通称ワシントン条約)で、絶滅危惧種に指定されている。 また、ナガスクジラ捕獲は南半球では1976年に禁止されている。

オーストラリアのケビン ラッド首相は ザトウクジラ、ナガスクジラなど絶滅危惧種の殺害と肉の輸入はCITES違反であるとして、日本政府に抗議をした。東京在住のマレー マクリーンオーストラリア大使も政府の公式抗議を日本政府に手渡した。 スミス外相と、ピーターギャレット環境相は 外交手段で、抗議するだけでなくオーストラリア政府として、国際裁判に、提訴するため、国際法違反の証拠を収集するため、ビデオカメラを搭載した船舶、オーシャニックバイキング号と、航空機を、現地に派遣した。

ピーターギャレット環境相は現労働党政権の閣僚でありながら、元はグリーンの活動家だった。ちょっと前までミッドナイトオイルという名のロックバンドのリーダーでボーカル、保守政権批判、政府の白豪主義を揶揄し、人々の物欲主義を罵倒し続けた正統派活動家。この彼が 環境相では 日本の調査捕鯨という名の商業捕鯨が ケチョンケチョンに批判されるのが当然、このまま外交問題に、発展していくだろう。

捕鯨反対というとグリーンピースのレインボー号や、小さなボートで命がけの体当たりでクジラの殺生をくい止めようとする実力行使を思い浮かべるが グリーンピースや動物福祉基金や、RSPCAなどの民間ばかりでなく 今やオーストラリア政府が日本政府に対して抗議、船舶や航空機を使って行動に出ていることについて、事態を甘く見るべきではない。

世界で限りのある野生動物を、ひとつの国の国民だけが 殺して食べ続けていて良いわけがない。世界中から、ノンを言われている立場を はっきりと認識すべきだ。

クジラを殺して資源にしたり食料にする時代は終わった。世界の流れに日本だけが逆らって食べ続け、「野蛮人=日本人」のレッテルを貼られている現実から目をそむけてはならない。他に、食べ物が何でもある繁栄の極にある日本人がどうして、クジラを食べ続けるのか。

オーストラリアでは今、毎日のように日本の捕鯨船がクジラを捕らえ、甲板で切り刻んでいるフィルムがニュースで流れている。日本人と わかると、すれちがいざま唾と吐き掛けられたり、「クジラ食うなよ」と、脅かされたりする在外日本人の身を想像してみてくれないか。それを知らずにいる君に ビートルズのイマジンを送りたい。

ザトウクジラ50頭の捕殺は 一時中止されたが依然として ナガスクジラ50頭、ミンククジラ950頭は 今現在、日本の捕鯨船によって、捕殺され続けている。南氷洋はいまごろ、野生動物の赤い血で染まっていることだろう。

2007年12月4日火曜日

映画 「INTO THE WILD」



映画「イントゥー ザ ワイルド」ショーン ペン監督のアメリカ映画を観た。
1990年に大学を卒業したばかりの クリストファー マキャンドレス22歳は、約束された有望な将来に見向きもせず、自分を育ててくれた家族、友人すべてを残して 一人で旅立つ。技術者として優秀な父親、一人息子に盲目的な愛を注ぎ込む母親、中産階級のぬくもりすべてを捨てて、学生時代に稼いだ240万円全財産をOXFUN(児童育成基金)に寄付して、自分の身分証明書も、運転免許証も破り捨て、持っていた現金を焼き払い、無一文になって、旅を始める。

南ダゴダから、コロラド川をカヌーでくだり、アリゾナへと下って カルフォルニア、メキシコへと旅をする。心配した両親が警察ばかりでなく探偵まで雇って追跡調査しようとするけれど、身を隠すようにして姿をくらませる。沢山の人々との出会い、人助け、身を粉にして働いて得る食べ物、孤独な老人の心の友になったりしながら彼は旅を続ける。そして最後にはアラスカをめざす。しかし、悪天候と、大自然の猛威なさらされて 遂に生きて帰ることが出来なかった青年の冒険物語、権力とマネーパワーのアメリカに対する反逆児、自然と人との共生をあくまでも追求した理想主義者 ということもできる。

この実在した青年が死ぬ瞬間まで書き続けた日記と友人達からのインタビューをもとにして書かれた、作家ジョン クラクアー(JON KRAKAUER)による同名の本を映画化したもの。ベストセラーの この本を映画化したのがショーン ペンというだけで、注目に値するから、日本ではまだ公開されてないようだが そのうちに出てくるだろう。ショーン ペンは あのマドンナのもと旦那 と説明する必要のない立派な俳優兼映画監督。2003年「ミステイックリバー」でアカデミー主演男優賞、2001年「アイアムサム」で 6歳の娘より知能が低い父親の役を好演した。

この映画で、実在したクリストファー マキャンドレスを演じたのは、エミール ヒルク(EMILE HIRSCH)。彼は「THE EMPERORES CLUB」、「THE GIRL NEXT DOOR」という映画に出ているそうだが私は知らない。私が彼に注目したのは2年前の映画「ROADS OF DOG TOWN」という映画。これはカルフォルニアで1970年代に初めて スケートボードが作られて、これに夢中になった少年達がスポーツとしてスケボーを普及させるという痛快な映画だったが、美少年ばかりが5人も6人も出てきて大いに楽しんだ。中でもこのエミール ヒルクがとても冴えていたので、注目していた。今、この映画で、140分間、彼の冒険物語を見て、改めてショーンペンが抜擢した俳優だけのことはあると思った。コロラド川を警備隊の目を盗んでカヌーで川下り、砂漠を歩き、アラスカの山々を登山、鳥を撃ち半生の肉に食らいつく。「ROADS OF DOG TOWN 」ではぽっちゃりした可愛い少年だったのに、この映画の最後の方 飢えで死ぬ直前などあばら骨浮く姿で、すごく迫力ある演技だった。

彼の冒険物語をみながら、映画「グリズビー マン」が思い出されてならなかった。ショーン ペンは明らかに、この映画というか、ドキュメンタリーフィルムに影響をうけている。青年が山を歩いているときにかかる音楽なんか、ギターかかえて、ひとり男が歌うカントリー調のロックで、とても効果的。この映画ではエデイー べダー(EDDIE VEDDER)が 映画のために曲を作って歌っている。 「グリズビーマン」では、リチャード トンプソンという人が音楽監督、なかでボブ ミッチェルが,「コヨーテ」を歌っていて、とても、印象的で忘れられなくて、あとでCDを探したけど、見つからなかった。

「グリズビーマン」はテイモシー トレッドウェルという、アラスカでグリズビー灰色熊に、人間で一番近くまで行った人の、ドキュメンタリー映画。野生の熊との交流を 何年も、自分でカメラのフィルム回して撮影していて、ガールフレンドと一緒に年老いた熊に襲われ 食われてしまった。熊に襲われる直前まで本人が回していたフィルムだから、それはそれは迫力があった。好きなことをして その結果 命を落とした本人は それで満足だろうが ガールフレンドが彼を助けようとして自分も食われてしまった現実について、現地のインデアンの人は、「認識が甘すぎた。熊との共生は 距離をおいて、互いに尊重しあわなければ誤りだ。」と言っていた。正論だ。

「INTO THE WILD 」でも、グリズビーが出てくる。 この映画、「グリズビーマン」同様、好きな人と嫌いな人がいるだろう。親の立場からみたら、自分の子供にこんな無茶なことをやられた末に 死なれてしまったら、かなわないと思うかもしれない。彼の両親に対する憎しみ、何と自分勝手な、、と、彼に共感できない人も多いだろう。でも子供から大人になる為に、人は一度は親を切り捨てる必要がある。その捨て方は、人が100人いれば100様だ。クリストファーの生きかた、人生をロマンと捉えるか、現実を先に見るか、人は一様ではない。

私は100の説教より行動する青年が好き。一歩踏み出して失敗したら反省すれば良い。この映画、私はこの青年にとても共感できた。身分証明書も運転免許証も焼き捨てて、現金も焼き捨てて、ただただ、自然と一体になりたくて旅に出る青年に 潔い美しさを認める。こんな青年が私達のまわりにたくさんたくさん居てくれても良いのだと思う。

2007年11月30日金曜日

宮本輝の4部作 「流転の海」

作家、宮本輝の長編小説、新潮文庫 計4冊2015ページを読んだ。4部作とは、「流転の海」、「地の星」、「血脈の火」、「天の夜曲」のことで、宮本輝の父親をモデルにした大河小説。宮本輝が35歳のとき書き始めてから、20年かけて4作目が出た。小説では輝が生まれたところから始まり、最終の章では彼が9歳、父親が59歳になったところ。20年かけて 作家は書いてきて4冊で完結するはずが 彼はまだ9歳、このままだと6冊で終了できるかどうか危惧しているそうだ。

私は 大河小説が大好き。好きな順からあげていくと、
1番:マルタン デュガール 「チボー家の人々」
2番:ロマン ロラン    「魅せられたる魂」
3番:パール バック    「大地」
4番:ドストエフスキー   「カラマゾフの兄弟」
5番:住井すゑ       「橋のない河」
6番:ロマン ロラン    「ジャンクリストフ」
7番:アレックスヘイリー  「ルーツ」
8番:北杜夫        「楡家の人々」

どれも、父があり、子があり 2-3世代の家族に渡って志が受け継がれ、歴史に翻弄されながら、人々が愛しあったり、憎しみあったりしながら生きていくお話。

宮本輝は私が最も好きな作家、1947年生まれ、「泥の河」で太宰治賞、「蛍川」で芥川賞、「道頓堀川」の川3部作を仕上げ、「優駿」で吉川英治賞をとり、現在芥川賞審査委員。多作で、最も売れている作家。1995年、阪神大震災で小田誠などとともに、自宅が全壊して失った。そのとき、執筆して、最終章を仕上げていたのが「人間の幸福」だったそうだ。

私は「泥の河」「蛍川」「道頓堀川」、それと青春時代を描いた「青が散る」「優駿」が好きだ。それと「ドナウの恋人」と、「月光の東」が好きだ。

4部作で、作家の父親をモデルにした主人公の名は、松阪熊吾、常に事業に夢を追う男。作品は1947年に 大阪で貿易商として大掛かりな事業を営んでいた男が 戦争で何もかも焼かれて、灰になった焼け跡に帰ってきたところから始まる。50歳で 財産を失なった男に 予想もしなかったことに、男の赤ちゃんが生まれる。新しい命の到来が 熊吾に、事業の再建を決意させる。彼は強い信念と、優れた行動力でブレインを固め、事業を軌道に乗せていく。 事業が成功すると、やがて人に裏切られてまた一文無しになり、やり直して、また軌道に乗ると、倒産の憂き目にあう。実業家の浮き沈みに伴い、妻も息子も、様々な経験を積んでいく。人の成長は、こうして社会によって育まれるのだということが、わかる。

読書家で知識が豊富。知る限りの教養を一人息子に 理解できる年齢であるかどうかに関わらず詰め込もうとする。その息子の健康のためならば 築いてきた事業を簡単に人に譲って 無一文で田舎に転居するなど、苦もなく実行する。激情家で怒りが爆発すると 妻を殴り、留まることを知らない。情にもろく、人助けが身についている。どこでも骨身惜しまず弱いものを援助する。若い女にのめりこむのも、激しい。火のように 燃えやすい男。喜怒哀楽が激しく、行動的で極端な、"火宅の人”だ。
これを、冷静沈着、粘着質の、性格が反対の極にあるような息子である作家が描いていく。時代とともに、生きた歴史をみるようだ。 こんな風に自分の父親を 一人の昭和を生きた男の人生として書き上げられる作家がうらやましい。私には父を書くことは出来ないだろう。父のように、功績があり、社会的にも高く評価されている人を娘の目から見上げて見えた部分だけを描いて見せるのは 公正でないと思うからだ。描けないほど大きな人、ということも言えるし、何枚原稿用紙があっても書き足りないほど厄介な人、ということも言える。

宮本輝は、あと何年かかって、これを完結するだろうか。気長に 待っていよう。

2007年11月23日金曜日

今年最後のACOコンサート

オーストラリアチェンバーオーケストラ(ACO)リチャード トンゲテイ監督の定期コンサートを聴いた。2007年最後の定期コンサート。エンジェルプレイス、二階中央の席。この席で聴くのも今年が最後。毎年 年間7回のコンサートを支払って、指定席を手に入れるが、隣の指定席の男が 演奏中 貧乏ゆすりはする、靴の底をこちらに向けて足を組む、一番ひどいのは、ケイタイをオフしないで演奏中 それが鳴り響いたことがあった、、、無作法を絵に描いたような男。二年間我慢したが、なにも我慢大会に出場しているわけでないので この男からなるべく離れたところに席を変えてもらった。

ACOの定期コンサート申し込みも10年になる。これだけ、ひとつの楽団を支持、後援するのは初めて。リチャード トンゲテイは間違いなくオーストラリアでは一番優れたバイオリニストで、彼の率いる室内楽団の、みごとな統制ぶりが実に気分が良い。10年聴いていて、いつも新しい、年を取ることもなく 訓練がよき届いている。なかなかできないことだ。

前に、シドニーシンフォニーオーケストラのことを書いたが、総勢100人ちかくの彼らは 政府の補助金で 給料をもらっている。その彼らを聞きにくる人々は、後ろからみるともうほとんど白髪。オーソドックづなクラシックコンサートは シルバー人口に支持されている。それに比べると、ACOは 同じバッハやベートーベンを演奏するのに、来ている人は 圧倒的に若い人が多い。これはすごいことだ。いつもは、ロックだけれど、たまのデートには オシャレして良いレストランで食事したあと これを聴きにくる若い人は、大変センスが良い。私は まだ五感がシャープな 若い人の好みと選択のほうを信頼する。
コンサートは コルネリのコンチェルトで始まった。そのあと、その日のゲストは、LACEY GEREVIEVE というリコーダーを吹く人。彼女が オーケストラをバックに、テレマンのリコーダコンチェルト というのを吹いた。バロック音楽特有の 音符のすごく多い曲を 早くて小さな音まで きっちり吹いている技術にびっくり。リコーダーって、日本の小学校をやった人はみんな吹ける縦笛だが、いつ息継ぎをするのか心配になるほど、上手で感服。でも、そのあとに続く2曲は、現代音楽で、苦手なので 半分寝てました。6本の、大きさの違うリコーダーを次々と変えて 尺八のような、アボリジニーの伝統楽器のような、雅楽のような、音を出していて、それなりおもしろかったけど。コメントはパス。

最後はベルデイの 弦楽4重奏を、ACOのメンバー全員で、演奏して とても良かった。第一バイオリン5、第二バイオリン5、ビオラ3、チェロ3、ベース1の、17名。団員の入れ替わりが激しい。常にメンバーが変わっている。メンバーになって油断しているとすぐに切られる。一緒に海外公演に遠征できない家庭持ちも すぐに切られる。だから、音楽活動が生活の中心になっていて、常に努力している若い演奏家だけが生き残れる。こんなで、やってきて、道は容易ではなかっただろう。

いつもはアンコールにいっさい応えないACO. どんなに長い交響曲でも全員立ったまま演奏し 終わると拍手が続いていても、にこやかに舞台から去っていくスタイルも独特。それが今回は、今年最後のコンサートなので、4曲アンコールを弾いた。パガニーニの小曲と、フィンランドのフィデロ。弦の音はやっぱり最高。この楽団の行く先、ずっと観ていきたいと思う。

2007年11月20日火曜日

映画 「エリザベス ゴールデンエイジ」


映画「ELIZABTH -GOLDEN AGE」を観た。監督シェカー カプール(SHEKER KAPUR)。1998年の「エリザベス」第一部に引き続いて第二部、三部作のうちの二作目。1585年、エリザベス女王が52歳で、黄金時代と呼ばれる頃のお話。

プロテスタントのイングランド エリザベス女王にケイト ブランシェット、参謀長官にジェフリー ラッシュ、女王お気に入りの侍女にアビー コーニッシュ。イギリス映画なのに、主要な役を3つとも みんなオーストラリア人俳優が演じている。イングランド女王を演じられるイギリス人 いないのか? 日本でいえば天皇の役を中国人とかシンガポール人がやるようなものだろうけど、、。 エリザベス女王が 片思いする航海士で貿易商にクライブ オーウェン。カトリックスコットランド女王にサマンサ モートン。
16世紀 スペインが最大強国で圧倒的優勢なカトリック全盛時代、勢いに乗って スコットランドのカトリック 女王マリアは、イングランド女王エリザベスを暗殺しようとして、逆に反逆罪で捕らえられる。女王マリアは引き立てられ、処刑される。断頭台に立っても 威厳を失わなずに処刑されていく貫禄のサマンサ モートンの演技が冴えている。マリアの処刑を宣戦布告と捉えたスペインは 大軍の船団を編成してイングランドに攻め寄せるが、運悪く嵐の到来にあい また、すぐれたイングランドの海戦術に敗れ 敗退する。エリザベスが 思いを寄せていた航海士は この戦争で大活躍して国を救うが エリザベスの侍女と結ばれていた。エリザベスは嫉妬に苦しみ、悲しみもするが、家庭を持つことよりも イングランドのために、国民の母でいることの使命に立ち返って 女王としての役割を果たす決意を新たにする、というストーリー。

この映画、中世の歴史を知らないか、すっかり忘れていた人のために ていねいなナレーションがついていて、地図つきで 解説しながらストーリーを展開してくれるので とてもわかりやすい。なんか、NHKの毎週日曜夜にやっていた歴史ドラマみたい。NHKアナウンサーの押し付けがましい声で、ドラマが始まる前に しっかりナレーションが入ったのを思い出した。 歴史ドラマのおもしろさは 歴史的事実を おなじみの俳優が演ずることでその時代の風景がよみがえり、人物に命が吹き込まれ、歴史が一挙に身近なものとして理解を深められることだ。
エリザベス第一部が上映された10年前、夫の友人のパーテイーで この映画が話題になっていて、みんながケイト ブランシェットの英語の発音が完璧なクイーンズイングリッシュだといって 褒め称えていた。そのころの私は クイーンズイングリッシュも、コクニーイングリッシュ(下町言葉)も、スコテイッシュも、アイリッシュイングリッシュさえも 全然違いがわからなかった。東京の私には 京都や大阪の言葉のなかに アクセントやイントネーションの違いだけでなく、意味が良くわからない言葉があるのだから、クイーンズイングリッシュと、コクニーの違いは、階級社会英国で、互いに、全然意味がわからない言葉が山ほどあるくらい きっと、両者の溝は深いのだろう。

ケイト ブランシェットは 「エリザベス」第一部を演じて 好評を得たが いつまでもエリザベスのイメージで自分を見られるのが嫌だといって、第二部に引き続き演じるのを固辞し、断り続けていたが あきらめずに執拗に要請されて、仕方なくこの映画の出演を引き受けたといわれている。 それにしても ケイト ブランシェットの美しさ、、、二人の学校に行っている男の子のお母さんなのに、完璧なプロポ-ション、理想的な頭や顔の形、細い首、美しいあごの線、知的な目鼻立ち。全く文句のいいようがない。大抵、どんな女優でも可愛い顔だけど声が下品とか、話すときの表情が下劣とか、整形で不自然とか、話し始めたとたんおでこにおかしな皺が出るとか、知的な事を話しているのに知性が感じられないとか、動作が雑とか、必ず欠点があるものだがケイトにはそれがない。とても良い役者。この映画 こんなにお金をかけて採算が取れるのか 心配になるほど 衣装も建物も家具もアクセサリーも お金がかかっていた。ケイトが画面に出てくるたびに 違う豪華絢爛な衣装を身に着けてでてくる。その姿を見ているだけで、とっても楽しかった。

これをタイプしながら、テレビでは今日あった総選挙の開票をやっている。どうやら11年続いたジョンハワード保守 共和党が負けそう。労働党のケビンラッドが新しい首相になりそう。まだ、全体の開票5パーセントだから はっきりわからないが、労働党に有利な展開。いい気味だ。ジョンハワードは、ジョージブッシュの親友で、アメリカがイラクに軍隊を送って、すぐそれに追従した。労働組合も、無力化させた。アボリジニーに対して、謝罪していない。環境問題で、京都議定書にも署名しなかった。こんな奴 やめてもらいたい。労働党がんばれ!

2007年11月16日金曜日

アシュケナージ指揮のラフマニノフを聴く

アシュケナージ指揮のラフマニノフを聴くオペラハウスにて アシュケナージ(MAESTRO VLADIMIR ASHKENAZY) 指揮、シドニー交響楽団による ラフマニノフを聴いた。

コンサートでは、始めに、「THE ROCKS」という20分ほどの小曲が演奏された。これはラフマニノフが20歳で、モスクワ音楽大学を卒業したばかりのときの作品。
おめあては、清水和音ピアノソロによるピアノコンチェルト第4番と、交響曲第2番。

ラフマニノフというとピアノコンチェルト第二番が有名。ピアニストにとっては難解だが、聴く耳には心地よいピアノ曲。ピアノコンチェルト第三番は、映画「シャイン」のテーマにもなって、よく、ピアノコンペテイションに 使われる曲。ピアノコンチェルト第4番は、めったにコンサートホールで演奏されない曲。それを、日本から来た清水和音が演奏した。昔はピアノの貴公子といわれ、その甘いマスクに熱烈なファンが取り囲んでいたものだが、彼もそれなりに年を経て おなかの周りに肉もついていた。でも、演奏は繊細そのもので素晴らしい。日本人にしか弾けないような 優しい音でひとつひとつの音に 思いをこめるように ていねいに、しとやかで上品なピアノ演奏だった。

第一楽章から 第二楽章にうつるとき、オーケストラは待たせておいて、ピアノ独奏から入るのだが、なかなか始めようとしない清水和音のところまで 指揮者アシュケナージが、トコトコ歩いていって彼の肩に手を置いて いつ始めてもいいよ、オーケストラはまってるからね、、、というようなジェスチャーをして また指揮台に帰っていくハプニングがあって、その茶目っ気のある指揮者に観客は手をたたいて大喜びをしていた。しばらくして始まった清水和音の瞑想から覚めたような、繊細な音は、心にしみていくような美しい音だった。こういった、ちいさなハプニングがライブ音楽を聴きにきている聴衆にとって 一番嬉しいことだ。CDでは味わえない生きた、音の変化が楽しめる。

最後にインターバルをはさんで、ラフマニノフの交響曲第二番(作品27)。これは、ラフマニノフ34歳のときの作品。限りなく限りなくロマンチックな曲。 シドニー交響楽団は、何年も聴きに行っていなかったのでメンバーは大幅に変わっていたみたいだが、フルオーケストラの大所帯。第一バイオリン12、第二バイオリン12、ビオラ10、チェロ9、ベース8、ハープ1、フルート3、ピッコロ1、オーボエ3、クラリネット3、バスーン4、ホーン5、トランペット3、トロンボーン3、チューバ1、テインパ二ー、パーカッション 以上。

アシュケナージは、ピアニストとして有名だが、作曲、指揮、音楽監督と、多面な音楽活動をしてきた。2004年には 日本のNHK交響楽団 音楽監督もやっている。プロコフィエフ、ショスタコビッチを世界各地で精力的に演奏 指揮して紹介師弟t化と思うと、最近、バッハとベートーベンのピアノ曲のレコーデイングをしている。ものすごく、精力的な活動家だ。

彼の指揮を見ていて、どうしてこんなに人気があるのかその、理由がよくわかった。 彼をみていると、曲がわかるのだ。彼が指揮をすると 難しい曲でも、すごくわかりやすい。曲の中の細やかな動きから大きなダイナミズムまで実に ていねいに わかりやすく解説してくれるかのように 指揮をする。にこやかで 気取らず 包容力がにじみでているような人、彼がおもいのままにオーケストラを動かしているのが 観ていてわかる。素晴らしい音楽家だ。

2007年11月13日火曜日

映画 「マイテイーハート」


アメリカ映画「A MIGHTY HEART」 マイケルウィンターボトム監督、ブラッドピット製作のハリウェッド映画を観た。英語でマイテイーは、強くて大きな という意味。 2002年 パキスタン カラチで 取材中のウォールストリートジャーナル誌の記者、ダニエルパールが 誘拐され殺された事件があったが、残された妻、マリアンヌが書いた手記をもとにして作られた映画。

女優に、製作者ブラッドピットの妻、アンジェリーナ ジョリー。この二人 常にハリウッドのゴシップの中心にいて 人々の好奇にさらされていて気の毒。結婚して、子供も生まれて幸せなら そっとしておいてやったらいいようなものの。という訳で、実際マリアンヌが妊娠5ヶ月のときに起こった事件だから仕方がないけれど、妊娠中の女優アンジェリーナが そのつき出たおなかを重そうに 体当たりで演技していると、聞いてこの映画観たくなくて ずっとパスしていた。なのに、日曜日の静かな午後、夫が突然 新聞握り締め、「わ わ わー!まだアンジェリーナの映画やってるよー行こう行こう!」 と騒ぎ出したので 仕方なくついていった次第。 夫はどちらかというとミーハー。私とはクラシック音楽とオペラの話しかしないが、職場の女の子達とはハリウッド女優にゴシップの話題でいつも盛り上がっているし、本当はウェスタン音楽が好きなのを、私はなぜか知っている。

2002年にパキスタンで起きたタリバン分派による ジャーナリスト誘拐事件は 記憶に新しい。おおきな刀を振りかざした男が立つ前に 鎖で両手をつながれ 首をたれたダニエルパールの写真は世界中のニュースで報道され、1ヵ月後に処刑されたときの胸の痛みは忘れられない。日本人で 戦争の実際を見たいといって バグダッドに向かい、誘拐され首をはねられた青年もいた。私はこんな青年が大好き。だから、とても悲しかった。

世界一強い軍事力とマネーパワーをもったアメリカと戦うには財力が要る。外国人誘拐は必要悪。アメリカがイラクから軍隊を引き上げ、イスラエルがパレスチナ迫害をやめるまで 外国人誘拐は止まらない。当然だ。どちらにも正義があり、どちらの側にも正義はない。 映画は 実際起こった事実の重さに反して、明るく仕上がっていた。沈痛、悲嘆、慟哭が、2時間続いたのではたまらない。これはアンジェリーナという女優のもって生まれた長所からくるものだろう。悲しくても、底に強さを秘めていてちゃんと自立した女としてやっていけるニューヨークの女の特質だ。ドキュメンタリータッチの映画の暗さを この女優が演じて 一挙に明るい力強いものにした。映画の中で彼女の結婚式のシーン、その華やかさ、そして出産シーンとその喜び。サービス満載だ。この女優 男の人ばかりでなく女性から一番支持されている女優だそうだが、彼女のファンをちゃんと喜ばせてくれる作品に仕上がっている。

ひとつ英語の問題。 日本の映画評論家が、、、、妻が最後に 誘拐された夫の救出チームが解散するとき、「私達は彼らの脅かしに屈しなかった。」と言ったと書いていた。しかし、映画で彼女はそんなことは言っていない。 「テロの脅かしに断じて屈しない。」という言葉は ジョージブッシュのお得意18番の言葉で 私達は毎日ニュースで この言葉を聞かされている。屈しないというのは 力にたいして戦いを挑み抵抗し、それで屈しないという意味を示す。例えば、アパルトヘイトの力に対して屈することなく27年間獄中にあっても、己の信念を変えなかったネルソン マンデラ。例えば、何度も死線をかいくぐり強力なインドネシア軍に抵抗を続け 遂に東チモールの独立を勝ち取ったシャナナ グスマイルのような場合、屈しなかったというのだ。この映画のように 中立を保とうとするジャーナリストの言葉ではない。この映画では、殺されたダニエル パール本人が言っているように、彼はパキスタン政府側、アフガニスタン政府側の言い分だけでなく、タリバン側、アルカイダ側の取材もして事実を報道したいと言っていた。報道の中立を望むプロとして当然の立場だ。これは妻でジャーナリストのマリアンヌとて同じ立場だ。ダニエルが誘拐されて、救出チームは誘拐グループと戦ったわけではなかった。もとより、敵でも味方でもなかった。 映画のなかで妻は救出チームに、最後に「THEY TERRORIZED MY HUSBAND. BUT YOU DID NOT TERRORIZE THEM. WE DED NOT TERRORIZE THEM. 」 と言って、お礼を言うのだ。テロライズとは、恐怖を与えるとか、ひどい目にあわせるとか言う意味。だから、テロリスト達は夫にひどいことをしたけれど、あなたたち救出チームは 彼らにひどいことはしなかった、それを誇りに思う、と言ったのだ。

洋画の字幕を作る人は、ご苦労な仕事をしているし、かねてより尊敬しているけれど、ここのところは、意味がちょっと違うだけで、映画全体の意味が変わってしまう。 ジャーナリストたちはテロリズムと戦って屈したり屈させたりしようとしているわけではない。 また、ダニエル パールがユダヤ人で、妻のマリアンヌがインド人だったとは、この映画で初めて知った。パキスタンはインドと戦争をしている最中で、ダニエルの秘書も妻もインド人では インド側のスパイだったといわれても仕方がない。そのうえ、タリバンが戦争しているイスラエルを考えれば ユダヤ人の彼が たまたま誘拐された訳だが、どう考えても 彼を救出できる方法はなかったのではないかと、思う。

ジャーナリストにはさまざまな制約がある。雇われジャーナリストならば、なおさらだ。にもかかわらず、ダニエルは、タリバンの取材をし 報道しようとして、その途上で死を余儀なくされた。 さぞ、無念だっただろう。

2007年11月7日水曜日

パンク映画と映画「オイスターファーム」


映画「パンクス ノッツ デッド」は、スーザン ダイナー監督と、テイム アームストロング監督によるアメリカ映画。30年間にわたるパンク音楽を 写真、フィルム、新聞、テレビ番組など すべてのメデイァを動員して、おさらいした、優れたドキュメンタリー作品。 観ようと思って 楽しみにしていたら、たった1週間で、映画館から姿を消した。

同じ時期に、イギリス人監督ジュリアン テンプルが、製作した、パンクバンド、クラッシュなどの、ジョー スツルマーの、半生を描いたドキュメンタリー映画、「STRUMMER :THE FUTURE IS UNWRITTEN 」が、劇場に出たかと思ったら「パンクス、ノット デッド」と同時に姿を消した。まさに、人口の少ない国、1週間 劇場で公開して、客が入らなければ すぐひっこめてしまう。この2本の映画、抱き合わせで、水曜日の夜 たった一回公開されたが、こうしたマイナーな映画を上映する映画館は、私が夜 一人で行くには、ちょっと怖くて行けないような場所にある。重ね重ね、行けなくって、残念だった。 ビデオは出るかどうか わからないが、それに、期待をつなげていくしかない。

というわけで、良い映画を上映していない今、ビデオ屋で、ふらふらするしかないが 2-3年前 見逃していた、オーストラリア映画「オイスターファーム」を見つけた。喜んで借りて観た。ラリアに来てから、ひんぱんに食べるようになった生カキが、タスマニアから来るだけでなく、シドニーから車で パシフィックハイウェーを たった2時間のホーカス湾でも養殖していると聞いていたが、どんなふうに、作っているのか興味があった。ストーリーにも興味あったし、女優のケリーアームストロングは 好きな女優。

配役は、アレックスに、ALEX O’LACHLAN,養殖場主人にDAVID FIELD,妻にKERRY ARMSTRONG、おじいさんに、JIM NORTON.

ストーリーは 23歳のアレックスは 妹を連れて シドニーから車で2時間ほど離れたホーカス湾のカキ養殖場に、住み込みの職を求めて来た。養殖場を家族経営している主人は、、夫婦と子供、おじいさんの4人家族。アレックスと妹は、主人の提供する海洋上の小屋に居をかまえる。 アレックスと妹は 救護施設育ち。施設というだけで、東欧など外国からきた難民施設から来たのか、また、孤児や家庭内暴力から逃れてきた子供達の施設からきたのかは不明。妹は最近、交通事故にあって手足が不自由になったので、ちかくのリハビリ施設に通わせるために、兄はお金が必要。

アレックスは働き出してすぐ、カキをシドニー魚市場に搬送したときに警備員を襲い 売上金を強奪する。そしてその現金の封筒をその場で、養殖場の自分あての小包みにして、郵便ポストに入れる。 その後、アレックスは毎日毎日、泥にまみれてカキ養殖のために 力仕事に明け暮れる。が、いつまでたっても、自分が自分あてに送ったはずの 現金封筒が届かない。空腹で、昆布なんかしゃぶっている妹を見ても、腹がたつだけ。そうしているうちに彼は 郵便局に勤める女性に恋をする。

カキ養殖場の夫婦は カキの変動する値段と温度調節のむずかしい技術の割りに、収入が一定しないことで 家族間の関係がぎくしゃくしている。年間を通じて、ふらっと 働きに来る短期労働者も多く、妻の心は揺れ動き、夫婦間の信頼関係はなく、別居同然だ。小学生の息子のために、離婚までには至っていない。やもめのおじいさんは、養殖事業から引退して、欲もなく気楽に、家族や、移ってきた兄妹を 見守っている。

壊れそうな息子夫婦を見つめながらも、おじいさんは 秘密の自分の作業場で お嫁さんのためにせっせと、風呂桶を作っている。真水のない この海の上の養殖場で、お風呂は何よりも贅沢。一面に海の色の美しい切り紙細工で張りあわせ、貝殻をはめこんだ風呂桶は、まるで海の中にいるような錯覚を覚えるような 美しいお風呂だ。完成まじかのこのお風呂をみつけたアレックスは この美しい海の緑色は 100ドル札を切り刻んだもので出来ているを 知って怒り狂う。強奪して自分あてに郵送した妹の治療費だったのだ。怒りと羞恥心とで 気も狂わんばかりのアレックスに、おじいさんは、ひょうひょうと、「犯罪者にならずに済んで良かったじゃないか。」という。 アレックスは怒りおさまらず 妹をつれて、家を出ていく。しかし、シドニー行きの電車から、ホーカス湾の美しい 素朴なたたずまいを見ているうちに 考えなおして戻ってくる、というお話。

おじいさん役のJIM NORTON が素晴らしい。引退して、飲んで、グダグダ一日 海を見て過ごす ただのおいぼれのような風をしていて、息子夫婦の不和をきちんと見ていて いっさい口出しせずに 夫婦和解の契機を作ってやる。新しい雇用者の青年が強盗をしたことを見抜いていて、それが発覚しても警察の追求を切り抜け、青年を見守っている。年寄りの知恵と寛容とが生きている。押し付けがましくなく ユーモアと滋養に満ちた老人に、心から、ジーンときた。

ホーカス湾の美しさ。うっそうと茂った森に囲まれた湾と、海からみた朝焼け、夕焼け。ボートで行き来する人々の素朴な生活。過酷な漁業労働。黙々と働く人々。自然描写、カメラワークが素晴らしい。  この映画 観た人は今夜、生カキが食べたくなること請け合い。

2007年11月5日月曜日

ダンブラウン「悪魔と天使」

DAN BROWNの著書「ANGELS AND DEMONS」を読んだ。え、今頃?といわれるかもしれないけど、日本の本は、なかなか手に入らないので。というか、流行に鈍感なので。読むそばから 忘れていくので、これは自分のための備忘録。角川書店 上下700ページ、越前俊弥訳。
ダン ブラウンの「ダビンチコード」は、2003年、「天使と悪魔」はその前の2000年に出版された。 一級のスリラーでありながら 知的、むつかしい宗教上の知識や、最新の科学の情報をわかりやすく解説してくれるので、彼の作品を読んだあとは、なんか自分の知識が増えたみたいに錯覚する。マジシャンみたいな作家。

ストーリーは、 象徴学者のロバート ラングトンは突然スイスにあるセルン(ヨーロッパ原子核研究機構)から呼び出される。スイスからのお迎えは、超高速航空機。たった数時間でボストンージュネーブ間を飛ぶ。世界で初めて大量の反物質の生成に成功した科学者が殺され、反物質が盗まれた。死体には 大昔に消滅したはずの秘密結社イルミナリティの紋章が焼印されていた。反物質は理論上作り得る新しいエネルギーで 放射線の100倍のエネルギー効率をもつ。通常とは逆の電荷を帯びた粒子からなる非常に不安定なエネルギー源、反物質1グラムが 広島に被害をもたらした20キロトンの核爆弾の力と同じ効力を持ったエネルギー。これをもったものは、世界支配も夢でない。

イルミナリテイは ガリレオも会員だった科学者の結社で、カトリック教会から迫害され、消滅されたと思われていた。折しも、ヴァチカンでは、ローマ教皇が突然死したのに伴い 新しい教皇を選出するための、会議がおこなわれていた。イルミナリテイは、盗んだ反物質を使って ヴァチカンを爆破、4人の枢機卿を誘拐して、一人一人公開の場で処刑しようとしている。反物質抽出 生成させた科学者の娘ヴィクトリアは、ロバート ラングドンとともに、ヴァチカンに飛び イルミナリテイと対決。ヴァチカンを救うために、スイス衛兵隊と協力しながら、4人の枢機卿を助け出すべく奔走する、というお話。

基本的には 科学と宗教の対立がテーマだが、「ダビンチコード」でもそうだったが、この作家の書いたものの面白さは、私達が知らないでいたことを スリラーと謎解き小説の形で、とっても丁寧に登場人物の口を通して解説 紹介してくれることだ。 例えば、超高速航空機は、燃料はスラッシュ水素、機体はチタン合金とシリコンカーバイト、推力重量比は ジェット機が7対1なのに、20対1なので、早く飛ぶ。セルン(原子核研究機構)はジュネーブ郊外にあり、世界中の優秀な科学者が集合して居住しているところで、中にはスーパーから映画館まである、とか。ガリレオが 一体何をして、殺されてしまったのか、中世の科学者は どう位置付けられていたのか、イルミナリテイと、フリーメイスン組織の不可解な結束の仕方、など、など。

また、カトリック組織のなかの煩雑な儀式。デビルズアドボケイトという枢機卿達のスキャンダルを調査する調査審問機関。記録保管庫の800ページ布装丁の手書きの台帳。バチカン聖ペトロ教会建設にまつわる ミケランジェロやラファエロの役割と、ベルニーニの役割。バチカンの地図が出ていて、たくさんの教会、美術品が、解説つきで紹介される。

ロバートラングドン教授いわく 、、クリスマスに私達が お祝いするのは、冬至をお祭りしていた太陽崇拝の宗教からの借り物であり、これは、変容ーほかの宗教を制圧する場合 すでにある祭日を改宗の衝撃を和らげようとして、同じ日を祝うようにした結果だ。人々は新し信仰に適応しやすく、礼拝者たちは以前と同じ日を聖なる日として祈り、ただ神をべつの神に替えただけだ。として、聖人の頭にある光輪も 太陽を崇拝する古代エジプトから借りてきたもの、神の顔は ゼウスの古代ギリシャからきたものだ、と結論する。こういった解釈のおもしろさ。

この人の作品、確かに、スリリングな冒険推理小説の世界に、新しい空気を持ち込んだ。「天使と悪魔」、「ダビンチコード」に続いて、第3作が出るそうだ。とっても楽しみ。

2007年11月2日金曜日

宮本武蔵


小説「宮本武蔵」津本陽、文春文庫400ページ を読んだ。何故って、すごく尊敬している かの高名な井上雄彦の、「バガボンド」の続きが気になって気になって仕方がないからだ。

3月に休暇で帰国したとき「バガボンド」の21巻から25巻まで買ったのだが、その続きは、もう日本では出ていると思うけれど まだ読めないでいる。執拗に追ってくる吉岡一門の 一乗寺下り松で次から次へとゴチャゴチャ出てくる門下の武士との、壮絶をきわめる決闘の行方が、気になって、、、。 それと、武蔵と、小次郎との雪だるまをめぐっての 初めての出会いがとっても良かった。ぺチャぺチャ音をたてながらご飯を食べ、グズッぐるるーとかいって、雪だるまと遊ぶ小次郎が ものすごくかわいい。

仕方なく漫画の代わりに この小説を読み終わって、武蔵の禁欲的で、自分を律し、肉体の限界まで訓練によって痛みつけながら武芸ひとすじに生きる武蔵の厳しい生き方に 痛みを伴った感動をおぼえる。彼が、仏教、老荘思想に通じ、書をたしなみ、良い字を残し、絵心もある立派な教養人でもあった という事実や、兵法のもとになる「五輪書」だけでなく沢山の剣術の教科書を残した ということも、この伝記を読んで初めて知った。 武蔵は 1584年天正12年、美作国で 平田武仁,竹山城主新免伊賀守の家老職の 第3子として誕生。父は剣術と十手術の名人で武功をたて、将軍から天下無双兵術者の称号をもらった。父は武蔵の武芸の才能を早くから見抜いて、兵法のすべてを受け継がせるべく武蔵7歳から激火の勢いで木刀の訓錬をし、13歳では、真剣を使って徹底して武蔵を鍛えぬいた。14歳で 宮本道場で 武蔵に互角で戦える武士はいなくなったという。

漫画でも鬼のような父親がよくでてきたが、どうしてどうしてそんなに父親は武蔵にだけは 厳しくしたのだろう。性格破綻者だったとしか言いようがない。赤ちゃんのときに母親を亡くし、後妻にはいった継母が武蔵を実子以上に可愛がってくれたのに、武蔵3歳のときに、父親は離縁、末息子の武蔵を継母と一緒に家から出してしまう。継母の再婚以降は 武蔵は寺にあずけられる。
ひとつには、長男(武蔵の兄)が父親からの木刀の訓練を受けていた時に足腰を痛めて身障者になったこと。頼りにしていた後継者の長男が不具になって やけくそになっていたんだろうか。
それと、父の不祥事だ。62歳の老境にあった父が 自分の兵法の後継者と頼んでいた武士を、主君の命令で討ち取るようにいわれたが、すでの実力では彼の首をはねることができなくなっていたので、複数でだまし討ちをして処分する。この不名誉な出来事で 将軍からは認められるが、家中のものから卑怯者の烙印を押されて、城に上がることができなくなって、それが原因で宮本村、美作を去らなければならなくなったこと。まあ、なにが、問題だったのか、父親は 末息子の武蔵だけをのこし、他の兄弟を連れて、武蔵が16歳で元服するのを待たずに、九州に移住してしまう。鬼のような父。

武蔵は16才で元服、父親の不祥事で父の俸禄を受け継ぐこともできず、親に捨てられ、受け継ぐべき財産もなく、孤立無援の身だった。16歳にして、父もなく母もなく、自分の生活の基盤をたてるには、いくさで手柄をたてて、城主から認められる以外には生きる方法がなかった。それで、武蔵は武者修行の旅に出るのだ。天下一強くなって、一国一城の主になり 妻にお千を迎えることを、夢見ながら。 ,,, 

「武蔵は野犬のように土埃にまみれて歩き、疲れきって路傍に伏す日をくり返す。夢中で歩き続け気ついたときは紀州熊野の山中にいた。このとき彼は、禅寺の老師から教えられた古歌を思いだす、「いまという いまなるときはなかりけり、まの時くれば いの時は去る」という。過去は過ぎていき未来はいまだに来らざるものである。」,,,たしかにあるのはいまのみであるという言葉が、今を生き,剣に命をかけて生きる 彼の生き方を正確に言い当てている。

13歳で香取神道流有馬喜兵衛と決闘して木刀で撃殺、関の原の合戦、吉岡清十郎、吉岡伝七郎、薙刀の黒岩因幡守、伊賀の鎖鎌の宍戸などを破り、負け知らず。そんな暮らしの中でも、槍術の宝蔵院の宗家甍栄との友情が、良い。また武蔵が名古屋の通りを歩いていて、すれちがったときに、互いに今まで逢ったことがなかったのに、その隙のなさから、相手が柳生兵衛助利厳だと、わかり、相手も名乗る前に武蔵と認識して、笑顔で名乗りあった、というエピソードもおもしろい。

「我道には有構無構といいて、構はありて、構は無きというなり。」と、「五輪書」にあるというが、武蔵は構えという戦いの固定した型をきらった。型を作るのは容易ではない修行を必要とするが いったん出来上がってしまった型に固執すると自分の型にはめ込むことの出来ない相手とは立ち会えない。従って相手をそのつど よく見て自由自在に立会い相手の欠点を見つけ出して それを叩くべきだ、といっている。いろんな言葉に置き換えて、日常の私達の人への接し方、仕事の仕方にも、通じる、含蓄のある言葉だ。

小説を読んでいても 漫画のリアリテイーでイメージをふくらませながら読んでいるから おもしろい。逆境が人を造る というが、まさに 武蔵はその言葉どうりの人。 早く日本に帰って、井上雄彦の続きが読みたいワー!

2007年10月28日日曜日

オペラ「タンホイザー」

ドイツが誇るリチャード ワーグナーのオペラ「タンホイザー」を観た。シドニーオペラハウスにて、オペラオーストラリア公演、11月2日まで。指揮者 RICHARD HICKOX. 正式の名前は、「TANNHAUSER UND DER SANGERKREIG AUF WARTBURG 」(タンホイザーとヴァルドブルグの歌合戦)

べヌスベルグの官能の国で、女神ヴィナスと愛欲に耽っていた騎士タンホイザーは、そんな生活に飽きて ヴィナスに逆らって 地上のヴァルトブルグの国に戻る。昔の仲間達、ヴォルブラムにもむかい入れられて、恋人エリザベスにも再会を果たす。時に、ヴォルトブルグの国では領主主催で 騎士達の歌合戦が開かれ、タンホイザーも招かれる。エリザベスに片思いしているボルブラムは、領主とエリザベスの前で清らかな愛を歌ったのに、それい反発したタンホイザーは、官能の愛を讃える歌を歌い、領主、騎士達の怒りを買い、彼が禁断の地 べヌスベルグにいたことが発覚してしまう。それでタンホイザーは赦しを求めるため、ローマに巡礼に行くことを強要される。しかしローマで、タンホイザーに赦しは得られず、苦行に耐え切れず、死ぬ。エリザベスも タンホイザーの帰りを待ち疲れて 命を神に捧げて死ぬ。エリザベスの純愛が奇跡を呼び寄せて、タンホイザーの魂は救われる、と言うお話。

敬虔なカトリックでも、愛欲と官能の世界を全否定してしまう倫理主義者でもない私は 最後には二人とも死んでしまって それでも魂が救われたから良いじゃない というストーリーを良いと思っているわけじゃないけど 楽しいオペラ鑑賞だった。楽しまなくちゃあ損。オペラチケット$180、カーパーク$30、プログラム$15、中で飲むシャンパン$10.これだけ出して 楽しまなかったら、全然損。

ワーグナーのオペラはどれも、重厚、倫理、宗教的、難解、陰湿、悲愴、ねくら、おじいさんっぽい。 反して、モーツアルトや、ヨハン シュトラウスのあの、晴れ晴れとした、空を突き抜けるような明るく、軽快で踊りだしたくなるような楽しいオペラは、どうだ?なんという違い! まあ これがドイツなんだから、仕方がない。歌われる沢山の美しいアリア、そして合唱、どれも言葉がものすごく難しい。哲学的 形而上的な言葉の羅列、歌うほうは、大変だろう。そして歌のうちどれひとつとしてオペラを観た翌日 鼻歌でフンフン歌えるような曲はない。

こういったワーグナーのオペラをダイレクターELKE NEIDHARDT、セットデザイナーMICHAEL SCOTT-MITCHELL,ライトデザイナーSUE FIELDなどが、とても現代的で良い舞台を造っていた。官能の世界の女王ヴィナスに仕えるアモール(愛の天使)が、すごく印象的だった。アモールは歌わない せりふがない、ながら、舞台全体のコマまわしのような重要な役割をもっていて、愛欲の世界にも、地上に世界にも出現して、誰でも人間の心には愛と官能を求める気持ちがあるという このオペラの新しい解釈に手を貸していた。アモールは、巨体で肥満体、はげで 背中に天使の翼をもっている。実に醜いというか、印象的な姿で歌わず語らずして体の動きで表現する、すごく良い役者だった。(MAELIOSA STAFORD)。

ヴィナスに、MILIJANA NIKOLIC(アルト)、タンホイザーに、RICHARD BERKLEY (テノール)、エリザベスに、JANICE WATSON(ソプラノ)。3人とも、特に素晴らしくも 悪くもなく、難曲を次々に美しい声で歌いあげていた。羊飼いの少年も、7歳くらいだろうか、美しいボーイソプラノで歌ってくれた。

特質すべきは、今回のオペラにはワーグナーの重厚 悲愴、根暗をオーストラリア独特の明るい笑いで上手に処理していたことだ。まず、アモールのみごとな出現が笑わせる。背中に翼があるのに反宗教的でいたずらっぽくて、かわいい。彼の一挙一動に観客は笑っていた。

ローマに巡礼に行ってローマ法王に謁見されて帰ってきた司祭達がみんなカトリックの黒いガウンを着て、おそろいの「アイローマ」と書いたビニールバッグをもって行進する姿なども、観客は大喜びで手をたたいていた。このオペラ、他のオペラに比べてコーラスシーンが多く、28人の男性合唱、14人の女性合唱がとても良かった。

それと、官能の世界で堕落した人々が乱れているところを、10人位の踊り子が編みタイツ、娼婦スタイルでタンホイザーと戯れるシーンでは、ラリアの定番、黒タイツ、ブーツに黒ブラジャーに、ムチをもった踊り子が タンホイザーが地上に帰りたいと 悲愴な決意で美しいアリアを歌っている最中、「帰る」という言葉が出るたびに、彼の前に出て、脅かそうとするところも 観客はワーっと沸いていた。編みタイツにムチ姿が出てくると 俄然喜んでしまうラリア人って何なの?

純愛のエリザベスがタンホイザーを思って、歌うシーンでも 6人位のダンサーが蝙蝠になって、アクロバットみたいな危ない姿でバタバタ、エリザベスを邪魔して 愛の行方に影を落とすところも、おもしろい演出だった。 8匹の本当の犬まで出てきた。

総じて、舞台芸術がとても良くできていて、優れた舞台を 堪能することができた。 ワーグナーなのに、よく笑った。意表をつかれる、楽しい舞台だった。つまらない娯楽が多いなかで、本当に、オペラは、舞台で本物を観る価値がある。

2007年10月22日月曜日

洞窟のなかのコンサート

どうしても行きたかったブルーマウンテン ジェノランケイブのコンサートに 遂に行くことになって、嬉しくて思わずふるえた。二年がかりで、念願のコンサート。

ブルーマウンテンの数々の洞窟は、何千年もの時間をかけて形造られたられてきた。なかで、ジェノランケイブが一番有名。近くに山小屋が出来てから旅行者でいつも、いっぱい。なかで、ルカスケイブから、54メートルほど中に入った洞窟に、自然が形作った小さな部屋があり、教会になっている。そこが、コンサート会場。

洞窟のなかは、一年を通じて気温15度、人工的な音のない 風の音さえない、静寂そのもの。ひとつの音が8秒鳴り響く、自然のエコー。沈黙の深さ、音の増幅、拡大が、強力で豊か、より純粋な音が 自然の音響効果で、聴くことが出来る。 そこで長いこと ドイツ人のチェリストが 定期コンサートを催しているのを知って、いつか聴きに行きたいとずっと思っていた。

コンサートは 土曜の夜。洞窟まで 4-5時間、昼間なら慎重に運転すれば運転できないことはないが、コンサート後、夜道を、切り立った岸壁、厳しい山道をヘッドライトの明かりだけで山から 下りてシドニーに帰れる自信は全くない。無謀というものだ。シャトルバスで行き帰りを 頼むことにした。仕事を一日休暇とって、長距離電車のチケットを予約し、シャトルバスの運転手と打ち合わせして、やっと、やっと、夢にまでみた念願のコンサートにいける!

夫はケンタッキーフライドチキンの店に立ってるおじいさんの体型。腹の出ぐあいサンタクロース型、甘いものが大好きで、喘息もちなのに、タバコを止められない。そんな夫をつれていったのが間違いだった。洞窟のなかのコンサートに向かう途中、洞窟までの階段が、狭いうえに 急で 手すりをつかまえてやっと 体をもちあげて先に進む冒険旅行。私でも、息があがって、やっとのことで、前に進む。さあ、コンサート会場までもう一歩、、、 ふと後ろも見ると、夫が、真っ青な顔で、喘息発作をおこして、アップアップ、、、水のない金魚のような、苦しみ方。吸入器を ポケットから出す力も残ってない。あわてて駆け寄り、救命。「一人で、コンサートを聴いてきなさい」、と、背中を押してくれるが、誰もいない洞窟の真ん中で、こいつ、置いていけるか?

というわけで、チェロを聴くことが出来ずに シャトルバスで帰ってきた。予定外に、2時間早く帰る事になったシャトルバスの運転手さん、私の肩に手を置いて、「またくればいいよ、ね。」と。 ボロッと、おおきな涙が私の目から落ちた。

2007年10月19日金曜日

映画 「THE BRAVE ONE」


アメリカ映画「THE BRAVE ONE 」を観た。各ホイッツ映画館で封切りされたばかり。邦題未定。「勇気ある女」または「ブレイブワン」か。アイルランド人二ール ジョーダン(NEIL JORDAN)監督。「THE CRYING GAME 」の監督。

久々の お母さんになった、オスカー受賞女優ジュデイ フォスターが(JODIE FOSTER)主演。男優に、テレンス ハワード(TERRENCE HOWARD)。この人、アカデミー作品賞を取った映画「クラッシュ」にも出ていた 今や アフリカンアメリカ人のなかで一番ハンサムな男優かも。

ストーリーは、 エリカ(ジュデイ フォスター)は 放送局でデスクジョッキーというか、放送パーソナリテイーとして、自分の番組をもっている。マイクロホンを前に、詩を読んだり、インタビューをしたり、音楽を流したりしている。病院に勤務する恋人と一緒に住んでいて、結婚する予定だ。しかし、ある夜、二人で犬を散歩させていたとき ギャングにアタックされる。不運な時に、不運な場所に 居合わせたというだけの理由で、恋人は撲殺され、彼女は3週間 昏睡状態で生死の間を彷徨った末 生還する。しばらくして、職場復帰するが、恋人を失った衝撃から立ち直ることが出来ない。警察に 犯人逮捕の手がかりを問い合わせても、暴力事件が日常茶飯事のニューヨークで、警察の態度は、冷たく、何の希望も見出せない。湧き上がる怒りと、身を守るのは自分しかないという絶望感から、護身用の銃を手に入れる。

そんな、一人きりになって 希望をなくしたある晩、エリカは偶然、家庭内暴力で夫が妻を殺す現場に居合わせてしまい 自分を守るために、やむなく男を撃ち殺す。それ以来、銃を持ち歩き、あえて、夜 出かけては、地下鉄に乗って、ギャングを撃ち殺し、小児虐待の男を待ち構えて、処刑し、また、ポン引きを処分する。そんな行為でしか怒りを静められなくなって殺人がやめられなくなっていく。

捜査を担当する刑事は エリカの不審な行動に、疑問をもち、彼女にはギャングを処刑するだけの動機があることを 突き止める。ギャングに襲われ、辛うじて生き残ったエリカの傷ついた心に共鳴しながらも、刑事はエリカが一連のギャングアタックに関わっているならば それを止めさせなければならない と考えている。知り合い、話をすればするほど、エリカと刑事は心が通い合い 惹かれ合っていくが、エリカは 悪への怒りを押さえつけることが出来ない。最終的に、自分の恋人を殺した3人組のギャングを遂に突き止めて、復讐するための道に突き進んでいく、のだけど、その先は、これからこの映画をこれから観る人のために、言えない。

ジュデイーフォスターが とても良い。やせて小柄な彼女が 思いのほか筋肉質で、泣かずにいられないときでも 歯を食いしばって涙をこらえて、絶対に怒りを忘れず 怒りを生きる糧にして、前に突き進んでいく姿が、とても良い。小さくて可愛いくせに 気味悪いほどグラマーで そこそこ仕事もできるカマトト女が 男にもてる世俗社会ではあるけれど、ジュデイーフォスターの 人工授精で赤ちゃんを産みシングルマザーとして生きる潔さが、今の女性の行き方の最先端を行っているのではないか。

エール大学卒業のインテリ女優、出演作をすごく選んでいる。 彼女のデビュー作が ロバート デ ニーロの、「タクシードライバー」。 これで彼女は14歳で娼婦役、衝撃の登場だった。これで、オスカーにノミネイトされた。その後の「アキューズド」では、 ゴールデングローブ賞と、オスカーを取った。パブで輪姦されて、犯人達が法で罰されるまであきらめずに戦う女の勇気に圧倒された。 「羊達の沈黙」では、彼女以外の女優にできないような難しい役をやって、アカデミー主演女優賞を取った。2作目の、「ハンニバル」を、他の女優が演じたため、アンソニー ホプキンスのレクター博士も、二度目はちょっと冴えなかったが、彼女がやっていたら、もっとずっと、違う作品になっていただろう。

この映画、ジュデイー フォスターと、ハンサムなテレンス ハワードを画面で観ているだけで、私は嬉しかったが、映画の ストーリーに賛成できるわけではない。リベンジは、リベンジでしかない。復讐は なにも、生み出さない。 いつのころからか、9ー11の直後からだろうか、アメリカ人はリベンジを正当化するようになった。イラク攻撃も、グアンタナモ刑務所も、アフガン攻撃も 9-11のリベンジだ。いまだ、アメリカ人の半数以上がジョージブッシュを支持している。 リベンジを、正義 と認めてしまったら、人は人の道を外れる。

2007年10月13日土曜日

映画 「僕のピアノコンチェルト」


スイス映画「VITUS 」を観た。邦題「僕のピアノコンチェルト」。クレモンオピウム、各地デンデイー館で上映中。監督、フレデイー ミューラー。ローマフィルムフェステイバルで オーデイエンス賞を取った。音楽雑誌などが、絶賛している。

IQ180の天才的頭脳と、プロ並みのピアノの腕前をもっている少年ヴィトスのお話。 6歳のヴィトスを BRENO GANZ、12歳のヴィトスを、TEO GTHEORGHLYが演じている。

実際に12歳の テオ ゲオルギューは、名門の音楽学校在学中の学生で 映画の中で演奏しているのも、バックグラウンドで流れているピアノ曲も、みな彼が弾いている。映画のラストシーンで コンサートホールで、フルオーケストラをバックに、ピアノコンチェルトを弾き終わり、20分もの、スタンデイングオベイションを 得たのも、実際にあったできごとだそうだ。

ストーリーは、 ヴィトスの父親は機械工学のエンジニア、母親はパートタイムでオフィスに勤めるごく普通の家庭だが、ヴィトスの成長とともに、頭が良くて、音楽の才能に恵まれていることがわかる。7歳で 難解なバッハのピアノ曲を弾けるようになると 両親はそれが自慢でならない。職場で余り評価されていなくて、うだつがあがらない父親は、職場の上司達をパーテイーに招待して、ヴィトスにピアノを弾かせて、びっくりするのを観て日ごろのうっぷんを晴らしたりしている。学校でも、とびぬけて数学ができて、先生方は彼を、12歳で飛び級させて、高校に行かせる。どんどん難しい数学に挑戦して、まわりを 驚愕させるが、ただそれだけ。友達もいなくて、親は期待するばかり、母親はヴィトスのために、仕事を辞めて ピアノレッスンに圧力をかけるばかり、、、次第にヴィトスはそんな日常に耐えられなくなっていく。

汽車で1時間ほど行った田舎に おじいさんが一人で住んでいる。木工作業場を持っていて、家具などを作っていた。ヴィトスは、このおじいさんが大好き。おじいさんは 昔から空を飛ぶ夢を持っていた。飛行士になりたかったという。ヴィトスが7歳のころ、木工細工で大きな翼を造ってくれた。12歳になって 閉塞した日常から、飛び出したくなって、ヴィトスは、ある日 その翼をつけて、高層アパートのベランダから、飛んで身を投げる。全身打撲で、意識不明になって病院に運ばれたヴィトスは、奇跡的に怪我こそしなかったが、検査の結果、180あったIQが、120に落ちて12歳意のごく普通の子供の知能にもどってしまったことがわかる。

失望のどん底に落ちる母親。父親は失業の憂き目にあい,家庭は暗くなるばかり。自然、ヴィトスはおじいさんと一緒に手作業をしたり、散歩したりして過ごすことが多くなり、高校もやめて、小学校に入りなおす。友達もできて、好きな女の子もできる。 ただ、過剰な期待をかけて、圧力をかけてくるだけの両親と違って、ありのままを愛してくれるおじいさんは 本当は ヴィトスが事故でIQが低くなったわけでも、ピアノが弾けなくなったわけでもない事実をあとで知るが、誰にも言わない と約束する。ヴィトスは母親の「管理」や、教師の「指導」のないところで、ピアノが弾きたかっただけなのだ。

おじいさんの古い家の天井が落ちそうだが、資金がなくて、修理ができないとわかって、丁度、失業したお父さんの会社の株の操作をして、ヴィトスはおじいさんを巻き込んで、大金を手に入れる。お金持ちになったおじいさんは、まっさきに ヴィトスに相談もなく、欲しかったものを、手に入れる。飛行機操縦のシュミュレーション機械と、本当の飛行機だ。ヴィトスは自分でアパートを手に入れて、そこで、思い切りピアノを弾いて過ごす。

しかし、本当に、おじいさんの家の天井が落ちてきて、そのときの怪我が原因でおじいさんは亡くなる。最後まで自分が買ったばかりの飛行機で空をかけめぐる夢をヴィトスに語りながら。ヴィトスは、おじいさんの夢を実現すべく、一人で飛行機を操縦して、遂に空を飛ぶ。そして、自分が習いたかったピアノの先生のお屋敷に飛行機を着陸させる。世界中からお弟子になりたい生徒が訪ねてくる先生の家に、突然空からやってきた少年を、先生は笑顔でむかえる、と言うお話。

おじいさんと少年の心の交流がとても良い。いくつになっても子供の心をもったおじいさんと、少年の心が しっかり結ばれている。反して、事故にあった子供が、普通のIQにもどったと知って絶望して、やけっぱちになってタバコを吸ったりしている母親は醜い。飛びぬけて優秀だった息子が誇らしかったが、普通の子供人なって、自慢できなくなった自分が悲しいだけなのだ。こんな親になってはいけない。

仲良しになったクラスメイトと自転車で乗り回すシーンが良い。相手はロックをイヤホーンで聞きながら自転車を乗り回しているが、ヴィトスは、リストのピアノ曲を頭の中で反復しながら乗っている。 そして、もちろん ラストシーンの、オーケストラと、ヴィトスのピアノコンチェルトの大成功のシーンは素晴らしい。この小さな音楽家、演技をしていると言う感じがしない。地で、演奏し、演じている。立派な音楽家に成長するだろう。

2007年10月12日金曜日

映画 「AWAY FROM HER]





映画で、ジュリー クリステイーに逢えたことが、とても嬉しかった。デビッド リーン監督、不朽の名作 「ドクトルジバゴ」の「ラーラ」だ。

カナダ映画「AWAY FROM HER」を観た。クレモンオルピアン、各地デンデイー館で、上映中。 邦題は未定。「彼女から遠く離れて、」か? 監督サラ ポーレイ(SARAH POLLEY)、若干28歳の女優で監督の 初めての作品。 62歳の妻の役に、イギリス人のジュリー クリステイー(JURIE CHRISTIE)、その夫にゴードン ピンセント(GORDON PINSENTO)。

この映画、これ以上の役者は望めないというほどの 熟練の役者2人が演じたことで、辛うじて映画として成功した、と言える。動きの少ない、難しい役を、二人は、ほとんど出ずっぱりで、表情の変化と、場面場面に合った服装から髪型までの雰囲気造り 役造りに凝りに凝っているのが、わかる。ふたりとも本当の役者のなかの役者だ。 それにしても、ドクトルジバゴのラーラ、、、なんと美しく年をとったのだろう。 これほど美しい60代の女性を 他に見た事がない。何の曇りもない 澄み切った青い瞳。純白の長い髪、知的な容貌、表情の一つ一つが、生き生きしている。ジェーン フォンダが 同じように年をとって、最近の映画「モンスターマザー」に出演していたが、彼女、小柄なだけに 衰えが痛ましいほどだった。 キャサリン ヘップバーンも、昔、死ぬ前 ヘンリー フォンダと、「たそがれ」という映画で老夫婦役をやったが、首から肩にかけての 衰えがあわれだった。ジュデイー クリステイーは若くて 映画界でちやほやされる時期に、人気にこだわりなく リベラリストとして社会運動に関わり、独特の’自分らしい生き方をしてきた。60代になっても、彼女らしい個性的なスタイルをくずさない。素晴らしい女優だ。

ストーリーは、 フィオーナ(ジュリークリステイー)とグラント(ゴードン ピンセント)は、44年間 一度も離れたことがない 仲の良い夫婦だった。アイスランドから移民してきた彼女が、18歳でまだ学生だったときにグラントは結婚を申し込み、そのとき、どんなことがあっても、君から離れないでそばにいる と約束したのだ。夫婦は20年余り、カナダ、オンタリオの国立公園の近く、自然の豊かなところに家を建てて住んでいる。二人で クロスカントリースキーを楽しみ、自然を愛し、毎晩夜になると、夫は妻に本を読んで聞かせる。しかし、フィオーナの、記憶力が衰え、しまったものが、見つからないなど、奇妙な行いをするようになってきた。彼女は 自分で本を読み、自分がアルツハイマー病で、いったん症状が進むと、治療の効果が 期待できないことを知る。遂に、徘徊が始まり、自分の家に帰れなくなったある日、彼女は夫の反対を押し切って ナーシングホームに入ることを決意する。夫は、症状の悪い日があるかと思うと、良い日もあるので、どうしても、あきらめきれない。

自分のところに良くなって戻ってくると思い込んでいる夫を残して、妻は、自分で自分のことを決められるうちに、と、ナーシングホームに入る。入所から初めの30日は、入居者が慣れるように、夫は面会に行くことが出来ない決まりになっている。30日間、結婚してから初めて妻から離れて暮らしたあと 夫が面会に来てみると、妻は同じホームにいる認知障害の男の恋人になっていて、夫が誰だかもうわからない。妻が 別の入居者と肩を並べて、ゲームをしたり、一刻も離れずに世話してやったりしている姿を、呆然をして見つめる夫。もう、夫が毎日来て、本を読んであげても、妻はうわの空。夫が たまりかねてある日 私が夫で44年間一度も君のそばを離れたことがなかったのに、どうしてどうして、他の男の心が移ったのか、、、と、問いただしたときの、妻の困惑。彼女は、「HE DOES NOT CONFUSE ME」私を困らせるのは あなたであって、彼は私を混乱させたり、困らせないでいてくれる、と言って泣く。

はたから見れば、認知障害は、脳が縮小して感覚も鈍くなっているように見えるが、患者本人は、記憶が失われ、自分を確認することができなくなってきて、本当は本人が一番つらいのだ。妻には自分の過去の記憶がない。昔のことを、持ち出して言われると 自分をますます確認することができなくなって 不安が増すばかりだ。夫も可哀想だが 妻のつらさも身にしみてせつなくて、この映画、すごく泣ける。

夫は妻のそばから絶対 離れずにいる、と約束したのに、妻をナーシングホームに入れて 傍にいてやることが出来ないことへの自責の念に苦しみ、妻の心変わりを これは自分の約束を守らなかったことへの復讐なのだと思い込む。 妻は記憶のない自分のよるべのない不安で不確かな自分自身から逃げるように そこにいる男の世話をしてやることで 何とか自分を保とうとする。

どんなに満ち足りた結婚生活にも 必ず終わりがくる。どんなに 喜びに満ちた生活でも、死を避けることは出来ない。

悲しい映画「NOTEBOOK」 邦題「君に読み聞かせるノートブック」も、心に残る映画だったが、この映画も、すごく泣かせる。ジュリー クリステイーの存在感だけで、すごく満足できる映画。それと、カナダの自然の美しさ。雪景色の素晴らしさも、特筆に値する。

2007年10月10日水曜日

映画 「キングダム 見えざる敵」


映画「THE KINGDOM 」を観た。邦題「キングダム見えざる敵」。各地ホイッツで今週から公開され上映中のハリウッド映画。ピーターバーグ(PETER BERG)監督。

この監督の出世作「FRIDAY NIGHT LIGHT」は、低予算の小さな映画だったが、私の好きな映画のひとつ。小さな町が 高校のフットボール決勝戦で町中が燃え上がり、高揚して死者がでるくらい熱狂の渦にとりこまれている。興奮の嵐が去り、次の朝、まだ町中が眠っている静けさのなかで、フットボールヒーローだった少年が 公園で遊んでいる小さな子供達に 自分のボールを蹴ってやり、背をむけるラストシーンがとても良かった。

「THE KINGDOM 」は同じアクションでもフットボールの肉弾戦に対して、こちらは機関銃、ロケット弾と爆弾の雨。 「ダイハード」、「BOURNE ULTIMATUM」、「ラッシュアワー」と、アクションはもう充分だったのだけど、サウジアラビアのオイルがからんだ政治映画というふれこみだったので、観にいってみごとに裏切られた。しょせんアメリカ人からみたアラブテロリズム。「世界の敵」イコール アラブテロリストという ジョージ ブッシュと同じ視点でみたサウジアラビアだ。真実の一片もない。何が正義かわかっていない。ジョージ ブッシュの「正義」をこんな映画で 押し付けてもらいたくない。だれも、好きこのんで自爆テロで死んでるわけじゃない。サウジアラビアの土地でアメリカ人に[正義]などという言葉を発する資格はない。

映画の筋をいうと、 最大産油国のサウジアラビアの石油会社の外国人居住区がテロのターゲットになりFBI職員を含む、100人余りが死亡、負傷者200人が出た。FBIはサウジ政府との密約で 4人のFBIスペシャリストを、リヤドに5日間だけ 派遣して捜査する許可を得る。しかし、テロリスト組織も、彼らの動向を把握していて、待ち構えている。リアドで爆破跡を捜査する4人のFBI専門家は、イスラム教徒の遺体を損傷してはならない、聞き込み捜査は、サウジ警察官立会いのもとでしか行えないなど、自由のきかないなかでも 爆弾犯のアジトをつきとめ、事前に攻撃を防ぐことができたが、4人のうちの一人が拉致され、その奪還のために、血を血で洗う戦いになる、というお話。

FBIチーフ捜査官に、ジェイミー フォックス(JAMIE FOXX)、化学調査官にジェニファー ガーナー(JENNIFER GARNER)、爆弾専門家に、クリス クーパー(CHRIS COOPER),情報分析官にジェイソン べートマン(JASON BATEMAN).

100人のアメリカ人がサウジで犠牲になったのでFBIがのり出して来たわけだが この4人のFBIが100人くらいのサウジの人を殺し返して 5日後に無事4人そろってアメリカに帰っていくお話。殺されたら殺して良いのか?アメリカならば、ほかの国に行ってその国の警察や軍を無視して、その国のテロリストを始末して洋々とアメリカの帰還して良いのか。

例えば アメリカ人が神戸でヤクザの抗争に巻き込まれて死んだとする。FBIがやってきて、次々とヤクザの事務所にロケット弾を撃ち込んで、ヤクザを並ばせて機関銃で皆殺しにして、で、本国に帰ってもらって良いのか? ビルマで1000人以上の敬虔な仏教徒が殺されているからといって、FBIが介入してアウンサンスーチーを救い出し、刑務所につながれている数万人の民主主義を求める政治犯を解放し、軍の銃を奪い取り市民の渡すことができるのか?ホントにそれ、やっちゃっていいのか?FBIに、それができるなら、今すぐに入りたい。

この映画、ジェイミー フォックスとジェニファー ガーナーが主役だが、二人とも影が薄く存在感がない。そこが、同じアクションでも「ダイハード」のスーパーヒーロー ブルース ウィルス、「BOURNE ULTIMATUM」のマットデモン、「ラッシュアワー」のジャッキー チェンなどと全然ちがう。やはり、アクションには、絶対スーパーヒーローがなければ、アクションはただの殴り合い、殺し合いで 汚いだけだ。

アメリカ人を多数含む市民100人死んだと聞いて泣き出して、ジェイミー フォックスに抱いてもらわなければならなかった ひ弱なジェニファー ガーナーが 現場に着くと20人も30人も平気でアラビア人を撃ち殺し、血だらけになっても飴をなめているのが笑える。この女に自分の父や兄弟を撃ち殺されて、怖がってふるえている小さな女の子に 飴をさしだして にっこり笑うシーンも笑える。この女一体なんだ?

この映画は 政治が絡んでいるわけでも アクション映画でもない。ただ、殺し合いゲームの好きな人向けの、B級の娯楽映画だ。アメリカのジョージ ブッシュのやっていることが 正義だと思っている人、そして娯楽映画で暇な時間をつぶしたい人にお勧めの映画だ。

2007年10月7日日曜日

電子音とACOコンサート

ヴァイオリンを弾く人ならば、一番やってみたいこと といったら、自分の気に入った先鋭の室内楽団と一緒に ソロイストとしてヴィヴァルデイの「四季」を演奏することではないだろうか。 先鋭というなら 例えば、オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO)とか、ブランデンブルグ室内楽団や、オーストラリアン アンサンブルなどだ。

「四季」は4つの季節に分かれ それぞれがまた3つずつの楽章に分かれていて ソロのパートがきわだって美しい曲だ。クラシックの曲にしては珍しく 作曲家自身の曲の説明が 詩になってついているので解釈がわかりやすい。胎教に最も良いといわれており、CD屋さんのクラシック部門の売り上げは 変わることなくいつもトップの座を占めている。

映画「4」は、今年のシドニー映画祭で好評だったが、ヴィヴァルデイの「四季」をテーマにした映画。ドキュメンタリー部門で 優秀賞にノミネイトされた。サンドラ ホール監督。現在も、クレモンオピアンで上映中。好評で上映8週間目に入った。 「春」の部分を 何とか言う日本女性ヴァイオリニスト、「夏」を、アデレートをベースにするオーストラリア人ヴァイオリニスト、NIKI VASLAKISが、「秋」を、ニューヨークの若いヴァイオリニスト、「冬」をフィンランドの奏者が演奏していた。それぞれ、これから世界的に活躍が期待されている若い奏者が どう ヴィヴァルデイをこなすか、各国の季節にからめて丹念に取材したフィルムだった。中で、世界で一番寒い国、ラップランドに住むフィンランドのヴァイオリニスト ペッカ クーシスト(PEKKA KUUSISTO)が、素晴らしかった。クラシックのワクにとらわれないラップランドの民謡や、ソウル、ジャズのリズムを取り入れた独特の音の世界を持っている。

この人の演奏をシドニーで二回、聴いた事がある。オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO)のリチャード トンゲッティが 彼を見出してフィンランドから引っ張ってきて、ACOをバックに、彼にソロを弾かせた。このとき、彼は、チャイコフスキーと、バルトークを弾いていた。こんな、稀有な才能を 地の果てから連れてきて、紹介するトンゲテイもすごい人だが、期待にこたえる力をもつペッカも偉い。その、まだ子供のような姿のペッカの演奏を 世界がまだ注目する前に聴くチャンスに恵まれた私も幸運だった。今後も才能をどう開花させてくれるのか、しっかり、見届けたいと思う。

そんな、リチャードトンゲッティの ACO、11月の定期演奏会を聴いてきた。テーマは「ソニック」。作家、マイケル レニグ(MICHAEL LEUNIG)が読む詩に、俳優ドリュー フォーサイス(DREW FORSYTHE)が パントマイムをつけ、それに作曲家のアンソニーパテラ(ANTHONY PATERA)が 曲をつけて、ACOと一緒に演奏する というパフォーマンスだった。ベースは、サンサーンスの「動物の謝肉祭」をもじって「人間のカーニバル」。 合衆国の国歌とラリアの国歌を同時に演奏して その不協和音を聴かせるというような、悪趣味もあって、みな げらげら笑いながら聴いていた。国連の同意なくイラクに軍を送り戦闘を続けている合衆国に 盲目的に追従し 戦力を送っているラリアのハワード内閣への批判でもあろう。

ACOはサンサーンスを沢山演奏したが、なかでも、チェロのソロ「白鳥の踊り」は、だんとつに良かった。チェリストは、ACOのメンバーテイモ ビヨッコ バルブ(TIMO-VEIKKO VALVE)。リチャードトンゲッティは、国宝級のヴァイオリン、ジュゼッペーグルネリが作った、10億円の価値のヴァイオリンを貸与されているが、このチェロも、同じグルネリで、アメリカの億万長者がACOに貸与を申し出た名器だ。大学をでたばかりのスエーデン出身のチェリストには 荷が重いだろうが、良く弾きこなしていた。

作曲家、アンソニーパテラは コンピューターの電子音も使いながら、ACOの音と、作家による朗読と、俳優によるパントマイムを よく監督し統合していた。音を立体的に捉えて見せる。クラシック音楽を 電子音に合わせて総合的なパフォーマンスに仕上げる といった試みに挑戦している。今後の コンサートのありようを、垣間見せるような、コンサートだった。

2007年10月2日火曜日

映画 「ラッシュアワー」


終末医療に従事している私の仕事に希望はない。1日をベッドで過ごす患者達に笑いはない。今日、一日、なにか生きていることが嬉しくなるような喜びが見出せるように、、、きょうは特別 風が生暖かいとか、空が一段と高くなったようだとか、出回り始めたぶどうがおいしいとか、赤ちゃんの声でさえずっていたヒナの声が大人になってきたとか、窓から蝶がとびこんできたとか、そんなつまらないことでも患者と一緒に笑えるように接している。笑いは 人になくてはならないものだ。

人を笑わせるために作られた映画「ラッシュアワー3」を観た。各ホイッツ映画館で上映中。ブルースウィルスの「ダイハード4」でも54歳の活躍ぶりに感心したが ジャッキーチェンの若さにも吃驚。ジャッキーチェンと、クリスタッカーのコンビ 3作目。 

彼の映画に筋立てと言った筋もないのだけれど。 中国大使のボデイーガードとしてジャッキーチェンはロスにやってきた。弟分のクリス タッカーとは4年ぶりの再会。中国を根城にした国際犯罪組織について、大使が国際会議で重大発表をしようとした矢先 大使は狙撃され銃弾に倒れる。美しい大使の娘に頼まれてジャッキーとクリスは、この犯罪組織を解明し、事件を解決することになる。追うジャッキーとクリスのアクション。ここまでやるか?と思う派手な追いつ追われつが、本当はものすごく危険なアクションとわかっていて、笑わずにはいられない。

逃げ遅れたギャングの一人を捕まえて 組織のボスの名前を白状させるんだけど、相手はフランス語しか話さない。急遽 来てもらった通訳はフランス人修道女。ジャッキーの方もギャングのほうも 汚い言葉の応酬と罵りあいばかりで、通訳に四苦八苦する。ここがすごく笑える。笑いすぎておなかの皮が痛くなること請け合い。

悪の本拠がパリとわかり、二人してパリに向かうが、着いたとたん出迎えるパリ警察庁署長が、あの、映画監督のロマン ポランスキー(ROMAN POLANSKI)。ここで、また、知ってる人は 大笑い。本当の彼は、未成年の子と関係を持った疑いで告訴されており、華々しい監督としてのキャリアを捨ててアメリカから逃亡中。 組織のボスが パリのキャバレーの踊り子とわかり、舞台で歌い踊りながらギャングとの たちまわり、狙撃を回避するためのカムフラージュなのに、キャバレのお客たちは大はしゃぎで、笑いっぱなし。

日本人俳優のサナダヒロユキ(どういう漢字かわからない)と、工藤という(下の名が思い出せない)女優の立ち回りもすごい。刀や短刀を持っての早い立ち回りは ゆっくりやってフイルムを早く回しているのだろうか、それにしても、すごい迫力。家具が50個くらい壊れて、ガラス窓が100枚くらい割れる。何人ものギャングをぶちのめして 戦う相手がみな延びているのを見て 人質の大使の娘がエッフェル塔からつるされているのも忘れて、思わず踊りだしてしまうクリスにも、笑い。アメリカ人嫌いのパリタクシーの運転手も、いかにも こんな人いそうですごくおかしい。

もっと、すごいのは、エッフェル塔でのたちまわり。夜空にそびえるエッフェル塔で、刀をもっての決闘シーンは すごく怖くて すごく笑える。よくフランス政府がこんな危険なシーンの撮影を許可したと、感心。見下ろせば人が豆粒ほどの大きさにしか見えない高さで 幅50センチほどの鉄筋を滑り降りたり、バランスをとりながら日本刀で切りあうシーンなど、カメラの特殊効果もあるだろうが、全部、ジャッキーはスタントマンなしで演じたそうだ。こんなこと、他の俳優がやったら、何人死人がでるかわからない。それでいて、笑わせるサービス精神を忘れない。2時間弱のこの映画で、5分おきには笑っていた。ときとして怖くておかしくて、悲鳴をあげながら笑ってたと思う。

ジャッキーチェン、本当にすごい人だ。徹底した役者。いくつ命があっても足りない。映画を、単なるエンタテイメントとして捉ええるならば、ここまでお金をかけて人を本当に笑わせ楽しませて本望だろう。

2007年10月1日月曜日

映画 「ワンス ダブリンの街角で」


10代のはじめの頃 ギターをナイロン弦に張り替えて 自分で作った曲を 自分で歌っていた時期があった。でも知っているコードが 5つしかないので、その和音の中でしかメロデイーが作れない。声も1オクターブしか出ない 限られた範囲の中でも やっていたときはとっても楽しかった。

映画「ワンス ダブリンの街角で」原題「ONCE」を観た。クレモンオピアム デンデイーなどで上映中。アイルランド映画。監督ジョン カー二ー(JOHN CARNEY)。 主演 グレン ハンザード(GLEN HARSARD) と、マルケタ イルグローバ(MARKETA IRGLOVA)。この映画、2007年サンダース映画祭で特別鑑賞賞を獲った。

本当の、グレンハンザードは アイルランドではバンド「FRAMES」のボーカリストで、地元では人気のシンガーソングライターだそうだ。 相手役の女性、マルケタ イルグローブもチェコの 歌手。二人のプロのミュージシャンが この映画のために、沢山曲を作って歌っている。

ダブリンの街角で、男が毎晩 ギターを弾きながら自作の歌を歌っている。 昼間は掃除機修理の仕事をしながら,別れた恋人のことを思い、夜になると、心のたけを叫ぶように歌わずにいられない。

通りかかる女がいる。去っていった夫を 思う切ない思いが、男の歌に重なる。孤独どうしの二人が出会い、歌って時を過ごす。女の励ましをうけて、男は自分のCD を作り、ロンドンに旅立っていく。見送った女のもとに、ずっと欲しくて買えなかったピアノが届けられる。恋にいたらなかった、しかし強い友情で結ばれた男からの、贈り物だった。

心をこめて自分で作った曲を本当に心をこめて歌うシーンが続くだけの シンプルな映画だが それがとても良い。男は男の恋をどれだけ大切にしてきたかがわかる。この映画、ちょっとMTV ミュージックビデオみたい、歌ってばかりいるんだけど どの曲も良い。なかでも「FALLING SLOWLY」が 心に残っていたみたい。映画を観た後、1週間はたっているのに 自分が気が付くとこの曲を鼻でフンフン歌っていて、自分でもびっくりした。映画を観ていたときは それほどすごく惹かれていると思っていなかったのに、なぜかずっと後まで いい感じが残っている、、、良い曲ってそんなものかもしれない。

主演して、曲もこの映画のために作ったという2人は映画が予想外にヒットしたので、当初の予定になかったことだが、「SWELL SEASON」というバンドを作って 海外に遠征して公演もすることになったそうだ。日本にも、来るそうだ。「FALLING SLOWLY」という曲、I DON’T  KNOW YOU BUT I WANT YOU ,,」という奴、聞いてみて欲しい。 

2007年9月26日水曜日

映画 「ディセバー ボーイ」



ハリーポッターを演じているデビッド ラドクリフ(DAVID RADCLIFFE)が主演した オーストラリア映画、ということで、沢山のオージーが見るに違いない新作。各 ホイッツ映画館で上映中。監督ロッドハーデイー(ROD HARDY)。地理的事情により世界の文化の主流からは隔絶されたラリアでも、さらに、限られた予算ながらも、良い映画はちゃんと作られているという証。とても良い映画だ。

南オーストラリアのカンガルー島で撮影されたそうだが、本当にラリアの自然の大きさと美しさが堪能できる。 荒々しい野生馬が、走り抜ける草原、終日 ボートから釣り糸をたらしている老人は 湾に住み着いた巨大魚に名前をつけて可愛がっている。巨大な日没と日の出。海岸線を爆音で走りまわるバイクの青年、波打ち際で魚を取って食べる野生馬。どれも、切り取って絵になる。自然描写のカメラワークが素晴らしい。

1960年代、カトリック修道院付属の孤児院で育ってきた、12月生まれの少年達4人は、誕生日のプレゼントとして、1ヶ月海辺に住む老夫婦のところで 夏休みを過ごすことになる。ラリアなので、クリスマスの12月は真夏で夏休みだ。これは 内陸地の砂漠地帯にあった孤児院で育った少年達にとって、初めて海辺で過ごす体験。敬虔なクリスチャンの養父養母。遊びまくる少年達。毎日が新しい発見で 毎日が冒険。

隣の家の旦那さんとの出会いが良い。遠くからバイクの音がする。少年達が耳を澄ます。しばらくして海岸線の小さな点が徐々に大きくなり、夢のような素敵なバイクが見えてくる。爆音をたてて疾走してくるバイクにまたがった男を目で捉えるときの少年達の、気も狂わんばかりの熱狂。バイク乗りの 隣の旦那さんは、もう少年達のヒーローだ。そんな男の中の男、あこがれのヒーローが 子供を欲しがっていて、孤児を養子にしたいというのだ。もう、その日から、夢のヒーローは、僕の夢のお父さんだ。

家族のない4人の少年達にとって4人の結束は家族より強い。そこに、4人のうちの一人を養子にしたいという 隣の若夫婦が出現して、4人の結束は一挙に崩れ、ライバル意識と、嫉妬、競争の嵐に巻き込まれていく。

4人のうち最年長、16歳の ダニエル ラドクリフは、きっと、養子には選ばれないだろうという絶望感に浸っているが、失意を癒すように美少女に出会い、恋をする。初恋、そして、裏切りの 苦い体験。

少年達の一月が過ぎ、また孤児院に帰るときが来た。赤土の砂漠と青い空、どこまでも続く大きな自然が 少年達の喜びの涙も、苦い涙も、のみこんでいく。 とっても、心にしみる映画だ。

16歳のこの少年を演じたダニエル ラドクリフは実際は18歳。まだ、少年の体つきで声も高い。難しいテイーンの役をよく演じていた。ハリーポッターの第6作目の 作品の撮影に入ったそうだが、最終回第7作目のフィルムまで、役者として、どれだけ成長していくだろうか、楽しみだ。

2007年9月22日土曜日

ドルフィンを食べないで!

在外日本人にとって 一番困ったことは 日本が世界中の反対を押し切って 調査捕鯨という名の商業捕鯨を続け、平気で鯨を食べていることだ。GNP世界2位 世界中の美食を集め、飽食の限りを尽くしている国民が どうして他に優れた蛋白源が溢れているのに 鯨を食べ続けているのか? 教養も品格もない、醜悪だ。海外に住む私達が、日本人とわかったとたんに侮蔑の目で、「おまえら、いい加減 鯨を食うなよ!」と、罵声を浴びて、身の縮む思いの身になってもらいたい。

私は日本人が食べているのは 鯨だけだと思っていた。まさか、、、ドルフィンを食べたりしてないよね!と。 

2007年9月4日の 「THE JAPAN TIMES」によると、和歌山県太地町では近海に生息する2万頭のイルカに対して、年間約2300頭のイルカを捕獲、肉の一部は海外に輸出、主に100グラム170円程度でスーパーマーケットで販売され食べられている。太地町は人口3500人、捕鯨は400年前からの伝統で地元の人にとっては 鯨もイルカも食べなれた伝統料理だ。水産庁から捕獲業者に与えられている捕獲量は スジバンドウイルカ:990頭、アラリイルカ:470頭、ハナゴンドウ:550頭、マゴンドウ:300頭、オキゴンドウ:40頭、カマイルカ:170頭など。去年1年で、地元の幼稚園、小中学校の給食として150キロが消費された。ここで、捕鯨に関わっている漁師は現在26人。
しかし、町長は3億3千万円かけて新しい鯨屠場を建設予定。そのうち、1億6千万円が補助金として税金から出る計画だそうだ。これが出来ると、イルカ鯨肉の保存ができ、全国の学校給食に提供できるようになり町の経済向上に貢献できる、としている。しかし、町の人々は鯨がなくても、生活でき、多数の人が屠殺場建設に賛成しているわけではない。

日本で、2300頭ものイルカが 浜辺で撲殺され、食卓に載っていたなんて!!!全然知らなかった。 IWC (国際捕鯨委員会)ではマッコウクジラなど大型鯨類を管轄しており、小型鯨類は管轄外、その中でもイルカ類は、国内管理の問題として イルカ殺生についてIWCが 立ち入ることが出来ない。 また、IWCでは、日本の調査捕鯨について、批判はできても、規制する力をもっていない。

温血動物である鯨やイルカが 体内に蓄えている分厚い脂肪層に重金属、有機化学物質が蓄積していることは、1990年あたりから、指摘されてきた。シャチから最高脂肪1グラムに対して400MGの水銀が検出され、犬などの陸上動物の4000倍の汚染濃度が報告されている。

今回、太地町の幼稚園、小中学校の学校給食に、地元のコビレゴンドウイルカの肉がでて、同じ肉を調査してみたら厚生労働省の規制の16倍の水銀が検出されて、問題になった。 これは、食の嗜好の問題ではない。学校給食は、教育の一環として給食は、きちんとも残さずに食べることが、ほぼ強制される場で 水銀入りの肉を子供達に食べさせたということは 立派な社会的犯罪と言える。そんななかで、町長の音頭のもとに、新しいイルカ鯨屠殺場ができ、全国の学校給食にこういった肉が供給されて良いのだろうか?

水銀汚染された肉だから 給食にふさわしくないのではない。イルカの肉だから、子供達の給食にふさわしくないのだ。

イルカや鯨は 近年になって彼らの高い知能や、コミュニケーションの様相が 徐々にわかってきたが、まだ、解明されていないことの方が多い。シャチにいたっては 社会構造、運動範囲、子育てなど、全く未知と言って良い。そういった、私達と同じ、あたたかい血が流れている 海に住む大型動物を、乱獲したり 調査 学術目的といって、捕獲して、まして食肉として市場に出してはならない。

鯨もイルカも 野生状態で、自然の中で、研究されるべきだ。

やめろ!鯨を殺すな。やめろ、イルカを殺すな。

2007年9月12日水曜日

映画 「THE BOURNE ULTIMATUM」


パトカーを含めて100台ほどの車、ついでに飛行機にヘリコプター数台、戦車も出てきて それらがみんな燃え上がるのを観た。次々と人が銃殺され、蹴り殺され、踏み殺され、首を捻じ曲げられて音をたてて殺されるのを見た。火曜日に 新作映画 マット デモンの「BOURNE ULTIMATUM」と、遅まきながらの「ダイハード4」の二本を見たからだ。どちらも、各地ホイッツで上映中。

ダイハード4は面白かった。今まで躊躇していたのは、52になったブルース ウィルスの衰えた姿を見たくなかったからだ。でも彼、老いを全然感じさせなくて良かった。役柄はロスの冴えない警官、妻には去られ、娘からは疎まれて わびしい一人暮らし、、、という設定だが とても、うらぶれた様子に見えない。こんな男を女が放っておくわけがない。いつもながら、人質をとられて「近付くな、人質を殺すぞ。」と言われようが、自分が満身創痍であろうが ひるまず、どんどん悪者に迫って行く姿、やられてもやられても 全然懲りない姿、、、これがダイハードだ。見ているほうはあっけにとられながらも痛快。悪者は本当に卑劣だし、ブルース ウィルスは絶対死なないから、安心してみていられる。

「BOURNE ULTIMATUM」は、ポール グリーングラス監督。主演マット デモン。題名は、ギリギリの最終提案とか、最後通告とかいう意味。 CIAは正義のためにあるのではなく、常に揺れ動く世界情勢の中で、目の前にある利害のために その場しのぎの対策を講じて生き延びてきた。2001年9月11日のテロもCIAは後になって、危険は事前に予知しており、大統領に報告していたと、発表して大統領追い落としにかけたが、成功しなかった。1月にソマリアを攻撃し、テロを事前に食い止めるためと言ったが 事実に反しており、無実の数百の市民を殺した。CIAのなかでも、今の大統領に忠実な派閥と すでに次に予想される大統領のために働く派閥の動きがあり、その中でも細かい派閥争いがたくさんあるのも、周知のことだ。

今回の映画もテロ対策のためにCIAで特別の訓練された殺人マシーンのマット、デモンが自分に殺人依頼をしたのは誰か、自分のアイデンティティーを探し出すというお話。結論はおきまりの、CIAナンバーワンのボスが不正を行っていて、CIAナンバーツーに告発される。たくさんたくさん殺し、たくさんたくさん壊したけれど、敵はアラブでもロシアでも中国でもなく 身内だったという今ではもう、使い古されたストーリー。

でもアクションのありえないような激しい動きを捉えるカメラワークの良さ、効果的な音楽は、さすがアクション映画のハリウッドだ。「これだから全く たまんねーよなー!」とボヤきながら 最後まで人々を引き込んで見せてしまうだけのパワーを持っている。マット デモンは、今、映画界で世界一 収入をもたらせている俳優だそうだが、彼の演技は感情を殺した殺人マシーンにぴったり。感情や状況に流されない 悲しみも怒りもない、まじめ青年。

今回の映画をみていて面白いと思ったのは、CIAが 沢山抱えている 殺人請負人たち、、、携帯電話で指令が届き、殺すべき人の顔が携帯電話に映し出されると ただちに行動に移り、追跡、完全に殺すまで追い続ける一匹狼の殺し屋軍団が みんなアラブ系の顔をしていたことだ。これは、おもしろい!アルカイダとか ヒズボラとか ハマスとか CIAはジャンジャン捕まえて、世界各地のアメリカ基地で拷問したり好き放題しているが、当然、寝返り合戦で、アルカイダのために戦っていた戦士を CIAのためにアルカイダと戦わせたりしているはずだ。

優秀なテロリストの取り合い合戦なわけだ。何のために戦うか 誰のために戦うかは、二の次というわけ。そんな感じのめっぽう強いCIAエージェントのアラブ人が別のセクトのCIAエージェントのマット デモンを痛みつける姿が、ブラックユーモア。アメリカの姿を正直に表していた。

2007年9月7日金曜日

映画 「酔いどれ詩人になる前に」


チャールズ ブコウスキーが再び日本で、ブームになっているようだ。1994年に 彼が白血病で死んでから10年もたつのに 日本でも根強いファンが人気をずっと支えていることは特筆に値する。2002年に、映画「ブコウスキー:オールドパンク」という彼のドキュメンタリーが発表されている。

彼がどんな作風か、、、作品集「勃起、射精、露出、日常の狂気にまつわるもろもろの物語」の中の、「狂った生きもの」の、最初の出だしだ。訳は青野聡。 

 「 失業して、部屋をおいだされ、そして(たぶん)正気からもつきはなされていた当時、私は飲んでばかりいた。その日、裏どうりで寝て過ごしたあとで、朝日のなかでゲロをはいた。それから五分おいて、コートのポケットにあったワインの残りを飲んで、町のなかを歩き出した。いくあてなどなかった。でも歩いていると、なんだか目的をもって行動しているかのような気がしてきた。もちろん錯覚である。裏通りにいたってしょうがなかっただけだ。  どうにか意識を保って、しばらく歩いた。私は飢え死の魅力に、なんとなくとりつかれていた。横になって待っていられる場所がありさえすればよかった。社会にたいする恨みは微塵もなかった。そもそも社会に属していなかった。そんなことはずっと前からわかっていた。」

彼の生き方を映画にした「FACTOTUM」邦題「酔いどれ詩人になる前に」。新しい映画なのに ビデオで観た。日本では公開されているが、ラリアでは劇場公開されなかった。原題が「FACTOTUM」というのを知らなかった。ご自身も詩人でギターをもって歌っておられるマイミクのFUNKAさんに教わって ビデオを探してみつけた。 ノルウェー人のベント ハマー監督、ブコウスキー役に、マット デイロン、相手役というか女優に、リリーテイラー。

テーマソングを クリスチャン アズビョンセンという人が歌っている。この歌の詩がブコウスキーの「ドリームランドとスローデイ」。この歌が ものすごい。阿片巣窟の奥底の底の底から聞こえてくるような、破壊的で ダダみたいな曲だ。

タイトルのFACTOTUMは何でも屋、便利屋とでもいう意味、食べるために 郵便局員、タクシー運転手、運送屋、機械工、缶詰め工場の荷詰め、ギャンブル、使い走りなど、何でもやった彼の半生を揶揄したことば。

ありとあらゆる職種で食いつなぎながら、書くことを決して止めなかった詩人の姿に、深く心うたれた。生きることに不器用な もの書きの姿が悲しみに満ちている。汚い言葉をたたきつけるように書きなぐる暴力性、にも関わらず繊細で柔らかな心、恥ずかしがりやのつっぱり、おおきな駄々っ子。

マット デイロンが、とても良い。実際のブコウスキーは こんなだったんだろうな、と思える表情、しぐさが とっても自然でよかった。彼は、アカデミーをとった映画「クラッシュ」でライアン巡査をやった俳優。この映画では、いやな奴の憎まれ役を全く憎く憎しく演じていた。 相手役のリリーテイラーが、また、とても良かった。ハイヒールを若いときから履いていた人独特の曲がった足指、O脚にゆがんだ足、労働者階級出身を示す筋肉質の体型、美人でないのに、タバコとアルコールがないと生きられない女のからっぽな脳みそと、かわいいしぐさには、男でなくとも、グッとくる。

男が あてにしていた三流紙からの原稿料を待って、疲れきって足が痛む女に、自分のくつを履かせて歩かせるシーンがとっても良い。女のサンダルを持ち、自分は くつしたで、女の手を取って歩いていくとき、男のやわらかい足の裏が、私にも感じられるような 心にしみるシーンだ。

映画の中にこんな台詞がある。SOME PEOPLE NEVER GO CRAZY.WHAT TRULY HORRIBLE LIVES THEY MUST LIVE.決して狂わない人たちがいる、それでも生きていかなければならないなんて、、、。自分のことを、言っているのだ。ブコウスキーは きっと、どんなに飲んでも、醒めていたんだろう。

2007年9月5日水曜日

APEC 首脳会議に反対する

ジョージブッシュ米大統領が来豪する9月4日の朝、ヘアカットのために 彼の泊まるインターコンチネンタルホテル前を通り、いつもの店で髪を切りメッシュにカラーを入れてもらって帰ってきた。世界一悪い奴、懸賞金つきのお尋ね者が 到着する日なので通行止めになっているかと思ったが、通常どうりの街の様子で、ちょっとびっくりした。でも夜10時到着といっていたから、夕方からはそのあたり、警備で一変したことだろう。

APEC会議のために9月5日から9日まで、ラリアの経済活動は停止する。7日金曜は学校も職場も休み、各国首脳が会議するオペラハウスと、彼らが宿泊するホテルのあるラリアの経済活動の中心マルチンプレイスあたりは封閉鎖されて 市民が立ち入ることは出来ない。デモで大量の逮捕者が出ることが予想されるが市の中心部にデモ隊は一切入れない。

ジョンハワード首相は今回のAPEC会議のテーマは 1、地球温暖化対策、2、貿易自由化、3、地域の安全対策 の3つになると発表した。ジョンハワードが10月以降に予想されている選挙で退陣し、新しくケビン ラッド労働党党首が首相に任命される可能性が強いが この、ケビンがAPECでのジョンの対応を絶賛して、僕が首相になっても、ジョンと全くおんなじことをしますよ、と確約?したのには いまさらながら あきれた。ラリアでは自由党と労働党とは対立する政党ながら、酷似する双子のようなものだ。労働党というから労組を基盤にした世界の労働者の味方かとおもったら、とんでもない、ラリアの労働者のために、移民労働者を認めず、地下資源で核兵器のもとになるウラニウムを外国に売るのも大賛成、人権も、世界平和も、環境問題も、へったくれもない。ラリアにタカとハトはなく、タカとワシだ。

アメリカではアフリカから奴隷を連れてきて アメリカ経済の土台に利用するために奴隷を殺さなかったが、ラリアでは先住民族アボリジニーを奴隷として使うには怠惰すぎるという理由で、「害畜」として、カンガルー同様に撃ち殺した。クイーンズランドやタスマニアではアボリジニー人口が零になるまで絶滅させた国だ。こんな血まみれの歴史を持った国は他にはない。

APECに先だって、中国のフージンタオ主席が いち早く西ラリアに来て次々と商談をまとめた。日本より一足でも早く 一銭でも安く日本に買占められないうちに石炭、鉄鋼、鉱石を買い付けたわけだ。これで、日本にはどうしても必要な ラリアのエネルギー石炭、LPGガス、アルミニウム、原油などは先手中国に持っていかれてしまって、アベが来た時には残るのは 日本の農産物自由化への圧力だけだ。アベはブッシュとハワードの圧力に耐えられるのか? ラリアから安い米、小麦、砂糖、乳製品、牛肉が関税なしに入ってきたら、日本の農業、牧畜は全滅だ。

このようにAPECは、先進国の中でも最も豊かな国同士がもっと豊かになるための取り合いごっこだ。だから、私はAPEC そのものに反対する。地球には200カ国ちかい国があり、63億人の人が住んでいる。先進国が勝手に富を分配してはいけない。

世界の最富裕国が世界のGDPの88%を占めるような 世界経済構造はまちがっている。グローバリズムは 世界の経済発展を促進したが、逆に最貧国を最富裕国との経済格差は広がる一方だ。
少数者による世界支配を許してはならない。APEC首脳会議に反対する

2007年8月25日土曜日

2008年の日記帖

この時期の 楽しみのひとつは 来年の予定がひとつずつ埋まっていくことだ。

まず、オペラ。2008年のカタログが 水曜日に送られてきた。来年は、シドニーでは、12のオペラが上演される。 このうち、6つを観る事に決めた。2月に、プッチーニの「ラ ボエーム」、3月に ビゼー「カルメン」、7月に「マイフェアレデイー」、8月に、ドンゼッテイの「LAMMEMOOR]、9月に「真珠とり」、10月に、ヤナチェックの「MAKROPULOS SECRET」。カチャカチャ チーン!$1900、19万円! ひ、ひきつけ起こしそう。でも、すごく良い席が確保できた。たのしみ。

そうしているうちに、オーストラリアチェンバーオーケストラ(ACO)の 来年のカタログも届いた。年間7回の定期公演。リチャード トンゲテイのバイオリンは何といっても、文句なしにラリアで、一番。毎回の公演ごとに、ゲストが来て、多くは外国からの 様々な楽器の演奏家だが、この人たちとオーケストラの共演が、とても楽しい。これは、何年も毎年観にいっているので、特別の価格で、$500.

それと、この時期に、2008年のジャーマンセパードの日記が、良いタイミングで、カナダから、送られてくる。$25なり。ジャーマンセパードの日記帖は、写真集になっていて、表紙がセパードの写真というだけでなく、1週間ごとに ページをめくるごとに、ちがうセパードの写真がでてくる。週ごとのスケジュールが一目瞭然で便利なだけでなく、毎週いろんなセパードの表情に出会うことが出来る。私たちがシドニーにくるときに、フィリピンに置いて来ざるを得なかった家族の一員だったセパード犬とそっくりの 犬の多いこと。毎日ページを広げて、そっくりさんの犬をながめては、12年前に置き去りにしてきた犬をしのんでいる。もし、生きていれば17歳の、アルメニウス セント デ ニコラウス、、、どんなだろう。

2007年8月24日金曜日

映画 「NO RESERVATION」


映画「NO RESERVATION」邦題「幸せのレシピ」を観た。スコット ヒックス監督 ハリウッド映画、主演 キャサリン ゼタ ジョンズと、アーロン エクハート。

この映画の前に、全く同じシナリオで、2001年に ドイツ版があって、邦題「マーサの幸せレシピ」で、上映されていて、とても好評だった。監督はサンドラ ネット ルペック 30代のシングル女性で、ハンブルグにある、評判のフレンチレストランが、舞台だった。

有名レストランのマスターシェフ、ケイトは、料理こそ自分の生きる道と決めて腕を磨いてきた。自分の名前のついたレシピを持っていて、固定客を沢山抱えるほど、評判の高いシェフとして、ワークホリックな毎日を送っている。彼女のキッチンは 冗談も余裕もスキもない、完璧主義の彼女の性格を反映して いつもピリピリしている。そんな彼女を、レストランのオーナーは、心理療法士のコンサルテーションに送り出す。にもかかわらず、彼女の頭の中は、新しいレシピのことばかり、自分の欠陥に気ずかないでいる。

そんな彼女の妹が9歳の娘を乗せた自動車で事故に合い 急死する。妹はシングルマザーで、この母親を失ったばかりの子、ゾウ(ABIGAIL BRESLIN )を、ケイトが引き取ることになる。結婚にも興味なく仕事ひとすじだったケイトが 急に母親役を引き受けることになり 子供の心をつかめない彼女はゾウの拒食症にあって、誰からも賞賛されてきた自分の料理を拒否されて、どうして良いかわからない。

そんなときに、レストランにイタリア人コックのニックが登場する。ハンサムで明るくてオペラを歌いながら料理する彼に早くもレストランオーナーやキッチンの働き手達の心は奪われてしまっている。自分こそがチーフとして固定客を持ち レストランを牽引してきたのに、自分の誇りと よりどころをケイトはいっきに失いそうになる。ニックはケイトのレシピにあこがれて来たというが、ケイトにはニックの何もかもが気に入らない。

しかし、そうしているうちに 心を閉じていたゾウが、ニックには 心を開きかけてきた。段々とケイトはニックを無視することが出来なくなってくる。そこで、まあ、子供がカスガイになって、二人が結ばれる めでたしめでたし、というお話。

ハリウッドの顔きき、マイケルダグラスと結婚して、エリザベステーラーが リチャードバートンから せしめたのよりも大きなダイヤをもらって、二人の子を産んだキャサリン ゼタ ジョーンズの本格的映画界への復帰作というので、大宣伝している映画。彼女の出産前に主演したミュージカル「シカゴ」では、彼女、アカデミーも取ったけれど、歌も踊りも本当に素晴らしかった。彼女、子持ちになっても相変わらず美しい。 この映画も、娯楽作品としてそれなりに楽しいし、シングルマザーの子が孤児になってしまって拒食症になるなど、泣けるところもあって、良い映画だった。

しかし、2007年アメリカ版のこれよりも、2001年ドイツ版のほうが ずっと良かった。比べ物にならない。 40才近くなろうとしている美女が料理に、うちこんで、他のものが見えなくなっている様子や、彼女が家に帰ってきて静まり返った よく整頓された部屋の様子、神聖な料理場で歌を歌ったり冗談をいって人を笑わせるようなイタリア人料理人に対する軽蔑心、嫌悪感を、ドイツ映画では女優がとても、自然に演じていて、共感がもてた。アメリカ女がこれを、まねてみても 全然寂寥感とか、嫌悪感がでてこない。

ハリウッド映画では、登場人物が良く動きよく しゃべり過ぎる。しゃべりすぎて下品だ。私はフランス映画の静寂、ひっそり喜び哀しさを暗示するような音のない瞬間が好きだ。 だいたい、この映画ではマンハッタンの人気フレンチレストランという設定だけど、忙しいニューヨーカーに、食い物の味がわかるのか? ソースに命をかけるフランス料理が、前の映画では、ヨーロッパだったから まだ納得できたんだけど。 前の映画では、イタリア人シェフが全く美男でないところも、良かった。今回のハリウッド版は、男が役の割りにハンサムすぎる。美男美女のコミカルな娯楽映画になってしまって、限りなく、無価値な見てすぐ忘れてしまう映画のひとつになってしまった。残念だ。

2007年8月9日木曜日

映画 「フラクチャー」


アメリカ映画「FRACTURE」を観た。邦題は未定。FRACTUREは 砕けるとか、壊れると言う意味。 アンソニー ホプキンス(ANTHONY HOPKINS)と、ライアン ゴスリング(RYAN GOSLING)の、サイコテイック 二人劇とでもいえる映画。すごく良く出来た映画。 アルフレッド ヒッチコックが生きていたら、同じ、この2人の俳優で この映画を撮影しただろう。

アンソニー ホプキンスは、この映画で、テッド。富も名声も業績も、美しい妻も もっている教養ある、航空工学の専門家。

ライアン ゴスリングは、ウィーリー。片田舎で、貧しい家庭の私生児として育ち、スポーツで認められた奨学金で 辛うじて、大学の法学部を出る。日ごろの努力の結果、検察官として頭角を現してきた。彼の担当する犯罪者の97%は 有罪にして、刑務所に送り込んできたので、検察から一目置かれるようになった。 そして、遂に、私立の弁護士ファームに高給で引っこ抜かれることになった。有頂天で、人生順風 航海楽し の瞬間。

ウィリーが まさに新しい職場に移動する直前に、夫が妻を銃で撃つ殺人未遂事件が起きて 犯人が現場で自供しているという警察の言葉を鵜呑みにして引き受けたことによって、彼は、新しい職場も、実績も名誉も何もかも失うことになる。

テッドの豪邸で、浮気をしていた妻が 銃で撃たれて 血の海のなか、瀕死の状態で倒れている。その横に、銃をもったウィリーが立っている。押し入った警部にテッドは 自分が撃って妻を殺したと言う。テッドは逮捕されるが、かれの銃に発砲の痕跡がなく、テッドの体から、硝煙反応が出ないため警察も検察もテッドを有罪にするための、証拠が立件できない。

裁判の法廷で 事件担当で、テッドを逮捕拘束した警部が、撃たれた妻の浮気相手だったことが、テッドによって巧みに暴露されて、警察側の大失態。ウィリーは テッドの有罪を証明できず、テッドにとことんまで もてあそばれる。 一方、テッドは晴れて、自由の身になる。この先は、これから映画を観る人のために 言わないでおく。

自分の担当した事件の97%の成功率を誇る 若い検察官ウィリーに対して、3%の間違いも、決して許されることのない パーフェクトが要求される航空工学の世界で生きてきたテッド。 美しい妻は、顔に弾丸を受けて、壊れる。(fracture)そして、ウィリーも、卵の殻が簡単に壊れる(fracture)ように、壊れていく。そして、テッドの壊れる様子はもっと痛ましい。

いつも、完全犯罪を解くおもしろさを映画にしてきた ヒッチコックが、アンソニーホプキンスの名演に、手を叩いて 喜んでいる様子が、目に浮かぶよう。完成度の高い映画だ。

2007年8月7日火曜日

映画 「AS IT IS IN HEAVEN」


スウェーデン映画、「AS IT IS IN HEAVEN」(邦題未定、天国にいるような、か?)監督、カイ ポーラック(KAY POLLAK)を観た。この映画は シドニーで一番古くて 72年の歴史を誇る映画館、クレモンオピアムで、連続37週間 上映している。現在もまだ上映記録更新中で、毎日フィルムを回し続けて 話題になっている。 連続上映第36週目に行ってみた。驚くことに館内は満員の盛況。一人として美男、美女が映画に出演している訳ではない。有名な監督でもない。地味な映画だが、評判にたがわず、良い映画だった。

オーストリアで高く評価されている、有名な指揮者ダニエルは、ある日、舞台で指揮を終えた瞬間に、心臓発作で倒れる。死の淵から生還した彼は休養を命じられ、激しい音楽家の競争社会を捨てて、子供のころ 暮らしたことのあるスウエーデンの田舎に帰ってくる。古い小学校を買い取り、自然の美しさに見とれ、ただなすがままに残りの人生を送るつもりできたのに、教会の合唱隊の指導を頼まれる。全く 乗り気でなかったのに、地元のおじいさんや おばさんたちが 発声方法や音楽の基礎を学ぶうちに みるみると変わっていく姿を目の当たりにする。遂に彼は指導にのめりこみ、合唱隊をオーストリアの合唱コンテストに出場する程の実力を養う。ダニエルはコンテストの当日、奇跡のような美しいハーモニーを聴きながら、、、、というストーリー。

これは、音楽が人の生き方を変えることが出来るという、現実をきわめて明確に描いた映画。 ダニエルの 理にかなった合唱指導が実に良い。全身を使って どなる、自己最大音を発散させる、床に寝て腹筋をゆるめて、大笑いする、腹の底から笑う、足を踏み鳴らしながら体を動かす、声の限り自分の音を出させる、咽喉で歌うのでなく全身をサウンドボックスにして、音の振動を感じる、このようにして 体を音を振幅させる楽器として音が出せるようになると、団員のひとりひとりが音の限界からも、個の限界からも開放されて、表現する喜びに満ち溢れ、自然と歌い踊りだす。

家庭内暴力をふるう夫をもった妻は、合唱団で歌うことによって自分をとりもどし、家を出る決意をする。知恵遅れの 青年はやっと、合唱団に自分の居場所を見つける。2年間 妻子ある男にだまされていた女は、男を見限る。長年 女教師に片思いしてきた おじいさんは、遂にみんなの前で、彼女に愛を告白する勇気を持つ。 牧師の妻は生まれて初めて 感情を表現する喜びを知って、改めて、夫に愛を告白して歓喜の夜を過ごす。そんな妻に、牧師の夫は「このような行いは間違った行いだ。」と、妻をたしなめようとする。女として成長して変わった妻を受け入れられない夫、喜びを分かち合うことができない夫にとまどう妻、、、自分の生を生きる自信をつけた妻達に対して、嫉妬に狂い 暴力で女を押さえつけようとする男達の、醜いこと。

スウェーデンの片田舎の自然が素朴で美しい。合唱団が出かけていく、オーストリア、インスブルグの町並みの美しさ。雪を頂いたアルプスの山々に囲まれた街に 赤い路面電車がはしる。一度、住んでみたい街。 この映画、音楽の持つ力を存分に描いた後、単に感動もののハッピーエンドにさせないところが良い。

2007年7月30日月曜日

映画 「バラ色の人生」


79歳で死んだ私の母は、大正生まれのモガ(モダンガール)らしく、歌と言えば シャンソンばかり歌っていた。死ぬまで フランス語の勉強を続けていて、読書量もハンパではなかった。 彼女の若いときの写真があるが、銀座をオープンカーで乗り回し、冬は竹製のスキー、夏は葉山でパラソルの下で日光浴、戦争直前まで 上高地でテニスをやっていた。

その母に連れられて 観にいったエデイット ピアフの映画は白黒で、パリの街角で歌を歌っては 投げ銭をもらう可愛い女の子の物語だった。私は7歳くらいだったが、そこで、ピアフの歌う 本当のシャンソンを聴いて、初めてわかったことがある。母は 完全に音痴だったのだ。

映画「バラ色の人生」(LE VIE EN ROSE)を観た。この映画は、今年のシドニー映画祭の前夜祭で初めて公開された。今、デンデイー、クレモンォピアムなどで、上映中。フランス映画、英語字幕つきのなのに、珍しく オーストラリアでも評判になっている。オリビア ダン(OLIVIA DAHAN )監督。シャンソン歌手 エデイット ピアフの薄幸な一生を描いた映画だが、ピアフを演じたのがマロン コテイラッド(MALON COTILLARD)。

両親に捨てられ、売春宿を棲家とし、貧困のどん底で学校教育と無縁に育った少女時代、酒場で歌を歌っては、アルコールびたりの、救いのない青春時代。すごく暗い。 事実では、ピアフはドイツに占領されたパリでレジスタンスだったはずだが、この映画では、そうした社会状況は全く触れられていない。ワンシーンだけ、映画の中で、ニューヨークの舞台で歌い終わった ピアフにマレーネ デイトリッヒが逢いにきて、「あなたは、本当のフランスの誇りよ。」と言って去るところが、印象的。デイトリッヒは、パリを占領したヒットラーの度重なる 懇願にも 脅しにも答えず、ドイツを去り二度と帰国しなかった。

つかの間の心休まる時期、ピアフは世界ボクシングチャンピオンの、マルセル セルダンを愛するようになる。そのころ彼女が歌う「バラ色の人生」が とっても良い。しかし、彼を飛行機事故で失った後 ピアフは、生涯黒い服しか身に着けず、酒とドラッグに溺れて、死んでいく。なんか、酒、ドラッグに身をやつすと、こんなことになりますよ、という政府のキャンペーンみたいだ。

全体が、暗い映画で、ピアフの人生が幼児期にいったり、死ぬ直前になったり、そうかと思うと また幼児期になったり、画面がめまぐるしく 編集がわかりにくい作品だったが、女優がすごい。こんなに演ずることに 徹底して演じる女優も少ない。ラッセル クロウと共演した「THE GOOD YEAR」の女優だったとは、新聞の映画コラムを読んで 初めて知ったが 始めは信じられなかった。「THE GOOD YEAR」で、若いピチピチした美しい 豊かな髪の女性と、酒とドラッグで髪も抜け 醜い顔になったピアフとの落差がすごい。どの映画評を読んでも、この女優がピアフが乗り移ったように そっくりで、本当にピアフが生き返ったのかと思ったと 言われている。完璧なピアフになるために、役造りを、ものすごく集中して勉強したのだろう。シャンソンも、この女優が本当に歌っているとしか思えなかった。役者魂のあるひとに違いない。つぎの、彼女の作品で、彼女、何に化けるのか とっても楽しみ。

2007年7月19日木曜日

グルネリのバイオリン

オーストラリアチェンバーオーケストラ(略してACO)に、ジュゼッペ グルネリが 1743年に製作したカロダス という名のついたバイオリンが貸与されることになったのは、今年のビッグニュースだった。この、10億円の 歴史あるバイオリンを所有するアメリカ人の収集家が、ACO監督のリチャード トンゲッテイに貸与することに決めたのだ。

アントニオ ストラデイバリと、バルロメオ ジュゼッペ グルネリの二人は17世紀終わりから18世紀はじめにかけて、イタリアのクレモナでバイオリンを製作し、自らも優れたバイオリン奏者でもあった。いま、二人の残したバイオリンは 世界遺産、国宝級の扱いをされて、本当に選ばれた奏者だけが、所有したり、貸与されて、演奏することができる。

現在 世界中で ストラデイバリが、600、グルネリが100くらい残っていて、すべて、登録されている。で、この、カルダスという名のついたバイオリンは、パガニーニの愛用したバイオリンと、同じ樹から作られたものだそうだ。OSSY RENARDYというバイオリニストに所有されていたものが、彼が事故死したあと、50年間 だれにも弾かれないまま収集家のもとに保管されていて、やっと、ふさわしい演奏家に貸与され、日の目をみることになった。

バイオリンは木でできているが、可愛がり いたわり 演奏し使いこなしているうちに 生き物と同じように、呼吸もし、良い音が出るようになる。良い弾き手がいる限り 死ぬことはない。

リチャード トンゲッテイが チャンバーオーケストラをたちあげて、10数年、団員、20名あまりのちいさなチェンバーオーケストラが 100名の交響楽団よりも、豊かで、良い音を出す。政府の援助金を得て、団員が給料をもらっている、シドニーシンフォニーオーケストラの頭をかすめて、リチャード トンゲテイにグルネリのバイオリンが貸与されたことが、単純にうれしい。

彼はこのバイオリンをお披露目するために、ベートーベンのバイオリンコンチェルトと、べートーベンの、交響曲「英雄」をコンサートで演奏した。ACOは、どんな長い曲でも、全員 ずっと立ったまま演奏する。奏者の緊張がそのまま聴き手の心に染みとおっていく。クラシックは伝統だが、弾き手は常に現代を弾かなければ意味がない。今を生きている私たちの心の痛み、鬱屈した圧迫感、心の叫びを表現してくれる優れた今を弾く弾き手でなければならない。ACOの音はいつも新しい。

ACOは 定期コンサートでは 毎回ゲストを呼んで 共演するが ゲストが詩人だったり、アコーデオン奏者だったり、リコーダ奏者や民謡歌手だったりして、常に新しい共演にチャレンジしている。また、年に一度、1-2ヶ月かけて海外に公演旅行にでかけて 世界各地のさまざまな音楽家たちと共演 交流している。世界のどこからも離れた南半球の 井の中の蛙にならないためだ。これが若いオーケストラメンバーのは辛いらしく、育児や出産のために、海外遠征できず 辞めていく団員も多い。

にもかかわらず 自分がハンドルできるサイズのオーケストラで、自分の信念をずっと、通してきたトンゲッテイは えらいと思う。音楽にたいして、あくまでも真摯で誠実な態度が好ましい。また、いつまでも、少年のような 外観、立ち振る舞いも、好ましい。 グルネリのバイオリンで演奏される これからの、コンサートが楽しみだ。

2007年7月17日火曜日

映画 「ハリーポッター」THE OREDER OF PHOENIX


映画 「ハリーポッター」シリーズ第5巻「THE ORDER OF THE PHOENIX」、イギリス映画、デビット イエッツ(DAVID YATES)監督、を観た。

どの映画館でも上映中。チャッッウッドのホイッツなど、朝9時から、1時間ごとに上映していて、平日の朝 観に行ったのに、席は半分埋まっていた。子供も大人もなく、いったん読みはじめたら必ず夢中になる「ハリーポッター」シリーズの人気がよくわかる。

今回の映画は、第5巻で、もう、第6巻の映画の撮影が始まっているそうだ。また、最終回の第7巻は、すでの作者、ローリング(JOANNA KATHLEEN ROWLING、1965年生まれ)に書き終えられ、金庫にしまわれているそうだ。作者は、離婚したシングルマザーで、生活保護を受けながら、赤ちゃんに語り聞かせていた物語が このハリーポッターの作品化の契機だったことは、周知のこと。 彼女は このシリーズが爆発的に世界中でヒットしたために、もうお金のことを心配しないで書くことに集中できて嬉しいと、率直に言っていたが、また、「私の本が子供達にビデオゲームを忘れさせ読書に夢中にさせていると、聞かされれとき一番幸せで光栄に思った。」と、言っている。立派な人だ。

俳優は、ハリーポッターに、DANIEL RADCLIFF,ハーマイオニーに、EMMA WATSON,ロンに、GARY OLDMAN. 10歳だったハリーとハーマイオニーとロンの3人組が 毎年作品が発表されるごとに、確実に 大人になってきている。第5巻のいま、3人は15歳。 毎回映画を見にいく毎に、3人とも背が180センチとかになってしまってないか、心配だが、まだ、3人とも背の高さも、姿も15歳にとどまってくれている。実際のハーマイオニーは17歳らしいが、まだ、15歳の 頭が良くて生意気でがんばりやの役に良く合っている。この先 6巻、7巻と、同じ俳優で通してくれると良いんだけど、次の巻でハリーの全裸シーンがあって、デビッド ラドクリフが演ずるのを拒否したと言われている。 最後まで、同じ俳優の素晴らしいチームワークでやってもらいたい。

今回の新しい登場人物は、ダンブルドア魔法学校に、政府から送られてきた官僚で、美術教師のイメルダ スタントン。彼女はダンブルドア校長先生や、マクゴナガル副校長らを無視して、ダンブルドア学校に厳重な規律や、体罰を持ち込んで ことあるごとに、ハリーをいじめつける。前回、闇の世界に連れていかれて ヴォルデイモートに 目の前で親友セドリックを殺されたことで、ハリーは 法を犯したとして検察から呼び出されて犯罪者になるところだった。ハリーが片思いしている、チョウチャンは ボーイフレンドだったセドリックの死によるショックからまだ立ち直れないでいる。それは、セドリックを守りきれなかったハリーとて同じで、彼は、悪夢にうなされてばかりいる。

闇の世界で、体をなくして、力を封印されていたはずのヴォルデイモートが生き返って、力を拡大していることを、自分の目で見て知ったハリーは、自分達を守らなければならないと考えて、危機感の薄い学校のなかで 何とか、有志を集めてダングルドアで「軍隊」を隠れて組織する。チョウチャンとの、切ないファーストキス、しかし、彼女の裏切りでダングルドア軍隊は 美術教師に発覚されてしまう。ハリーは失恋の悲しみにくれる暇もなく 闇から送られてきた 殺人鬼たちと戦わなければならない。といった、ストーリー。

ハリーの意地悪なダーズリー一家、食べるこことと、ハリーをいじめることにしか興味がない従兄弟のダドリーと巨腹叔父さん叔母さんも、健在。 ロン ウィーズリーの優しい家族、ハリーを心から思ってくれるロンのお母さん、魔法省のお父さん、ロンの双子のお兄さん、たちも、健在。 威厳ある心優しいダンブルドア校長先生、マクゴナガル副校長も変わりなく、大男 森番のルビウス ハグリッドも健在。 ダンブルドア魔法学校には沢山の生徒が出てくるが、数少ない東洋系の子供の中で、優等生でハリーが片思いしていたチョウチャンの裏切りは残念。前回初めて出てきて、目がクリクリして可愛かったのに、今回は、おたふく風邪ですか?と、いうくらいに太っていて、残念無念。それと、新入生に、不思議な静けさをもった、美少女ルナ(EVANNA LYNCH)が初登場して、ハリーの軍隊の一員にもなったが、この子がこの先ハリーのガールフレンドになりそうな気配。

ハリー、ハーマイオニー、ロン 3人の結束の仕方がとても良い。この堅い結束、1巻から5巻までの3人が体験してきた休む間もない冒険と試練の物語の結果で、本当に3人信頼しあっていることがよくわかる。とても、良い雰囲気。 世界中の子供達が、ビデオゲームを忘れて、夢中になった、理由がよくわかる。本当に読んでおもしろい。映画で観て面白い。135分間があっという間だった。

2007年7月6日金曜日

映画 「ザ デッド ガール」


映画「THE DEAD GIRL」 カレン モンクレッフ 監督の、アメリカ映画を観た。各地ホイッツ映画館と、デンデイー映画館で上映中。

女が5人出てくる。 トニー コレット、ローズ バーンと、マリー べス ハート、マルシア ガイ ハーデンと、ケリー ワシントン そして最後に死んだ女の子、ブリッタニー マーフィーの5人。このうち、トニー コレットと、ローズ バーンは、オーストラリアを代表する女優。 5人の女は、それぞれ、「ストレンジャー」、次が、「シスター」、「ワイフ」、「マザー 」そして最後に「死んだ女の子」が出てきて、はじめの4人の女たちのできごとが、死んだ女の子を元に みな つながっていたことがわかる。

はじめのトニー コレット。彼女は 住み込みの看護婦、幼い時から、小児虐待されてきて、一個の女性としての自信も誇りももてずに、中年にさしかかっている。彼女は、家の庭で少女が乱暴され殺された死体を発見する。そのことで、街で、注目をあびることになり、以前から好意をもっていた店の男に、デートに誘われるが、自虐、自傷行為でしか、快感を得られなくなっている彼女の、異常性が明らかになる。

次は、ローズ バーン。彼女は司法解剖医師の助手をしているが、15年前に姉が失踪したことによって、壊れかけた家庭で育ってきた。失踪中だった、女の死体が運ばれてきて、姉と同じところにある生まれつきのアザを見つけて、動揺する。

第3話は、マリー べス ハート。子供のない中年夫婦の間にうまれた溝は広がるばかりで、毎晩出かけて 朝まで帰ってこない夫を待つ妻は、いらだっている。偶然、家の倉庫から、血のついた女の下着や、バッグや、靴などが出てきて、遂に 15年前に失踪した女の子の運転免許証が隠されているのをみつけて、夫が連続殺人犯ではないか、という確信に至る。しかし警察に密告する決断ができないまま、すべての証拠物件の血まみれの服、靴、持ち物の膨大なコレクションを焼いてしまう。

第4話は、マリア ゲイ ハートで、警察から呼び出しがきて、何年か前に家出した娘の死体が 郊外の家の庭で見つかったことを、知らされる。警察からの帰り道、母親はたまらない思いで、娘が死ぬ前に住んでいたというアパートを訪ね、娘が売春婦で薬物中毒だったことをしらされるが、家出の契機は義理の父親からレイプされたことだった、と知って、それに気がつかなかった自分を責める。そんな、娘が子供を産んでいたことをしって、子供を引き取って育てる決意をする。

最後の 殺された少女は、ブリッタリー マーフィー。「ボーイズ ドントクライ」で良い演技を見せていた女優。彼女は、自分の生んだ子供の誕生日に、贈り物を届けようとして、ヒッチハイクして、運悪く、通りかかった殺人者の車に拾われて、無残に乱暴され、殺される。

5人の女の暗く、無残で 重い映画だ。オペラハウスの横の、キーウェストデンデイーで、平日の朝 一人で見たんだけど、珍しく、中年や壮年の女の人ばかり 20人くらい これを観にき来ていた。 映画の最中や、映画の後で、離れて座っていた女の人たちが あちこちで鼻をかんでいる音がした。

こういう映画は男の人には わかんないんだろうな、と思う。また、カップルでは見ないほうが良い。お互いよく理解しあっているつもりでいても、こういう映画をめぐって男と女が話しすると、受容体の違いと言うか 感覚の差が明らかになって、イライラする。

知らないで足を踏んだ男に、踏まれた側の女の痛みはわからない。男女差別が制度として撤廃され、男女平等社会が定着している。しかし、物理的に男の方が体も大きく、体力もあり、攻撃されれば、女は ひとたまりもない。制度が整備され 教育が普及し、マナーが重視されても、依然として、多くの場合女が暴力の被害側であることに 変わりはない。

この映画を観ていて、2年くらい前に観た「クラッシュ」という映画を思い出した。サンドラ ブロックなんかも出ていて、アカデミー賞の何か、をとったはず。やはり、話が4つくらいに分かれていて、それぞれ違う短い4つの話が、最後に関連していたことがわかるという同じ手法をとっていたが、こちらは、人種差別がテーマだった。やはり、重くて、暗く 悲しい映画だった。ばらばらだったものが、最後に整合性をもち、意味をもってくるとき、人は、ウーン と、うなるしかないんだ。うーん!

2007年7月3日火曜日

軍人は何を守るのか?

ニューカッスルの田舎で働いている娘が 先日の集中豪雨で車ごと流されて、死ぬところだったという経験をした、と思ったら、今度は運転中、軍用ジープに一方的に車をぶつけられ大破するという災難にあった。全く、気が気でない。

軍用ジープが2車線の道路の右側から、車の流れを無視して左折したため、左側車線を走っていた娘の車がつぶされた。直後にジ-プに乗っていた二人の制服軍人は、つぶれた車の中にいる娘を怒鳴り飛ばした という。娘はそれにひるまず、運転見ミスは 軍用ジープ側だと主張すると、相手はもう2人加勢を呼んできて、4人の制服軍人が たった一人の一人の小さな女の子を取り囲んで 自分達の主張を言い張ったという。

事故を起こしていながら、4人の軍人が たったひとりの市民を取り囲むなど、それだけで立派な暴力ではないか。暴力とは、殴ったり蹴ったりすることを言うのではない。パワーをもった軍人が 何の武器も持たない市民を取り囲み恫喝することを、暴力と言うのだ。

現場に到着した女の警官は、現場検証もする前から、悪いのは あなたかもね、、、と娘に言ったという。失言、というには、お粗末すぎる。悪いのが誰かを決めるのは、警官ではない。両者の主張を証言にとり、現場検証をし、複数のジャッジによって、公正に判断結果がでるのであって、現場に来たばかりの若い女警官の主観など、現場にいる被害者に言うべきではない。警察官は、市民を守らないで 一体何を守るためにいるのか?

軍人こそ 市民を守らないで いったい何を守るのか? 税金で飲み食いし、頼んでもいないのにイラクにでかけて、イラク市民を殺し、自分の国で 平気で交通違反し、市民の車を壊した末 責任を相手にかぶせて逃げようとする。それに輪をかけたように、警察官まで、その場を取り繕おうとする。

私たちは毎日まじめに働き、収入の36%を税金にもっていかれて、働いても働いても、家など買えないでいる。その税金で、生活し、その税金で 給料をもらっている、軍人たち、警官たち、君たちは一体 何を守ろうとしているのか?

君たちのその おそまつなおつむで、何を考えているのか?  オーストラリアで活躍する日本人の専門家が増えて、日本人ドクター、日本人フィジオ、日本人カウンセラー、日本人オプトメトリスト、日本人ナース、日本人歯医者、日本人公認会計士、日本人建築士、日本人獣医も出てきた。頼もしいことだ。しかし、まだ足りないのは、日本人の人権を守るために戦ってくれる弁護士ではないだろうか?

2007年7月2日月曜日

パリ オペラ座バレエ団 その2


それで、、、初めてやってきたパリオペラ座バレエ団が公演したのは、「白鳥の湖」の9ステージと「ジュエルズ」の5ステージのみ。「ジュエルズ」を観た。

振り付け ロシアうまれのアメリカ人 ジョージ バレンテイン、衣装は クリスチャン ラクロ。踊り子達を宝石にたとえて、第1部はエメラルド、音楽はガブリエル フォーレ。第2部は ルビーで、音楽は、ラフマニノフ。第3部は ダイヤモンドで、音楽、チャイコフスキー。衣装が目を見張るほど、美しい。エメラルドの深い緑の美しい衣装、ルビーの燃えるような真紅の衣装、そして、ダイヤモンドの純白。舞台の幕が上がるたびに、観客からワーっと歓声があがる。 一人一人の踊り子が 宝石のように輝いている。特に、最後のダイヤモンドでは、16組、32人の踊り子と、プリンシパルのペアで 全員白の衣装に身を包んで踊る、華麗な舞い。

そして、踊り子達の細くて小さいこと。繊細で壊れそうな姿で 絶え間なくハイジャンプ、回転を軽々とこなしていく。高いところから着地するときも、コトリと乾いた音がするだけ。飛び上がるたびに ドスンドスンと音がするオーストラリアン バレエと全然違う。デリケートなガラス細工のような美しさ。

筋の通った物語がないことが悲しかったけど。3部作といわれても、ストーリーがないので、どうしても舞台が散漫になる。それと、シドニーリリックオーケストラの音に奥行きがないこと。ちょっと、がっかり。このオーケストラはパリバレエ団のために、急遽編成された楽団で,指揮者だけを パリから連れてきている。PAUL CONNELLY というパリオペラバレエ団の指揮をやっている人。バレエの指揮は 舞台の動きのあわせて棒を振らなければならないので とても大変な仕事。ひと呼吸遅れたり 早まっただけでタイミングが狂って 踊り子が足を挫いたり、骨折事故だって起こりうる。優秀な指揮者を連れてきているけれども、オーケストラの音の奥行きを創ることができなかった、ということだろう。

パリオペラ座バレエ団、もう、オーストラリアに来ることはないだろう。 ネットでチェックして、日本に帰ったときに、ゆっくり、観たいと思う。

2007年6月27日水曜日

パリ オペラ座バレエ団

THE PARIS OPERA BALLET =パリ オペラ座バレエ団が 初めてオーストラリアにやってきた。世界最古の歴史を誇るバレエ団。 このバレエ団の歴史は1661年 ルイ14世が 創設したロイヤル アカデミー オブ ダンスに、さかのぼる。ルイ14世は政治にもすぐれた手腕をもったが、芸術家としても、秀でていて 自らバレエを踊って楽しみもした。太陽王とよばれてもいたので、知っている人も多いだろう。

この世界のバレエの出発点とも言うべき歴史をもつバレエ団が、オーストラリアの歴史上 初めて100人の団員を連れて シドニーにやってきた。彼らがこの国に滞在すること たった2週間。6月13日は、開幕前のガラパフォーマンスが オペラハウスで行われた。それに続くパフォーマンスは、「白鳥の湖」9公演、「ジュエルス」5公演のみ。プレミア席 $195。キャピタルシアターにて。 値段に関係なく たった14回の公演に限られるため、チケットは発売同時に完売した。

手にしたチケットは、「白鳥の湖」2枚、「ジュエルス」2枚。はじめに 夫と、バレエを習っていた娘が「白鳥の湖」を観て来た。帰るなり、夫いわく、今まで何百も 僕が見てきたバレエはバレエじゃなかった。今日生まれて初めて 本当のバレエを観た!と、感動さめやらず、目がウルウル。 娘も、本当に美しい、どの白鳥も、人間ではなく本当の白鳥に見えた。といっていた。

「白鳥の湖」作曲=チャイコフスキー、振り付け=ルドルフ ヌレエフ、音楽=シドニーリリックオーケストラ、指揮=エストニア出身のヴエロ ポーン、白鳥オデット姫=MARIE AGNES GILLOT、王子ジークフレッド=HERUE  MOREAU だったのが、第二幕から、足を痛めて、KARL PAQUETTEが、出演。

振り付けのヌレエフは 1993年パリオペラ座の芸術監督を勤めていたが、1993年パリでエイズで亡くなった。直前まで、「僕の故郷は楽屋。僕にはバレエがすべて。」といっていた。 バレエ発祥の地で 世界最古のバレエ団の監督として、誰にもまねのできない華麗な舞台を作り上げた偉業は 世界のバレエ史に特筆される。

ヌレエフ、1938年 ソビエト生まれ、キロフバレエ団のソリストだったが、1961年 相手役のバレリーナと手と手をたずさえ ヨーロッパ公演中に舞台裏から逃れ 自由な表現を求めて西側に亡命。イギリスロイヤルバレエ団に迎え入れられる。以後、マーゴ フォンテイーンのパートナーとして世界を魅了した。23歳だった、ヌレエフに対して、もう母親ほどの年齢だったフォンテイーンとの共演は、フォンテイーンが踊れなくなるまで続き、今でもバレエのお手本になっている。 1961年のヌレエフの文字どうり 命をかけた亡命事件は  当時厚い鉄のカーテンにしきられていたソビエトと、アメリカとの政治的緊張関係にさらなる緊張を強いた。東ドイツから逃れようとした市民がバンバン壁の前で撃ち殺されていた頃の話だ。当時の緊張感は、子供だった私にも忘れられない。ロシア革命で国を捨て 逃れて来たロシア人、小野アンナにバイオリンを習っていたので ロシア人芸術家の姿が他人事ではなかった。

ヌレエフは、ヨーロッパに移ってから ロシアで自分が踊っていた「白鳥の湖」を 大幅に振り付けを変えた。人でなく白鳥に恋をして、かなわぬ思いに苦しみながら死んでいく王子ジークフレッドの美意識、この世を生きるのではなく 彼の理想は美の極致、極限の世界でしか得られない。そのためには命を懸けなければならない、といった彼自身の美意識を投影した大胆な振り付けだ。王子の役に生命を吹き込んだ、と言えよう。より、高くジャンプし、より早く飛び、華麗に舞い、美のために命を捧げる という完璧な舞台を彼は求めていたのだ。

17世紀のルイ14世が世界に残したものがバレエという芸術遺産だったとするならば、ヌレエフはその遺産を引き継いだ たぐいまれな天才だった。彼の振付けた舞台が 別のダンサー達に受け継がれ、それを、今、私たちが見ることができることに、感謝したい。

2007年6月22日金曜日

映画 「テラビシアにかける橋」


オーソン ウェルズが監督、製作した映画「市民ケーン」(CITIZEN KANE)で、最後に億万長者の新聞王が「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して死ぬ。難解な彼の謎に満ちた一生を描いた映画だったので、あとで、バラのつぼみが何だったのか、、、彼が子供のとき母と雪遊びしたときの橇の名前だったのか、あるいは、唯一愛した若いオペラ歌手のつぼみを咲かせてやれなかった悔いの気持ちを表したのか、と、いろいろ観た人の間で議論したことがある。

バラのつぼみは、満開のバラより美しい。開花する直前の緊張と、はりつめた輝きを内に秘めているからだ。 10代はじめの頃の少年、少女の美しさはバラのつぼみに似て輝かしい未来を予感させる。無邪気な幼さと、背伸びした自意識。自然体の美しさに本人が気ずいていない。そんな、頃の少年少女を描いた物語を見ると こわれやすいバラのつぼみの心に ほろ苦い感傷がつきまとう。

映画「テラビシアにかける橋」を観た。ウォルトデイズ二ー製作。原作 カサリン パターソン。彼女はこの作品で、児童書に与えられるニューベリー賞というのを、もらっている。 繊細な心をもつ いじめられっこの少年ジェスに、ジョルジュ、ハッチャーーソン。隣に引っ越してきた、元気な女の子レスリーに、アンナ ソフィア ロブが、演じている。ジョルジュ ハッチャーソンは、「スペースアドベンチャー」に、アンナ ソフィア ロブは、「チャーリーエンジェルとチョコレート工場」に出ていた。

ジェスは、二人の姉と妹にはさまれた、家族で唯一の男の子。家計のやりくりが大変な家庭で、家庭菜園をまかされて忙しく、厳しい父親からは 常に叱咤されていて、自分は誰からも愛されていないと思い込んでいる。妹の世話が行き届いていない、野菜畑から被害が出た、と、家族はジェスを責めるばかりで、靴が小さくなって もう履けないのに、姉のピンクのお古の靴で学校に行かされる。学校では軟弱者と、いじめっこに もてあそばれる。唯一のなぐさめは、絵を描くこと。 そんなとき、同じ年の素敵な女の子が転校してくる。お金持ちの家の一人っ子で、芸術家の親の影響で、家でテレビを見ない読書好き。自分だけの想像の世界をもっている。

自由に想像して絵を描く少年と、目を閉じれば空想の世界が無限に広がる少女とが出会って、クリークを綱で渡って 森の中で自分達のテラビシア王国を作り上げる。樹の上に小屋を造り、空想の巨人や、鳥の軍団や、影の敵を作り出して、二人きり夢中になって、森をかけめぐって遊ぶ。
レスリーの すばやく走り回る体のしなやかさ、くりくりした輝く目、前向きで恐れ知らず、負けず嫌いの生意気さ、本当に可愛い。ジェスのちょっと頼りなくて、内向的、傷つきやすい少年の魂が、レスリーの行動力によって、ときほぐれて、開放されていく様子がよくわかる。この映画の一番良いところだ。目を閉じて、心の窓をあけてごらん。ほら、テラビシア王国がみえてくるよ、という、レスりーの言葉が良い。

美しいバラのつぼみは、疾風のごとく少年を揺り動かし、そして、立ち消えていってしまった。それだけに最後に、何もかも失った少年の心の塞ぎようには、胸が痛む。人生は、失うことばかり。しかし、それを通して、人は成長していく。ジェスという少年の絶望から、心の再生が 最後に描かれる。

10代はじめの頃は、誰もが自分は価値がないのではないか、とか、家族や友達から愛されてないのじゃないかとか、自分をわかってくれる人なんか一人もいない、とか、思いがちだ。その頃の出来事がトラウマになって、心の成長ができないまま大人になる人も多い。また、この頃に性的被害に逢う子供も残念ながら、多い。バラのつぼみの時期にいる子供達を大切にしてやりたいと思う。そして、いつまでも、目を閉じ 心の窓を開ければ、空想の世界がどこまでも、広がるような大人でいたいと思う。

2007年6月14日木曜日

ミュージカル 「プリセラ」



ミュージカル「PRISCILLA」を観た。スターシテイー、リリック劇場で、ショー継続中。プレミア席 $96.

1994年、オーストラリア映画「プリシラ」は、その年のアカデミー賞17部門でノミネイトされ、大ヒットとなったが、衣装デザイン賞だけを受賞した。ステファン エリオット監督。 俳優は、「コレクター」のテレンス スタンプが、性転換者のバーナデッド、「ロードオブザリング」「リトルフィッシュ」の ヒューゴ ウィービングが、バイセクシャルの、ミッチ役、「メメント」の ガイ ピアーズが、歌って踊れる若いミュージシャンの、フェリス役をやった。この、すごく豪華な顔あわせで、3人がドラッグクイーンを演じた。 この、映画が素晴らしかった。ヒューゴ ウィービングの女装した、輝くような美しさと 優しいしぐさに、はじめはどうしてもドラッグクイーンだとは信じられなかった。私の最も好きなオーストラリア映画のひとつだ。

今回は、この映画のミュージカル版。 舞台は豪華絢爛、本当に楽しいミュージカルだった。ミュージカルの良さは、オペラと違って、普段着で出かけていって 役者の口からでるジョークに笑い転げ、ヤジを入れたり、アイスクリームをなめながら、観られる気楽さだ。 この日 台風でNSW州は荒れて ニューカッスルでは9人の死者が出たり、そのとばっちりで、娘がシドニーに出て来れなくなったりしたというのに、劇場は満席だった。シドニー唯一のカジノの中にある 劇場なので 地方から遊びに来ている おのぼりさんや、外国からの旅行者もたくさん 観に来ていたようだ。

この、「プリセラ」では、物語が進行している舞台の上で 天井から吊り下げられた3人の女性歌手が、歌を歌っていた。3人ともすごく声量があって、アバや、ビレッジピープルの 80年代のデスコミュージックを、劇場の隅から隅まで 響き渡る美声で 歌い続けていた。 歌って踊れるフェリシア以外の2人の歌は、この3人の歌手が歌い、ベルナデッドと、ミッチは口をあわせているだけだった。まあ、そういう役なんだけど。ミュージックはとても、迫力があって、よかった。

ベルナデッドとミッチと、フェリシアの3人は パブで女装して歌を歌うドラッグクイーンショーをやっている。ミッチは故郷のアリススプリングに残してきた 妻子が気にかかってしかたがない。娘が父親に会いたがっていると、聞いて いてもたってもいられなくなり、ベルナデッドとフェリシアを誘って ショーをしながら、アリススプリングまで バスで行くことにする。バスに名前がプリセラ号と名付け、シドニーを出発する。

旅にでてから、ミッチは初めて、この旅の本当の目的を2人の仲間に告白するところが笑える。「実は、ぼくは昔 結婚してたんだ。」 それを聞いたベルナデッドとフェリシアが おなかを抱えて笑い転げる。フェリシアが「ついでに 子供もあるなんて言い出すんじゃないの?」といって、二人はまた笑い転げるのだが、うちひしがれたミッチの様子を見て、 冗談じゃないとわかって、ベルナデッドはあわてて、なぐさめる。性転換者と、バイセクシャルと、ホモセクシャルの、微妙な行き違いだ。

また、 バスが最初の町、ブロークンヒルに着いて、パブでドラッグクイーンの舞台を始めようとすると、鉄鋼と鉱山の町ブロークンヒルは、19世紀のウェスタンの様相、男はマッチョ、女も男と見間違えるような荒くれものばかりで、およそ、ドラッグクイーンのきらびやかなドレスや、ポップミュージックの雰囲気ではない。その文化の違い 大きなギャップに あわてふためく両者の様子がすごく おかしい。

苦労しながら、アリススプリングに着いた一行は、ミッチの妻子から、心あたたまる受けいれかたをされる。妻の経営するパブでのショーも成功し、恋人と、ここに残ることにしたベルナデッドをおいて、ミッチと娘とフェリシアは、シドニーに向かうところで終わる、ハッピーエンド。

舞台のきらびやかさ、次から次へとダンスと歌と 軽快なジョークがとんで、本当に楽しい舞台だった。男の女装は 妖艶’で、美しい。フェリシア役をやった、俳優は 素晴らしいダンサーで 良い歌手だった。ミュージカルのために生まれてきたみたいな人。名前を忘れてしまったけれど、今度、憶えておこう。

性のかたちは、100人のひとがいれば100の性のかたちがある。それがどんなかたちであっても、どんなに未熟であっても、キリスト教的倫理にあわなくても、人はそれを理由に責めたり 辱めてはならない。性のかたちは、根源的で人間の尊厳に直接関わっているからだ。 3人の美女たちの行き方に、共感をし、一緒に笑い、ほろっとしたりして、帰ってきた。

2007年6月12日火曜日

映画 「シュレック」


映画「SHUREK THE THIRD」を観た。 各ホイッツ映画館で上映中。6月にどっと、子供向けの映画がやってきて、娘達がアメリカンスクールに通っていたとき 6,7月が休みで、8月が、二学期に始まりだったことを思い出した。ハリウッドも、6月は子供むけの映画しか作らないらしく、「スパイダーマン」も、「カリビアンの海賊」も、「シュレック」も「テラビシアにかける橋」も アメリカの子供達の夏休みに合わせてやってきた。

シュレックは、児童作家ウィリアム スタイグの短編絵本「みにくいシュレック」をもとにした物語。ドリームワーク社の、製作者ジェフリー カッツンバーグは、人目を気にせず自分らしい生き方をするシュレックの姿を通して 大人も子供も楽しめる映画を 作りたかったと言っている。

声優が楽しい。シュレックに マイク マイヤーズ、ドンキーにエデイ マーフィー、フィオーナ姫に キャメロン デイアス、長靴を履いた猫に アントニオ バンデイラス、新登場のアーサーにジャステイン テインバーレイク。もう、エデイーマフィーの声なしに、この映画 成功しなかったかも、と思うくらい彼が良い。彼は俳優としても声優としても天才的。

緑の怪物シュレックは 沼で一人 平和な満ち足りた生活をしていたのに ファークアード卿に頼まれて 火を噴くドラゴンが守るお城の塔に幽閉されているフィオーナ姫を助け出すが、二人は恋に落ち結婚する。これが第1話。
第2話は、長靴を履いた猫が出てきて、一緒に敵を戦い、猫とドンキーとシュレックの友情は、堅く結ばれる。
第3話では、フィオーナのお父さんの蛙の王様が亡くなり、跡継ぎをシュレックに任命するが、王になりたくないシュレックは 次の後継者にあたる、いとこのアーサーを探しに行く。シュレックがいない その隙に、おとぎ話の悪役が団結して、城を攻撃する、というお話。

相変わらず、白雪姫と7人の小人、眠れる森の美女、シンデレラ、ピーターパン、ピノキオ、3匹のくま、蛙の王子、狼と赤頭巾ちゃん、美女と野獣、ジンジャーブレッドマン、など、みんな出てくる。 アンデルセンや、グリムのおとぎ話では、お姫様は王子様に救われて、結婚して幸せに暮らしましたとさ、、、で、終わるけれども、オーストラリアでも、4組の夫婦に1組は、離婚する時代、結婚が幸せと同義語でないことくらい、離婚の被害者 子供達のほうがよく知っている。現代に合わせたおとぎ話が必要な今、シュレックのように、お姫様はもらったけど、地位も名誉もいりません、過労死するかもしれない王様業などまっぴらごめん、というマイペースの生き方のほうが、ずっと、信頼できる。フィオーナに赤ちゃんができたと、告白されて、うれしいと、口ではいっても、赤ちゃんが押し寄せてくる悪夢にうなされるシュレックが現実的でおかしい。 この映画、2時間 楽しく笑ってこれはこれで良い。

「スパイダーマン3」、「カリビアンの海賊3」、「シュレック3」と、続けて観たけれど、「スパイダーマン」と、「カリビアンの海賊」が良かった。 「スパイダーマン3」は、第1作のころから 彼が少しずつ大人になってスパイダーマンであることの重みに耐えかねる姿や、それなりの成長を描いていたし、第3作では、コンピュータテクノロジーを使って戦闘場面など、スピーデイーで 3作目でも新鮮で 新しい感動があって観られた。 「カリビアン」も、第3作が一番お金をかけたと思われる。デイズにーでなければこれほど、大規模な舞台を作れなかっただろう。3人の主役たちの演技も素晴らしい、目をみはるものだった。ひとつとして、つまらないシーンがない。3時間、人をエキサイトさせておくだけのパワーのある映画だったと思う。これらは サウンドエフェクトのある大きな劇場で見なければ意味がない。 さて、次は、「テラビシアにかける橋」だ。

2007年6月10日日曜日

救急医は自分を救えるか?

6月8日から9日にかけて、36時間あまり NSW州 ニューカッスル近辺が、30年ぶりの強風と集中豪雨に見舞われて、9人の死者を含む、大被害がでている。 シドニーも、3日間 止まらぬ雨と、強風で停電、浸水地帯も出て 倒れた木などで道路、家屋に被害が多く出た。 ニューカッスル海岸には225メートル58000トンの貨物船が座礁し、100単位のヨットなど小型船に被害がでた。洪水で 車ごと押し流されて、8人が死亡確認され、少なくとも3人行方不明。停電と断水で、10日の朝までに、10万人の病人けが人が、援助を待っていた。急遽 病人などシドニーに搬送されたが、5000件の救急車要請の電話に、ニューカッスルの公共機能は麻痺寸前だった。

集中豪雨で道路が遮断され、行方不明者が出ている、という6月8日の夕方、ニューカッスルに住む 獣医の娘は 救急病院に出勤する途中、坂の上にある病院の手前で、滝のように流れてくる豪雨にタイヤがスリップして、先に進めず、タイヤの上まで浸水してくる水に 車ごと流されかけて、かろうじて引き返し帰ってくることができた。しかし、この嵐によって、怪我した犬や猫の患者が絶えることなく、出勤を要請され、ひどい嵐の中を、再度出かけ、夜9時から、翌日午後まで、休むことなく、仕事に追われた。
娘のする手術介助のナースは、洪水のなか、車に4時間閉じ込められたあと、車を捨て、歩いて病院まで来たという。

生きていればこそ、後になって、あんなこともあった、こんなこともあった、と笑って、話ができる。娘が無事でいてくれて、うれしい。 でも、救急医は、救急患者のために、自分の命を余りに 安売りさせられすぎているのではないか?  死者がでて、STAY HOME! STAY IN DOOR! と緊急ニュースで言っているのに 出勤しなければならない人々の命は 誰が守るのか?  答えの簡単には出ない 宿題は残された。

2007年6月8日金曜日

映画 「ゾーディアック」



DNAテストが検察側の証拠として裁判で採用されて刑事犯の犯行が立証されるようになって久しい。この検査が手軽に行なわれるようになっっために、何年も前の犯行が立証されて、被疑者が逮捕されたり、逆に実刑に服していた受刑者が無実となって、釈放されたりしている。 NSW州では、このDNAテストを法的証拠とするための規制があるために,立件されるべき事件が解決できない状態にあるそうで、この時代遅れのNSW州の法を改正するように、警察や識者が圧力をかけているそうだ。というニュースを聞いて、初めて、NSW州は 他州に比べて、とても、法規に関しては遅れているらしいと、知った。DNAサンプルは、本人である確立が99パーセントだそうで、ほとんど、確実と、みられている。

映画「ゾーデイアック」(ZODIAC)を、観た。各地、ホイッツで、上映中。 DAVIT FINCHER 監督のアメリカ映画。  主演 JAKE GYLLENHADが、サンフランシスコトリビューン紙の政治漫画家、ROBERT DOWNEY JNR,が、新聞記者、MARK RUFFALOが、刑事を演じている。 サンフランシスコで、実際60年代に起きた話。ゾーデイヤックと名乗る連続殺人犯を追う 3人の男達が 自分達の家庭 私生活まで犠牲してまで、追い詰めていく様子を映画化したもの。

ゾーデイヤックは無差別に、罪のない若いカップルや、深夜まで働いているタクシー運転手や、赤ちゃんをもった若いお母さんにまで、犯行に及び、殺人の報告の手紙を新聞社に送りつけてくる。この、愉快犯は、電話でも自分が病気であることを認め、人を殺したくて殺したくてたまらないと告白して、サンフランシスコの市民を恐怖に陥らせて面白がっている。 運の悪い時に運の悪い所にいたとしか、言いようがないような罪のない人々が、次々と殺されていくのが、可哀想で、痛ましくてならない。

犯人は、ぺデファイルで職を失った元教師、今は機械工として働いている。その犯人に違いないと追い詰めたのに、脅迫状の筆跡鑑定が、別人という結果が出て、逮捕することができない。担当刑事は、ほかの部署にまわされ、新聞記者は、ゾーデイヤックを追い詰めることを放棄した新聞社に愛想をつかせて、アルコールに溺れて自分を失ってしまう。漫画家のGYLLENHAAL だけが執念の鬼になって、家族から去られ、自身の命を危険にさらせてまで犯人を追い続ける。

去った妻が様子を見に来て、あなた、まだ、ゾデイヤックに夢中なの、と聞くと、彼が振り向きもせず、背を向けて仕事しながら、「ぼくのこと、きみ、しってるでしょ」 というところが、自然で良い。長く一緒に暮らしたんだから、ひとつのことに夢中になると、止められない性格なのを、知ってるはずでしょう、と言うわけだ。私も、昔 勝手な男に 全く同じ言葉を同じ調子で、言われたことがあったので、思わず笑ってしまった。 どうしてどうして、犯人を見つけたいの?見つけて どうするっていうの?と、聞かれて、彼は、言う。「犯人をみたいんだよ。彼の目をただ見たいんだ。」と。

そして、現実に遂に彼はそれを実現する。訪ねていって、男を ただ、言葉もなく、じっと、目をみつめて、そして、帰ってくる。自己完結したのだ。後はもう、それで満足して、彼はもとの生活に帰る。 犯人は決定的な証拠がないために、結局野放し。33年後に、DNAテストがマッチして、逮捕状を取ろうと言う段になって、担当の刑事が心臓発作で死亡、その後、犯人は、偶然の事故で死ぬ。結局、犯人は、最後まで、愉快犯だったという現実も怖いが、映画もとっても、怖かった。

2007年5月28日月曜日

映画 「パイレーツ オブ カリビアン」


映画「PIRATES OF THE CARIBBEAN」を観た。第一作が、「呪われた海賊たち、」第二作が「デッドマン チェスト」、そして今回の 第三作が、副題「ワールドエンド」だ。ウオルトデイズ二ー製作。ゴア バヴィンスキー監督。
おなじみ海賊船ブラックパール号のキャプテン ジャック スパロウを、男優ジョニー デップ、その船を乗っ取ったキャプテン バルボサに オージー俳優ジェフリー ラッシュ。海賊だった父を捜し求める、まじめな青年ウィル ターナーに、オーランド ブル-ム、彼に恋するエリザベス スワンに、キーラ ナイトレイ。第一作のときは彼女は19歳だったが、第三作で22歳になったそうだ。

第三作で新しい登場人物は、中国人俳優の大御所チュン ユンファが シンガポール地域の海賊王の役で出てくるが、あっけなく殺されてしまう。もう一人キャプテン ジャック スパロウのお父さんが出てきて、それをローリングストーンのキース リチャードが貫禄あるお父さんを演じている。ジャックのことをジャッキーと、赤ちゃん呼び名で呼んだので 笑ってしまった。また ジャックが ママは元気?聞いたら、お父さんが彼女のミイラになった頭を腰にぶら下げていて、それを見たジャックが「SHE LOOKS GREAT!」というのも、笑えた。

最初の頃のシーンで風紀を取り締まるために 海賊行為に関わったたくさんの人が軍隊によって絞首刑におくられていくんだけど、中で、一人の少年が死ぬまぎわに 銀貨をこすりながら海賊の歌を歌う。9人の海賊の首領が世界には居て、それぞれがコインをもっていて、誰かが危機にあるときコインをこすりながら歌をうたうとそれが合図で海賊評議会が招集される。実際に海賊の首領を集めたのは海の女神カプリソ。

カプリソのちからで、第二作でイカのモンスターに殺されたキャプテンジャック スパロウは黄泉の世界から、カニに背負われてブラックパール号にのって帰ってくる。

ウィル ターナーとエリザベス スワンはジャックを助け出すために シンガポールの海賊首領にところに助力を得るために行くが、軍隊と組んだフライイングダッチ号のキャプテン デビ ジョンズの攻撃を受ける。 デビ ジョンズは、昔、海の女神カプリソを愛していたが、彼女は彼を裏切った。きっと、彼女はジャック スパロウを愛していたのではないか?ともかく、カプリソはデビ ジョンズを愛さなかった。それで、9人の海賊首領たちによって封印されていた。だから、人間の姿をしている。デビ ジョンズは フライイング ダッチマン号に乗って海で死んだ人をあの世に送り出す仕事を任されていた。しかし、仕事をさぼって、イカのお化けの顔にされてしまった。永遠の命を持っていて、死ぬことはないが、心臓をくりぬいて箱の中に保管している。これを、軍隊に盗まれてしまったので、軍隊の言うままにされている。

ウィル タナーはエリザベス スワンをやっと、心がひとつになって、デビ ジョンズと戦っている最中に求婚し、承諾を得るなでにこぎつけたのに、デビ ジョンズに胸を刺されて倒れる。本当はキャプテンジャック スパロウはデビ ジョンズの箱に入った心臓を刺して、自分が不死身になって、フライイングダッチマン号のキャプテンになりたかった。でも、デビ ジョンズに刺し殺されたウィル ターナーを、生き返らせるため、死ぬ間際のウィルに デビ ジョンズの心臓を突き刺させて、ウィルは永遠の命を手に入れる。ウィル ターナーはフライイング ダッチマン号で、父親と、一緒に死者を葬る航海を続け、10年に一度エリザベスに会いにくる。

カりプソは 9人の封印を解かれ、海にもどり渦となって 心臓をウィルに刺されて永遠の命を失ったデビ ジョンズを飲み込む。この女神がカニのおばけになって、海に帰るところは、怖い。彼女の作り出した渦によって、ブラックパール号と、フライイング ダッチマン号は軍隊をやっつける。東インド会社の親分も軍隊のベケット卿も敗北する。

これでやれやれ、、なんだけど、キャプテンジャックが陸に上がって、飲んだくれている間に またまた、ブラックパール号は、出航、またしても取り残された彼は 可愛らしい手漕ぎボートで、後を追う、というところで映画はおわり。

話がわかりにくくて、第一作、第二作を見ていないと全然筋が読めないだろう。でも とにかく おもしろくておもしろくて、画面に釘付けになる映画だ。話の筋を追うのではなくて、ただ、映像を楽しめばよいのだ。

3時間近い長さの映画が とっても短く思えた。 ジョニー デップは素晴らしい。本当に気に入った作品にしか出演しない、個性の強い俳優だそうだが、役つくりに とてもこだわって、自分にしかできないキャプテンジャック スパロウを作り出した。この役のために ものすごく凝ったアクセサリーや衣類を自分で持ち込み 入れ歯 一本入れるにも、自分の考えを通したらしい。 第3作でお話が終わるような気がしない。うわさでは第6作まで続く、などという声も聞こえる。どうなんだろう?第三作の興行成績次第なんだろうか? だったら、みんな観て観て観て。すごく、おもしろいよー!

2007年5月25日金曜日

映画 「ゲド戦記」


スタジオジブリ製作、宮崎吾朗監督によるアニメーション映画「ゲド戦記」を観た。原題「TALES FROME ARTHSEA」。 日本では1年前に上映されていて、それのついての賛否両論がでていたが、もう忘れられているのかもしれない。でも、オーストラリアではこれが、初めての上映。
シドニーでは、ニュータウンのデンデイー映画館で、5月中旬の10日間だけしか上映されなかった。新聞で、映画案内に小さく「TALES FROM ARTHSEA」と出ていただけで、絵が出ていたわけではなかったので、それがスタジオジブリの「ゲド戦記」のことだとはわからなくて、見逃すところだった。それでなくても、ニュータウンのデンデイーのようなメジャーでない 小さな映画館を知らない人が多いだろうから 見たかったのに 逃した人は多かったのではないだろうか。大人も子供も スタジオジブリの作品を好きな人は多いのだし、一昨年はアカデミー賞も取っているのだから、もう少し宣伝するなり、新聞に紹介記事を載せるなりして、多くの人に知らせるべきだったと思う。中国映画、スペイン映画、フランス映画などに比べて、日本映画の取り扱いはここではとてもマイナーだ。

「ゲド戦記」は 「指輪物語」と「ナルニア物語」と並んで、世界の3大ファンタジーのひとつといわれている。アメリカ人作家、アーシュラ グウィンの作品。 映画監督の宮崎吾朗は、スタジオジブリの創始者の息子、今回の映画が初めてのデビュー作。

EARTHSEAでは 国が乱れ、穀物が枯れ収穫ができず、家畜は疫病で死に、人々は飢え、人の世界を支えていた2匹の竜が争いをはじめて、世界の均衡がくずれてきていた。ゲト戦士は、その原因を探し出そうと旅にでて、アレンという少年に出会う。 アレンは ENLADの国の王子だったが自分でコントロールすることができない凶暴なパワーを持っていて国王の父親を殺して、逃げている。途中、アレンは、顔に火傷のあとのあるテルという少女に出会う。テルは魔法が使えるので、街で迫害されている。テルはアレンの凶暴を憎むが 一緒にゲド戦士と戦うように説得する。 ゲド戦士は、世界の均衡が崩れたのは、永遠の命を取ろうとしている蜘蛛COBのせいだとつきとめて テルとアレンとで 蜘蛛と戦う。というのがおはなし。

この宮崎吾朗の初めての作品が、いままでの多数の宮崎はやおの作品と大きく違うのは、これには原作があって、それを基にしているということ。だから、宮崎はやおの 豊かなイマジネーションの賜物である、さまざま多様で楽しいキャラクターは出てこない。はやおの作品は物語が単純でも、彼独特のイマジネーション、「千と千尋、、」の、巨大な赤ちゃん、豚になる両親、名無し、くも男、「もののけ、、」の森の神、走る狼、いのしし、「ハウルの動く城」の 年寄りになる魔法、かかし、歩く城、おばば などなど、意表をつく、楽しい登場者が 物語のどこそこにもちりばめられていて、物語に奥行きを作っている。筋に関係なく ただ見ているだけですごく楽しい。それが 宮崎はやおの作品の魅力だ。

宮崎はやおの作品は、常に、子供がひたむきに前に進む勇気、くじけずに前を見る澄んだ目、苦難を通して成長する姿 を描いてきた。「千と千尋、」では、豚にされた両親を助け出すために、ひとつひとつ目の前に現れてくる障壁に くじけず戦う少女の姿が感動を呼んだ。「ハウル、」でも、「もののけ、」でも これでもかこれでもかと、与えられる難関にしり込みせずに前に向かっていく勇気ある子供の姿を描いていた。

その片鱗はこの作品にもあって、これはアレンとテルの心の成長を描いた作品といえる。テルが、アレンに言う言葉が良い。「心の不安はだれにでもある。みんな不安だし、みんな死ぬことが怖い。でも、人は永遠を生きることはできない。死があるからこそ 人はよく生きられる。終わりがあるからこそ しあわせがあるのだ。」という言葉だ。

この作品では 始めにアランが国王の父親を殺すが、動機がいまひとつ明らかでない。不安で仕方がなくて 自分で制御できない凶暴な力、自分の影に操られて親を殺したと言っているが 父親殺しの償いはどうなるんだろう。映画では悪に勝って、自分の国に帰る決意をするところで終わるが、国王殺しにどう責任を取っていくんだろう、と原作の終わった先まで心配するのは、私だけかしら?

父親殺しはギリシャ神話のエデイップス王の時代から フロイトに言われるまでもなく、男の子にとっては、避けて通ることのできない永遠の課題だろうが、この作品で、親が立派すぎるだけに、息子の作はでこそこない、と けちょんけちょんにけなされた、宮崎吾朗の一番やりたかった本心だったりしてね! 

2007年5月15日火曜日

映画 「プライスレス」


フランス映画「HORS DE PRIX 」を観た。クレモン、オピアムで、上映中。 英語タイトル「PRICELESS」、邦題は、まだわからないが、「プライスレス」か。お金に替えられないほど貴重品という意味。

主役オードレイ タトウ(AUDREY TAUTOU)と、相手役にガト エルマレ(GAD ELMALEH)。ピエール サルバドリ監督。とっても オシャレなコメデイー。

オードレイは、高級娼婦。お金持ち紳士の同伴者として避暑地リビエラを旅行している。絶え間なくおねだりをして、装飾品を買ってもらう。下着からドレス、持ち物まで最高級のブランド品を身につけていないと気がすまない。
ある夜、酔って寝込んでしまったパトロンを部屋に残して ホテルのバーに下りてきた彼女は若いバーテン ジーンに出会う。ここで彼女はしたたか酔い、ジーンを バーテンと知らず客の一人と誤解したままベッドインしてしまう。寝過ごして パトロンに見捨てられ、ジーンも 一介のバーテンに過ぎないと知って、オードリーはあわてるが、もうすっかり惚れてしまったジーンは有り金すべてをつぎ込んで彼女をコートダジュールのホテルに誘う。ジーンの積立貯金から、年金、生命保険まで解約してつぎ込んだお金も、彼女の浪費、一流のホテルにレストラン、ドレスに靴にあっという間に消えて、彼女は 去っていく。

残されたジーンは、ホテル代が払えなくて、警察に突き出されそうになったところで、億万長者の未亡人に拾われる。ジゴロとなったジーンは 金で買われた未亡人のペットだが、恋するオードリーのことがあきらめられない。
オードリーも、新しいパトロンと同じホテルに現れ、このふたりは、お互いのパトロンの目をごまかしては、二人で、深夜のビーチピクニックをしたり、二人だけの時間を持つようになり、遂に、オードリーは、パトロンを捨てて、ジーンのもとに行く。ハッピーエンドのラブコメデイー。

オードリータトウーのすきなひとにはたまらない映画だろう。スリムで 次々とグッチのドレスを着て現れる 完璧なプロポーション。よくクルクルと動く大きな瞳。表情豊かな 愛らしい顔。小悪魔なしぐさ。 彼女の「アメリー」「A VERY LONG ENGAGEMENT」は、彼女が演じたから、成功だった。「アメリー」はもう10年前の映画だが、いまだにすごい人気。オーストラリアで、今までの映画のなかで、一番好きな映画という人気投票をしたとき、「アメリー」がトップ、3の中に入っていて、すごくびっくりした。日本でなら、まだわかるが、フランスとかパリとかが、大の苦手の田舎者オーストラリアで、だ。 「アメリー」をやった、オードリーの不思議な魅力と独特の可愛さがこの映画でも健在。それだけに、「ダビンチコード」では、トムハンクスの相手役やらされて、彼女の良さが全然でていなくて、可哀想なくらいだった。やっぱり、フランス人は、アメリカンコーヒーでなく、カフェオーレでないとダメなんじゃないか。

この映画で、ジゴロになるガトエマニエルが、恥ずかしがりやの冴えない、全然男の魅力がない青年役ですごくおかしかった。ジゴロの彼と レストランで鉢合わせになったとき、オードレイが、買ってもらったばかりの宝石をじゃらじゃらさせながら、ねえ、未亡人に何を買ってもらったの?と聞くんだけど、彼が 「豪華な朝ごはん、パンケーキのおかわりもらっちゃったんだよー」、とうれしそうに、無邪気に答えるところなんか、すごく笑える。それが、ダイヤつきローレックスとか、バイクになっていくんだけど、そういった億万長者のお金の使い方も、観ていて楽しい。 気軽で、楽しいコメデイーだ。

2007年5月14日月曜日

映画 「CURSE OF THE GOLDEN FLOWER」



ツアン イーモー(ZHANG YI MOU)監督の中国映画「黄金の華の呪い」、原題 「CURSE OF THE GOLDEN FLOWER」を観た。チャッツウッド マンダリンセンターで上映中。 主演、ゴングリー(LI GONG)と、チョーユンファ(CHOW YUN FAT)。

AD 928年の中国皇帝と皇后とその3人の息子達による血を血で洗う 権力争いを描いた映画。 菊の紋章を家系とする皇帝は、部下だった武将に倒され、皇帝の娘は、新しく皇帝になった武将の妻に迎えられて皇后となる。当然、仲の良い夫婦ではない。夫は、父を倒して権力を乗っ取った仇だ。この皇帝夫婦には 先妻とのあいだに、長男、そして夫婦の間にできた男の子が二人いる。皇后は、夫の後継者となる長男を 自分の味方につけておきたいので、肉体関係をもって自分の意のままに繰っている。また彼女は 自分の実の息子、次男を後継者にして、父の家紋 菊の存続を図っている。 しかしそんな皇后の思惑など とっくの昔に 見破っている皇帝は妻を毒殺するために、毎日健康に良いと偽って薬茶を妻に飲ませている。 チャンヤン祭(CHONG YANG FESTIVAL)という、日本の盆にあたる、先祖の死を悼むお祭りの日に、次男は、皇后を擁護して皇帝を倒そうと、万の兵が皇居に向かって反乱をおこすが、敗れて、自死。長男は三男に殺され、三男は父に嬲り殺されて、ついに、世継ぎは誰もいなくなった。皇后は、最後の毒杯を飲み干すように追い詰められる。

こうした歴史映画のおもしろさは、この時代の人がどんな服装で どんな生活様式をし、どんな風に考えていたのか、なかなか本を読んだだけでは 実感としてわからないものが、映像で描き出されると、時代の空気が生き生きと感じられることだ。ローマ時代を、「十戒」や、「ベンハー」で 実感できるように、中国の皇帝も、この映画や、「ラストエンペラ-」「ヒーロー」などで、知ることができる。

それにしても、この20年というもの、中国映画といえば、チャンイーモー監督、女優といえば、ゴングリー。この二人は夫婦だが、6億人の人口をもつ中国に、映画関係者はこの二人しかいないのだろうか?いまだに、ゴングリーは美しく咲く 大輪の花だから良いけど、ツアンイーモーの堕落、大衆路線は、痛ましい。

ツアンイーモーが製作した映画は、1987年の「赤いコーりャン」、それに続く「レッドランタン」、「THE ROAD HOME」、「TRANDOT」、「HOUSE OF FLUING DAGGERS 」、「ヒーロー」、「CROACHING TIGER HIDDEN DRAGON」など。彼の、はじめのころといえば、芸術家や、知識人による民主化運動が厳しく制限されていて、さまざまな制約をはねのけて映画を作ることに 大変な勇気と、ただならぬ反骨精神がなければできなかった。それだけに、初期の作品には、自由への渇望がみなぎっていた。

しかしこの監督が国に認められて、現代中国文化の大御所として とりこまれ、国民的英雄になってしまってからの彼の作品は ただの娯楽作品だ。まあそれも良い。時代は変わるし、人も変わる。

この映画は、莫大な資金と、万人規模の役者を自由に使って、壮大な資金の浪費をして作られた。ただただ、スペキュタクラー!!! どっどっどっと、地響きをたてて、何万人かの謀反の軍団が、皇居を埋め尽くしたかと思うと、つぎには、そのせ数倍にあたる人数の、政府軍がワーっとやってきて、全部殺して、、、すると、とっとっとーと、掃除人夫が 全部死体をかたずけて、それから、さっさっさー、と たくさんの 花をもった女達がその上を、きれいな花で埋めてしまう、あっという間の手際の良さ。ウーン。まいった。

しかし、ゴングリーは いまだに美しい。20年あまり、中国を代表して、トップを走り続けている。「芸者さゆり」では、若いチャンツイー(ZHANG ZI YI )の美しさと、互角で張り合っていた。この人の若々しい体と 30代はじめとしか思えない美しさは、いったい何なんだ。秘訣を教えてほしい。

2007年5月8日火曜日

映画 「スパイダーマン 3」


史上最高金額6億ドルをかけて製作された 映画「スパイダーマン3」は 世界中で同時に封切られ、あっという間に全米映画興行収入で史上1位を記録した。

映画が好きな人 観なくちゃダメだよ。 スパイダーマンが正義のヒーローなんかではないこと、間違いもするし、馬鹿もやる、普通の成長過程にある青年だということがよく描かれている。

人が生きることは、正しいことと間違っていること、この2つしかない訳ではない。もともと、スパイダーマン、ピーター(TOBY MAQUIRE)は、まじめだけど どちらかと言えば、さえない物理学を学ぶ大学生、両親に死なれ、貧しいけれども誠実な叔父夫婦に育てられた。学費のたしに写真を撮って、新聞社に買ってもらっている。 誤って 遺伝子組み換えされた蜘蛛に咬まれて、自分の体の異変に気つき、蜘蛛のように糸をつたって飛んだり 戦うスーパーパワーをもったことを知る。

幼い時から心をよせていた隣に住んでいたMJ(KIRSTEN DUST)は女優志望の売れない歌手、何度も怖い目にあって スパイダーーマンに助けられて、キスを契機にスパイダーマンの正体を知ってしまう。 幼馴染のピーターと、MJと、ハリーは大の仲良し。でも実は ハリーは悪の世界ゴブリンの息子で、スパイダーマン2で、ハリーの父はスパイダーマンとの戦いで殺されてしまったことで、ハリーはピーターを憎んでいる。

ピーターのお父さん代わりベン叔父さんは ピーターを車で待っているときに 強盗犯にカージャックされて殺されてしまう。ベン叔父さんはピーターに、「大きな力をもったならば それだけの責任を持たなければならないんだよ。」と言い残したが、この叔父さんを殺した極悪人が脱獄して、逃げる途中 放射線をあびてサンドマン(砂男)になってピーターの前に戻ってきたことから、ピーターは復讐に燃える。でも実は砂男が叔父さんを殺したわけではなかった、また、彼は心臓の悪い娘の手術費を捻出するために強盗せざるを得なかったことがわかる。

今回のスパイダーマンの教訓は、安易に復讐してはいけない。悪にも理由や、事情がある。人には悪に手を染めるか そうせずにいるか 選択の自由があるが それに伴う責任を避けて通ることができない、ということ。最終的にはピーターは砂男を容赦する。スパイダーマン3の、テーマは「ゆるし」だ。

スパイダーマンがおもしろいのは ピーターが普通の男の子で、スーパーパワーを持ったために 間違いもたくさんして、人を傷つけたり、パワーに慢心して観衆のまえで 飛んで見せたり 女優とキスして見せたりするところ。人気絶頂をいいことにマスクを脱いでからも、調子にのって、せっかく理解してくれているMJが失業して歌手としての希望を絶たれているのに、聞く耳をもたない。べノムの黒い魔の手に侵されブラックスパイダーにならなくてもピーターは普通のおばかさんなのだ。だって、まだ20歳そこそこの普通の大学生でしょう。当たり前。そんな彼が 立ち返るところは、亡くなった叔父さんの教訓であり、変わらずに心を支えてくれる伯母さんの言葉だ。調子に乗ったりどん底におちたりしながら戦いでボロボロになりながら 彼の心の成長の軌跡がていねいに描かれている。そこが、おなじ、ニューヨークを拠点に活躍する スーパーマンや、バットマンとちがうところだ。

スパイダーマン3で、ピーターの親友で実はゴブリンの息子というハリーがすごく良くて、泣ける。この俳優(JAMES FRANCO)って、スパーダーマンでしか見たことないけど、故ジェームスデイーンにそっくり。で、それだけで泣ける。ハリーは大金持ちの父が発明したたくさんの殺人兵器をもっていて 空飛ぶスケボーでピーターと戦う空中戦がすごくかっこ良い。 記憶を失ったハリーが目覚めて、親友ピーターとMJに見せる笑顔は、ものすごくチャーミング。ジェームスデイーンの笑顔にそっくり。これを観るだけのために この映画に$15 払う価値がある。 大きな屋敷にたった一人暮らす孤独なハリー、悪の権化だった父はかつて 親友ピーターを高く評価していて十分自分は父に愛されたかどうかという自信がない。でも父への愛は不滅。父の期待に報いてスパイダーマンに復讐攻撃するが敗れる。

ハリーは、ピーターに MJを救うために一緒に、ブラックスパイダーと、砂男をやっつける力を貸してくれ と言われて、苦しんで、悩んだ末 ピーターのために助っ人に行く。 ピーターと、手を取り合って スケボーで夜空を飛び回るハリー。スパイダーマン3のヒーローは間違いなくハリーだ。この映画では、ピーターの心の成長もハリーの心の成長も描かれてれている。ピーター、ハリー、MJ この まだ青い愛と、友情のありかたにちょっと涙が出る。

新聞社の編集長と 彼の高血圧をコントロールする秘書、それから、ピーターの下宿の親父とちょっと知恵が足りなそうな その娘など、スパイダーマン1,2からのおなじみの 愉快なキャラクターが華を添えていて 毎回笑える。

2007年5月1日火曜日

映画 「敬愛するベートーベン」


映画「COPIYING BEETHOVEN」クレモン オピアムで上映中。

べートーベンの名前を知らない人はいない。彼の作品は?というと、交響曲第5番「運命」の第1楽章の最初の4音をジャジャジャジャーンとやったり、エリーゼのためにの最初の2節を鼻で歌ってくれる人が多い。私はバイオリンでベートーベン弦楽曲には泣かされたので 暗い哀しいつらい難解 でも尊敬。

交響曲「英雄」「運命」「田園」、ピアノ曲「皇帝」「悲愴」「月光」「テンペスト」、オペラ「フェデリオ」、バイオリン曲「春」「クロイツエル」など 本当の作品名に ニックネームがついている作品だけでも こんなに沢山ある。それほど、ポピュラーな天才中の天才。

彼とドイツの森とは切っても切れない関係にあって、彼は毎日4時間も5時間も 森を歩いてインスピレーションが沸くと 曲にして作った。彼もまた恋をたくさんしたが、生涯結婚は しなかった。一生努力しながら、苦しみながら作曲し、莫大の量の交響曲、弦楽曲、ピアノソナタ、コンチェルトを作曲したが、未完の作品も膨大な量だった。

映画「COPYING BEETHOVEN」アメリカ、ドイツ合作映画を観た。AGNIESZKA HOLLAND 監督、ベートーベンに、エド ハリス(ED HARRISE)と、その楽譜コピイストのアナ ホルツ役にダイアン クルーガー(DIANE KRUGER)。 映画設定は 1824年、57歳晩年、死のちょっと前のベートーベンは すでに一世を風靡し、名声を得ているが、もともと貴族の出身でも、年給を保証してくれるパトロンがいるわけでもないベートーベンにとって、曲が完成しないと収入はない。期限までに、作品を収めなければならないプレッシャー、除じょに聞こえなくなっていく耳、健康上の不安、可愛がっていたピアニストの甥の裏切り、、、、創造を糧として生きるものの苦渋の満ちた生活だ。

コピイストとは作曲家が書いた曲を、オーケストラごとの楽譜にして、曲を書き写す職業で、自身も作曲家同様の専門知識と、繊細な注意力と集中力がないとできない。コピーマシンや 大量印刷製本技術のある時代ではない。楽譜は全部、手書きで、消しゴムがあるわけではないので、失敗できない。立派なコピイストを持つことは この時代の作曲家にとって右腕をもう一本持つようなものだ。

映画はウィーン音楽大学を主席で卒業したばかりのアン ホルターが 職を求めてベートーベンのコピイスト ベンゼル スケルマーを訪ねるところから始まる。

新しいコピイストとして抜擢されたアンが ベートーベンにとって必要な耳となり、手となり、友情がめばえたところで 彼女が 自分で作曲した小曲をベートーベンにプレゼントする。ここで すごく笑える。ベートーベンは彼女がどうして曲を持ってきたのかわからないまま、ピアノで弾いてみるんだけども それがすごく杓子道理の コチコチのバロック音楽なので 彼は思い切りはしゃいで曲をばかにして、ぶーぶーいいながら弾いて笑うのだ。それを泣いて怒ってくやしがる彼女とのやりとりがおかしい。

映画で かの交響曲第9番の初舞台、枢密卿、ヨーロッパ中の貴族達を前にして、ベートーベンは指揮をするのだが、すでに耳のきこえなくなっていた彼は アナをオーケストラ団員の間にすわらせて指揮をする彼女をみながら、指揮をとるのだ。映画では そこが見せ場だったみたい。これに近いことを計画的にやったかもしれないけど、実際にはありえない。初見で、第9の全曲を指揮できる指揮者はいない。70分、この時代なら1時間半くらい 初見ではカラヤンでもクライバーでもバーンスタインでもべームでもアシュケナージュでもフルトベングラーでもアバッドでも指揮できるわけがない。まあでも、映画だから許される。

ベートーベンがあの難解な弦楽4重奏を作曲中、ピアノでアンに聞かせると アンははっきり全然ダメ という。実際、サロンでも貴族達からは受け入れてもらえなくてコンサートが終わったときには誰も観客がいなくなっていて、しおれるベートーベン。創造者はいつの時代も 時代を先取りをしているから前衛の芸術が人々に受け入れられるには何十年も何百年も待たなければならなかったのだ。

映画のなかで、人々は文盲でも、ベートーベンの音楽は知っている。たとえ一日中 陽のささないアパートでもベートーベンの曲を王様より、貴族達よりも早く先に聞ける事に喜びを見出している 同じアパートに住む老人。森を歩きつかれて、入った酒場でベートーベンと飲んで騒ぎもする地元の男達。きっと、彼の毎日はこんなんだったんだろうと思いながら、うっとりして観ていた。

ロンドンフィルハーモニーが交響曲第6番を演奏しながら、ベートーベンがウィーンの森を歩き回っているすがた、とても良かった。ずっとそれだけを いつまでも観ていたかった。 

2007年4月22日日曜日

日本映画 「GO」

映画にはビデオで観て 面白い映画と、絶対 映画館の暗がりで大きなスクリーンで見なければならない映画とある。日本映画は だいたいにおいて ビデオに向いている。じゅうたんに転がって、ポテトチップスにビールで、一人笑ぃ転げたり 泣いたりしても、誰にも迷惑がかかららない。日本に帰っていたのを、契機に ビデオで日本映画を観てみた。

「ジョゼと虎と魚たち」、吉永小百合と渡辺健の「北の零年」、寺尾聡の「博士の愛した数式」、伊藤英明と加藤あいの「海猿」、吉岡秀隆と堤真一の「ALWAYS 3丁目の夕日」、妻夫木聡と長沢まさみの「涙そうそう」、山崎勉、窪井洋介と紫咲コウの「GO」などだ。

このなかで、「GO」がとりわけおもしろかった。原作金城一紀、直木賞と取った作品。読んだ本がすごく面白かったので、それを元にした映画も そのとうり よくできていることを期待したが、この映画は原作に忠実で、おまけに良い俳優が脇を固めていて、とても良かった。主人公クルパーの父親の山崎勉を観ているだけでものすごく笑える。映画を観ていて何度もおなかを抱えて笑ってしまった。在日外国人の胸の痛み、差別を跳ね返すパワー、そして家族愛、それでいて全然どん臭くない。

思い切り明るく これほどまで人種差別の厳しい 閉鎖社会である日本で、からっと在日外国人の泣き笑いを書いたものは ほかになかったのではあるまいか。
北朝鮮出身の親を持つゴリゴリのマルクス主義者で北朝鮮の金日成主席を神ともあがめる父が 突然妻をハワイ旅行につれて行くために「転向」して金日成バッチを返還しに朝鮮総連に行く。総連でももう とっくの昔にそんなものは 時代遅れになっていたというのに。で、ハワイ旅行で 広い世界に目覚めた父は がぜんスペイン語を勉強し始めて、今度はスペイン旅行に行くのだ。在日外国人に限らず、井の中の蛙だった日本人が 広い世界をみて あわてふためく様子が笑える。

一人息子は天然パーマの髪が天に向かって爆発しているのでクルパーと呼ばれている。プロボクサーだった父に 小さいときから訓練されているから めっぽう喧嘩に強い。朝鮮中学をやめて、普通高校に移った時から、学校で韓国籍を笑われ、陰湿ないじめにあうが、みるみるうちに学校きっての喧嘩のチャンピオンになってしまう。暴力団総長の息子の鼻柱を折ったことが契機で暴力団にまで いちもくおかれて可愛がられる。別の高校で好きな子ができて、告白するが、彼女の、お父さんが朝鮮人の血は汚いんだって言うの、という言葉に ゆきずまってしまう。

青春の哀しさ、ひりひりする痛みがよみがえってくる。

「インストール」、「蹴りたい背中」の綿矢りさ、「夜のピクニック」の恩田陸、そして「GO 」の金城一紀など、10代でものを書いて 文壇で認められるようになった人々の その才能は並みではない。

とても良かったので、本を読むのも(講談社文庫)、映画で観るのも お勧めー。

2007年4月17日火曜日

映画 「世界最速のインデアン」


とても若かった頃、出会ったときから 何かすごく気があって血がつながっているみたいに心安く ずっと信頼を置いていた人がいる。その昔 私がものを書いていた頃 彼も書いていた。4000キロほど離れていたが、バイオリンを弾いていた頃 彼も弾いていた。今はもっと離れたところで暮らしている。そんな人と 先日、本当に久しぶりで東京で会った時、この映画がとてもよかった と言ったのでうれしかった。

映画「THE WORLD FASTEST INDIAN」「世界最速のインデアン」。シドニーでは 余り 話題にもならず、メジャーの映画館では上映されなかった。 ニュージーランドとUSA合作映画。主演 アンソニーホプキンズ、監督、ロジャードナルドソン、2006年作。 キウイ(ニュージーランド人)のバート ムンロ(BURT MUNRO)が、64歳のときに、1920年代のインデアンという名のバイクをもとに自分で作ったバイクで アメリカ ユタで行われるレースに出場して 世界新のスピード記録を出したときの実際のできごとをもとにした映画。このとき1967年のスピード記録は いまだに破られていないのだそうだ。

長年、役者として功績を残し70代になっても現役のアンソニーホプキンズはサーの称号をもらったが、この映画では キングイングリッシュを捨てて、キウイアクセントに徹していた。64歳のバートは 長年のバイクの排気音で難聴、ニトログリセリンが手離せない狭心症、おまけに前立腺肥大で排尿障害も持っていて ぜんぜんかっこよくない。そんな彼がバイクレースに出るという目的だけのために、淡々と、そしてゆうゆうと一歩一歩目的に向かっていく姿をみているうちに 彼のうれしさが自分の喜びになり、彼の落胆が自分のつらさになり、すっかり共鳴して、彼が本当のヒーローに見えてくる。この男 すごくかっこいい。

NZランドからロスアンデルスまでの 船の旅費が十分でなく、乗船中は料理人、皿洗いなんでもやる。はじめはエプロン姿のおじいさんに 何だよ と言う感じが 人懐こい彼の言うことには含蓄があり、荒くれ水夫達の大に人気者になってしまう。

ロスに初めて着いて タクシーの助手席に乗り込もうとして運転手に どなられる。NZランドやオーストラリアでは 運転手などの肉体労働がホワイトカラーより貴重で大切にされるから 客は仲間意識をもって運転手の助手席にすわるが、アメリカではホールドアップを恐れて 客が助手席に座ろうとすると運転手はパニックになる。1分間も無駄にしたくない運転手と 田舎ものバートのやりとりがおかしい。

モテルに着いて受付で、あんたイギリス人と聞かれて、「え、ぼく、そんなにひどくないでしょう?」と答えるのも、彼のウィット。女性と思っていた受付の人が ホモセクシュアルの男性とわかっても 気にせずきちんと レデイとして扱う。

いよいよ ボロ車を買って修理して ユタのソルトレイクに向かうが、途中、バイクが破損してインデアンの老人に助けられる。湧き上がる彼との友情。美しい石でできたお守りのネックレスをかけてもらって、また出発。 バートの「 同性愛差別や人種差別を超えた 人類みな等しい、人に違いがあるとするなら 夢を持つ人と持たない人とがあるだけ 」という彼の意識が映画の随所で観られる。

本当に苦労しながら ソルトレイクのレース会場に着いて、もうレース参加の申し込み期間が過ぎていたり、バイク修理の費用に底がついて レースに出られないところだったり、と、いろいろなできごとがあるけれど、そのたびに彼の ひょうひょうとした魅力に周りの人々が 助けずにいられなくなって、人々の温情に助けられながら レースで世界新記録を出すのだ。

この映画はアンソニーホプキンズがやらなかったら、全然 成功しなかっただろう。ホプキンスがとても良い。彼自身、インタビューに答えて、この役になるのが じつに、楽しくて、自然に演じられた。と言っている。ホプキンズと言う人は 怪傑ゾロや、ハンニバルや 人食いレクター博士をやっているより、本当は自身がバートのような人なのではないか。

この映画は夢を持って生きる男達に改めて夢を見続けることの大切さを再認識させて、涙ぐませた。

映画には出てこなかったが、実際のバートが世界記録を出したとき スポーツ紙のインタビューで、200キロのスピードで走って 死ぬことが怖くないのか と聞かれて、「全然こわくない。ぼく、平穏に暮らしていくよりも、5分でも余計にバイクにのっていたいんだ。」と答えたそうだ。 うーん、64歳の男のことばにしては、悪くない!

2007年3月14日水曜日

映画 「THE GOOD GERMAN」



アメリカ映画、「THE GOOD GERMAN」、(良きドイツ人)を観た。 クレモンオピアム、デンデイーなどで、上映中。 主演、ジョージ クルーニー(GEORGE CLOONEY)と、ケイト ブランシェット(CATE BLANCHETT)、監督STEVEN SODERBERGH.脚本でアカデミー賞にノミネイトされていた。色のない白黒映画、カラーで撮影した後 色をぬいて白黒フィルムとして完成させたそうだ。

舞台はベルリン。1945年ドイツが降伏し、日本の広島に原爆が落ちる直前、政治の裏で、アメリカとドイツが原爆の製造技術を競い合っていた。ロシアのスターリン、英国のチャーチル、アメリカのトルーマンが戦後処理について、会談をしている。 ベルリンで、ケイト ブランシェットは ナチ時代の科学者の夫を、かくまっていて、何とか国外脱出させようとしている。ベルリンの戦後処理オフィスはロシア側とアメリカ側勢力がこの科学者の隠し持っている書類を奪おうと スパイを送りあい薄氷の上を歩くような緊張のなかにある。 一方、アメリカから送られてきたばかりのジョージ、クローニーは、昔の恋人、ケイト ブランシェットを探している。一人の科学者をめぐって ロシアとアメリカの冷戦が始まる前の緊張のきわにある力関係に、ドイツ秘密警察や、政治に無頓着なジャーナリストが絡まりあいながら、科学者の妻の内に秘めた強さが描かれる。

日曜版へラルドの映画評では、こんな映画をお金払って見にいかないで、ビデオ屋に行って「カサブランカ」と、「第3の男」を観なさい、と親切にも忠告してくれている。 確かに、ラストシーンは ハンフリーボガードと、イグリットバーグマンの 「カサブランカ」そっくりで、この歴史に残る名作の最後の泣けるシーンは俳優ならば誰しもがやってみたかったんだろう と私は、好意的に解釈した。夫だけを国外脱出させて、自分は残ろうとするバーグマンに ボガードが、「君は行きたまえ。僕は大丈夫、君がいてくれたという記憶だけのために僕は 生きていける。」といって彼女に背をむける あの有名なシーンだ。

「カサブランカ」は俳優達も、音楽も、映像も、ストーリーも映画として完璧。子供のときから何十回見たか数えられないが、観るごとに映画っていいなーと思う。 オーソン ウェルズの「第3の男」も素晴らしい。チター演奏の物悲しいテーマ音楽と オーソン ウェルズの監督、カメラワークは歴史的芸術品といえる。ともに、互いに心惹かれながら 決して和解しない、情に流されず 強い意志で対立したまま別かれていく男女の姿に世界中の何億人の人々が涙を振り絞ったことだろう。 こうした映画史に残る名作は多くの人の胸の中で、大切にしまわれていて、せりふの一つ一つを覚えてしまっている人も多いのだから、それに似た作品を作ろうとすると 下手をすればパロデイーやコミカルになってしまう。白黒フイルムのなかでも、ブランシェットは十分美しいし、クロー二ーも確かにハンサムだが、やはり、あの時代のボガードと 一番輝いていた頃のバーグマンの絶頂期の美しさには勝てない。それはもう死んでしまった過去の人だからだ。過去は美化される。

この映画をクロー二ーとブランシェットのファンがみたら、がっかりするだろう。爆弾で破壊されたベルリンの街は、アメリカで作ったセットだったそうだ。なぜか、音楽もさえなく、画面がチープな気がしてならないのは、いまどきの映画監督、白黒フィルムの使い方になれてないのじゃないだろうか。 色を使わないからこそ際立つ 白の白、黒の黒、そしてさまざまな白でも黒でもない中間色を陰影で上手に映し出す技術に長けていないと 白黒映画は成功しないだろう。 「カサブランカ」の漆黒の夜、ほの暗い街灯に光にうつるバーグマンの思いつめたような表情、、、 「第3の男」で、パリの下水道で追い詰められて、殺される前のオーソンウェルズの月の光を地下から求める絶望の表情、、、みごとな映像が記憶に残っているだけに 色抜きしたカラーでとったこの映画は、映像効果が成功したとは思えない。

ヘラルド誌の映画評は 辛らつで、あまり好きでないけれど、この映画については、彼が言うように、これを観にいくより、ビデオ屋で、「カサブランカ」と、「第3の男」を観たほうが 賢いような気がする。 ついでに、ジャン ギヤバンと ミレーユ バランの、「望郷」原題「PEPERE MOCO」と、ビビアン リーと、ロバートテイラーの「哀愁」原題「THE WATERLOO BREDGE」も お勧めする。